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しあわせウサギは宙を跳ぶ  作者: 宇野サキ
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第29話 本当の理由

 雄一おじさんから感じる圧は変わらない。でも口を開くことなく、俺に続きを促すようにじっと俺を見つめていた。

 俺もそれに応えるために視線を外すことなく言葉を続ける。


「俺は逃げていました。事故の事実からも、変わってしまった琴音のことからも。情けないですよね。一番琴音を助けてやらなきゃいけないときに、俺は手を差し伸べられなかった。ただ逃げて、遠くから見守ることが一番いいと自分を納得させて……お兄ちゃんと呼ばれる資格なんて俺にはないんです」


 わきあがってきた怒りで歯がギリっと音を鳴らす。

 これは雄一おじさんに対するものじゃなく、俺自身に対する怒りだ。琴音の状況を知った今、なおさら過去の俺の愚かさが憎らしくなる。

 でもそれを変えることはできない。


「一学期の終わりに、俺は琴音が月乃ミトだということを知りました。そして月乃ミトを通して琴音と触れ合うことで少しずつ気づいていったんです。琴音は琴音。変わってなんかいなかったって。俺が勝手に怖がって目をそらしていただけなんだって」


 おもわず自嘲の笑みを浮かべてしまう。表情を緩めたことをとがめられるかと思ったが、雄一おじさんは鋭い視線を向け続けているもののそうはしなかった。


「それなのに俺はそれをすぐには認められませんでした。このままでいいと流そうとしたんです。でも俺にそれは間違っていると示してくれた友達がいました。情けない俺をずっと待っていてくれた友達がいました。そんな2人のおかげで俺は向き合うことを、先に進むことを決めることが出来たんです」


 綾と司の顔を思い浮かべる。本当に俺にはもったいないくらいの大切な友達だ。

 そんな2人を、胸を張って友達と呼べるように俺はなりたい。


「もう俺は逃げません。すべてを認めたうえで琴音から逃げずに前に進むって決めたんです。だから雄一おじさんも……」

「言いたいことはそれだけか?」


 その低く暗い言葉に、思わず言葉を止めてしまう。俺を見つめる雄一おじさんの瞳はひどくよどんでおり、それはいつかのベッドの上でこちらを見つめていた琴音のそれを思い出させた。

 その真っ黒な瞳に映る俺を塗りつぶしながら、雄一おじさんはひどく冷えた声で俺に告げる。


「君にとってはその程度の話だっただけだ。しょせん君は他人でしかない。友達のお母さんが死んだ。ただそれだけだろう?」

「そんなことは……」

「私にとって美琴は全てだった。私にとって太陽のような存在だったんだ。それが失われた絶望が君にわかるか?」


 感情のないその声は、鋭い刃となって俺の心に突き刺さる。

 そして俺は理解した。俺が思い違いをしていたことを。雄一おじさんは逃げていたわけじゃないんだ。

 これ以上話させてはいけない。そう思いながらも、焦点の合わない瞳に圧倒された俺は口を開くことさえできなかった。


「私は死にたいんだ。いや、違うな。美琴のいないこの世界で生きていたくはないんだよ」

「お父、さん?」


 まるで消え入るように呟かれたその言葉に琴音が震える。その心中を表すかのように、琴音の表情がみるみる崩れていく。

 まるで雄一おじさんの絶望が感染するかのように、表情を無くしていく琴音の手をぎゅっと握りしめる。先ほど頬に感じたときには気持ちのよかった琴音の手の冷たさが、今の俺にはとても恐ろしかった。


 必死に頭を巡らせて考え続けるが、いい案など浮かぶはずがない。

 死にたいという雄一おじさんを説得する? そんなこと俺にできるはずがない。

 それこそマギスタとの契約解除を説得するのとはわけが違う。そもそも相手は交渉のテーブルにさえ立っていないのだから説得のしようがないのだ。


 しかしこのまま黙っているわけにもいかない。ちらりと新美さんに視線をやるが、難しい表情をしたまま固まっている。俺がやるしかない。でもなにを?


 そのとき、なにか手はないかと焦る俺の手にわずかな感触があった。

 とても弱弱しく、ともすれば俺の勘違いなんじゃないかと思ってしまいそうだったが、視線を向けた琴音の手はたしかに俺の手を握りしめていた。


 ゆっくりと視線を上げ、琴音と目を合わせる。その瞳は悲しみに歪んでいながらも、しっかりと俺を見つめていた。

 深い悲しみの中でも、琴音は俺の手を取ってくれた。俺を頼って、信じてくれた。

 そう認識した俺の頭は、さきほどまでの混乱が嘘のようにすっと冷え、そして矛盾に気付いた。


「大丈夫だ、琴音」

「うん、陸斗を信じてる」


 テーブルの下でぎゅっとお互いの手を握りしめ、俺と琴音は同時に前を向いた。

 目の前の雄一おじさんは、死人のように青白い顔をしている。今までこらえていた、死にたい、という言葉を発してしまったせいか、生気のない瞳に俺たちが映っているのかどうかすらわからない。

 でも、道は残されているはずだ。どんなに細かったとしても。


「雄一おじさん。知ってますか? 琴音がしている月乃ミトには定番の挨拶があるんです。琴音」

「うん。おだん子のみんな、こめ子のみんな、こんばんはーだピョン。マギスタ3期生、月からやってきた月ウサギ、つきの~ミトだピョン。今日も今日とて家族の待ってる月への旅費を稼ぐため、みんなと一緒に配信頑張っていくピョン」


 いつもの勢いのない、心に響かない挨拶を琴音が発する。状況を考えれば仕方のないことだ。でもここで大切なのはその内容。

 なんの反応も示さない雄一おじさんに、ゆっくりと噛みしめるように問いかける。


「ここに出てくる月で待ってる家族って誰だと思います?」

「美琴か」

「うん、そう。お母さんのこと」


 なんとか言葉を返してきた雄一おじさんに、琴音が無理やりにつくった笑顔を見せる。痛々しささえ感じさせるその笑顔にざわめきそうな心を、俺は息を吐いて落ち着かせた。


「琴音も美琴おばさんに会いたかったんです。でも月への旅費を稼ぐなんていう無理な目標を掲げた。その理由が雄一おじさんにはわかりますか?」

「……」

「それは雄一おじさんが、お父さんがここにいたからです。お父さんが大切だったからです」


 琴音に視線を向けると、涙ぐみながらもその首を縦に振る。その姿にわずかではあるが、雄一おじさんの瞳が揺れた。


「でもそれは雄一おじさんも一緒ですよね。琴音がいたから雄一おじさんは踏みとどまれた。死にたいと思いつつも、琴音のことを考えて、琴音のことを守ろうとしてきましたよね」

「それは……」

「マギスタとの契約書、見せてもらいました。その特記事項には、琴音が不利益を被らないように守ろうとする雄一おじさんの思いがたくさん詰まっているように俺には思えたんです」


 特記事項にはたくさんの文言が書かれていた。その全ては琴音を守るための言葉であり、それは雄一おじさんが琴音のことを大切に思っていることの証左だ。

 きっとマギスタとして譲れない部分もあっただろうし、交渉が難航したことも想像に難くない。それでも、それを成し遂げるだけの愛情が雄一おじさんにはあるはずだ。

 琴音と雄一おじさんを交互に見つめる。


「俺のことは恨んだままで構いません。だからもっと素直に心の内を話し合ってください。じゃないと、きっと月にいる琴音おばさんに叱られちゃいますよ。美琴おばさん、怒るとすごく怖いんですから。笑顔で圧をかけてきますし」


 冗談めかした俺の言葉に、2人はほんのわずかではあるが頬を緩めた。

お読みいただきありがとうございます。

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