落ち葉
幕末。つまり江戸の世が終りに近かったころだが、まだまだ誰も具体的にその江戸時代の終わりを創造などしていなかったころのことである。
深山藩という弱小の藩があった。
四方八方山また山に囲まれて、川はあったが海はなかった。海は領地の山の上から遠く見るのが精いっぱいのところだった。
弱小藩のこれまた弱小武家、一宮の家に総次郎という男子がいた。
総次郎はこの家の次男だから「次郎」という、身もふたもない安易な名前が付けられていて、兄の総一郎が一宮家を継ぐのは、そつなく振舞い風邪一つ引いたことがないといわれた頑健な健康体を持つ彼のだれも疑わない既定路線だった。
この総一郎の存在だけは、一宮家の頼もしい将来を垣間見せる希望だった。
そして総次郎だが。こちらはもう、長男総一郎が盤石の状態であればあるほど、総次郎には何の出番もないのである。だから父も母も、いつも、
「総次郎。お前は将来自分の身を立てる術を今から、よぉく考えておくのだよ。とにかく何でもいい」
ことあるごとにそんなことを総次郎は言われていた。そして、そういうとき総次郎はというと、幼少期は父母に直立不動で正対して真面目に聞いていたが、少し物心がついてからは、何も言わずに『あ、はいはい』という態度でそそくさと背を向けて行ってしまうようになっていた。そういう総次郎の態度の変化を父母は、「これは、いかん。期待はできない」と悲観し、それでも日夜、総次郎に良い婿入りの話はないものかとことあるごとに藩内といわず、わずかなつてをつたっても足を使って探していた。
だが、元々が弱小藩の名もない家の次男坊に、「ぜひ当家へ!」などといってくれる婿入りの口はあるはずもなかった。
そうこうと父母は総次郎が少年のころから東奔西走していたが、総次郎本人は父母の「身を立てる術を自分で~」ということばだけを「それはその通りだな」と納得し、とにかく手あたり次第、手に入る書物を時間を惜しんで読み込んだ。
なにしろ、家の用を頼まれて使いに出たりした時でも歩きながら書物を手にしていたので、目の前の大木に気づかず、そばの農家の女房から「お武家様、ぶつかる!あんた、ぶつかるよ!」と言われて、ハッと目を上げて前を見たときには遅く、声も出ないほどしたたかに、大木の幹に頭をぶつけて尻もちをついたりしたこともある。
***
総次郎の勉学は、これという進路は持たず多岐にわたっていたが、目的は明確でとにかく藩に暮らす人々の生活が安定して豊かになる方策を考えることだった。
自分が「武士の家の次男」という、特に誰の何の得にも役にも立たない存在だったことが、彼を「人の役に立ちたい」という無心な望みを萌芽させたのだった。
それは容易なことではないし、すぐに結果が出ることでもなかった。何年もこうして勉強して、何かその答えが出るのかさえ、彼には全く分からなかったが、わからないからこそ、人がやらぬほどそれを追い求めていた。
米の収穫が少なければ、なぜ少なかったかを考え。それはいつも、自然の摂理によるものかと思い。日照りや風雨など人知の下でどうこうできるものではないが、川が氾濫せぬようにならできるかもしれぬと考えた。そして川の整備を行えば自然と、水の流れを利用して田畑を潤すこともできるようになった。それらのことは、書物に書いていない経験則も多かった。総次郎は次男であることからくる、有り余る暇な時間と、次男という少し見下された誇りのなさから、平気で農家の仕事などを手伝って歩いていた。そこで農民たちから聞いたことを細かく記録していた。
やがて、総次郎はいろいろな農家を出入りするようなり、知恵を持ち歩いては些細ながら農作物の育て方を指導できるようにさえなっていた。
一宮家の関わりのある田畑は収穫が多い。災害に強いと評判をとるようになっていた。ただそのような評判が話されるようになったころには、総次郎はすでに三十歳を超えていた。
一宮の家では、父がすでに隠居して長男総一郎が家督を継いでいた。だから、総次郎はいよいよ要らぬ厄介者という立場になっていた。
それには父母もいまだ先の見えない次男の行く末を案じていたが、当の総次郎は自分で見つけた農地改革、農業のやり方という『仕事』が面白く、「武士を捨てて農民になるか」と思ったりしたがそれを口に出すことはなかった。だがそのような事態になる想像は父母もすでにしていて、一層父母を落胆させ、「あんなに勉強をして、挙句に武士を捨て農民になったら」と嘆かせた。
***
苦節何年という言い方があるが、彼にとってこの十数年は苦節ではなかった。むしろ楽しんでいたといえるだろう。それはその成果がはっきりと表れたからだった。
農民が成果を感じれば、当然それを数値として見る藩の執政たちにもわかることだった。
「このような農地の改革は、誰が指示したのか」
部屋に集まった老中の顔を見回して、そう殿様が尋ねても誰も答えられるものはいなかった。この藩の農業に起きている、小さなそれでありながら堅実な改革は時間と共に実績を積み上げてきたものが、いま改めて過去と見比べると大きな違いとなったことを指示していたのだ。
***
総次郎の名は藩内に知れ渡って、重臣の目にかなって農政の役割を与えられた。その際に、「藩の役付きの者が次男で家がなく、三十をとうに過ぎて独り身ではいかん」
という話になり、総次郎が単独で一宮という家を別に設けて当主になることを許され、さらに妻を娶ることになった。
まさに急転直下、青天の霹靂のような順風満帆である。
総次郎は今度は責務のある仕事として自分のやるべきことをやっていく以外に、藩の周囲の人々のいうことにも耳を傾け果たさねばならないことが増えた。
それはそれで面白い仕事であり、やりがいもあったし、何分結果が良好に出ていたから、彼にどうこう意見を言う者は誰もいなかったのである。
だが総次郎に意見をしたい者が一人いた。妻の佳世である。
総次郎は仕事に就いて、その役に没頭するあまり家を顧みず、平気で何日も家を空けた。役に付くのと佳世との祝言が重なっていたのだが、それ以来、総次郎が家にいる日のほうが少なかったくらいである。
役が付いて何かと人の出入りがある総次郎の家で家の中のことは全て佳世一人に任されて、何もかもせねばならなかった。
そしてそのうちに佳世が懐妊し、長男を生んだ。だがこの時も、しばらく家に滞在していた総次郎は、「そろそろ仕事に戻らねば」と言って、また前のように家を空ける生活になってしまった。
「旦那様は、うちに帰っておいでになりません。わたくしは何もかも一人。いつも一人でございます。わたくしも農民のみなさん同様、旦那様に相談したいことが、たくさんございます。……旦那様は、農民には何かとお話になっても、わたくしには何も言ってくださらないのですね」
涙ながらに佳世が総次郎に訴えたのは、矢も盾もたまらぬ思いからだった。このころからすでに佳世は実家や周囲に「あの家では、わたしは務まらないかもしれぬ」と漏らすようになっていた。
ほどなくして総次郎と佳世の間に生まれた長男が病で死んだ。その時も総次郎は家におらず、急ぎ帰宅して来たが死に目には間に合わなかった。
以来、総次郎がたまに帰宅して、短く佳世に声をかけても佳世は全く返事をしなくなった。口の重い夫と、心が壊れて口を閉ざした妻の家になった。
それからも総次郎の仕事ぶりが特に変わったところはなかった。むしろ何かを忘却せんがために仕事に熱を注いでいるように見えた。
「離縁を」
佳世が総次郎に申し出たのは時間の問題だった。
総次郎は佳世が家を出るとき、何か最後に言うべきと思ったが、顎が硬く引き攣って言葉が出てこなかった。
実家から迎えに来た下女を伴って一宮総次郎の屋敷の門を無言で後にする佳世の後姿を総次郎は見送った。
***
佳世と離縁して二年したころ、総次郎はもう四十歳を目前していた。やもめ暮らしだが出世は順調であった。
「仕事ばかりしないで、もう少し遊べ」
そういう同僚もいた。何しろ総次郎の一宮は本家をとっくに超えて、申し分ない俸給を得ており、「いまだ妻も子もないのが唯一の不幸。仕事だけにしか能がない」と、仕事が優秀すぎてそれを逆手に揶揄されるようなこともあった。
そんな総次郎は、藩内で今を時めく存在だから、どんな仕事馬鹿だろうと縁談はいくらでもあった。「仕事馬鹿。大いに結構、それこそ男子の本懐」などともいわれた。
けれど総次郎は、持ってこられる縁談はすべて断っていた。「また次も、佳世と同じようになってしまう」と、そんな思いが彼の頭に張り付いていた。そういうとき、そんな考えを振り払うために書物を読み耽って忘れようとした。だが、どんな本を読んでみたところで、自分がどうしたらいいのかはわからなかった。
夜の行燈の明かりを前に一人座り込んで書物を読んでいる総次郎の後ろで障子が開いた。
「旦那様、また書物ばかり読んで。晩御飯でございますよ」
障子をスッと勢いよく開けて、部屋に顔を入れてそう言ったのは下女に雇っているきみだった。
「うむ。もう少しで読み終わる……」
「そう言って、ずっと食べなかったりするでしょう。それはいけませんよ旦那様。なんでもほどほどが肝心でござえますよ」
きみはそういいながら、部屋に踏み込んできて、総次郎の読んでいる書物にしおりを挟んでパタンと閉じてしまった。
「さぁ!ごはんでござえます」
総次郎は、仁王立ちに言い放つきみの顔を見上げて、やはり何も言えずに顔をしかめた。
きみは農家の娘で十八になる。総次郎の家に方向に入って一年ほどたつが、もはや「この家の当主は誰か」と尋ねたくなるくらいに、何もかも取り仕切っていて総次郎も抵抗できずに従うしかない。
総次郎は、自分のお役目がうまくいっていて、こうして不自由なく暮らせているのだし、一宮本家は安泰なのだから、自分はこのままでよいのではないかと思うようになっていた。
「いまさら、自分の家だとか跡継ぎだとか、そんなことはつまらん……たまにこうして、きみがわしに驚きと笑いをくれている、それだけでいいようだ」
と、一人心の中で思っていた。
***
「恥を忍んで、お願いに参りました」
かつての妻、佳世が総次郎の屋敷の裏庭の奥の縁側に立っていた。そこへは、呼びかけを聞きつけたきみが案内した。
「旦那様。お客様で」と囁き声で総次郎に言ってきたので縁側に出た総次郎は硬直した。
硬直してことばが出ない総次郎と、うつ向いたまま目を合わすこともなく一言言ってそれきりの佳世の対面の横で、これを不思議な面持ちで見ているきみの三様の姿は滑稽だった。だが、はたと気づいたようにきみは身をひるがえして下がろうとしたので、総次郎が「お前はそこに座っていろ」と縁側の隅の通路を指さした。きみは「へぇ」と小さくうなづいていわれたとおりに腰を下ろした。
「お願いと申しますのは」
佳世は相当にやつれて見えた。およそ武士の妻とは思えないような悲壮な見た目であった。髪も着物もくたびれて見えた。
佳世は総次郎と離縁してしばらくして、他家へ嫁いだ。
あまり裕福な家ではなかったし、当主が前妻を病気で失い、まだ小さい子供が二人いたこともあって生活は少し苦しかったが、それでも佳世にとっては総次郎と暮らしていた時よりは気持ちも穏やかに暮らせてよかったのだが、ここに来て夫が病になり仕事どころではなくなった。
「何とか仕事を見つけて暮らしを立てていこうとしてきました。周りの親類縁者も頼ってみましたが、もはや会ってももらえず、どうにもなりません。夫やわたくしはよいのですが、育ち盛りの子供が不憫で……前妻の訪問などご無礼とは存じましたが恥を忍んでお願いに参りました」
総次郎はうつ向いたままの佳世をじっと見つめた。きみは総次郎と佳世とを交互に見ながら息をのんだ。
一拍置いたのち、総次郎はきみの方へ向いて言った。
「きみ。今朝、お前の母御が持ってきてくれた栗はまだ台所にあるか」
総次郎の声は、普段彼が話すよりハッキリとハキハキとした大きな声だった。それを驚いて、きみも同じようにハッキリと通る声で、
「へぇ。栗はまだ手簑に入れて台所にござえます」
「そうか。では、それを持ってきなさい……ああ、栗はいいものを見繕って籠に入れてな」
「へぇ!」
きみが台所へ姿を消すと、「少しここで待たれよ」と総次郎も障子を開けて後ろの部屋に入った。
台所から抱えて持ち歩くにはちょうど良い程の大きさの籠に栗を入れたきみが戻って来て、そこへ障子の奥から総次郎もまた縁側に出てきた。
「その籠をここへ」
きみは総次郎がさした板の間へ籠を置いた。総次郎は籠の栗をしばし見て、
「うむ。これはよい栗だ」
そういうと、総次郎は籠にちょうど覆うほどの紫の袱紗を掛けた。
「きみ。これを佳世殿に」
そういわれて、きみは黙って籠を取り上げると佳世のほうへ差し出した。
佳世は呆然としてその籠を見。それから総次郎の顔を見た。佳世が総次郎の目を面と向かってはっきり見たのは、どれほど以来なのか思い出せないほど昔だった。
「その栗は、このきみの村で採れたもの。この村の栗はとてもうまいんじゃ。茹でてても焼いても。飯に入れて炊いても。……これは、わしからの見舞い。お受け取りください」
総次郎は、そういうと、いつもの総次郎に戻って小さく「それでは」といって、部屋に入ってしまった。
立ち尽くす佳世に、きみは栗の籠を渡しながら、
「旦那様も言っていたけど、この栗は本当においしいんだよ。食べてみて、奥様」
そういって籠にかかっている袱紗を素早くサッと持ち上げて一瞬中の栗を見せた。
粒よりの栗の中に、両の掌を付けてちょうど載るくらいの茶色の巾着袋が一つあった。それを見て佳世の顔に、スゥっと安どの色が差したのがきみには見て取れた。
「ありがとうございます」
佳世は籠を抱えて、障子の向こうの総次郎に言った。
屋敷の裏木戸で、武家屋敷の続く道の塀の上から落ち葉がパラパラと落ちて来る中を佳世が走るような足取りで急ぐ後姿をきみは見送った。
***
栗の中に紛れていた巾着には、佳世の家が優に一年は暮らしていけるだけの金子が入っていた。
佳世が「恥を忍んで」といっていたが、恥は武家にとって命とりだ。他家の妻が、元夫の家に援助を求めるなど、もし他人に知れれば一生の恥。もしかすると生きてはいられないだろう。
金を渡した総次郎とて、「前の女房とまだ繋がっている」などと言われれば不義の噂になりかねない。そうなれば総次郎も笑ってはいられない。
「しかし。優しい言葉一つ掛けてやれないとは……また何も言えなかった」
部屋に入って座り、ひとり呟いた。
「何にも言わないほうがいいこともあるんだよ。旦那様!」
総次郎はハッと身をよじって振り返ると、障子を開けたきみの顔があった。
「聞いていたのかっ」
きみは、総次郎が怒っても、悪びれずただ微笑んで障子を閉めた。
廊下を遠ざかりながら「栗は、かあちゃんがまた持って来てくれるよ」といった。
***
それから二年ほどして、「けじめをつけねばならない」と総次郎がいい、一宮の親戚筋の家へ養女に入り、そこから総次郎の元へ嫁いで妻となった。