21話
1.いいんじゃない?
『恩返しの前払いを致しませんこと?』
昼休み。塾長室に呼び出された蓮は開口一番そう言われた。
『な~に言ってんだおめぇ?』
『うーむ、何だか私への対応がどんどん雑になっているのではなくって?』
まあ良いですわと咳払いをし、八江は説明を始めた。
『乙女組手というのは二年、三年の筆頭が下級生への薫陶を授けるためのものなのです』
『まあ、そうらしいな。何かそんなこと聞いたような気がせんでもない』
『が、今回は新入生を代表して先輩方の薫陶を受けるはずのあなたがあまりにも強過ぎる』
びしぃ! と指をさされて軽くイラついた蓮は八江の人差し指を圧し折ろうとするがビクともしない。
『力も心も……いやまあ、力の方はまだまだ伸び代はありましてよ?
しかし現段階ですら二年生、三年生筆頭の子らよりも圧倒的に上回っています。心に関しては既に完成し切っている。
そんな状態で戦ったところで意味はありませんわ。一方的な蹂躙で誰にも何も伝わらないまま終わってしまう』
それは困るのだと八江は言う。
『だったら他の子を筆頭にすりゃ良いじゃん』
『駄目ですわ。心身共に強く、皆の先頭に立てる者。それが筆頭ですもの』
一年でその地位に相応しいのは蓮しか居ない。だから筆頭を変えるわけにはいかないのだ。
が、蓮からすれば知ったことではない。
『そもそも皆の先頭に立つとか言われても困るんすけど~?』
『別段、何かをしろと言っているわけではありません。あなたはあなたのままで良い。そうすれば自然と皆より一歩先を歩くことになりますもの』
『はあ……ンで? じゃあどうすりゃ良いわけ? 恩返しの前払いって何だよ』
『このままでは乙女組手が成立しない。であれば役割を逆にすれば良いのです』
『???』
イマイチピンと来ていない蓮に八江は続けた。
『あなたが高い壁として立ちはだかり、先輩二人がそれを乗り越えんとする姿を皆に示すのです』
『……――ああ、恩返しの前払いってのはそういうことか』
乙女塾に入学し、まだ一ヶ月も経っておらず先輩との交流もあまりない。
だがこれからもそうとは限らないだろう。
変身ヒロインの卵に選ばれるだけあって誰も彼も善人ばかり。その中で代表に選ばれるのだから二年、三年の筆頭は飛びっきりだろう。
これから先、世話を焼かれる機会は多々あるはずだ。
『一年先、二年先で戦いに臨むであろう先輩方に餞別を贈れってわけね』
本当の意味で敵――それもかなりの強敵と殺し合った経験を持つ生徒は自分だけ。
壁としての資格は十分だろう。そういうことなら異存はないと蓮は頷くが、
『でも私、不器用だぜ? 小器用に越えるべき壁とかやれる気がしねえんだが』
『そこは御安心を。私がブックを書きますわ』
そうして謎の覆面レスラーマスク・ザ・ロータスは誕生したのだ。
何でプロレス? と思うかもしれないので補足すると八江の趣味だからだ。
ちなみに衣装についてだが蓮独力ではプロレスに相応しいコスにするほどの改変を行えなかったので八江が手伝った。
「始める前に名乗ろう。大岡菜々美だ。ナナちゃんと呼んでくれ」
「ナナちゃん……そういや前に会いましたっけ」
「ああ、人を探していた時だったかな? しかしそれは君ではなく矢坂さんだった気がするが」
「失敬。言葉が足りなかったな。そう言えば矢坂さんが会ったと言っていたような」
そういやそうだと蓮はキャラを取り繕った。
まあさっきの発言と微妙に噛み合っていないので取り繕えていないのだが。
「ゴホン! お喋りはここまでにしよう。さあ、どこからでもかかって来たまえ」
「ああ、お言葉に甘えて――全力で行かせてもらう!!!」
「!」
全力で行く、その言葉に偽りはなかった。
凄まじい衝撃が腹部に走り、ざざざと後ろに追いやられるロータス。
菜々美は脇目も振らず駆け出し、追撃。
「ぬぅ……!?」
響く。そりゃそうだ。言葉通りの“全力の一撃”なのだから。
打たれながら、ロータスは笑う。
「全ての攻撃を全力で。後先という言葉を知らんのかな?」
「後退の螺子は外してあるので、ね!!」
「クク、どれぐらい続けられる? こんな戦い、長くは持たんぞ」
「見解の相違だな。限界なんて――――何度だって超えれば良い!!!」
顔面を打ち抜かれ仰け反るロータス。
もう十分、受けた。次は自分のターンだとロータスもまた拳を繰り出した。
ロータスからすれば軽いジャブのようなものだが菜々美からすれば恐るべき豪打。
どうする?
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
菜々美は雄叫びと共にロータスの一撃を思いっきり蹴り付けたではないか。
軽く腕が弾かれるロータスと身体ごと吹き飛ぶ菜々美。力関係は明白だ。
(……ここで手心を加えるのは違うわなぁ?)
そう判断し、ロータスは即座に二の矢を放った。
何とか体勢を立て直した菜々美は直ぐそこに迫る攻撃に全力で頭突きを敢行。先ほどと同じように吹き飛ぶ。
(……これは)
数度、同じことを繰り返したところでふと気付く。
徐々にだが、菜々美の攻撃が重くなっているのだ。
手を止め軽く目を見開くロータスに、菜々美は不敵な笑みを浮かべ言った。
「どうかな?」
「いいんじゃない?」
楽しげな笑みと共にそう返した。
そう、菜々美は超えて見せたのだ。宣言通りに己の限界を。
ああ、この戦いぶりを見て何も思わない奴なんて居ないだろうとロータスは深く思った。
(何せ、戦ってる私もこの上なく燃えてんだもん)
それからについて語ろう。
もう無理だろう。これで終わりだな。
周囲のそんな予想を菜々美は裏切り続け、五度――己の限界を超えてのけた。
そして杏子と同じように立ったまま、真っ直ぐロータスを睨み続けたまま意識を失った。
「……これにて乙女組手は終了します。柴さん、大岡さん、素晴らしい戦いぶりでした」
見届け人の田中先生がそう告げるや、歓声が巻き起こった。
一年生は当然として、二年、三年もまた喉が張り裂けんばかりに杏子と菜々美の健闘を讃えている。
勝者はロータスだが、主役は紛れもなく杏子と菜々美だ。
(良い、戦いだった)
ロータスも心の中で賛辞を告げ、そっとこの場を後にした。
向かったのは保健室。防がず躱さずの縛りで二連戦というのは流石に堪えた。
「お疲れ様。見事、オーダーを果たしてくれましたわね」
「塾長……」
「さ、座りなさいな。保健の先生はあちらに向かわせたので私が手当て致しますわ」
促されるまま丸椅子に腰掛け、変身を解除する。
八江の手がそっと蓮の肩に触れ、そこから温かい光が滲み出した。
「あ゛ぁ゛~効く゛ぅ゛……」
「オッサンですかあなたは」
完全にマッサージか鍼灸を受けてるおっさんのそれであった。
「しかしあれな、やっぱ先輩ってのはすげーな」
「あなたより弱いのに?」
意地悪な笑みを浮かべ問う八江を蓮は真っ向から否定する。
「強けりゃ偉いのかよ?」
「いいえ。蓮ぐらいの年頃なら力ゆえの驕りがあっても不思議ではありませんのにホント安定してますわね」
蓮にも傲岸さとも取れる強さへの自負がないわけではない。
しかしそれは強者が持つべき当然のもので、マイナスとは言えないだろう。
「先輩らの戦ってる姿さ。腹にズシンと来たよ。良いよな、ああいうの」
情け容赦なく打ち据えた。それでも怖じず怯まず真っ直ぐに真っ直ぐに。
それは小難しい正義などではなく、多分、もっと単純で有り触れた優しい何かなのだろう。
それを守るため、貫き通すために我が身を削る姿に蓮は光を見た。
「……照れるわね」
「ああ。少しは先輩らしいところを見せられたようで安心したよ」
「柴先輩に大岡先輩じゃねーっすか。身体はもう良いんすか?」
保健室にやって来た二人はパッと見、完治しているようには見えない。
保健の先生が治療してくれたのでは? と首を傾げる蓮に二人は苦笑を返す。
「少しばかり余韻に浸りたくてね」
「あとはまあ、ちょっとした戒め? この悔しさを忘れないための、さ」
「そういう」
「それより矢坂さん、この後予定は?」
「んあ? ねーっすけど」
「ならさ、ちょっとご飯行こうよご飯。大暴れしてお腹すいたっしょ?」
「筆頭同士、親交を深めようじゃないか。勿論、矢坂さんが良ければだが」
その誘いに蓮は「喜んで」と笑顔で答えた。
笑い合う三人を見て、八江はしみじみと呟く。
「青春ですわね~」
2.え、何これ? 寝起きドッキリ?
乙女組手以降は特別なイベントもなく時は流れゴールデンウィーク前日の放課後。
連休を前にした少女らはこの上なく、盛り上がっていた。
「久慈さんはゴールデンウィークどうするの?」
「本土には戻らないわ。島でゆっくりするつもり。蓮と楓もね」
「あとハナちゃんもね! 皆で映画祭り開くんだ~!」
「まあ彼女の場合は帰る場所がないんだけど」
「それだけ聞くとすっごい悲しいけど」
「実際は恋愛脳で故郷を捨てただけなのよね……」
当然、話題はゴールデンウィークの過ごし方。
帰省する者も居れば島に留まる者も居るが共通しているのは全員、全力で休日を楽しむつもりだということ。
「中村さんと遠山さんはどうすんの?」
「わ、私はおうちに帰ろうかなって。帰省届けも、一週間前に出したし」
「私は島に残りますわ。己の不足を痛感する一ヶ月でしたし、改めて己を鍛え直すつもりです」
「意識たっけーなオイ。たまにゃ自分を甘やかしてやんねーとどっかで潰れちまうぞ? 島残るんならどっかで遊ぼうや」
「や、矢坂さんがどうしてもと言うならまあ……か、考えておきますわ」
その後。しばらく会えなくなる人も居るということで、この日Aクラスの面々は夜遅くまで遊びに遊びそれぞれ家路についた。
それぞれの家に帰り、それぞれの寝床でやって来る明日に胸躍らせながら眠りについた。
――――迫り来る悪意を知ることもなく。
「んごごごごごご……んぐぁ……」
何とも言えないいびきを立てながら眠る蓮。
実に気持ち良さそうな寝顔をしていたが、ふとその表情が曇る。
(……なんか、くせえ…………)
深く沈んでいた意識が徐々に浮上し出す。
(……土、のにおい? 冷たい……草……? 緑……)
ガバッ! と勢い良く起き上がった蓮は、直ぐ異常に気付いた。
「……どこだ、ここ……?」
見渡す限りの木、木、木、木。鬱蒼と茂る森の中。当然、見覚えはない。
家で寝ていたと思ったらこんなとこに居たなんて十分異常だが、それ以上におかしなことがあった。
「か、片目が見えねえ……!!」
目を開いているはずなのに何も見えない。
そしてどういうわけだか身体も糞ほど重い。
さしもの蓮も突如我が身に降りかかった異常の数々には動揺を隠せずに居たが、答えは直ぐにやって来た。
《あ、あーあーあー! テステス、聞こえてます? 大丈夫?》
八江の声だ。
《一年の皆さん、御機嫌よう。私が乙女塾塾長平和島八江ですわ。
さてさて、突然のことに混乱しているでしょうが? よーく御考えになって?》
何をだ、と蓮は悪態を吐く。
《普通の学校じゃないのにどうして普通に連休を楽しめると思ったので?
つまりはまあ、そういうこと。来年からは普通に連休を楽しませてあげますが今年はダーメ。
あなた方にはこれからしばらく、サバイバルをして頂きます。期間ですが……明言はしません。先行きの見えない不安と戦ってくださいまし》
本当に危ない時以外は、一切手を出すつもりはないと八江は言う。
《まあでも一つ助言をするならまずは合流を目指してみては如何?
バラバラに投棄したので合流するのも生半なことではありませんが、苦労するだけの価値はあるのではなくって?》
と、そこで八江は思い出したように「ああそうだ」と口にする。
《一部の生徒……いやもう普通に明言しますが蓮と花子。
フルスペックのあなた達だと訓練になりゃしないのでハンデをつけさせて頂きましたわ。
かなりキツイかもしれませんが、それで他の生徒とトントンなので我慢してくださいまし》
それでは皆さん、あでゅ~♪ それを最後にぷつりと八江の声が途切れた。
蓮は数分、硬直していたが……。
「…………色々言いたいことはあるが、とりあえずアレだな」
帰ったら絶対、あのババアを殴る。
そんな決意と共に蓮のサバイバル生活は幕を開けた。