1話
1.御機嫌よう、乙女塾
矢坂 蓮、久慈 梓、燕 楓。
保育園からの付き合いである仲良し三人組はこの日、変身ヒロイン養成校“乙女塾”の門を潜った。
グラウンドや遠くに見える体育館はアホほどデカイのにこじんまりとした校舎。
教室はA,B,Cの三つしかなく、その三つにしても使われているのはAだけ。
運命力と何かしらの素養。その二つを兼ね備えている少女の数は少ない。
大体は年十~三十人ほどで一番多い時で六十に届くかどうかだった。それゆえ校舎はこの大きさなのだ。
「……おかしい……おかしくない?」
下駄箱で上履きに履き替えA組の教室に入るや開口一番、蓮が言った。
「おかしいって何が?」
梓が首を傾げる。
「顔面の偏差値だよ」
「えぇ……?」
困惑する楓をよそに蓮は続ける。
「美醜の差はさ。そりゃ当然あるだろ。ない方がおかしい。でもさ、明らかに頭抜けてるようなのって一握りだろ。
私の身近に居るお前らがたまたまその一握りだったと思ってたわけ。実際、小学校でも中学校でもお前らが三番に大きく差を開けてトップだったしさあ」
儚げな印象を受ける整った顔立ち。艶やかな長い黒髪、年齢に見合わぬ豊満な肢。貞淑と妖艶を兼ね備えたような梓。
活発な印象の愛らしい顔立ち。起伏は少ないもののキュッとしまった肢体と褐色の肌で可愛さ健康的な色気を併せ持つ楓。
それこそアイドルだと言われてもこの二人ならすんなりと納得出来るだろう。対して蓮はどうか。
別に不細工ではないが可愛いかと言われるとお世辞になってしまうこざっぱりとしたチベスナ顔。起伏皆無のすとーん、という擬音が聞こえてきそうな身体。
それこそただのモブだと言われてもすんなり納得してしまう女――それが蓮だった。
「やだ、照れるわ」
「そう言われるとあたしちゃんも悪い気分はしないなー」
照れ照れする二人だが蓮はわなわなと震えている。
「お前らが……お前らが特別だと思ってたのに見ろ! 教室に居る奴らを!! どいつもこいつも作画コストが半端ねえぞ!?」
「「作画コストて」」
「お前らが女の子の可愛さやエロさを売りにしてるコッテコテの美少女系の手間のかかる作画なら私は日常系四コマのモブ。
メインですらないモブだぞモブ。後ろで通りすがってるだけのモブ。誰の記憶にも残らんわ。一瞬で通りすがるわ。
蓮って顔か私!? えーっと、教室に居るのは……私含めて十五人?
おめー、この十五人で並んだら私秒で消えっぞ。私の物語始まんねーわ。誰の記憶にも残らない」
ヒートアップする蓮に、他のクラスメイト達も困惑しているらしい。
が、人目を気にする繊細さなど矢坂蓮は持ち合わせていないのだ。
「一握りだからギリセーフだったんだよ。でも一握りを寄せ集められるともう無理でしょこれ。
やってらんねーよ、イケメンと出会う機会が多々あってもこんだけ美少女居たらチャンスゼロじゃん」
蓮の馬鹿トークに慣れている二人は困ったように笑うだけだが他の生徒は違う。
突然、愚痴り始めたアホにどう反応して良いか分からずおろおろとしているが一人、勇者が居た。
「いい加減になさいな!!」
ダン! と机を叩き、立ち上がったのはウェーブのかかった金髪の少女だ。
梓が和風お嬢様ならこちらは洋風お嬢様と言ったところか。
まあそれはさておきいい加減にしろというのはこの上ない正論であった。
「あなた、ここをどこだと思っていますの!? 浮ついた気持ちで……恥を知りなさい!!」
仰る通りである。
が、不純な餌でスカウトされ不純な動機でスカウトを受けたのが蓮である。
あんなことを聞かされて見て見ぬ振りは後味が悪い、家族や友人など大切な誰かを守りたい、この国を、地球を守りたい。
大なり小なり使命感を持って入学した他の生徒とは違うのだ。
「あぁうん、確かに失礼な発言だったわ。初対面の人間に容姿がどうとか言われたらムカついて当然だわ。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる蓮。妙なとこで素直なのだこの女は。
「発言もそうですがあのような発言をしてしまうその心持ちを恥じなさいと言ってますの!!
私達は明日の地球を、人類の未来を悪鬼羅刹どもから守護する守人の卵なんですのよ!?」
洋風お嬢の説教は発言そのものについてではない。
ぶっちゃけるとこのお嬢は意識高い系の人間だ。それゆえに低俗とも言える蓮の存在に苛立ちを隠せない。
「そう言われてもなー。私らスカウトした塾長からしてあれだったし」
「そうねえ」
「めちゃ軽かったし」
「『あなた、E~身体してますわね~? お姉さんと一緒にサウナでも如何?』だもんな」
「でた! れんたん十八番のモノマネ! めっちゃ似てる~」
「『変身ヒロインになればもう、イケメンなんぞとっかえひっかえでしてよ? 今なら洗剤と野球のチケットも!!』」
「言ってた言ってた。正直、あんな人が塾長だからゆるーい感じだと勘違いするのも無理ないと思うわ」
「というか塾長って見た目は若いけど諸々考えるとお姉さんってよりおばあ……」
「それ以上はやめなさい楓。人には言って良いことと悪いことがあるのよ」
そんなやり取りをしていると洋風お嬢は何故かショックを受けたような顔で固まってしまった。
「え、塾長さんってそんな感じなの? あーしをスカウトした人はめっちゃ真面目な感じだったんだけど」
「うちはそこまで軽くはないけど、硬くはなかったかなー」
「意識高い系の勧誘ではなかったよね」
初っ端の馬鹿トークはさておき、蓮を悪い人間ではないと判断したのだろう。
他のクラスメイト達も話に入って来て、話題が広がっていく。
女三人寄るだけでも姦しいのだ。十数人も居ればもうちょっとしたお祭り状態である。
「ってかレンレン、マジで男との出会い目当てで入ったん?」
「うん」
「あんな話、聞かされて? プレッシャーとかないの?」
「ない」
「……私も結構、馬鹿とか言われてたけど。馬鹿なりに真面目に受け止めなきゃって思ってたんだけどなぁ」
「私も。中二の時にスカウト受けてマジに悩んだんだけど」
「ある意味大物?」
蓮はぽりぽりと頬をかきながら言う。
「自分が“やらなきゃ”世界が滅んでしまうかもしれない。だから戦わなきゃ“いけない”――そういうんは性に合わないんだよ。
責任感や義務感で命を懸けるとか真っ平御免だ。そんな理由で戦えば死ぬ時、必ず“後悔”する」
死という言葉に教室は水を打ったように静まり返った。
ここに来る意味はそれなりに分かってはいてもだ。
年頃の少女に戦いの中で命を落とす可能性について直視しろというのは酷だろう。
「死ぬなら前のめりにだ。前のめりに死ぬためには状況に背中を押されてじゃない。自分の意思で一歩、踏み出してこそだろう。
私が乙女塾に入ると決めたのはイケメンとの出会いを求めて。
戦うと“決めた”のは人様の家に土足で踏み込んで好き勝手やろうって馬鹿どもが気に入らないから。
ご大層な理由なんざありゃしないが、それでもこれ私が“選んだ”道だよ」
熱を込めて語っているわけではない。世間話をするような気軽さだ。
そりゃそうだ。蓮からすれば至極当然のことを語っているだけなのだから。
しかし、蓮の言葉には重さがあった。揺ぎ無い意思の重さだ。
「ま、誰に強要するつもりもないけどな。他の誰の理由を否定する気もない。単に私がそういう性分なだけさ」
妙な空気になったなと手を叩き話題を変えようとする蓮だが、ぽけーっと彼女を見つめるクラスメイト達には響かない。
幼馴染二人だけはコイツはこういう奴なんだとどこか誇らしげに笑っているが。
やがて一人の生徒が口を開く。
「……矢坂さんは日常系四コマのモブなどと言ってましたけど、少年漫画の主人公みたいな人柄なんですね」
「更に男っ気が遠退くような評価やめてくんない?」
どっと笑いが起こる。
「……」
気付けば輪の中心に居た蓮を洋風お嬢は嫉妬に燃える目で見つめていた。
2.乙女の校訓
入学式である。
担任に連れられ蓮達は体育館に向かった。
馬鹿でかい体育館だが居るのは二年、三年、教員を合わせても百名にも満たない。
「ようこそ乙女塾へ。新入生の皆さんを心より歓迎致しますわ」
式が始まった。
「皆さんは知りたくもなかったことを知らされて、自分なりに考えた末……ここに来たのでしょう」
新入生にとってはタイムリーな話題だ。
じっと耳を傾ける新入生達。尚、蓮は睡魔に襲われていた。
小学校六年。中学校三年。計九年で身に染みたのだ。こういう時の話は長くてつまらないと。
すっかり調教されきった身体は睡魔の格好の餌食だった。
「が、全部忘れてくださいな」
《えぇ!?》
蓮を除く新入生の言葉にうとうとしていた蓮の身体がびくりと跳ねる。
「義務感や責任感だけではやっていけない。それが変身ヒロインの戦場ですわ」
扇子で口元を隠し、何かを思い出すように目を瞑る八江。
「……私が出演していた物語において私はメインではありましたが主人公ではありませんでした。
しかし、戦いを終え一つの物語を紡ぎ終えた頃……心身共に磐石であったのは私だけ。
命を落としたのは一人でしたが他の輩達は心をやられ、今も尚苦しみ続けています」
それは何故か。戦う理由だと八江は断言した。
「その自覚はなかろうと追い立てられるようにして戦うことを選んだ者と自らの足で踏み出すことを決めた者では決定的な差がある。
戦い続けるほどに磨り減っていくのが前者。戦い続けるほどに研ぎ澄まされていくのが後者。
新入生の皆さんの殆どは前者に分類されるでしょう。ああ、咎めているわけではありませんわよ?」
あんな話を聞かされて、強迫観念に囚われるなという方が無理な話だ。
ゆえに八江は新入生達を責めるようなことはしない。
「当然です。当然なのです。命を懸けるなんてことが簡単であってたまりますか」
恥じ入る必要はないのだと優しく諭す。
「皆さんの後ろに居る先輩方だってそう。今、この場に居る者の中で私が安心して戦場に送り出せるような子なんて一人しか居ませんわ。
そしてその子は例外中の例外。ハナからどっかおかしいだけ。凄いとかじゃなくておかしいですの。
だから自分は、などと卑下する必要もなければ見習う必要もありません。だって戦う理由なんて人それぞれでしょう?」
これが戦い抜いた女の姿なのか。これが戦いを終えても尚、違う形で戦い続けている女の姿なのか。
態度こそ軽いものの平和島八江という女は尊敬に値する先達であると新入生は強く理解した。
「そしてそれを見つけさせてあげるのが私達教師の役目ですわ。気負う必要はありません。気楽にいきましょう。
三年間、毎日を楽しく過ごしなさい。そうすればきっと、あなたにとっての戦う理由を見つけられるはずですの」
そこですっと笑みが消える。
「もし見つけられずこの学び舎を巣立つことになっても自分を責める必要はありませんわ。
その時は大人を責めなさい。三年も時間があったのに何の役にも立たなかった私達を呪いなさい。
何も見つけられぬまま送り出すことしか出来ない私達の無能をどうか許さないで」
最上は自らの戦う理由を見つけること。
しかし、誰もが誰もそれが出来るわけではない。
それでも戦わねばならぬなら誰かに責任をおっ被せてしまえば良いのだと八江は言う。
厳しくも悲しい言葉だ。蓮以外の面子は八江の言葉を重く受け止めていた。
「さて……塾長のありがたい話はこれぐらいにしておきましょうか。あまり長々と語っても疲れるだけですし」
茶目っ気のある言葉と笑みで場の空気を弛緩させる。
「それでは最後に校訓を暗唱して〆としましょう。皆さん、私の後に続いてくださいな」
コホンと咳払いをし、八江は声を上げた。
「変身ヒロイン、出来る奴ほど色物だ!」
《変身ヒロ……え?》
今度は蓮も困惑していた。
後ろの在校生達は「分かる分かる」「いきなり何言ってんだおめぇ? ってなるよね」などと頷いている。
「ほら復唱」
パンパンと手を叩くと新入生達は戸惑いながらも先ほどの言葉をなぞった。
それを満足げに見つめ、八江は次の校訓を謳い上げた。
「パンチラは、深夜帯以外では許さねえ!」
《……パンチラは、深夜帯以外では許さねえ》
私達は一体、何を言わされているんだ?
フレッシュな新入生は加速度的に萎びていった。
「大胆且つ淑やかに。重い日だって漏らさない!」
《だ、大胆且つ淑やかに……重い日だって漏らさない……》
セクハラは同性でも適用されるのをご存知でない?
そう言いたいのはきっと、蓮だけではないだろう。
その後も珍奇な校訓が続き、終わる頃にはもう新入生達はすっかりだれてしまっていた。
「それでは入学式を終わります。先生方。在校生の皆さん、盛大な拍手でお見送り致しましょう」
万雷の拍手と何かファンシーな演出効果に見送られ、一年生は退場した。
教室に戻るとそのまま十分の小休憩が始まったのだが誰も口を開かない。
チベットスナギツネのような顔でぼんやりと天井を眺めるうら若い乙女達の姿はこの上なく異常だった。
そうして五分ほど経った頃、蓮が天井を見上げたままポツリと漏らす。
「……これもう、わかんねえな」
《……うん》