10話
1.激情
どんな仕事にも裏方というものがある。
煌びやかなアイドルだって裏方の支えがあるからこそ華やかなステージに上がれるのだ。
それは変身ヒーロー、ヒロインも同じこと。多くの人に支えられているからこそ彼らは戦える。
麗華はいわゆる名家の生まれで麗華の家は政治や経済面でヒーロー、ヒロインを支える役割を担っていた。
女系一家でいずれは当主となる麗華は物心がついた時から、来る時のため大好きな祖母から真実を教えられ戦う者らを支える心構えを説かれていた。
『まあでも■■■家が本腰を入れて支えるようになったのはお婆様の代からなのだけどね』
『そうなのですか?』
その日も、あれやれこれやと難しい話を聞かされていたのだが終わりに麗華の祖母がそんなことを言い出したのだ。
幼い麗華は■■■家はずっと昔から英雄達を支えているものだと思っていたので目を丸くした。
『完全に無関係というわけではないのよ? 無駄に長い歴史の中では政の中枢に居たりすることもあったし。
ただ淡々と必要な分のお金や便宜を図ったりという感じでそこに熱はなく機械的だったわ』
『では、どうして?』
高祖母の代でいきなりやる気を見せ始めたのか?
小首を傾げる麗華を抱き上げ、祖母は語る。
『私のお姉様がね。選ばれたのよ、運命に』
『おばあさまのおねえさま……えっと、れいかの……』
『ふふ、大伯母ね』
『おおおばさま! おおおばさまは、たたかっておられたのですか?』
『ええ。お姉様は迷いなく戦うことを選んだわ』
権力者の家に生まれた次期当主。断る道もあった。
『お婆様も止めたわ。可愛い孫が過酷な戦いに身を投じるなんて耐えられないと。でもお姉様は頑として受け付けなかった』
そう語る祖母は少し寂しそうで、その何倍も誇らしげだったことを麗華は今も覚えている。
『“気に入らねえ。戦う理由はそれで十分ですわ”――ってね。
一度決めたら梃子でも動かない人だったわ。結局はお婆様も諦めて決意を曲げられないのならせめて、少しでも助けに……』
それが■■■家が深く関わり始めた切っ掛けだったのだと言う。
『おおおばさま、かっこいい』
『ふふ、そうでしょう? 昔も今も本当に……』
『え?』
『?』
『あ、あの……おおおばさまは、いきていらっしゃるのですか?』
『? ええ。今も元気で後進の育成に携わってるわよ』
小首を傾げる祖母。いやちょっと待てと幼い麗華は思った。
『で、でも……わたし、おおおばさま、あったことないです』
『あぁ。そう言えばそこは説明していなかったわね』
大叔母が家を出る前のことだと言う。
『もう二度と帰って来れないかもしれない。
だから私のことは死んだものと思ってくれとお姉様は自分から家の名を返上したの。
お父様もお母様もお婆様も私も、皆反対したのだけれど……さっきも言ったけど頑固な人だったから』
苦笑する祖母。
『まあでも、お姉様の考えもあながち間違いではなかったのよ。
お姉様達の戦いは過酷極まるものだったわ。
“続編”という形で長期シリーズに“なってしまった”せいでお姉様もその仲間達も、心身に甚大な負荷を強いられた。
結局、心身共に無事なまま戦いを終えられたのはお姉様だけだったし』
一つ、何かが違っていれば死んでいた。
それほどの戦いに身を投じていたのかと麗華は身を震わせた。
『で、でもいきてたたかいをおえられたのならどうして……』
『自分で一度縁を切っておいて、生き残れたからなかったことになんてムシが良過ぎる……ですって』
だから私的な付き合いは皆無なのだと言う。
何と苛烈な生き方をしている人なのだろう。幼い麗華の心に芽生えたのは憧れだった。
その日から麗華は祖母に度々、大伯母の話をねだるようになった。
最初はいずれは自分も■■■家の当主となり、立派に戦う人達を支えようと思っていたのだが……やがて、変化が訪れる。
小学校二年生の時だ。
『お婆様。私も変身ヒロインとしてこの星に生きる人々を守るため戦いたいのです』
そう切り出した。
裏方も立派な仕事だ。それはよく分かっている。
だが、それ以上に会ったことすらない大伯母への憧れが大きかったのだ。
『なりたいと思ってなれるものではない。それは麗華も分かっているでしょう?』
運命に選ばれた者だけがヒーロー、ヒロインになり得る。
麗華もそれは理解している。その上で、
『分かっていますわ。でも、選ばれる可能性は零ではありません。だからどうか、どうか時間をくださいまし!』
当主となるために学ぶことは沢山ある。
物心ついた時から普通の大人でも知らないことを教えられているぐらいだ。時間は幾らあっても足りない。
余所見をしている暇がないことも分かっている。それでも、諦められなかったのだ。
『困った子ね』
言いながらも祖母は麗華を否定せず、モラトリアムを与えた。
中学二年生の夏休み前まで。それまでは好きにしても良いと。
それから麗華は何時か戦場に立つ日のため、自身を磨き続けた。
文字通り血を吐くような日々だった。戦いの才がまったくないというわけではなかったが、秀才止まりなのは麗華自身理解していた。
それでも弱音一つ吐かず鍛え続けた。不安がなかったわけではない。
どれだけ血を流そうとも選ばれなければ結局は意味がないのだから。
焦げ付くような不安に駆られながら時間だけが過ぎていく。それでもひたむきに前を見て走り続けた麗華の努力は結果、報われた。
ギリギリ、本当にギリギリだった。
スカウトにやって来た人が、憧れのあの人でなかったことは少し残念だったけれど。
入学までの時間はこれまでと同じように鍛錬に費やしていたが、これまでとは違う充実した日々だった。
そしてやって来た入学の日。尊敬する大叔母とは少し違うが、甘えを捨てるという意味で家名を封じ中村麗華として覚悟を決め乙女塾の門を潜った。
『お前らが……お前らが特別だと思ってたのに見ろ! 教室に居る奴らを!! どいつもこいつも作画コストが半端ねえぞ!?』
そしてこれだ。
あまりにも、あまりにも舐め過ぎている。
『いい加減になさいな!!』
麗華はキレた。
そして感情のままに説教をかまして、ひとしきり言いたいことを言い終えたところで後悔した。
特殊な背景があり幼少期から色々知っていた自分と、ただの一般人では事情が違うだろうと。
ズレてはいたものの素直に謝罪するあたり蓮は心根の真っ直ぐな人間なのは間違いない。
そんな相手に酷いことを言ってしまったと反省し、気まずいながらも謝罪をするべきだと思ったのだが……。
『そう言われてもなー。私らスカウトした塾長からしてあれだったし』
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
尊敬する大叔母――“平和島八江”に選ばれた? 誰が? “あんな子”が?
そんなことを思ってしまう自分に自己嫌悪を抱いたが、それでも嫉妬は止められなかった。
あるいは、これ以上何もなければ更に拗らせることもなかったのかもしれないが……現実は非情だ。
入学式で八江が語った言葉は、まんま蓮が教室で語ったことと同じだった。
蓮と八江が並び立ち同じ視線でものを見ているような気がして、酷く嫉妬心を煽られた。
が、そこでもまだ終わらない。
『今、この場に居る者の中で私が安心して戦場に送り出せるような子なんて一人しか居ませんわ』
そう語った八江の視線がうとうとと舟を漕いでいる蓮に注がれていたことを麗華は理解してしまった。
八江はそんな蓮がおかしいのだとも言及していたが麗華には関係ない。
麗華からすれば八江がこの上なく蓮を認めているという風にしか聞こえなかったし、実際そうなのだろう。
嫉妬心と劣等感が麗華の胸を焦がす。
学校が終わると麗華は気付けば蓮を尾行していた。
恥ずべき行為だとは理解していた、していたが止められない。
何か一つでも粗を、なんて考えてしまう自分の賤しい心が憎くて憎くてしょうがない。
そんな麗華を嘲笑うようにまたしても、差を見せ付けられる。
『――――死ねオルァ!!!!!』
超人体質。この段階では直接、聞かされたわけではない。
しかし聡明な麗華は蓮の食事の様子などを見て、そうだと判断した。
その肉体は先天的なもので、努力の結果でも何でもない。
そう言い訳出来るが自分への甘えを許せないその性格ゆえ“負けた”と思ってしまった。
渾身の一撃ですら蓮の足元にも及ばない。
画面の中で並ぶ八江と蓮の名前。届かない。三番目にすら入れない。
まだだ。肉体の性能では負けても、技術では負けない。血を吐いた時間は決して無駄ではない。
そう自分を叱咤し、迎えた翌日。ミットを打ち続ける姿を見てまたしても“天性”を見てしまう。
それでも、それでもまだ。負けていない。届くはず。実際に戦えばと挑んだ模擬戦。惨敗だった。
強さで圧倒的な差を見せ付けられた麗華だが、まだ続きがあった。
昼食を終え体育館に戻った後のことだ。
『ぇと……その……め、迷惑じゃなければで良いんだけど……』
同じグループの遠山翔子がおずおずと、それでも確かな意思を感じさせる瞳で話しかけて来た。
午前中とは別人だと胸中で驚きを覚えた麗華だが、その理由を聞き……曇った。
強さで負け、人間性で負け、自分には何が残っているの?
呆然とする麗華にトドメを刺したのはフラりと見学に来た八江との手合わせ。
これまで散々強さを見せ付けて来た蓮が手も足も出ずボコボコにされている。
しかし、何の慰めにもならない。
だってそれは蓮ならば耐えられると、血肉にしてくれるという八江の信頼だから。
たった二日でこれまでの人生を全て否定されたようなもの。
それでも心折らず、かと言って立ち直ったわけでもないまま日々を過ごし迎えた今日。
心という名のグラスに注がれた嫉妬心と劣等感。
限界ギリギリのところで謎の虫歯菌から投げられた言葉は麗華の心を決壊させるには十分だった。
「どいつもこいつも!!」
叫ぶ。尊敬する大叔母からだけでなく敵からもその存在を認められる。
妬ましい妬ましい。憎らしい憎らしい。
「私だって……私だって……ッ」
激情が理性を凌駕し、
「――――やれる!!!」
気付けば斬りかかっていた。
「ふむ?」
あっさりと受け止められる。
頭の片隅では自らの愚行を咎める言葉が浮かんでいるが、荒れ狂う感情を止めることは出来なかった。
「はぁあああああああああああああああああああ!!!!」
攻める攻める攻めまくる。
技も何もない。怒りのままに振るわれる攻撃。
謎の虫歯菌のつぶらな目が加速度的に冷たくなっていることさえ麗華は気付かない。
「覚えがある」
その場から一歩も動かず攻撃を捌き続ける謎の虫歯菌がぽつりと呟いた。
「くだらない嫉妬だ。いや、妬ましいという感情を否定するつもりはないがね。
妬み嫉みが原動力となり自らを向上させることに一役買うこともあるのだから。毒にも薬にもなり得る感情だ。
だが、嫉妬に駆られて愚行を犯すのならそれは毒以外の何ものでもない」
その手の愚か者に煩わされて来たことは幾度もある。
皆、おしなべて無価値な者らだったと謎の虫歯菌は溜息を吐く。
「分を弁えない愚か者の醜さよ」
「がっ……!?」
胸部に衝撃。
何をされたかも分からず麗華は吹き飛ばされた。
直ぐに立ち上がろうとするがぷるぷると震える身体は言うことを聞かず、口からは血反吐が撒き散らされる。
「実に不愉快だ」
謎の虫歯菌が突き出した右手に光が集束していく。
圧倒的な死の予感。現状を招いたのは己の愚かさだというのは揺ぎ無い事実。
それでも最後だから、いや最後だからこそだ。
意地を張り「愚かでも間違っていてもそれもまた私なのだ」と己の愚かさを肯定し謎の虫歯菌を睨み続けた。
「消えたまえ」
破壊の光が放たれる。
しかし、それが麗華を消し去ることはなかった。
《な!?》
射線上に割って入った蓮が受け止め切ったからだ。
謎の虫歯菌からしても予想外の事態だったようで、呆然? としている。
「な、なん……で……」
困惑する麗華。突然のことに理解が追いつかないのだ。
翔子なら分かる。しかし、自分を庇う理由なんてどこにも……。
「中村さんがどう思ってるかは分からないけどさ」
血塗れの蓮が背を向けたまま語りだす。
「私は、中村さんのこと嫌いじゃないんだわ。むしろ好きだぜ」
信じられない言葉に目を見開く麗華。
「私だけじゃない。梓や楓、他のクラスメイトも同じだと思う」
出血は尋常じゃない。
「ツンツンイライラしてる奴が近くに居るとさ。直接、関わってなくても普通はうぜーってなるわな。
でもさ、皆分かってるんだよ。中村さんがすんげえ“頑張ってる”人間だってさ。
誰が嫌いになれるよ? 誰だってそうさ。頑張ってる人を嫌いになる奴なんてそうそう居やしない」
痛いだろう。苦しいだろう。
「……そりゃまあ、ものには限度ってもんもあるだろうが」
なのに蓮の言葉は楽しげだ。
「少なくともこの程度じゃ。私は嫌いになれねえなぁ?」
振り返り、笑った。生涯、記憶に残るような晴れ晴れとした笑顔だった。
「――……ッ!」
ぽろりと、麗華の瞳から涙が零れ落ちる。
妬んでいた。羨んでいた。気に入らなくてもこの上なく“認めて”いた。
そんな相手からこれまでの自分を肯定する真っ直ぐな言葉をかけられた。
頬を伝うその一滴に込められた感情はとても一言では語れぬものだった。
次回、変身。