続・修道女エンドを迎えた悪役令嬢は、最強の戦闘聖女となった
「お、おぼえてろよこのアマー!!!!」
「ちっくしょー!!」
青い空、白い雲。綺麗に磨き上げられた修道院に、各国からの寄付金により修復された強固な石壁。
内側には、心優しき尼僧たちが丹精込めて手入れをした、花壇や家庭菜園。季節の花や、豊かな野菜を実らせて、少し前に完成した温室でお茶をする尼僧たちの明るい笑い声が響く。
そんな、素晴らしい修道院の壁の向こうでは、死屍累々と、盗賊やらならず者たちが転がっている。
壁の上に仁王立ちになり、皺ひとつない漆黒の僧衣を風に靡かせているのは、金の髪に青い瞳の美しい少女。
「オーホッホホホ!!毎度毎度性懲りもなく!学習能力というものが欠片もありませんのね!十人でかなわないからと百人雁首揃えて来たところで雑魚は雑魚ッ!等しく大地に平伏す結果に変わりありませんことよーッ!!」
勝気な釣り目に、この世が自分を中心に回っていると信じて疑わないような傲慢な顔付き。屈強凶悪なならず者たちを眼下にして敵意に光り輝く瞳。高らかに負け犬どもに追い打ちをかけ、何とか立ち上がった軽傷者の頭上に炎の矢を降らす容赦なさ。
二年前、王都にて王子ロナルド殿下を毒殺しかけた極悪非道の悪役令嬢。
命ばかりは国王陛下の御恩情によって救われ、辺境の修道院へ追放された彼女は、現在この修道院を「わたくしの領地!」と宣言して憚らず、「リベンジ修道院!」「あのクソアマを殺して箔を付けよう盗賊キャンペーン!」「君も男なら一度は修道院襲撃チャレンジ!」を飽きもせず繰り返す阿呆どもを撃退するという、大変充実した日々を送っていた。
「オーッホホホホ!!後で治療して差し上げますからいつも通り金品置いて行くがいいですわー!」
「シスタージュリエッタ。レディがそのように大きく口を開けて笑うものではありませんよ」
大変楽し気なジュリエッタに声をかけるのは、この修道院の院長を務める老女マーガレット。以前は全て剃ってしまっていた髪も、この二年で随分と伸びた。それでも普段は頭巾ですっぽり隠してしまっていて、あまり以前と変わりない。
厳格な修道女マーガレットは岩のように硬い表情のままジュリエッタに注意し、壁の下の惨状をちらり、と眺め目を伏せる。
「懲りない者たちですね」
「えぇ、全くです。数や夜襲ごときでどうにかなると本気で思っているのかしら」
毎日毎日、いったいどこからこれほど湧いてくるのかとマーガレットは呆れた。元々は奪われるために存在していたこの悲しき修道院が、シスタージュリエッタ、以前はジュリエッタ・ジル・ドリエッタ公爵令嬢と呼ばれていた貴族令嬢がやってきてから一変した。
国内への被害を減らすために耐え忍び奪われるだけの、嘆きの止まぬ人身御供であった場所。今は、国内外の無法者たちが打倒ジュリエッタに燃えて挑んできているので、以前の役割以上のことを果たしているような気がする。
「ち、ちくしょうー!このどブスー!」
何度も挑んでくるだけあって、盗賊たちは大変しぶとい。まだ辛うじて息のあったスキンヘッドに入れ墨の大男が、少ない語彙で最後に力を振り絞って行った言葉に、ジュリエッタは「負け犬の遠吠え」と全く気にもしなかった。
が。
ガチャ。
ガッ。
ちゅ、どーんッ!
「うわぁああぁああっ!!」
隣にいる院長は許さなかった。
ジュリエッタが不在の時用に、とシスターたちもそれぞれ武装している。長いスカートの中にはジュリエッタが魔術で作り上げた砲撃用の筒や……いや、ジュリエッタの前世の記憶を頼りに作り上げた、萬實式のバズーカーとか、サブマシンガンが、軽量化され仕込まれている。
院長マーガレットはロケットランチャーを装備しており、無言でそれを放ったというだけのことである。
「その目は随分と悪いようですね。良くごらんなさい。シスタージュリエッタのどこが醜いのです。世にこれほど美しい娘はいませんよ。この修道院の娘ですからね」
「い、院長様……」
爆風と断末魔の悲鳴を上げる無法者たちを眺め、マーガレットはいつも通り、抑揚のない声で言い放った。
*
さて、そんな愉快な修道院のごくごく平凡な日常に、ちょっとした変化が起きたのは冬が始まる少し前。
太陽が沈むのが早くなり、ジュリエッタの下僕、種族名“火山竜”ポチがせっせと大木を切り崩し、修道女たちが来年の薪を作っている正午のことだった。
「シスタージュリエッタ……あなたに、お客様が、来ているのだけれど……」
煙突から何秒で落下できるかのタイムを計っていたジュリエッタと、そのジュリエッタにお説教をしていたマーガレットは、修道院の古株ロザリーに呼び止められた。
「お客様、ですか」
「お礼参りではなくてですか?」
色々あってあちこちで「聖女」だなんだと呼ばれることになっているジュリエッタだが、「不用意に修道院の周りに行けば攻撃魔法を食らう」「巻き添えで死んでも文句は言えない」ということで、一か月に一度、王家がまとめて送ってくる手紙と使者以外に「お客様」は殆ど来ない。他国の好戦的な皇帝陛下やエルフ族の女王陛下が時折攻撃される前提で遊びに来るものの、それであればロザリーがこのような物言いをすることはないだろう。
「それが、その……本人は、王子だと……おっしゃっているの」
「自称王子ですか?」
「いえ、多分……ご本人だと思うわ。見たことはないけれど、あなたのことをよく知っていたし」
「……王子って、ロナルド殿下!?」
ロザリーは歯切れが悪いが、それは「確証が持てない」からではない。
ロナルド王子、ということはジュリエッタの元婚約者だ。ジュリエッタは自業自得で修道院送りとなったけれど、そのきっかけとなった人物、また、ジュリエッタを強く憎んでいる人間だという認識からロザリーは「どうするべきか」と、院長に判断を仰ぐように視線をやった。
「先ぶれはなかったようですが」
「はい。その……お二人でいらっしゃっています。馬は一頭で、殿下は歩いていらっしゃいます」
「……従者に連れられて、ではなくて?」
おや、とジュリエッタは首を傾げる。
色々あったロナルド殿下が何をしに来たのか。それは後で聞けるだろうが、王族が立派な馬車も騎士団の護衛もつけずに?
不思議に思いつつも、王子殿下をお待たせしてはいけないと、ジュリエッタは煤を払って、とにかく門の前まで出迎えに行くことにした。
*
「王子様、いつになったら中に入れるんですか?」
「あぁ、少し前に中に知らせに行ったようだから、すぐだろう」
栗毛の馬の上のアリサが疲れた声で訊ねてきた。ここまでずっと馬に乗っていた彼女はロナルドより疲れてはいないと思うが、男女で体の作りは異なる。幼いころから鍛えて来た自分より、アリサは辛い思いをしているだろうとロナルドは労わるように答えた。
「よかった。きっと今頃大急ぎで準備しているんですよね。お風呂と、新しい服と、それにお腹もすいてるってご馳走を用意してくれてるに違いないわ。それなら、もう少し待たされてもいいですよ」
「あぁ、そうだね」
優しい声でロナルドは答えながら、内心は「それはどうだろうか」と疑問だった。
以前の自分なら、王族である自分を迎えるのだから、その訪問先は出来る限り最大限のもてなしを用意すべき義務があると思っていた。だが、今は、どうだろうか。
門の上の見張り台から、突き刺すような視線を感じる。
覚えのある視線ではない。おそらく、面識のない修道女たちのものだろう。彼女達の顔を見ずとも、ロナルドはこの場所で自分がどれほど憎まれているのかわかっていた。
王家がこの修道院に課した役目を、ロナルドは知っている。護衛もなしにこの場所にノコノコやってきて、昨今は「戦闘訓練を積んだ修道女たち」と名高い彼女達に八つ裂きにされない方が不思議だ。
だが、もはやここへ来る他ない。
「ねぇ、殿下。殿下ったら」
「あぁ、すまない。アリサ。少し考え事をしていたんだ。どうかしたかい?」
「ジュリエッタは竜を手懐けたって皆が言ってたじゃないですか?だからここには竜がいるんですよね。ふふ、それならこれからは馬じゃなくて竜で移動できますね」
「竜は誇り高い生き物だ。彼女以外の言葉には従わないだろう」
「あぁ、それなら大丈夫です。『悪魔に花束』をのヒロインはあたしなんだから」
にっこりと、アリサは微笑んだ。愛らしい、何もかもうまく行くと思っている可愛い顔。見る者の心に春の柔らかな風を起こしてくれるような、不安も疑問も何もない温かな顔。つられて微笑みそうになりながら、軽く首を振った。アリサは時々「ヒロイン」という言葉を使う。何のことかはわからない。けれど「ヒロインだから大丈夫」という自信がアリサにはあり、それが彼女を美しくしていた。
「ロナルド殿下」
パタパタとした足音にロナルドが振り返ると、王都では常に豪奢なドレスを着ていた元婚約者が走って近づいてきた。
いつも大きな宝石や髪飾りを着けていた髪は黒と白の頭巾で覆われ、着ている尼僧服も安っぽい布で着古されている。一年前、王都で尼僧姿の彼女を見たが、あの時は様々な事で動揺していて彼女の姿をじっくり見なかった。
(これがあの、ジュリエッタなのか)
傲慢な釣り目は相変わらずだが、瞳には他人を見下す感情がない。「殿下!」と驚く声は演技ではなく、瞳には供も連れず粗末な装備でここまで来たロナルドを気遣うような色さえ浮かんでいた。
「お待たせして申し訳ありません!お連れの方は……あら?男爵令嬢?」
「王太子妃です。ジュリエッタ、こんなに待たせるなんて失礼よ、本当なら――」
「突然すまないジュリエッタ」
何か言い続けようとするアリサの言葉を遮り、ロナルドはジュリエッタに謝罪した。
「……え、えぇっと、えぇ。まぁ、突然、ではありましたけれど……大丈夫です。お疲れでしょう。食事の用意を急いでしておりますので、まずはお風呂でも」
「あぁ。礼を言う。僕はいいから、彼女に案内してくれないか?」
「それなら、えぇっと、院長、どうしましょう」
「シスター・レイラ、頼めますね」
ジュリエッタが後ろを振り返ると、いつの間にか集まっていた修道女たちの中から院長らしい女性が進み出て、一人の修道女を名指しした。中年の女性が進み出て、軽く頭を下げ、アリサに近付く。
「えっ、きゃぁっ……嫌よ!ジュリエッタ!酷い!嫌がらせなんかしないでよ!このおばさん、顔がぐちゃぐちゃじゃない!」
ロナルドに馬から降ろしてもらったアリサはシスターレイラの顔を見て叫び声を上げた。
シスターレイラは、アリサの言う通り顔の半分が火傷か何かで醜く歪んでいた。顔に怪我をしている女が、布で顔を隠さずにいることにロナルドは衝撃を受ける。さっそく自分達に腹いせをしているのかと唇を噛んでジュリエッタを睨み付けると、その隣に立っている老女が目を細めた。
「シスターレイラは忍耐強い女性です。年若い、無作法な娘の相手も辛抱強く行うでしょう。それに、殿下はお忘れではないかと存じますが、この修道院に無傷の女はおりませんよ」
冷たく言い放つ院長の言葉に、ロナルドは予想通り自分達は歓迎されていないのだと感じ取った。
*
「手を貸してくれ。君には、その義務があるはずだ」
喚く男爵令嬢……いや、王太子妃?とやらがずるずると屈強なシスターレイラに引きずられていくのを見送ってから、ジュリエッタは院長室でロナルド殿下の応対をした。
ここまでまともに眠れなかった様子も殿下の顔色は悪く、疲労がたまっているのがよくわかるが、一時休むより先に自分と話し合いをしたいのだという意思を受け取る。
「義務、ですか」
手を貸してくれ、というのは、何のことはない。二人は、というより、アリサ嬢は国王への不敬により処刑されることが決まったらしい。
(あの一年前のか)
ジュリエッタは思い出す。何やら「ヒロインなのよ!」なんだのと叫びながらまさかの国王陛下をビンタするとは思わなかった。もう顏に笑みを張り付けて、「うっそだろお前なにしてんのー!?」と突っ込むのを堪えるのにいっぱいいっぱいだった。あの後面倒ごとに巻き込まれたくないと、そそくさと王都から出て修道院に戻ったが……まぁ、普通に、よくその場で殺されなかったものである。
一年間、ロナルド王子は頑張ってアリサの命を救おうと、自身の王位継承権や持っていた財産、人脈、なりふり構わず使い潰した。
「……失礼ですが、なぜ男爵令嬢にそこまで?」
純粋な疑問を口にする。
言ってしまえば、男爵令嬢に誑かされたアホな王子という汚名はつくが、王子という身分はそのままである程度自分の身を守ることが出来たはずだ。
「なぜ?愛しているんだ。男として、自分の愛した女性を命がけで守るのは当然だろう」
「一方的ではありませんか?」
「はは、君には、あぁ、君にはそう見えるだろう。ジュリエッタ。僕がどれほど、アリサに救われたのか、君には想像もできないんだろうな」
軽く、ロナルドが笑った。自分の中の宝物を、そっと宝石箱から取り出し、決して得られない相手へ自慢するような優越感があった。
ジュリエッタはそこで、アリサのいう「ヒロイン」のことを思い返す。
ジュリエッタの前世は日本のとある平凡な女だった。そこで“悪魔に花束を”という乙女ゲームをプレイした記憶がある。今の自分と同じジュリエッタという名の悪役令嬢がいたが、あの物語の重要ポイントは、悪役令嬢ではなく、それぞれの攻略対象たちが「悪魔」的要素があることだ。
人間不信。小悪魔。俺様。ヤンデレ。等、まぁ、そういう「性格に難あり」を悪魔と表現していいものかわからないがそういう設定。
ヒロインはその周囲から恐れられる、あるいは倦厭される「悪魔」のような男性たちを恐れず近づき、悪魔が枯らしてしまい手に入れられなかった「花」を(各キャラにより花の解釈は異なるが)送ってくれて、彼らのトラウマを解消していく。
(ロナルド殿下の「花」は確か、“真実の愛”……で、マーガレット)
「院長ーっ!!」
「!?な、なんだ!?」
「あ、いいえ、なんでもありません。偶然ってすごいですわね、おほほほほ!」
「?な、なにがだ?」
「おほほほほ」
いやぁ、偶然とは恐ろしいものである。ジュリエッタは頷いた。
真実の愛。
マーガレットの花言葉だ。院長のお名前がマーガレットなのを、ジュリエッタは改めて納得する。どこに出しても恥ずかしくない善良な修道女マーガレット院長だ。
「……おほほ、不思議、ですわね。殿下」
「……?」
「殿下にはアリサ嬢が、わたくしには院長が、真実の愛を教えてくれる相手でした。わたくしたちはお互い、婚約者でしたのに」
ジュリエッタは前世の記憶を取り出す前の自分と今の自分が同じ、という実感が薄い。しかし、ジュリエッタがロナルド王子を愛そうと努力していなかったことはわかるし、同じように、殿下もそうだっただろう。
「それで、義務、ですか。義務、とおっしゃる理由は?」
「僕がアリサの代わりに毒を飲んだ。その事で、君は僕に借りがあるはずだ」
その途端、ストン、と、ジュリエッタの頭の中で何かが切り変わった。
すぅっと目つきが鋭くなり、口元に酷薄な笑みが浮かぶ。
頭の中でジュリエッタは「あ、ジュリエッタ公爵令嬢」と呟いた。前世の日本人としての意識のあるシスタージュリエッタから、断罪された悪役令嬢ジュリエッタに、意識の割合が変わる。
「厚顔無恥とはまさにまさしく殿下の為にある言葉ですわね。ロナルド殿下」
「……なんだと?」
「このわたくしが、殿下のあの企みに気付かないとでもお思いでしたのなら、わたくし、随分と見縊られて……いえいえ、貞淑だと、見込まれておりましたのね」
ジュリエッタは口元を右手で軽く抑える。扇があればそれで隠しただろう。公爵令嬢だったころの彼女の癖だ。
「殿下が毒を飲んでくださったから、誰も死なずにわたくしの罪が軽くなった、とでもおっしゃりたいのでしょうか?」
「事実、そうだろう。もし、考えたくもないが……アリサが毒を飲んでいれば、彼女は死んでいた。そうなれば君は確実に処刑されていたはずだ」
「公爵令嬢が、目障りな下級貴族を盤上から落とすくらい、なんです?」
陰謀策謀、毒は貴族の華である。
貴族の歴史の中で、ありとあらゆる家系の中で、不審な死が登場していない家などあり得ない。
公爵令嬢という身分の者が、男爵令嬢を、それも、己の婚約者にたかる小蠅を始末したところで問題視するほうがおかしい。
ジュリエッタは貴族の女として、男爵令嬢を始末しようとしたまでのこと。学園内での自身の勢力を使っての情報操作や彼女の立場を追い込むことなど、宮中では日常茶飯事。むしろ、それが出来ずに王妃の座など片腹痛い。
「殿下がなぜ自ら毒を飲まれたか、わたくしが、このジュリエッタ・ジル・ドリエッタが、本当に気付いていないとお思いでしたの?」
「……」
「あの男爵令嬢を妻に迎えるためでしょう?」
毒が入っていると気付いたのなら、別に飲む必要はなかった。だが、ジュリエッタが今言ったように、公爵令嬢が男爵令嬢に毒を盛ったことなど、いくらでももみ消せる。その上、飲んでいないのだから、未遂なのだから、罪を問うことが出来たとしても、それはちょっとした、謹慎や奉仕活動程度で済まされる。
だが、王子がそれを口にしたら?生死の境を彷徨ったら?
罪状が変わる。公爵令嬢が、王子を毒殺しかけたと、そう変わる。そうなれば、男爵令嬢は憐れな被害者、王子が、自ら毒を飲んでまでも守りたかった「最愛」と、周囲にそこまで、信用される。
「わたくし、これでも殿下の婚約者でありましたのよ。殿下のご気性は、わかっております」
ただの被害者。厄介な女に絡まれた不運な男、などではない。
愛しい男爵令嬢を妻にしようと決めたのなら、婚約者を邪魔だと切り捨てる冷酷さのある男。いや、公爵令嬢が男爵令嬢の命をその辺の石程度にしか思わなかったように、王子は公爵令嬢を、そのように見た、つまりは王子も公爵令嬢も、思考の冷酷さは同じだったわけである。
「……」
じっと、ロナルドはジュリエッタを睨み付けた。図星か、あるいは見当違いゆえの敵意かジュリエッタが目を細めて微笑みながら眺めていると、次の瞬間、ジュリエッタは机に頭を強く打ち付けた。
ガンッ。
「!?ジュ、ジュリエッタ?!」
「オ……オホホ、ホホ……細かいことは、もはやどうでもよろしいですわ!」
だらだら、とあまりに強く頭を打ったので額から血が流れるが、ジュリエッタは構わない。
今の自分はシスター・ジュリエッタである。
公爵令嬢ジュリエッタとして、他人の思惑やらなにやらで腹芸をするような、そんなことは、もう、いいではないか。
(院長や、この修道院の皆なら、殿下を見捨てない)
その確信がジュリエッタにはあった。
実の家族や、国中から「死ね」と「悪の女」と蔑まれたジュリエッタを、当人たちの美徳と善性から守ってくれたこの修道院の人たち。ジュリエッタがここでロナルドを見捨てるようなことをしたら、それは、まさにまさしく悪役令嬢の振る舞い。
シスター・ジュリエッタは、そうはしない。
「わかりました。殿下、わたくしの名にかけて、お二人を国外へ、安全な国へ亡命できるよう手配させていただきます」
「……急に、どうした?」
突然様子の変わったジュリエッタを、ロナルドは不審な者を見るような顔で見つめる。
「殿下が真実の愛を見つけて、男爵令嬢を守りたいと願う心と同じように、わたくしも、ここで見つけた真実の愛を、捨てるようなことをしたくないのです」
「……君は、本当にジュリエッタなのか?」
「シスター・ジュリエッタですわ」
「……僕の知る君は、他人など自分を飾る宝石、あるいは取るに足らぬ路傍の石か何かのどちらかしかない女だった。僕がどれほど努力しても、君は一切認めなかった」
「だから、男爵令嬢に『殿下は十分がんばってるわ。殿下はもっと、自分を許してあげて。それが難しいなら、あたしが殿下を許してあげる』って言われてコロッと落ちちゃったんですね」
「……なぜ彼女の言葉を知ってるんだ?」
「いえ、なんとなくです」
言ったのかー、まぁ、そうだよなー、ゲーム内の有名な選択肢だもんなー、とジュリエッタは何とも言えない気持ちになりながら、とりあえず、と話を区切る。
大丈夫か、殿下の真実の愛。
本人は今のところ疑いもなく男爵令嬢を愛していらっしゃって今も慈しんでいらっしゃるのでいいが……それ、本当に真実の愛か?と、不安になる。
他の攻略対象がなぜいないのかとか、気になることがあれこれ浮かんできたが、今はゲームの話ではなく現実の話と首を振る。
さて、それで、修道女たちに散々我がままを言い、温厚なシスターレイナに「あのクソガキを撃ってはいけない理由を必死に考えています」と言わしめたアリサ嬢と、ロナルド殿下はその後二週間ほど修道院に滞在された。
その間にいつものお遊びだか、本気だかの殺し合いを挑んできた隣国の皇帝陛下と、ジュリエッタが一騎打ちを行い「わたくしが勝ったら、ロナルド殿下とそのお連れ様を国で保護してくださいまし」と賭けて見事に圧勝したジュリエッタの願い通り、二人は隣国に亡命できた。
が、「もうロナルド様は王族じゃないし」とあっさりアリサ嬢が隣国の皇帝陛下に乗り換えようとして、手厚く扱ってくださった隣国の方々の逆鱗に触れたらしい。
「お、おぼえてろよー!このクソアマーッ!」
その知らせを、いつものように壁の上で、盗賊団を傷めつけながら聞いていたジュリエッタは「あれ?これ、わたくしの所為?」と冷や汗を流した。
あの好戦的な皇帝陛下、もしやこうなること、あるいはアリサ嬢が何か国内でやらかすことを見越して、それをネタにこの国に報復だか宣戦だがするつもりだったのだろうか。
「……戦争したい、とおっしゃっていましたものねぇ」
困りました、とジュリエッタは頬に手を当てて溜息をつく。
「えぇ、まぁ、この国境は……軍隊どころか、兵士1人通しませんから……いいのですが。うん?つまり、あの皇帝陛下……軍隊VSわたくしをやりたかった?」
それだー!と、ジュリエッタは思い至り、一度目を伏せる。
「おーほっほほほほほ!!おーほほっほほほほ!!」
とりあえず、高笑いしておこう。
今日も今日とて、攻撃魔法の華が咲き、響き渡るは元・悪の令嬢の高笑い。
周辺諸国に知れ渡る戦闘聖女こと、シスター・ジュリエッタの表舞台での活躍はまた少し後のこと。
Fin