6話
ブレナン侯爵は、商売上手で、外国と取引したり、ワインの生産に力を入れたりと急速に領地を富ませているやり手の実業家である。商売に関りのある貴族や商人を招いて、頻繁に夜会を催している。
この夜会にも、有力な商人やビジネスで情報を得ようとする貴族も多く集まっていた。
それと同時に、アンナの親友のシンシアの情報網で、記憶喪失のシリルとアンナの不仲が噂として流され、これを機にシリルを狙って、公爵夫人の座を狙えるかもと、伝手を頼って、強引に参加した令嬢方が手ぐすね引いて集まっていた。
いつもの夜会に比べて令嬢の参加が多いなと、怪訝に思っているブレナン侯爵がその噂を聞き付けて納得するのは、また別の機会である。
「いい夜ですね、シリル・シュタイン様。ああ、噂は聞いておりますよ、記憶をなくされていたのでしたか、私は、ヘルムート・ギュンターです。何度か夜会でご挨拶させていただいたことがあるのですよ。」
会場入りしてすぐに、30代半ばの紳士が話しかけてきたが、この男、いろいろな事業に手を出しては失敗続きで、借金が焦げ付いていると曰くつきの男である。
「実は、シリル様、外国の商人から仕入れました、優美な壺があるのですが、これがまた、手ごろな値段で手に入りまして、売りに出せば、かなりの利益が見込める壺ですが、信用のおけるお方にお譲りしたいと思っているのですよ。以前から懇意にしていただいている、シリル様になら売ってもよいと考えているのですが、いかがでしょう」
「お待ちください、ギュンター子爵様。シリル様は、記憶を無くして子爵との関係も思い出せないご様子です。ご商売の事でしたら、記憶が戻ってからお願いしますわ」
記憶のないシリルに揉み手で迫ってくるギュンター子爵に、気圧されているシリルに助け船を出す。
「こんな、お得な情報を特別にシリル様だけにお教え差し上げるのですよ、記憶がないとしても、このチャンスを逃していいのですか」
この男、シリルに記憶がないから、付け込めると思ってぐいぐい来てるのだわ。私がしっかりして、シリルを守らないと。
「お言葉ですが、ギュンター子爵、私シリルとは婚約者としていつもそばにおりますが、ギュンター子爵とシリルがそんなに懇意にしているという認識はございません。浅薄なつながりよりも、もっと深い関係の方にお話しされることをお勧めしますわ」
「アンナ・アウエルバッハ様、私はシリル様にお話ししているのですよ。大事な話を、たとえシリル様の婚約者でもあまりに失礼じゃありませんか」
なおも言い募るギュンター子爵に堪忍袋の緒が切れるかと思ったその時。
「アンナ様の言う通りです。僕は今、記憶がありませんから正常な判断が下せません。どのような壺か見るまでもございません。この話は聞かなかったことにいたしましょう。どうか、よい夜会をお過ごしください・・・では」
毅然と話を切り上げると、踵を返してギュンター子爵に背を向けて歩き出した。
「アンナさん、ありがとう。あなたの様子から、やはり乗ってはいけない商談だったのですね」
「そうよ、夜会にかこつけて、商談に持っていこうとする方たちもいるから気を付けてね」
「わかりました。何か言われても、記憶がないので即答できないと言うことにします」
ギュンター子爵のような男が、記憶のないシリルを言いくるめようとしてくるから、やっぱり、離れないで側に居たほうがいいのかしら・・・。