35話
放してなるものかと、やっと手に入れたアンナをきつく抱きしめていたが・・・。
「シリル、ちょっと息ができない・・・」
腕の中にすっぽり収まっていたアンナが腕を突っ張らせて、隙間を作ろうと、もがいていた。
「ごめんね、アンナ。うれしくて、力が入りすぎたね」
離れていくアンナの体に名残惜しさを感じながら、でも、手は放さなかった。
「アンナ、森で大蛇に襲われたこと、覚えてる?」
僕が動けずに何もできず、ずっとそのことでアンナと向き合えなかった事件を話題にした。アンナの心が手に入った今、そのことを持ち出すのは、勇気がいったが、今でなければあの時のことを聞けないとも思った。
「ええ、幼いころのこととはいえ、ずいぶん大きな蛇だったわ」
「あのとき、僕は恐怖で動けなかったけど、ルシアンはアンナを背にかばい、大蛇を追い払ったよね」
「ルシアンが木の枝を手に追い払ってくれたことは、覚えているわ。でも、あの時、私は9歳か10歳くらいで、貴方は7歳か8歳くらいだったでしょう。あんな大きな蛇を前に、動けなくなるのは仕方ないわ。ルシアンは私たちより年上で、貴方より5歳も上だったのだし、仕方ないと思うの」
アンナが慰めに年の違いを持ち出してくれたが、あまりにも情けない顔をしていたと思われる僕の顔を首を傾げて覗き込んだ。
「ルシアン、言ってたわ。シリルは、とても才能があってそのうえ努力家だって。ルシアンは、兄として、シリルに情けない姿を見せるわけにはいかないから、最大限の努力をしなければならないって・・・・。
ねえ、知ってる?
兄としての威厳を保ちたいからって、ルシアンが家庭教師にシリルの前でほめてくれるように頼んでいたのよ」
ルシアンは僕にとって目標で、決して超えられない壁だったのに、アンナにはそんな風に言ってたの・・・・初耳だ。
「・・・そんなことをルシアンが?」
「ええ、同じ年のころのルシアンと比べても、シリルは優秀だって、そのシリルに兄として負けられないからシリルに追い立てられているようだ、僕は焦ってるよって、ルシアン言ってたわ。ルシアンが発病して、お見舞いに行ったときに、シリルはアンナが好きみたいだよ、もしもの時には、シリルをお願いねって・・・。
それからルシアンが亡くなって、政略のための婚約だって言われたけど、最初、シリルは私のことを少しは想ってくれていたのかなって思ったのよ。でも、貴方って、酷い態度だったでしょう。ルシアンはいったいどこをどう見て、シリルが私のことを好きだって誤解したのかしらと思ったのよ」
ハッキリ言って、衝撃だった。
ルシアンは僕のことなど眼中にないようにひょうひょうとして、大した努力もなく優秀で、僕の前に立ちはだかる大きな超えられない壁だと思っていたのに、
ルシアンが僕を認めてくれていたことや僕に追いつかれないように努力していたことや、アンナのことを託してくれていたことに、あまりに驚いて声さえ出せないでいた。
「貴方って、もともと優秀なのに、留学して努力して、素敵になって帰ってくるのですもの。その努力を私のためにしてくれたのだと、小さなころから成長していく貴方を私はずっと側で見ていたのだと思ったら、たまらなくなったの」
「ルドルフ殿だって素敵だろう」
ああ、全くこの期に及んで、僕はここでルドルフ殿の名前を出すのか・・・。
「確かにルドルフ様は、素敵な方だわ。でも、ルシアンとシリルと3人で転げまわって遊んでいたころから、ずっとあなたの成長を見ていたのよ。これからずっと、一緒にいたいと思うのは貴方だわ、シリル」
「ありがとう、アンナ。僕を選んでくれて。もう君を放さない。きっと幸せにして見せる」
今度は優しく、腕の中に抱き込んだ。




