32話
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アンナの屋敷を訪れると、お茶会に呼ばれたというルドルフ殿と鉢合わせてしまった。
ルドルフ殿は、経済学の知識だけではなく、茶葉についても詳しいらしく、ひと口でどこの産地の茶葉か当ててしまったし、伯爵家の三男で爵位が継げないことを揶揄したのに、爵位などなくても、我が身一つで身を立てることを自負しているのだと論破された。
侯爵家嫡男として勉学に剣術に勤しんできて、家庭教師からも過分な誉め言葉をもらっているが、翻って見れば、僕にあるのは生まれ持った公爵位という爵位だけしかなかった。
僕の拠り所である爵位にこだわらずとも、自分の才覚一つで立派に渡り合っているルドルフ殿とは、人としての格の違いを見せつけられた思いだった。
しかも、アンナがルドルフ殿のことを『素敵な方』と言ったときには限界だった。
僕の自尊心は、アンナのルドルフ殿を尊敬を込めて見つめる眼差しに、粉々に砕け散ったのだ。
アンナの婚約者としてルドルフ殿の前に立ちふさがるためには、このままではだめだと思った。
アンナから離れるのは賭けではあったが、爵位の力の及ばないアンブローズ国で実践的に自分を試し、自信を取り戻さなければ、ルドルフ殿とアンナの前に立てないと思ったのだ。
アンブローズ国では、能力がありさえすれば身分など関係なく取り立ててもらえて、抜本的な改革が次々になされ、日々国の様相を変えて刺激的だった。
その中で濃密な1年間を過ごし、自信を携え、アンナの元へ戻ってきて、これで、ルドルフ殿の前でも臆することなく立てると思っていたのに、記憶を取り戻してしまったのだ。
そう、どんなにルシアンがアンナを想っていたのか、そのルシアンが亡くなるとき、僕はアンナの前にルシアンがいなくなると、卑怯にも喜んでしまったことに・・・。
留学してまでつけた自信は、ルシアンの記憶と共に、粉々に砕け散ったのだ。
ルシアンの完成形とまで思ったルドルフ殿には勝てないと・・・。
あの、大蛇を前に、尻込みして動けなかった自分と、アンナと僕を庇って雄々しく戦ったルシアンとルドルフ殿が重なり、動けなくなってしまうのだ。
アンナに僕はなんてふさわしくないのだろう。
思えば、何の瑕疵のないアンナに酷い言葉を投げつけ、ルドルフ殿にも揶揄するようなことを言い、僕はなんて卑小で、卑怯で、醜悪なのだろうと・・・。
記憶があろうとなかろうと、やっぱり僕はルシアンにもルドルフ殿にもかなわないのだ。
それで、すっかり心が折れた僕は、アンナに婚約破棄を口にしたのだ。
それなのに、夜会では、ルドルフ殿と仲良く踊るアンナに胸が痛んだ。
「シリル様、今日はアンナ様とご一緒ではないのですね」
イレーネ殿に乞われてダンスを踊っていると、彼女がアンナのことを持ち出した。
「まあ、いろいろとあるのですよ」
「婚約中にもかかわらず、隣国へ留学に行かれるなど、どうされたのかと思っておりましたが、やはり、ルドルフ様が関係なさっているのでしょうか」
ルドルフ殿の名前が出て、胸がずきりと痛んだ。
「どうして、ルドルフ殿が関係していると?」
「告げ口のようなことは言いたくないのですが、シリル様が留学されている間、アンナ様はルドルフ様と頻繁にお出かけなさっていたようですのよ」
「・・・それなら、アンナからも手紙で知らせてもらっていましたから、知っていますよ。たしか、シンシア嬢と3人で、ですよね」
いつも、付き添っていたシンシア嬢のことは話に出さず、まるで、アンナがルドルフ殿と二人きりで出かけたように話すイレーヌ嬢を知っていたと牽制する。
「・・・・まあ、ご存じでしたのね。それならいいのですけど。婚約者のシリル様が留学で留守にされている間だったものですから、口さがない方たちが噂されていましたから、私、心配しておりました」
「そうですか、それは、ご心配おかけしました。アンナは、素晴らしい女性です。僕の方が、アンナに相応しくないくらいですよ」
「シリル様がふさわしくないなどと、そんなことはございませんわ」
これから、婚約破棄するとしても、アンナに非難の矛先が向かわないように気を付けないと、と、言葉を選んでいる間に、ルドルフ殿と踊っていたアンナの姿がかき消えていた。
何とか、一曲踊り終わると、イレーヌ殿を置いて、アンナを探す。
自分から婚約破棄を突き付けておいて、この場にアンナがいると思うと、いてもたってもいられなかった。
バルコニーに出てみると、ルドルフ殿と一緒にいるアンナが目に留まった。
花壇のベンチに項垂れたアンナの肩を抱くルドルフ殿がいて、ああ、もうアンナの隣には行けないのだと痛む胸を押さえながら、よろよろと後ずさった。




