30話
ルシアンが亡くなって、1年が過ぎ、10歳になった僕は、ルシアンの死の悲しみを分かち合えるアンナと婚約したいのだと、両親に伝えた。
ルシアンは、アンナへの想いを僕にしか話していなかったので、両親さえもその思いには気づいていなかった。
亡くなったルシアンをだしに使って、婚約をもぎ取ろうとするなんて、我ながら下種だと思ったが、両親はルシアンとも交流があったアンナが嫁いでくれることに慰めを得られることに喜んだ。
ルシアンの喪が明けてすぐだし、政略結婚という体裁を取ろうと、両親は判断したらしい。
アンナの家も高位貴族であるシュタイン公爵家からの申し出を喜んでいた。
そのころ、アンナがどのように思っていたのかは分からなかったが、貴族の令嬢である以上、政略による婚姻は致し方ないと思っていたのではないだろうか。
ただでさえ、2歳の年の差があるにもかかわらず、アンナの発育は早かった。どんなに食事を増やそうと、返ってお腹を壊してしまうくらいで、全く身長は追いつかなかった。
しかも、アンナは女性が見向きもしない経済学や歴史書などに興味を持ち、独学で関連の書物を読み漁り、女だてらに剣術も学んでいた。
それは、婚約者である僕が頼りないからではないかと勝手に落ち込み、さらなる勉学に剣術にと励んだのだ。
その度に思うのは、ルシアンのことだ。
ルシアンなら、年上の余裕でアンナの学びに焦りもせず、導いてあげるのではないか。剣術でも、アンナに負けて恥をさらしながら悔しがる僕とは違って、笑ってあげられるのではないかと・・・。
幼いころに大蛇を前に尻込みしていた僕とアンナをかばって、立ち向かってくれた勇敢で、頼もしい背中を思い出す。
アンナのことは、愛おしいとは想うけれど、それは、果たしてルシアンに勝るものなのか、ルシアン以上に僕は、アンナに相応しくなれるのか・・・・。
それで、僕はアンナに突っかかって、八つ当たりし、いつまでも幼さをさらすのだ。それを恥ずかしいこととは思っても、背後にルシアンの影が追ってきて、焦燥に駆られ、また、アンナに酷いことを言う。
堪りかねたアンナは、僕に婚約破棄を提案してくる。
そのたびに、僕の心はその言葉に傷つき、真っ赤な血を噴き出し、痛みに夜も眠れない日々を過ごした。
夜会に二人で出かけるようになると、アンナを見る男たちの目が気になった。
夜会では、美しい令嬢は多くいたが、アンナの溌剌とした目の輝きや、笑顔の明るさはひと際魅力的に映っていた。
そのアンナを見つめる男たちの中でも、ルドルフ殿を見た僕は、魂が凍り付くかと思った。
ルドルフ殿は、経済学は言うに及ばず、ほかの学問も優秀で、僕なんか比べ物にならないくらい、大人で落ち着いた雰囲気の紳士だった。
それは、もしルシアンが生きていたら、こうなったのではないかと思わせる完成形だったのだ。
雰囲気だけでなく、顔立ちさえも在りし日のルシアンの面影が重なった。
ルドルフ殿にだけは、アンナを近づけてはならないと、危機感を募らせた僕は、ルドルフ殿を避けるようにアンナをエスコートした。
間違っても、アンナがルドルフ殿とダンスを踊ることがあってはならないと、知り合いの、すでに相手の決まった貴族令息にアンナをダンスに誘って欲しいと予め頼んでおいた。
だが、ある時ルドルフ殿の接近を許してしまって、アンナとルドルフ殿が、会話してしまったのだ。
「税制の改革を進言なさってご活躍の、ルドルフ・エルトマン様ですよね。御高名はかねがね伺っております」
「これは、アウエルバッハ侯爵令嬢、今宵も美しくいらっしゃる。貴女様も、侯爵家のご令嬢にありながら、深い知識をお持ちの素晴らしい方だともっぱらの噂ですよ」
「そんな、わたくしほどの知識など、大したものではございません。それより、エルトマン様のお書きになった、『経済学のすすめ』を拝読しまして、感銘を受けました」
アンナは、尊敬の眼差しをルドルフ殿に向けて、お話しできて、胸がいっぱいですとでも言うように、頬を染め、手を胸の前で組んだ。
見つめあう二人に、なぜ僕は油断してルドルフ殿の接近を許したのだと歯噛みした。アンナの後ろで不穏な雰囲気で立っている僕に、ルドルフ殿はちらりと目線を向けて、困ったやつだと言わんばかりに、ふっと口元を歪めた。
「アウエルバッハ侯爵令嬢アンナ様、どうか、私と踊っていただけますか」
アンナの目の前に恭しく頭を垂れ、手を差し出したルドルフ殿に、まあ、と喜びの声を上げて、嬉しそうに承諾するアンナに、行かないでと、縋りつきたい気持ちを抑え込んで、拳をきつく握りしめた。




