29話
ルシアンは、5歳年上の僕の兄だ。
体力的にも精神的にも、幼いころの5歳差は大きい。しかも、ルシアンは何をやっても器用にこなした。性格も温厚で、尊敬できる兄で、両親も兄が公爵家を継ぐことを楽しみにしていたのだ。僕は、幼いながらも兄を尊敬し、いずれは公爵家を継いだ兄の補佐をするのだと納得していた。
だが、納得できないことが一つだけあった。それが、アンナのことだ。
領地の隣にアンナの家の領地があり、領地の屋敷も近いことから、幼いころから当たり前に3人で遊んだ。
ルシアンは、幼い僕たち年下の者にも優しく、導くように遊んでくれた。
いずれは、公爵家を継ぐルシアンだから、勉強はかなり詰め込みで行われたにもかかわらず、それを難なくこなし、僕たちと遊ぶ時間を作ってくれた。
「シリル、アンナはかわいいね。あの、勝気な瞳もいいし、笑うと花がほころぶようだ。いずれ、誰もが振り向くほど美しく成長する。そのとき、隣にいるのは僕だ。アンナは、お前の姉になる。3人でずっと家族さ、いいだろ?」
家に帰ると、ルシアンはいかにアンナがかわいく、ルシアンがどんなにアンナを想っているか話すのだ。
僕は、ルシアンの想いを聞きながら、つきり、と痛む胸の痛みに耐えなければならなかった。アンナがかわいいのも、目が好奇心に輝き、いたずらに微笑む様も魅力的なのは、百も承知だ。
だが、決して僕はアンナを好きになってはならなかった。ルシアンがアンナと結婚すれば、アンナは僕の義姉になるのだから。
そのうち、僕はルシアンと共に勉強するようになった。家庭教師は何かにつけルシアンをほめたたえる。
剣術指南役の公爵家の騎士も、手放しでほめた。
何をやっても、ルシアンはよくできた。
僕は、そのあとを必死に追いかけた。
語学も、数学も、史学も、文学も・・・何もかも、家庭教師たちは、ルシアンを天才だとほめたたえ、その言葉が僕に向くことはなかった。
ある日、3人で森に遊びに行ったとき、アンナが悲鳴を上げた。
アンナの目の前に、大蛇が鎌首をもたげ、気味の悪い二股に分かれた舌をちろちろのぞかせていた。
駆け付けた僕は、その気味悪さに動けなくなって、固まっていたが、ルシアンは手に枝を握り、勇敢に大蛇に向かっていったのだ。
ルシアンに攻撃されて、すごすごと逃げていった大蛇の姿が見えなくなったとき、泣きながらアンナが縋り付いた先は、ルシアンだった。
間違っても、大蛇に怯えるアンナを前に恐怖で凍り付いていた僕じゃなかった。
当然だと思った。
僕は、やっぱり、ルシアンには勝てない、ルシアンとアンナはお似合いだと・・・・。
ところが、13歳の誕生日を前にして、ルシアンが血を吐いて倒れたのだ。
日に日に、ルシアンは弱っていった。
優秀で、剣技も素晴らしく、運動能力にも優れ、僕が何も勝てるところなどないと思っていたルシアンが・・・・。
医師は、ルシアンの病気は治らないという。
良くて、1年の寿命だと・・・。
僕には知らされてはいなかったが、偶然、医師が両親と話しているところを立ち聞きしてしまった。
そのことは、もちろん、ルシアンには伏せられたが、ルシアンは、なんとなく、自分の命がもう長くないのだと本能的に悟っていた。
「悔しいな。僕は、お前とアンナを一生をかけて守ろうと思っていたのに、そのために今まで努力してきたのに・・・。
ここまで、育てて下さった、父上、母上には悲しみしか与えて上げられない・・・・。」
ベッドの中で、震える手を握りしめて、ルシアンは涙を流した。
「何を言ってるの、兄さん。きっと、兄さんは元気になる。元気になって、この家を継いで、アンナと結婚するのでしょう」
「僕に、もしものことがあったら、父上と母上、それと、このうちのことを頼むよ。すまないな」
うっすらと、光る涙で潤む目で悲し気に微笑むと、ルシアンはこの家の行く末を僕に頼んだ。アンナのことは、頼んではくれないのと、思ったが、それは言えなかった。
時折、アンナがお見舞いに来てくれて、ルシアンは嬉しそうにしていた。
僕は、アンナにルシアンの気持ちを言わなくていいのかと、言ったが、ルシアンは、この世を去る僕が言ってもアンナの負担になるだけだ。それに、まだ、アンナは幼いしね、と言って、寂しそうにしていた。
ルシアンが病気になって、僕は悲しかったが、アンナの前からルシアンがいなくなるかもしれないと、あさましく考える自分がひどく醜怪に思えた。
そして、1年の闘病生活の末、ルシアンは静かに天に召されていった。
両親は悲しみに明け暮れ、アンナもひどく悲しんだが、ルシアンを亡くした悲しみを共有する者同士、アンナは僕に縋ってくれた。
アンナが僕に縋り付いてくれたことに、僕は、ほの暗い満足感を覚え、そんな僕にまた、後ろ暗さを覚えていた。




