28話
「アンナ、お願いだから、修道院になんて行かないで」
「何を言っているの?」
「ルドルフ殿の婚約の申し込みを断って、修道院に行くって、ルドルフ殿に聞いたんだ」
ちょっと、修道院と言われて、混乱したけど、なるほど、シリルの顔の腫れは、ルドルフ様に殴られたのね。
あの、常に冷静なルドルフ様がそんな暴挙に出るなんて、予想外だわ。
でも、この慌てよう、シリルに意趣返しをしてもいいわよね。
「シュタイン公爵令息ともあろうお方がこんなに慌てて、何かと思えば、貴方様には関係のないことでございます」
「関係がないわけじゃないよね。僕がアンナと婚約破棄して、傷つけてしまったから」
「そうね。ろくに説明もなく、いきなり婚約破棄なんて、馬鹿にしてるわ」
シリルが言い終わる前に、声を荒げて吐き捨てるように告げると、シリルも申し訳なさげに顔を歪めた。
「僕は、自分にも、自分の気持ちにも自信がなかったんだ。アンナが美しく、魅力的に成長するにつれ、僕は、君に相応しい男ではないと、自信がなかったんだ」
「貴方、散々私のこと馬鹿にしてたわよね」
「アンナがまぶしすぎたんだ。ただでさえ僕は年下で、やっと身長も越したと思ったら、夜会に出れば、他の男どもがアンナをまぶしいものを見るような眼差しを向けるんだ。僕は、君と誰かがダンスするのにさえ嫉妬して、なるべく、既婚者か婚約者がすでにいる友達に頼んでダンスに誘ってもらうよう頼んで、アンナを狙っている男は近づけないようにしていたんだ」
なんなのそれ・・・。
今、初めて知ったわ。
夜会でシリル以外の男性とダンスを踊る機会は確かにあったけど、確かに、記憶を遡れば、お相手がすでに決まった方ばかりだったわね。
「アンナ、ルシアンを覚えてる?」
「ええ、亡くなった貴方のお兄様よね」
「ルシアンは、アンナのことが好きだったんだよ。ルシアンは、アンナと婚約したいと言っていて、ルシアンがもし、病気にならず、生きていれば、アンナの婚約者はルシアンだったんだ」
「えっ・・・・・・」
シュタイン公爵家には、シリルの上に男子がいた。シリルの5歳年上のルシアンだ。ルシアンは血液の病気になって、シリルが9歳、ルシアンが14歳の時に亡くなった。とても、穏やかで、とても優しいお兄様で、私とシリルとよく遊んでくださった。
13歳の時に病気が発症して、1年の闘病生活ののちに天に召されたのだ。
当時、私もシリルも、その悲しみを二人で支えあった。
私とシリルの婚約がその喪が明けて1年後に結ばれたのは、その悲しみを癒す意味もあったのではないかと内心思っていた。
「よく3人で遊んだよね。ルシアンは、家に帰るといつもアンナがどんなにかわいく素敵か話をするんだ。そして、アンナが意識してくれたら、婚約してもらうんだと、言ってたんだよ。僕は、ずっとその話を聞いていたから、アンナを愛しいと思っても、その気持ちがルシアンに感化された偽りのものかもしれないと疑う気持ちもあったし、ルシアンは何をするにしても優秀だったから、僕のライバルは常にルシアンで、でも、ルシアンはもうこの世にいなくて、だからこそ、僕は、いつまでたっても、ルシアンに遠く及ばないんだ。家庭教師も、常にルシアンがどんなに優秀だったか、僕と比べるんだ。僕は、歯を食いしばるように努力して、やっとルシアンと並べるほどの知識と剣技を身に着けたけど、努力すればするほど、ルシアンの優秀さが際立ってきて、僕はもうどうしたらいいかわからなくなるんだ。ここにルシアンが生きていれば勝負を挑むことができるのに、挑むことさえできない」
とうとう、シリルは膝をついて蹲ってしまった。肩が震えているから、泣いているのかもしれない。
ルシアンが私を思ってくれていたことも、初耳だったし、シリルが、ルシアンにコンプレックスを抱いていたなんて、知らなかった。
私の怒りは、急激に萎んでいった。
「記憶を失って、僕はアンナへの想いは、ルシアンに感化されたものではないと、思った。ルシアン抜きでも、やっぱり僕はアンナに恋をするんだ。そのまま、記憶がなかったならよかったんだけど、僕は、記憶を取り戻してしまった。また、ルシアンの影におびえて、アンナに酷いことを言ってしまうかもしれない。ルドルフ殿は、どことなくルシアンに似ていると思ったんだ。優秀で、穏やかで、優し気で・・・・。あんなに素晴らしい人がアンナを見初めているなら、僕は、引かなければいけないと思ったんだ。僕は、アンナにとても酷いことを言って傷つけていたから、記憶を失ったときは、なぜ、愛しいアンナにそんな酷いことを言えるんだと、以前の僕を責めたけど、記憶を取り戻して、ルシアンの影に怯える僕は、また、君に暴言を吐いて傷つけるかもしれない・・・・・」
「シリル・・・」
シリルに近づいて、そっとシリルの肩に手を置いたら、シリルの体がびくりとはねた。
そして、シリルは涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。
私は、取り出したハンカチでそっとその涙を拭った。
「私がいつ、ルシアンやルドルフ様が好きって言ったかしら?
知ってる?私が好きなのは、シリルだって・・・貴方は、私のために留学してまで努力してくれたでしょう。すっかり、逞しくなって帰ってきた貴方に、私、恋してしまったのよ。責任、取ってくれるわよね。ルドルフ様じゃ、ダメなの」
そう告げると、ルシアンは、まるで信じられないものを見るようにぽかんと目と口を開いたが、言葉が心に染みていったように、だんだんとうれしさに顔を歪めて、また瞳から涙が流れていった。
「ほんとに?ルシアンでもなく、ルドルフ殿でもなく、僕でいいの?」
「シリルがいいのよ。私が恋したのは、他でもない貴方だわ」
「ああ、アンナ」
シリルは、私の首に抱き着いて来て、支えられなくなった私は尻もちをついたが、それでもシリルは私を放さなかった。
「じゃあ、アンナ、修道院へは行かないよね」
「そのことだけど、シリル、私、領地に引きこもるつもりだったし、修道院へ行く予定なんかないわよ」
「そうなの?・・・・・ルドルフ殿は・・・・」
「ルドルフ様もご存じよ」
「・・・・・・・・・そうか」
やっと、シリルはルドルフ様の嘘に気づいたようだ。
「それで、貴方のその顔、いったいどうしたの。まさか、ルドルフ様に殴られでもした?」
「ああ、常に冷静なルドルフ殿が、あんなに激怒したのは見たことがないよ。お陰でこうして、アンナを追う勇気が持てたから、僕は感謝しないといけないな」
「そうね、ルドルフ様がシリルを殴ってくれなかったら、私は領地に引きこもって、年齢だけ重ね、行き遅れになって、誰とも結婚しないまま年を取っていたかもしれないわ」
「アンナを追ってよかった。僕も、アンナ以外たぶんダメなんだ」
そういうと、シリルは手を引いて、私を立たせた。
目も前に膝まづくと、私の手を取って、潤んだ瞳で見つめてきた。
「アンナ、いきなり婚約破棄して傷つけて悪かった。許してほしい。僕には、君しかいないんだ。記憶を失って目覚めたとき、一目で君に恋したんだ。ルシアンとは関係なく、やっぱり、僕は君が好きなんだ。年下だけど、努力して君に見合う男になって見せる。どうか、僕と結婚してください」
私の手に額をこすりつけて、シリルは私にプロポーズした。
もうこれで、記憶が戻ったらと怯えることなく、シリルを信じることができる。
「はい。末永くよろしくね、シリル」
「ああ、アンナ、ありがとう。必ず、君を幸せにするよ」
シリルは、私を抱き寄せて、きつく抱きしめた。




