24話
「こんばんは、アンナ様、シンシア様。お二人とも、今夜はまた、見違えるほどお美しいですね」
「ルドルフ様もグレーのジャケットが素敵です。」
ルドルフ様がにこやかに歩いてくると、待ってましたとばかりに、シンシアがルドルフ様のいで立ちを褒める。
「アンナ様、どうか私と踊っていただけませんか」
「・・・・・喜んで」
周囲の好奇の目を気にして、お父様は早く戻ってくるように言っていたけど、ルドルフ様と踊っている間は、大丈夫だろうと、申し込みを受ける。
婚約を申し込んでくださっているルドルフ様とは、お返事を保留しているのだし、しっかり向き合わねばならないと思っていたところだ。
にこやかに微笑むルドルフ様の掌にそっと手を乗せると、しっかり握り返してくださった。踊りだすと、相変わらずリードも素晴らしく、踊りやすい。
「シリル殿は、お一人で会場に現れ、貴女は侯爵様といらっしゃって、驚きました。侯爵様に、アンナ殿をダンスに誘う許可をもらいに行ったのですが、快く許していただきました」
「まあ、お父様が・・・・」
ルドルフ様って抜かりがないわね、私に申し込む前に、お父様に許可を取りに行くなんて、きっと、お父様の反応も確かめたかったのだわ・・・と、言うことは、爵位はなくとも、経済学者として活躍されているルドルフ様は、お父様のお眼鏡に適ったということかしら・・・。
「ルドルフ様だから、お話しするのですが、実は、シリルと喧嘩のようなことになっていまして、なんだか気まずくて、エスコートをお父様にお願いしているのです・・・・。内緒ですよ」
「内緒の話をしていただけるなんて、信用されているようでうれしいですね。もちろん、他へ漏らすことは致しませんよ。それで、シリル殿とはどういった喧嘩をなさったのですか」
「・・・・それが、私にもよくわからなくて・・・」
婚約破棄を言い出したのは、記憶が戻ったからだと見当はつくものの、なぜ、それで突然そんなことを言い出したのかは、わからないのだから、嘘は言っていない。
「喧嘩しているというのに、アンナ様が良くわからないのですか・・・。では、問題はシリル殿にあると?」
ルドルフ様に突っ込まれ、どこまで話したらいいのだろうと、目をそらすと、左手側奥に踊ってるペアが目に飛び込んできた。
シリルだわ。
シリルは、ピンクブロンドのかわいらしいイレーネ・アルノルト伯爵令嬢と踊っていた。精悍さを増したシリルと、頬を染めて花のように嬉しそうに微笑むイレーネ様は、はたから見るとお似合いだ。
胸がもやもやする。知らず、眉間にしわが寄った。
私の様子に気づいたルドルフ様は、背後をそっと振り返ったあと、こちらに向き直った。
「シリル殿とイレーネ様が気になりますか」
「・・・・・」
ルドルフ様の言葉に、なんと返したらいいのか、言葉に詰まって俯いてしまった。
「そんな顔をなさって、シリル殿との喧嘩は、さぞ、不本意なのですね。貴女は以前、シリル殿とイレーネ様が踊られていたときに、平気な顔をしておいででした。なのに、今の貴女は辛そうだ」
私は、そんなつらそうな顔をしているのかしら・・・・。しているかも。胸が苦しい。
そっと、顔を上げて、ルドルフ様を見ると、気づかわし気な視線とぶつかった。
「私、シリルに振られたのかもしれません」
言ってはダメだと思っていたのに、言ってしまった。
自分が言った言葉なのに、胸に突き刺さった。
「シリル殿に、何か言われたのですね。貴女にそんな顔をさせるなんて・・・いけませんよ、そんな顔をして、踊っては、ここは他の目があります」
ルドルフ様は、曲の途中なのに、私の手を取って、ホールを突っ切って庭に出た。
「曲の途中に退出するなど、よくありませんわ。どんなことを言われるか・・・」
「なに、貴女の気分が悪くなったと言っておきますから、安心してください。実際、ひどい顔色だ」
「も、申し訳ありません」
「なにか、飲み物を持ってきますから、ここで、待っていてください」
会場付近の、花壇の側のベンチにそっと、ハンカチを敷いてそこに私を座らせると、ルドルフ様は飲み物を取りに、会場に戻っていった。
以前、明らかにシリルに好意を寄せている様子のイレーネ様がシリルとダンスを踊った時には、こんな気持ちにはならなかった。
なんなの、この気持ちは。頬を染めてシリルを見つめるイレーネ様ににこやかに接するシリルの顔が張り付いて消えない。何も考えられない。
まさか、私って、嫉妬してるの?
あんなに、シリルと離れたいと思っていたのに、いつの間にか、シリルが私を思ってくれているのが当然だと思っていたのだわ。
シリルの心を失いそうで怖いなんて、なんて、傲慢な女なのかしら。
膝に置いた手がカタカタと震える。
失いそうになって、気づくなんて・・・私は、シリルが好きなのだわ。
じわじわ胸に熱が上がり、目頭にその熱が集まってきた。
目を閉じると、ポロリと涙が零れ落ち、それを皮切りに、次々あふれてきた。
何をやっているの。もうすぐ、ルドルフ様が戻ってこられる。早く、泣き止まなくちゃ。
両手で顔を覆うと、嗚咽がこぼれ、収拾がつかなくなっていた。
「アンナ様・・・・」
飲み物を持ったルドルフ様は、黙って隣に座って、優しく肩を抱いてくださった。
とうとう、ルドルフ様に泣いているところを見られてしまったが、流れる涙を止めることはできなかった。
「ルドルフ様。申し訳ありません」
「いいのですよ。落ち着きましたか」
「・・・はい」
しばらく、ルドルフ様の隣で泣いていた私は、取り出したハンカチで、涙を拭いた。ルドルフ様は、そのハンカチを私の手からそっと引き抜くと、私の顔を上げさせ、そっとぬぐってくださった。
「残念ながら、貴女の心はシリル殿にあるのですね」
「・・・・・」
沈黙は、肯定と捉えられた。
「でも、貴女にこんな顔をさせるシリル殿は許せません。どうか、私の手を取ってください。もう二度とそのような顔をさせませんから。徐々にで、いいのです。貴女の心を少しずつ、シリル殿から私に移していっていただければ・・・」
ルドルフ様は、大人で、優しくて、有能で、このような方が、私をこんなにも想ってくださっているなんて、この方と一緒にいたら、そのうち、シリルとのことは、思い出になるのかもしれない。
ずきずきと痛む胸を押さえながら、か細い声で、やっと、はい、と返事をした。




