22話
記憶が戻ったと言ったシリルは、そのまま私に婚約破棄を突き付けた。
やっとシリルと婚約破棄ができるのよ。喜んでいいはずなのに、素直に喜べない私がいる。
なぜ、私はこんなにも塞いでいるのだろう。自分のことなのに、分からない。
今まで散々、シリルの非道い態度に業を煮やして、婚約破棄しましょうと、提案してきたし、シンシアにも破棄したいのにできないと嘆いていた。
なのに、シリルに婚約破棄を提案されて、思い出されるのは、幼いころ泥んこになって野原を一緒に駆け回って楽しかった思い出や、記憶をなくしてからのシリルの甘い言葉や態度に胸を高鳴らせたことだった。
記憶をなくしたシリルが、人が変わったように優しくなって、とてもうれしくて、このまま婚約者のままでいたいと思った。でも、記憶が戻った時、また、あの傲慢で何かにつけて私を貶めてくるシリルに戻ってしまうのではないかと怖かったのは事実だが、まさか、記憶が戻ったシリルから婚約破棄されるなんて思いもしなかったのも事実だ。
私ったら、シリルから婚約破棄されることでプライドが傷ついているのかしら。
記憶を失う前の傲慢なシリルに何度も婚約破棄しましょうと言ったのに、受け入れられることはなかったから、どこかで、シリルは記憶が戻っても、私と婚約破棄しようなどとは言いださないと高をくくっていた気がする。
こんな時、以前の私ならいの一番にシンシアに相談するのに、ショックで何もやろうとする気が起きない。
大きなため息を何度もつきながら、自室の窓辺で呆然と庭を眺めていた。
背後のドアからノックの音が聞こえる。
「アンナ、部屋にいるのか」
「ええ、いますわ。お父様」
いつも忙しくしており、めったに部屋を訪れないお父様が訪ねてきた。
もう、こんな時くらい放っておいてくれないかしら。
「アンナ、シリル殿と何かあったのかい。先程、シュタイン公爵家から、婚約を白紙に戻したいとシリル殿が言っていると書簡が届いたのだが・・・」
「・・・・・」
私の様子を伺うようにお父様が婚約破棄の件を聞いてきた。
私は、シュタイン公爵家でもうそんな話が出ていることに驚いて、眉を寄せ、心臓が嫌な音を立てた。
「ああ、そんな悲しそうな顔をして、何かあったのだね。お前はそれに、同意したのか」
「・・・・いいえ、でも、シリルが記憶が戻ったと言って・・・婚約破棄しないかと・・・」
「お前が、婚約破棄されるほどの何か瑕疵があったわけではないのだね」
「・・・・・あまりにも突然で、わかりません」
「そうか。もしこのまま婚約破棄ともなれば、どちらに非があるのかと、いらぬ憶測を呼ぶだろうから、ここは、引けないところだね。シリル殿と婚約破棄ともなれば、新たな嫁ぎ先を探さなければならないから、なるべく、今回の件でお前が非難されることのないよう、シュタイン公爵家とも話し合わねばならないだろう。お前とシリル殿は幼いころからの付き合いだし、公爵家と縁続きになれることは、我が家にとっても利があることだっただけに残念だよ」
「お父様、申し訳ありません」
「お前は、前からシリル殿とは結婚できないと言っていたからね、これで良かったのかもしれないな。さすがに、家格が上の公爵家に、なんの落ち度もないシリル殿に対して婚約破棄は言い出せなかったからね」
シリルが婚約破棄を言い出したのは、昨日のことなのに、もうそんなに話が進んでいるの。お父様は、婚約破棄がまるで確定事項のようにおっしゃるわ。
あんなに婚約破棄して欲しいとお父様にお願いしたときは、通らなかったのに、いざ、シリルが言い出すとこんなにあっさり通ってしまうものなの。
胸に手を当てて、苦しさを逃している様子に、お父様はそっと抱きしめて、背中をさすってくださった。
「大丈夫。お前なら新しい嫁ぎ先など、すぐ見つかるさ。そんなに悲しむのではないよ。王宮主催の舞踏会が1週間後にあるだろう。私がお前をエスコートしよう。そして、新たな出会いに目を向けるといい」
お父様の胸に顔を埋めながら、涙が一筋頬を伝った。
私は、悲しんでいるの。この気持ちはいったい何。




