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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

献花

作者: 石蕗


 

暑いとぼやく声を寝っ転がったまま聞き流す。背中の方でうちわをパタパタと扇ぐ音がする。決して広くない病室には僕とあいつの2人だけだった。


「そんなに暑いならクーラー入れろよ。」


少しぶっきらぼうに応えてしまった。


「クーラー入れたらお前寒がるだろ。あぁ、そうか。」


あいつはいそいそとクーラーの電源を入れた。ピッという電子音のすぐあとゴォーと音がして涼しい風に僕の顔にかかる髪がなびいた。確かに風が少し寒いなと思った。


少しだけ温度を上げてくれと頼もうと振り返るとそこにはあいつの顔があった。驚く僕をよそに、あいつは滑り込むように僕のベッドに入り込んできた。僕はまた壁の方を向くように寝返りを打った。


「お前俺とくっつきたかったのか。」


顔を見なくてもあいつが今どんな顔んでニヤニヤしているのか想像がつく。くっつきたいだなんて見当違いも甚だしいが、背中越しに伝わってくる熱気は僕にははるかに足りないものだ。その暑苦しさが僕には心地よかった。がっしりとした黒い腕が僕の体を包み込む。僕は身動きが取れずにそのまま白い壁をぼーっと見ていた。窓から溢れる木漏れ日が白い壁にさわさわと揺れていた。


「お前は冷たくて気持ちいいな…いつか溶けるんじゃないか心配になる。」


ぼくの首筋に顔を埋めながらあいつが言った。


「そうだな。きっともうすぐ溶けるよ。」


あいつの熱を首筋に直に感じながら僕は言った。僕の視線は揺れる木の葉の影を離さない。あいつはもう何も言わなかった。何も言わなかったが、僕を抱きしめる腕の力は少しだけ強まっていた。




僕はあの後どうやら眠ってしまっていたようで、気がついた時にはあいつはもういなかった。


「あら、ちょうど良かった。今起こそうと思ってたんですよ。はい、体温測ってね。」

 

さっきまであいつが座っていた椅子は部屋の隅に追いやられ、ベッドの横では看護師が検査の準備に勤しんでいた。

 

「今日は顔色も良いね。お友だちも来てたし。」


僕の顔を横目に確認して看護師が言った。


「あいついつ帰りました?」


「ついさっき。私が入ってきた時には帰る準備をしてたよ。」


「そうですか。」


あいつが帰ったことに僕は全く気がつかなかった。ここのところ眠りの浅い日が続いていた。久しぶりによく眠れた気がする。妙に頭がすっきりとしている。


「花村くんって言ったっけ。良い子よね、いつもひまわりをお土産に持ってきてくれて。小田くんはお花が好きなの?」


「あれはあいつが好きなだけですよ。あいつが家で育ててるひまわり。」


「そうなんだ。」


興味のなさそうな返事の後看護師は事務的な検査をささっと済ませて病室を後にした。

 

あいつはひまわりが好きらしい。僕はあまり好きではない。ひまわりの花は暑苦しくて生命そのもので、どこかあいつに似ているから好きではない。あいつはきっと僕のことが好きなのだろう。そして僕は…



僕もきっと。

 



なんとも不毛な恋だろう。僕たちの間の壁は厚い。僕はもういずれ死ぬだろう。病気が良くない。僕の身体は死を受け入れている。今日今この時より病態が良くなることは無く、静かな日々の中で少しずつ言うことを聞かなくなる身体と死を待つだけの毎日だ。僕たちの間にそびえる壁は生と死。デートもできなければお互い交わることも叶わない。こんな身体になる前は恋なんて知らなかった。興味もなかった。くだらないと思っていた。なぜ命が有限と知ってから、こんな厄介な感情に気づいてしまったんだろう。できることならこんな感情知らずに死にたかった。

 



体を起こしてぼーっとしていると日が暮れて一日が終わる。運ばれてきた晩ごはんはどれもこれも色が薄く、その色に見て取れるように味も薄い。食事をとることにもはや楽しみなどなく、半分の量を無理やり喉へ流し込めば後はいつも残してしまう。


明日、あいつは来るだろうか。

 




あいつはやはり気遣いというものとは無縁で、病院食に辟易としている僕の目の前で堂々とカップラーメンを食べて見せている。


「おまえ、何で今日も居るんだよ。」


「もうすぐ溶けるなんて言われりゃ、なぁ、見届けてやろうと、思う、だろ。」


麺をズルズルと啜りながら失礼なことを失礼とも思わずに言ってのける。


「安心しろよ、お前が溶けたら俺もなるべく早くに燃え尽きてあとを追ってやる。」


「暑苦しいから来るなよ。」


「俺とお前ならちょうどいいだろ。」


一切目を合わせずに僕とあいつは会話をする。僕はあいつを見たくないし、あいつも僕を見ない。あいつの顔を、目を、見てしまうと僕は途端に泣き出してしまいたくなる。あいつの焼けた黒い肌も、短く切りそろえたその髪も、ゴツゴツとした手に残る潰れたマメの跡も、綺麗に生え揃ったその白い歯も、全てが生を象徴していて、僕は生そのものであるあいつにどうしようもなく憧れていて、羨ましくて、恋しくて、時々憎くなる。


「夏休み入って暇なんだよな。まぁ、バイトもあるんだけど。なあ、また明日も来てやろうか?」


「いいよ別に来なくて。暑苦しい。」


「そう言うなよ。」


飄々としたあいつの声が急に重みを持つ。


「なあ、小田。俺割とお前のこと好きだよ。」



知ってるよ。すごく知ってる。



「お前も俺のこと好きだろ。」



そうだよ。



「俺、今年のうちにお前と旅行行きたくてさ、そのためにバイトしてんだぜ。健気だろ。」



あいつは今どんな顔をしているのだろう。ヘラヘラ笑っているのだろうか。少しはシリアスに決めてくれているのだろうか。



「ほんとはさ、ずっと一緒に居たいんだけどさ、お前はもう溶けるらしいから、」


そこまで言って花村は僕の肩をグイッと強く引いた。花村は今にも泣き出しそうな顔をしていた。




「せめて夏が終わるまでへばんなよ。」




「…わかった。」



僕は涙が溢れてきそうなあいつの目を映す鏡みたいに、自分の目にも涙を溜めながら、でも逸らさずに応えた。


ズズッと鼻を鳴らしてあいつは目をそらし、じゃあまた明日と言って鞄を背負って椅子から立ち上がった。途中窓辺に飾ったひまわりを一瞥して、明日新しいやつ持ってくるからと独り言のように呟いてそのまま僕とは目を合わせずに病室から出て行った。



そう言って別れの挨拶を交わしたっきり、あいつはもう二度と僕の病室を訪ねて来ることはなかった。











あいつが死んだという報告はそれから3日経って、担任から聞いた。


自転車でバイトから帰る途中にバイクと接触したらしい。病院に搬送されたが打ちどころが悪かったらしく、意識を取り戻すこともなく死んだ。



ふざけるなと思った。僕がこんなにも死ぬのに時間がかかっているのに、あいつはいともあっさりと死んだ。想定外だった。こんなはずじゃなかった。僕はあいつへの気持ちを気づかないふりをしながら、あいつよりも先に死んで、あいつは別の人間と恋をすれば良いと思っていた。先に死んだ僕は、実らなかった切ない恋として永遠にあいつの心に存在し続けるつもりだった。死にゆく僕が唯一手存在し続けられる場所のはずだった。死んだだと。なんだそれ。なんだそれ。


あいつことを思えば思うほど、あいつの熱い体温が思い出され、その度ごとに胸が締め付けられた。苦しくて息が出来なかった。やがてこれが本当の発作だと気がついた。そうか、僕も死ぬのか。




病室からの外出許可が出たのはそれからまた5日後のことだった。自分がこんなにも歩けなくなっているのかと驚いた。慣れない車椅子を一人で操作する程の体力はもうほとんどないが、それでも一人であいつの元へ行きたかった。病院には軽く中庭の散歩をすると言っていた。日差しは容赦なく僕の体力を奪っていく。じりじりと肌が焼ける暑さに、流れた汗が時折目に沁みた。


あいつが死んだ詳しい場所は聞いていなかったがすぐにわかった。沢山の花やジュースやお菓子があいつの生前の人望を物語っていて、遠目に見ても、道路脇のその無性に空回るカラフルな色の集まりが、より一層事故の悲惨さと虚しさを強調していた。


あいつが命を落としたその現場を見ても僕の中に哀しさは生じてこなかった。むしろ、ここに来たことによってあいつの死と僕の死との繋がりが深くなったような気さえ起こった。


僕は抱えていた花束を他の供え物にならってそっと落とした。この花束を僕はどうしても献花とは呼びたくない。僕はあいつの死を悼むつもりなんてない。このひまわりの花束は僕からあいつへの約束だ。プロポーズに花束はつきものだろう?僕ももうすぐそちらへ行く。




「安心しろよ。僕ももう直ぐ溶けるから。」




額にはまた一筋汗が流れ、そのまま地面へと落ちて消えた。


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