02 前世
(────う……ううん……)
うっすらと覚醒してきた意識の中、重い瞼を開いたナオの視界に入ってきたのは、見覚えのある天井だった。
(あれ……ここは……私は……)
ぼんやりとする彼女の思考に、不意に昨夜の恐怖の記憶がフラッシュバックする!
「っ!?」
自分に掛けられていた毛布をはね除けながら、ナオは慌てて上体を起こす!
そして、周囲を見回すと、彼女が今いる部屋が想定通りの場所だった事を確認した。
「マドカちゃんの部屋……マドカちゃんの匂い……」
気の許せる親友の部屋、そして日常へと引き戻してくれる彼女の残り香を嗅ぎながら、ようやくナオは心が落ち着くのを自覚していた。
すると、パタパタとスリッパの音を響かせなが、廊下を歩いてくる足音に気付く。
「あ、ナオ!よかった、目が覚めたみたいね」
「マドカちゃん……」
部屋のドアを開けて顔を覗かせたのは、いつもと変わらない笑顔の親友。
「んもー、アンタってば、いっつも……」
「マドカちゃん!」
何かを言いかけたマドカの言葉を遮り、彼女の名前を読んだナオは、勢いよくその小柄な体に抱きついた!
「なあっ!ちょ、ちょっと、ナオ!?」
突然の行動に慌てるマドカに、ナオは彼女の目を真っ直ぐ見据えながら、その質問を口にする。
「ねえ、昨日のあの化け物はなんなの!」
昨夜、神明り通りで彼女を襲った怪異。それに、マドカが関わっている証拠などは無い。
しかし、自分を助けてくれたのは彼女だという、確信めいたものだけは、ナオに心にしっかりと残っていた。
そんなナオから向けられる真剣な眼差しを受けたマドカは……。
「……な、なんの事かなぁ?」
誰が見てもハッキリとわかるくらいにキョドりながら、強引に視線を反らした。
「……マドカちゃん?」
「ナ、ナオが何を言ってるのか、さっぱりわからないわぁ」
追求するようなナオに、そっぽを向いたままでマドカは白々しい台詞を口にする。
自ら怪しいですと白状しているような彼女の態度に、ナオはわざとらしく大きなため息を吐いた。
「あのね、マドカちゃん。そんなバレバレの嘘ついたって、私は誤魔化されないよ?むしろ、余計に好奇心を煽るだけだからね?」
「ぐっ……」
ナオの剣幕に、マドカは言葉を詰まらせる。
なぜなら、彼女の言葉が嘘ではなく、本当に気がすむまで引きはしないという事を知っているからだ。
「──話してやったらいいんじゃねえか?」
不意に、部屋の入り口に立っていた人物から、声をかけられた。
「おにい……」
「お兄さん!」
声をかけてきた人物、どこかマドカと似た相貌の眼鏡の青年。
彼女達より三つ歳上で、マドカの兄である春野 縁だった。
彼は、妹とその親友に「よっ!」と挨拶して軽く手を上げた。
「ナオちゃんがこう言い出したら、ちゃんと説明してやんねえと、引っ込まねえのはいつもの事だべ?」
「それは……そうだけどさ……」
歯切れ悪く、チラリとマドカはナオの様子を伺うけど、キラキラと瞳を輝かせた彼女の様子に、説得は不可能だと諦めのため息を漏らした。
「わかったわ……だけど、私の話を聞いた後は、ちゃんと言うことを聞いてね!」
「りょーかい!」
元気よく答えるナオに、マドカはまた諦めとも、呆れたともつかないため息を漏らしていた。
◆
それは、数日前にのこと。
学校から本を借りて帰ったマドカは、その中に見慣れぬ本が雑ざっていた事に気づいた。
「なに……これ?」
表紙にはなんの絵も文字も書いていない、ただ真っ黒なその本。
変だなぁとは思いつつ、何とはなしに表紙をめくる。
すると、次の瞬間!
「っ!?」
マドカは雷に打たれたような、衝撃を感じた!
それと同時に、彼女の脳内にすさまじい情報量が流れ込んで来る!
「これ……は、私の……ぜ、前世?」
見たことも聞いたことも無い世界、そして異形の生き物達との戦いの記憶。
そういった物が、流れ込み……いや、体の内側のさらに奥、魂から溢れ出すような感覚に、マドカは襲われていた!
「…………っ!ぷはっ!」
思わず息を止めていたことを自覚して、マドカはハァハァと荒い呼吸を繰り返す。
「な、なに……これは……」
さすがに頭の中が整理できず、混乱するマドカ。
しかし、そんな彼女を嘲笑うかのように、手の中の黒い本から力の塊のような物が溢れ出して、二階の方へと飛びさっていく!
さらに、上階の兄の部屋から、激しい物音と悲鳴のような物が響き渡ってきた!
「おにい!」
マドカは叫んで、階段を駆け上がる。
そして、兄の部屋に飛び込んだ彼女の目に写ったのは、まるで竜巻にでも襲われたかののような、めちゃくちゃに散乱した室内の様子だった。
「う、うう……」
「!?」
物に埋め尽くされるようにしていた縁のうめき声に、マドカは急いで駆け寄る。
「おにい、しっかりして!大丈夫!?」
「あ、ああ……。だいじょぶだぁ」
有名な芸人っぽく返事を返す兄に、大事は無さそうだとマドカは胸を撫で下ろす。
「しかし……いったい、何が起きたんだ」
訳がわからないと呟く縁に、マドカはゴメンねと漏らした。
「あん?」
「さっきの……たぶん、私の因縁のせいだから」
「いや、だから何を言ってんだ?」
「私の前世……異世界で倒した魔王が、この世界に現れたの」
真面目な顔でそんな事を言う妹の姿に、縁は言葉もなく呆然としていた。
◆
「『小説家になろうぜ』かよっ!」
バン!とマドカの胸にツッコミを入れて、ナオは叫ぶ!
ちなみに、『小説家になろうぜ』はネットの大手小説投稿サイトだ。
その中でも、異世界が絡むジャンルは一大勢力を誇っていて、それっぽい物は『なろうぜ系』などと揶揄されるほどに有名である。
「まぁ、そう思うよな。俺も最初は、自分よりマドカを病院に連れていった方がいいかと思ったし」
うんうんと頷く二人に、当のマドカも「そりゃ、そうよね」と納得気味だった。
「でもね、これは現実の話なの」
そう言うと、マドカは何処からともなく、一冊の黒い本を取り出す。
「これは、私の前世の人が作った、魔王の魔力を封じる本。この世界で受肉した、魔王の魔力を全て回収して、魔王を永久に封じるのが彼の目的だったの」
「彼?」
「そう、異世界に転移してしまった、平安の頃の陰陽師……『ムメイ』と呼ばれた、凄腕の退魔師よ」
「いやいや!それってマドカちゃんが、なろうぜに投稿してる小説のアイデアとかじゃないの」
ナオの返しに、マドカはブッ!と噴き出した。
「な、なんで私が投稿してるのを知ってるのよ!」
「そんなの知ってるに決まってるじゃない!ちゃんと、ブクマも付けたし、ポイントも入れてるよ!」
「それはありがとう!でも、恥ずかしいから、内緒にしてたのに……」
「ちなみに、俺もしっかりポイント入れてるから、安心してほしい」
「おにいまでっ!」
うわあぁっ!と頭を抱えて悶えるマドカを、親友と兄は慈愛の目で見守っていた。
「──取り乱してゴメン。話の続きね」
ようやく落ち着いたマドカは、再び前世の物語に関わる事例について話始めた。
「とにかく、この世界にはすでに魔王の魂のみは転生してるの。そして、その魂と魔力が合体した時、魔王は真の復活を遂げるわ」
ううん……と、話を聞いていたナオが首を傾げる。
「まぁ……すぐには信じられないけど、実際に夕べ怖い目に会ったし、信じる事にするよ。でも、魔王の魔力ってどっかに消えちゃったんでしょ?もう、すでに復活してるって事はないの?」
もっともな質問に、「それはないな」と答えたのは縁だった。
「これを見てくれ」
そう言って、彼がナオに渡したのは、縁のコレクションの一つである『楽しい妖怪図鑑』と銘された一冊の本。
「ああー、前に見せてもらいましたよね。鳥山石燕のイラストとかが載ってて、格好よかったやつ!」
オカルト趣味を持つナオは、妖怪好きな縁とそういった話で盛り上がる事もしばしばあった。
楽しげに本の表紙をめくったナオは、そこでこの本の異変に気づく。
「あれ……白紙?」
そう、彼女が手にしている本には、何も書かれていないページだけが、延々と続いていた。
「魔王の魔力は、それ自体だけじゃ存在する事はできないらしい。だからこの世界に止まるために、その本にあった様々な妖怪の姿を媒体として、実体を形成しているんだと」
「その本に載ってた妖怪の噂があるかぎり、魔王の魂に魔力が注がれる事は無いわ。だから私はそれらを狩って、この本に魔力を封じてるって訳よ」
「へぇ……」
なんだか感心したように、ナオが頷く。
「でも、結局は絵が元なんでしょ?すぐに消えちゃわないのかな」
「そうね。だから、奴等は肉体を維持するために、生き物を襲う……」
その一言で、ナオはハッとした。
「じゃ、じゃあ、夕べのアレって!?」
「うん。数日前の、百鬼夜行の噂が持ち上がった頃から、本格的に奴等が動き出したって事よ」
昨晩の恐怖の記憶が甦り、ナオは自分の震えだした体を抱き締める。
そんな彼女の肩を、マドカは優しく抱いた。
「黙っててゴメンね。でも、ナオを巻き込みたくなかったの」
それは、夕べの薄れ行く意識の中で耳に届いた言葉。
あの時、ナオの頬に落ちたマドカが溢した涙の感触が、鮮やかに思い出される。
「……まぁ、自分で言うのもなんだけど、私に話したら絶対に首を突っ込むもんね」
自嘲気味に、ナオは呟く。しかし、すぐに真面目な顔で言って顔になると、まっすぐマドカを見つめた。
「でも、マドカちゃんは大丈夫なの!?」
心配と不安が入り交じった親友の問いかけに、マドカは小さく笑って頷いた。
「おにいも協力してくれてるし……何より、奥の手があるから」
「奥の手……?」
「そう。昨晩ナオを助けた時に、妖怪を倒した彼等よ」
そういえば、あの恐ろしい異形達を一瞬で倒した人達がいた。
「あれは、私が前世の知識で作り出した『式神』。私の奥の手よ」
「『式神』……」
聞いたことはあるけれど、見たことはないその存在に、ナオの好奇心が刺激される。
「すごい、すごい!お願い、マドカちゃん!ちょっとだけ見せて!」
野次馬根性丸出しではあるけれど、マドカもまんざらでも無さそうに「しょうがないなぁ」と呟いて、スッと立ち上がった。
「我が影より来たれ!」
そう唱えて、マドカがパチン!と指を鳴らすと、彼女の影から五つの人影が飛び出してくる!
金髪碧眼に、黄金の鎧で身を包んだ王子様風の騎士。
武士を思わせるファンタジー日本鎧に、槍を携えた青年。
幕末っぽい和洋折衷の戦闘服と、日本刀を下げた若き剣士。
プロレスの入場コスチュームみたいな、派手で露出多めな服装の赤髪で無手の拳士。
そして、物語の狩人のような軽装鎧を着こなし、弓を背負った少年。
現れた五人は、いずれも勝り劣らぬ美形のイケメン達は、主であるマドカの命令を待って、静かに待機の姿勢を取っていた。
「これが、私の式神。前世の人が得意としていた、五行説に基づいて……」
「ちょっと待って、マドカちゃん……」
説明しようとしたマドカの言葉を遮って、ナオは大きく息を吸う。
そして、
「乙女ゲームの主人公かよっ!」
顔をあげたナオのツッコミの声が、再び春野家に鳴り響いていった。




