絶景と苺パフェ
エレベーターに乗ると、ノアはやっと手を離してくれた。
ムスっとして、拗ねた子どもみたい。
こんなノアは初めて見た。
いつもの余裕があって、少し意地悪なノアとは正反対で、それがなんだか可笑しかった。
「いつも余裕綽々な感じだけど、ノアも案外弄られキャラなんだね」
「笑うな。あの人アレンタイプだからやりずらいんだよ」
照れ隠しか、頬を軽くつねられた。
痛い。
「それよりもう着くぞ。景色いいから、ちゃんと見ろよ」
ノアの言葉の通り、エレベーターはチンと音をたてて最上階で停止した。
扉が左右に割れると、まさしく絶景が目に飛び込んできた。
ラウンジは海側が全面硝子張りで、日の光でキラキラと輝く海と、海より少し薄い青に白い雲の浮かんだ空が、巨大な絵画のようだ。
室内は臙脂色のカーペットに、エントランスにあったものよりもさらに上等なソファーが並んでいる。
少し暗めの照明に、ゆったりしたジャズ。
すごく落ち着いた、大人の空間。
「いいだろ、ここ」
「うん、すっごく素敵」
「よかった」
さっきまでの拗ね男はどこへやら。
わたしの返答に安堵したのか、ノアはふっと柔らかく微笑んだ。
それからエレベーター脇に控えていたスタッフに何か言って、硝子張りの壁の一部、扉になっているところから外に出た。
扉を出るとすぐに下りの階段があって、階段を降りると、そこには半個室の、所謂カップルシートがあった。
「……ちょっと距離が近すぎない?」
「気にすんな。近いうちに俺とミコトの距離はゼロになる」
「なりません」
レディファーストとか言ってるノアを警戒しつつ、ソファーに腰掛けると、そこは中から見るよりも、さらに美しい景色だった。
室内からは見えなかったけれど、ここからはハプナビーチが見える。
ビーチと海と空があまりにも綺麗で、今自分達が戦争をしているのが嘘みたいだ。
わたしが景色をうっとりと眺めていると、ノアもソファーに腰かけた。
それからわたしの肩を抱寄せ、耳元で吐息混じりに名前を呼んだ。
「ここスタッフ呼ばなきゃ来ねーし、今他のテーブル誰もいないし、マジで距離縮めてみねえ?」
「その発言のせいで全部台無しだよ」
ベリっと肩を抱く手を剥がして、名一杯距離をとる。
二十センチほど離れたところで壁に当たって、あまり離れられない。
くっそー、奥に座らせたのはこの為か!
せっかく綺麗な景色見て癒されてたのに、調子を取り戻したノアのセクハラのせいでHP削られた。
ノアをジト目で睨み、追撃に備えて臨戦態勢を取る。
そんなわたしが可笑しかったのか、ノアは「怒った猫みたいだな」とケラケラ笑った。
「そんなに警戒すんな、冗談だよ。今は、な」
今はって何だ、今はって。
将来的には冗談じゃなくなるのか、無理だろ。
「ノアさ、わたしのこと好きなんじゃなくて、脱チェリしたいだけじゃないの?」
「は?」
わたしの言葉にノアは心底心外だという顔をした。
と、同時に空気が冷たくなった気がした。
それから大きな大きな、深ーいため息。
「ヤりたいだけだったらお前のこと選ぶわけないだろ。その辺の遊び慣れてて後腐れなさそうなの適当に引っかけるわ」
「いや、経験なくて自信ないから身近なのにしたのかなーって」
「アホか。お前まさか、好きっつったの疑ってないよな?」
実はかなり疑ってる。
だってわたしとノアでは、あまりにも釣り合わない。
かたや人類の希望、かたや食堂の一スタッフ。
超スーパーハイスペックイケメンと、顔は中の中、スタイルは日本人の平均のわたし。
月とすっぽんとはまさにこのことだ。
ノアはわたしの目が泳いだのを目ざとく見つけ、マジかよと天を仰いだ。
「そこは疑うな。俺、本気だからな」
「お、おー……了解」
今度はノアがジト目でわたしを見ながら言った。
しまった、やらかした。
せっかく機嫌が直っていたのに、再び拗ね男に戻ってしまった。
何とか機嫌を取らなくてはと話題を探すも、初拗ねられなので機嫌の取り方が分からない。
一人あせあせとテンパっていると、これぞ天の助け。
硝子扉が開く音がして、それから一人では食べきれないくらい大きなパフェを手にしたウェイターさんが現れた。
なるほど、これだけ大きいから誘ってくれたのね。
「わっ、美味しそう!ねえノア、美味しそうだよ!」
「そーだな」
ツーンと明後日の方向を向いて、つれない返事。
ぐぅ、パフェでは拗ね男直らず。
でもパフェは本当に美味しそうだった。
バニラと苺のアイスの上に、大粒の苺が沢山乗せられていて、その苺にはたっぷりの煉乳がかけられている。
もちろん生クリームも盛りだくさん。
そこにメロンのスライスや、半分に切ったバナナ、みずみずしいオレンジが乗せられている。
いかん、ヨダレ出そう。
「ね、機嫌直して一緒に食べよう?」
さっき自分であけた距離をぐっと縮め、ノアの腕に手を置いて、上目遣いでお願い。
うえ、ぶりっ子みたい。
あまりの似合わなさに自分で吐きそう。
ノアは横目でジトーっとわたしを見て、それから口を開けたまま停止した。
ん?
「ノアさん?」
「早くしろよ、アイス溶けるぞ」
ぎゃぁぁぁぁぁっ!
だよね、やっぱりね、そうだよね!
食べさせろってことだよね!
「いや、ちょっ、無理無理!」
「俺さっきのは結構ショックだったわ」
「うぐっ」
はあーっと深いため息をついて、またそっぽを向こうとするので、慌ててスプーンでアイスを掬う。
それをノアの口元に持っていくも、なぜかノアは口を開けてくれない。
「何か足りないと思わないか?」
「苺?」
「馬鹿。シチュエーション考えろよ」
……。
……。
……え、嘘でしょ?
いやいやいやいや。
彼氏彼女がやってても痛いわーってなるじゃないですか。
ましてやわたし達お付き合いもしてませんよね?
「無理」と視線で訴えると、ノアの目は「早く」と返してきた。
oh……。
「…………あーん」
「ん」
もはや羞恥心で死ねる。
顔が沸騰してるのがよく分かる。
ノアはといえば、「顔赤いぞ」とニヤニヤしながら言った。
くそー、人のことからって楽しんでるな!
「次、苺」
「自分で食べてよ。わたしも食べたい」
「じゃあ俺が食べさせてやるよ」
「いいよ自分で食べれるっ」
拒否するわたしを無視して、ノアはもう一つのスプーンを手に取り、上手にアイスと生クリームと苺を掬った。
「ほら、口開けろよ。それともそのスプーン使って自分で食べる?俺と間接キスすることになるけど」
「や、でもっ」
「あっ、顔振るなっ」
「んぐっ」
いやいやと首を振っているところを、強引に口にねじ込まれた。
そのせいでノアの狙いがずれ、口内におさまりきれず、口の端にべっとりついてしまった。
ああ、でもパフェは凄く美味しい……!
アイスと生クリームはすごく濃厚で、そこに合わさる苺の酸味が堪らない。
まさに絶品。
至福の一時を堪能していると、ノアがわたしの顔をじっと見つめていた。
そうだ、口元汚れてるんだった。
ティッシュティッシュ。
テーブルに用意されているナプキンに手を伸ばすと、ノアにその手を捕まれた。
「ちょっと待て、拭くな」
え、何事?
わたしが頭の上でクエスチョンマークを浮かべていると、ノアはパフェに刺さっていた半身のバナナの皮を剥いた。
そしてそれを差し出してきた。
これは食べろってこと?
先に口拭きたいんだけどな。
よく分からないまま、受け取ったバナナを口に含んだ時――――
パシャッ
「ヤバ……すげーエロい」
モバイル端末片手に今日一番のにやけ顔のノアに、一気に状況を理解した。
慌てて口元を拭ってみると、付いていたのはやっぱり煉乳。
そして今咥えているのはバナナ……。
「今晩これ使わせてもらうわ」
「ノアの変態っ!万年発情期っ!」
その後怒ったわたしを宥めるために、ノアがパフェの支払いしてくれたわけだけれど、わたしの怒りは収まらなかった。
変態なんてもー知らん、とぷんすか怒っていたわたしだけれど、後日ハナに聞いたパフェの値段がだいぶエグかったので、大慌てでノアに土下座しに行ったのはまた別の話。
「そういえばミコト、ノアとラウンジ行ったんだね」
「うん。パフェ食べに行ったんだけどね」
「あの季節限定のやつ?いいなぁ、わたしも食べてみたいけど、パフェに五百ドルは払えないやー。あれ?ミコト?」
「チョットノアニ土下座シテクル」
「え?え?」
今日もありがとうございました!




