4 白い城
「マサオ、そっちに行きましたよ!」
「気をつけて、マサオ!」
ケンメとウファの声が、前方から聞こえる。
二人は、それぞれ棍棒とナイフを手にして、敵である侵略者の手下と戦っている。
敵の姿は、金属色に光る蛇と、周囲の草むらから伸びる蔓植物だ。
どいつもこいつも、俺を誘拐しようと、こっちに向けてまっしぐらに襲いかかってくる。
砂利だらけの道を、埃を巻き上げながら、突進している。
「へへん、捕まえられるなら、捕まえてみろよ!」
だが、俺は自信満々に、そう言い切った。
もう俺は、二人に守られるだけの、軟弱な俺じゃあない。
この無敵の両手がある限り、侵略者なんか、屁でもなかった。
蛇どもが、一斉に俺に飛び掛かった。真っ赤な口を大きく開いて、俺の身体を捕まえようと、鋭い牙を剥き出しにしている。
俺の腕が動いた。両手が、蛇の金属質の身体に触れた。
その瞬間、蛇は弾け飛んだ。苦しみもがく事も無く、その身は地面でぐったりと横たわった。
「すごーい、やるわね、マサオ!」
蛇を片付けたウファが、飛び跳ねながら喜んでいる。
薄手の着物の下では、豊かな胸が弾んでいるのが、ここからでも分かる。
「マサオは強いですね」
ケンメも、俺の働きぶりに、笑顔を見せていた。
俺とウファ、そしてケンメの三人は、西へ西へと歩き続けて、ついにそれが遠くに見える場所まで、辿り着いた。
「あの建物が、それなのか?」
俺は、目を細めて、それを眺めた。
ここから川を挟んでの対岸に、大きな白い箱のような建物が見える。
建物の周囲は、白い蔓植物が無数に生え、しかもそれが一株ずつ自立して移動しているように見えた。そう思ったのは植物が、風では説明のつかない動きをしていたからだった。
川には、半円状の太鼓橋が架かっている。
まるで、この世とあの世の境目であるかの如く、その橋は異様な空気を含んでいた。
「あれが、侵略者の城よ」
ウファが、ナイフを使ってそれを指し示した。
「この橋を渡れば、目的地はすぐです」
ケンメも、彼女の言葉に続いた。
二人は、俺に向き直った。
「行きますか?マサオ」
「当然だ」
俺は、そう頷いて、一番に橋を渡ろうとした。
二人を横目にして、橋に足をかけた時、ふと視界の片隅でおかしな動きを見た気がした。
「ん?何か言った?」
「なにも言っていないわよ」
おかしいな、と俺は首をひねった。
ケンメの前を通り過ぎる、ほんの一瞬。俺は、あいつの口が何かを言っているように見えたからだ。
最初は、大きく、次は、すぼまった口の動きだ。
おそらく、俺に頑張れと言っているのだろうか。俺は「ああ」とだけ返事をすると、橋を渡った。
渡り終えた対岸では、蔓植物の洗礼が、俺を待ち受けていた。
奴らが、俺の腕を捕らえようと、しなる動きで蔓を伸ばしている。
「お前らなんか、相手じゃないぞ!」
俺の腕が奴らに触れた。少し痺れる痛みが指先に走り、植物は次々にひっくり返っていく。
細長い杭に、金属の蛇が巻き付いている。そいつは、俺の姿を確認したらしく、大きな口を開けて、飛び掛かってきた。
「マサオ!」
ウファが、ケンメが、同じく橋を渡ってこちらに来た。
二人とも鬼のような形相で、蛇や蔓植物を、片端から叩き、切り裂いている。
「マサオ、ここは私に任せて、君はウファと一緒に、先へ進んでください!」
ケンメが叫んだ。
彼は棍棒をフルスイングしつつ、敵を蹴散らしている。
「マサオ!行きましょう!」
ウファと共に、俺は走った。
建物がどんどんと大きく迫って見える。白い建物は、日の光でなんとも眩しく光って見える。
それと同時に、周囲の臭いが変わったのに、俺は気づいた。
土と砂の混じった、田舎の農道で嗅ぐような、自然たっぷりの新鮮な空気の匂いから一転した、普段の登下校でも嗅がない、一呼吸で違和感を覚える異臭だ。
例えるならそう、鼻の奥まで抜けるような、あの夏のプールで嗅いだような臭いに近いか。
「ゲホッ、なんか咽せるわね」
ウファは、鼻を手で押さえつつ走っている。
正直、俺もこの臭いは苦手だ。泳げなかった小さい頃を思い出して、嫌な気分になる。
建物が目前にまでやって来た。
白い壁で構成されているそれは、周りを生垣で取り囲んでいる。だが、葉の色は緑ではなく、白だ。
真っ白の、目の粗い一片の布地が、ゴムチューブみたいな枝から生えている。不気味としか、言い様がない。
「どこから入るんだ、これ?」
俺は、白壁を見回した。
侵入できそうな、扉らしきものはどこにもない。
もしや裏手から入るのでは、と、壁伝いに探し出した時だった。
壁の一ヶ所が、音も無く割れて、そこにぽっかりと空間が現われた。
「あ、開いたわよ!」
ウファが、見つけたとばかりに喜んでいる。
俺たちは、互いに顔を見合わせると、大きく頷いた。
建物の内部を、俺とウファの二人は、歩いていた。
「ウファ、手を握ろう」
「ええ」
俺たちは、不安からか、手を繋いだ。
ここには、敵らしきものなど、一つも出なかった。
張り詰めた空気と、足音を響かせる床の先では、得体の知れない奇声が聞こえている。
異臭は、外の比ではない。鼻の奥まで突き抜けるような、ツンとした消毒臭が、俺たちの身体に、纏わり付いていた。
「マサオ」
「なに?」
「ううん、なんでもない」
ウファは、不安そうに俺を呼び、そして首を振った。
「なんだよ、気になるから言えばいいのに」
彼女の手が、かすかに震えていた。
恐怖に怯えているのだろうか、それとも、緊張感からのものなのか、俺には分からなかった。
「あのね、わたし、ここまで来るのは初めてなの」
「そうなのか?」
「ええ、今までの人たちは、あの川も越えられずに、皆どこかへ連れ去られたのよ。でもね、あなたは違うわ。マサオは、川を越えた、そしてここまで来た、だから……」
「ウファ」
「マサオ、絶対に侵略者を倒してね、約束よ」
「うん、俺、頑張るよ」
俺は、ウファの笑顔に、そう誓った。
彼女のためにも、侵略者を倒す。そして一段落したら、家に帰る方法を探す。
それでいいんだ。帰るのは後回しでもいい、こんなにもキレイな人が困ってるんだから、助けない訳にはいかないんだ。
建物の中は、長い廊下のような通路が、ずっと続いている。
両脇の壁からは、学校のパソコン室で聞くような、機械的な音が聞こえてくる。
そして通路の突き当たりに、俺たちは辿り着いた。
そこは、とても広い部屋というか、広間で、床には何かの配線らしきものが、無造作に這っているのが見える。
窓らしきものはないが、天井から明るい光が射し込んでいるようで、広間全体が白く眩しい。
『マサオ』
「だ、誰だっ」
突如、呼びかけられて、俺は驚いた。
「落ち着いて、マサオを動揺させる罠よ」
ウファが、俺にそう囁いた。
床の配線が、動いている。ぐねぐねと、まるで蛇の動きのように、それは這いずりながら広間の一角へと移動している。
『マサオ、マサオマサオ』
声のする方を、俺は見た。
そこには、無数の配線を身体に付けた、四角い箱が、佇んでいた。
箱は、俺の名前を呼んでいる。
抑揚のない無機質な音が、声になって、俺を呼び続けている。
『マサオマサオマサオマサオ』
「なっ、なんだこいつ、気持ち悪い!」
「こいつが侵略者なの?」
箱からする声は、壊れているようで、ずっと同じ言葉ばかりを並べていた。
それはゲームのバグ音にも聞こえてきて、俺は思わずたじろいだ。
箱は、それを支えている細い柱の台車に乗って、滑らかに床を滑っている。
その箱から配線が出ている、まるでそれは箱の髪の毛だと言わんばかりであった。
配線の一つが動いた。蛇よりも早く、それは俺たちへと向かってきた。
配線の先端には、鋭く尖った針がついている。あれで人を攻撃するとでもいうのだろうか。
「このっ!」
ウファのナイフが、配線を切断した。
と思ったら、配線は次から次にウファを襲っている。
「ウファ!」
ナイフを振り回す彼女に、俺は助けに入ろうとした。
「来ちゃだめよ!あなたまで切ってしまうわ!」
そう言って、また配線が宙を飛んでいる。
確かに、今のウファには近づけない。
あの切れ味鋭いナイフが、やたらめったらに振り回されているんだ。近寄ったら俺まで切られる。
「マサオ、戦って!あなたでないと、あれは倒せないのよ!」
俺は、あの謎の箱に向き直った。
四方八方から、配線がやって来る。
両手が、それに触れた。指先にチリッと痛みが走った。
数本の配線が吹っ飛んだ。
「やったっ」
だが、仕留めたと思った配線は、そのまま箱からもすっぽ抜けて、釣り上げられた魚のように、床でのたうち回ってから動かなくなった。
『マサオ』
箱が、相変わらず俺の名を呼んでいる。
どうも、配線を切り捨てているせいか、本体らしき箱までは、影響が届いていないようだった。
「だったら、全部、引っこ抜いてから、本体を叩く!」
俺の手は、片端から配線に触れた。
なるべく、配線の針には触れないように、胴体部分を撫でるように触った。
それは、次々に弾け飛んだ。
まるで電子音のような、機械的な甲高い音をたてて、配線は引き抜かれた。
『マサオ、マサオ』
箱の声が、少し変化した。
無機質な呼び声は、悲しげなものに移り変わっていた。
『ド、ドウ、シテ』
「えっ?」
不意に、名前以外の言葉が聞こえたことで、俺は一瞬だけ動きが止まった。
『ド、ウ、シテ、ナノ、マ、サオ』
俺は、この声に聞き覚えがあった。
いつも聞く声は、涙でつっかえている声だった。
「きゃあーっ!」
悲鳴が聞こえて、俺は後ろを振り向いた。
「ウファ!」
彼女の両腕と足に、配線どもが、蛇のように絡みついている。
身動きを封じられたウファは、その豊かな胸や腹、そして太ももに、幾本もの針が突き刺さっていた。
「やだ、痛い、痛い!いやあ!」
配線が、くねっている。それと共に、先端の針も、身体の中でグリグリと動かされているらしい。
血が流れ出した。
「ウファ、今、助ける――」
だが、走りだそうとした俺の足を、何かが止めた。
「うわっ!」
べちゃりと、俺は顔から倒れた。
「うう、いたい……」
顔が、ジンジンと痺れる痛みに襲われた。
俺の足首にも、配線が絡みつき、鋭い針が服の上から、足を刺そうと様子を窺っている。
「わ、こ、このっ」
振りほどこうと、足を蹴るも、それは空しい行動だった。
そのまま俺は、足首を掴まれたまま、空中高く持ち上げられた。
「ああ、わあ、や、やめろ!下ろせ!」
俺は、腕を振るが、両手は配線に届きもしない。
しかも逆さまになっているせいか、どんどんと目が回って視界がぼやけはじめた。
「あ、め、目が」
頭がぼうっとする。腕は、力なくだらりと垂れ、周囲の景色が見えなくなった。
『マサオ……』
俺の足や腕に、針が突き刺さる感触がした。
箱は、俺に何かを伝えたいのか、ゆっくりと俺の身体を近づけた。
『マサオ、オキテ、メヲアケテ』
優しい、子供に語りかける声で、箱は言葉を発していた。
「う、あ、あ……」
俺は、身をよじった。
指に、なにかが触れた感触がした。
ぼやけた目で、それを確認する。
俺が触っているものは、配線の繋がる、箱の本体だった。
「あっ」
指先に、激しい痛みが走った。
バチンと豪快な音がして、箱から甲高い音が響き渡った。
――ピーッ、ピーッ、ピーッ。
音が、慌ただしく鳴る。まるで何かのサイレンのような、人を不安にさせる嫌な音だ。
俺の身体が、床に落ちた。
足を掴んでいた配線が、力をなくして、俺を解放したからだった。
目の前の箱からは、焦げ臭いにおいが漂っている。
箱を支えていた台車が倒れた。ガシャンという音がして、箱は床に叩きつけられた。
――ピーッ、ピーッ。
「なんだ、この音……」
俺は呆然としていた。
何か間違った事をしたのだろうかと、言いようのない焦りが胸を埋め尽くした。
天井からは、泣き叫ぶ声が聞こえている。
――マサオ、お願い、起きて!お願いだからぁー!
この声は、そうだ、あの人のものだ。
俺の顔を、汗だか分からない雫が、流れ落ちた。
声の主を、俺は知っている。そしてそこへ帰らないといけないのも、分かっている。
だが、どうやって帰ればいいのかが分からない。
こいつを倒して、そして――?
「マサオ、ついに倒したのね!」
ウファが、満面の笑みで駆け寄ってくる。
胸が、ぶるぶると震えて弾んでいる。
「嬉しいわ、これでマサオはわたしのものよ」
彼女はそう言って、俺の首に抱きついた。
大きくて丸いウファのおっぱいが、押しつけられて、俺は頭が真っ白に消し飛んだ。
「ねえ、服を脱いで」
俺は、抵抗する気を無くしていた。
言われるままに制服の上着を脱がされて、ズボンの中に手を入れられた。
腰がビクリと動いた。手慣れた感じで、ウファは俺を押し倒している。
それが、鎌首をもたげはじめた。
「マサオ」
ウファの目が、輝いている。
彼女の口は、真っ赤に裂け、白い牙が鮮やかに浮かび上がっていた。