3 侵略者の手
「マサオ、起きて」
誰かが、俺を呼んでいる。
「早く起きてちょうだい、マサオ」
この声に、俺は聞き覚えがあった。
朝の、寝坊しそうなときに、部屋の外から聞こえてくるそれだ。
「お願いだから、起きて」
俺は起きようとするも、身体がいうことをきかない事に、気が付いた。
手や足は、まるで布団に縫い込められたかのように、微動だにせず、瞼も重く塞がったまま、開きもしない。
声を発しようにも、何かが喉につっかえているのか、言葉が出てこない。
俺は、それが誰であるか、理解していた。
していたからこそ、早く起きないといけないと、焦っていた。
だが、身体はびくともしない。
操り人形の糸が切れてしまったように、意識と実際の身体の感覚は、剥離している。
そのうちに、俺を呼ぶ声は、次第に遠ざかっていった。
俺は、言いようのない不安で、胸が満たされているのを、感じていた。
目が覚めた。
俺は、学生服の襟を緩めるのを忘れたまま、眠りについていたらしく、少し首が痛い。
背伸びをして起き上がった。俺は寝相がいいので、布団がかなり乱れていた。
「おはよう、よく眠れたかしら」
布団を畳んでいると、ウファが朝の挨拶をしてきた。
「おはよう、ウファ。充分に休めたよ、ありがとう」
「それはよかった。どうせなら、着替えもすればよかったのに。洗濯ぐらいしてあげるわよ」
「いいよ、そこまでしなくても」
俺は、その申し出をやんわりと断った。
いくら頑丈な学生服とはいえ、よく分からない洗濯方法でもされたら、台無しになりそうな気がしたからだった。
「朝ご飯が出来ているから、一緒に食べましょう」
「うん」
俺は身支度をととのえて、食事の場へと向かった。
腹の膨れた俺は、ケンメに言われて、家の庭に立っていた。
庭といっても、剥き出しの地面に、雑草が生えている、生垣で囲まれた小さなものだ。
「マサオ、君は何をしに、ここへ来たか、分かっていますか?」
俺は、素直に、分からないと答えた。というか、それしか答えようが無かった。
「君は、この世界を救いに来たんですよ」
「はい?」
ケンメが突拍子も無い事を言い出した。
「私たちのいる世界は、実はとても不安定な状態なのです。どちらでもない、あっちとこっちの境界線上を、ふわふわと漂う小さな世界なんです」
不安定?小さな世界?
冗談でも言って、俺をからかっているのだろうか。
だが、彼の目は、とても真剣な眼差しで、俺を見ている。
「そして、今この世界は、何者かの侵略を受けています。それは我らよりも遥かに強大な――」
ケンメがそこまで言った時、急に生垣がざわざわと動き出した。
「あっ!」
ウファが何かを見たらしい。
生垣から飛び出したそれを見て、悲鳴を上げた。
「こいつだ!」
ケンメの手が、棒を掴んで、うねうねと這う蛇のようなそいつを殴った。
やったのかと思ったのもつかの間、蛇は平然としたまま、俺に向かって飛びかかってきた。
「マサオ!」
「わ、あ、あっ」
俺の右腕に、細く長い蛇が食いついた。
痛いと脳が判断するよりも早く、何故か蛇は弾かれて、地面へと落下した。
「こいつ!」
ケンメが棒を振り上げた。だが、その動きが急に止まった。
「おや?」
棒で蛇をつついている。しかし、蛇の身体はぐったりとしたまま動かない。
「マサオ、服を脱いで傷を見せてくれる?」
ウファが心配そうな顔で、俺に迫った。
俺は袖をまくると、噛まれた箇所を探した。
「あれ?傷が、ない」
腕には、噛まれた傷など、どこにも残っていなかった。
「おかしいな、確かに噛まれたんだけど」
「どうやら、マサオの存在がばれているみたいだ」
ケンメの持つ棒に、死んだ蛇が引っかけられている。
蛇は、全身がギラギラと光る、金属のような質感のものだ。
「もう時間が無い、このままだとマサオが侵略者に狙われる。逆にこちらから奴らを倒しに行きましょう」
家の屋根から、鳥が飛び立つのを、俺は見た。
俺の前を、棍棒を持ったケンメが、歩いている。
そして俺の横には、ナイフを持つウファの姿が。
頭上には、鳥が二羽、俺たちを先導するように、ゆっくりと旋回している。
道は、舗装もない砂利道で、両脇には、俺の腰まである草がどこまでも広がっていた。
俺たち三人は村を出て、一路、西と思われる方角へと向かっていた。
だが、実際に西なのかは、全くの不明だ。
何せ、この世界は、常に日が出ている状態で、空は薄い雲に覆われていた。
それでも、明け方と夕方には、赤い色に変化して、夜らしき時間は少しだけ暗くなるので、朝昼晩の概念は割と理解しやすかった。
「なあ、ケンメ」
「どうしました、マサオ」
「侵略者って、どんな奴なんだ」
俺の問いかけに、ケンメが少し考えている。
「この世界を、消滅させようとしている……ものですかね」
ケンメは、草むらから飛び出した蛇を、叩き潰した。
「消滅?」
「そうです、この世界は、外からの人が流れ込むことで出来上がりました。それを奴らは、流入者を捕らえて、また別の世界へと連れ去っているのです」
「ケンメの言うとおりよ、ここは昔、もっとたくさんの人がいたの。今でこそわたしたちの町は、あんなに小さな村だけど、前は大勢の人で賑やかだったわ。それなのに、わたしたち以外の人は、皆どこかへ連れ去られて、二度と戻って来なかった」
「侵略者には、我らの力など、通用しません。過去に何人もの流入者が、戦いを挑みましたが、全て失敗しました」
それを聞いて、俺の顔は恐怖に引きつった。
冗談じゃ無い、と思った。
全て失敗したということは、俺も失敗して死ぬか、運が良くても、ここからまた別の世界に連れて行かれるという話になる。
そんなのは御免だし、第一、俺は家に帰りたい。
「マサオ、どうしたの?」
不安で真っ青な俺の顔を、ウファが覗いている。
その時、ケンメの死角になるところから、複数の蛇が、俺に向かって飛び掛かってきた。
「こいつ!」
ウファのナイフが、蛇の身体を引き裂いた。
だが、それも囮だったらしく、俺の背後に、何かの気配が立ちこめた。
「マサオ!」
ケンメは棍棒を、振りかざした。
俺は、急いで逃げようとしたが、間に合わなかった。
両足に、蔓様の植物が絡みつき、ちくりとした痛みが、太ももやふくらはぎに走った。
さらに、腰や腕にも蔓は伸び、俺は全身をがんじがらめに捕らわれてしまった。
「あっ、あ、たっ、助けて!」
情けない声しか、出せなかった。
それもそのはず、俺は武器になるような物など、何も持ってはいない。
カバンやスマホ、筆記用具の類いすら、今は無かった。
「こらーっ、マサオを放しなさい!」
ウファが叫んでいる。彼女のナイフであれば、こんな蔓ぐらい、簡単に切れそうだが、ついでに俺の手足までスパッと切れそうである。
「マサオ、今助けますからね!」
ケンメの持つ棍棒も、蔓ごと俺の腕を叩き折ろうと、大きく振りかぶられている。
「わ、あ、ああ!放せ、放せよっ!」
俺は、叫んだ。無我夢中で、叫んだ。でないと俺の腕が折られる。
ナイフが、棍棒が、動いている。もう、間に合わない。
「あーっ、や、やめ……」
俺の手が、かすかに痺れた感覚がした。
まるで、寒い日の、ドアノブを触ったような、あの嫌な感覚だ。
それが、手から腕、果ては全身までを、駆け巡った。
何かが弾ける音が、した。それと同時に、俺の身体に巻き付いていた蔓は、その戒めをとき、へなへなと力なく地面に落ちた。
「あ、え?な、何だ、これ?」
俺は、何が起きたのか、理解出来なかった。
それは、俺の目の前にいる二人も、同じだった。
俺と、ウファ、そしてケンメの目が、まん丸になって、互いを見ている。
「何、いまの」
「私も分からない、マサオの身体に何か起きたようだが」
ケンメが、俺を見ている。
俺の手は、少し痺れを残していた。
地面の蔓は、ぴくりとも動かない。
「……死んでいるわ」
ウファのナイフが、それを突いている。
「マサオ、ちょっといいですか?」
ケンメが、落ちていた枯れ枝に、器用に蛇を巻き付けたものを出してきた。
「うわ、何するんだよ」
「この蛇を、触ってください」
「なんで、そんなこと――」
「いいから、確かめたいのです」
俺は、嫌だと抵抗したが、ケンメが余りにも真剣にそれを言うので、渋々ながら従うことにした。
おそるおそる、手を伸ばす。
蛇は、頭もしっかりと別の枝で押さえられていて、暴れようにも動けない状態だ。
蛇の身体が、金属のように光っている。
俺の指が、それに触れた。ひんやりとした感触だった。
兎にも角にも気色悪いので、もう手を引っ込めようとした時だ。指先から、痺れるような痛みが走った。
「えっ」
鋭い、弾けるような音がした。
そして蛇は、急に力が抜けたのか、ぐったりと垂れ下がった。
「何これ」
俺は、自分の手をまじまじと見た。
別にいつもと変わらない、普通の手だ。
「やはり、そうだったか」
ケンメが、蛇を観察している。
蛇は微動だにしない。
「マサオは、特殊な力を持っていますね」
蛇の身体が、枝から離された。それでも蛇は動かない。
「どうやら、触った相手を即死させる力のようだ」
ケンメが、蛇を投げ捨てた。
それは、放物線を描いて、道の脇にぼとりと落ちた。
「即死させる?」
「こんな力を持った人は、初めて見る。君は選ばれた人だ」
「マサオ、あなた凄いのね」
ウファが、輝く目で、俺を見つめている。
俺は、自分でも信じられなかった。
この手が、敵を即死させる力を持っているなんて、今の今まで、知らなかったことだ。
武器なんて、俺には最初から必要が無かった。
俺には、この無敵の両手がある。触っただけで勝手に死んでくれる、攻守共に備わった、素晴らしい能力が。
そう思うと、俺の顔は、自然と笑みがこぼれていた。
「ケンメ、これなら――」
「ああ、奴らに勝てるな」
ウファとケンメも、嬉しそうに笑い合っている。
「頑張りましょうね、マサオ」
「君がいれば、百人力ですよ」
「そうだね、ウファ、ケンメ」
俺たち三人は、大きくうなずき、さらに西へと足を進めた。
その遥か頭上では、二羽の鳥が、大きく旋回して飛んでいるのが見える。