邪悪の樹
邪悪の樹とは人間の世界では魔界と呼ばれる、肉ならざる肉の身体持つ魔物や悪魔達が闊歩する高次元の世界。
エデンの園に聳える生命の樹が神の域へ幹を伸ばすものとすれば、邪悪の樹は奈落に向け根を張る。二本の樹は表裏一体として人間が住む物質世界を挟むように存在する。
そこは上層、中層、下層、三つの層で形成され、上層は限りなく物質世界に近く下位の魔物が存在する。逆に下層は上位の魔物が存在する。
ある時、下層より更に深層、奈落で問題が起きる。その問題に生じて起きた余波の影響は大きく、本来交わる事のない高次元のクリフォトと物質世界の間に特異点を作った。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ナベリウスの説明に吉良が待ったを掛ける。
「今の説明だと、私達って今どういう状況なんです? 高次元って確か霊体エネルギーみたいな世界ですよね? けど私達は物理エネ「へい、お待ちッ!!」ルギー……物凄くイラッとするんだけど」
ナベリウスの説明を遮った吉良の質問を更に遮るように佐々が料理をテーブルに置く。見た目は普通のステーキだ。ただし匂い以外が。
『何故、肉を焼いただけでこんな匂いがするのだ……尋常じゃない臭さだぞ!?』
食べる物にしては余りに違和感のある匂いに顔をしかめるナベリウスと吉良。この匂いは何処かで嗅いだ覚えがある。この何か沢山の機械が並ぶ町工場のような匂い。
「おいバカ、これ何した? 何の油使った?」
吉良はギロッと佐々を睨め付け問いただす。
「えー、ふつーの油だよ? 流石に油ひかないとフライパンに焦げ付くからね。これこれ!」
佐々は懐から蛇腹のチューブを取り出し吉良に見せる。吉良の眼に更に殺意が宿る。
「おいバカ、文字ぐらいは読めるな。それ何て書いてある?」
「えーと、グリス!」
「白井ー、ちょっと来てー」
秋田に呼ばれて厨房から白井が姿を現す。その手に抱える皿にはワタすら取り除いてない魚のブツ切りが飾りつけてある。
「バカの監督ぐらいちゃんとしろ。あとその皿の上の物は何のつもりだ!!」
再び顔を陥没させた白井と頭からグリス塗れになった佐々がトボトボと厨房に引き上げていった。テーブルの上には料理を冒涜する如き品が三品に増えている。
『つくづく話が進まん奴等だ。どこまで話したか忘れたではないか』
「あのー、話が難しすぎていまいち分からないんですが、結局私達ってこれからどうなっちゃうんです? そもそもクリフォトって何です?」
流石に現実離れしすぎて理解が追いつかない様子の古志が恐る恐る尋ねる。
『罪を司る悪魔にはそれぞれ自分の領域がある。例えばクリフォト上層で言えば【貪欲】【不安定】【物質主義】の三つの領域。上層から下層まで併せて十の領域で形成される世界を邪悪の樹【クリフォト】と我等は呼んでいる。貴様等が魔界と呼ぶ場所だ』
いまいちピンとこない様子の古志。
「県と市ぐらいに思っておけば良いみたいですね。邪悪の樹県貪欲市みたいな感じで」
一気に神秘性を失わせる吉良の発言。それを気にも留めずナベリウスは説明を続ける。
『それからどうなるかと言う問いだが……』
クリフォトはこの多くの人間が存在する校舎を一つのクリファと認識して融合を始めた。
繋がっているクリファはケムダー、キムラヌートの二つ。霊的存在が物質を形成し、経済を構築する物質主義と、この世界が貪欲のクリファを介して繋がった形だ。
『貴様等が霊体エネルギーと呼ぶものがクリフォトでの魔素。クリファ同士が繋がった当初では魔素も薄く、矮小な魔物程度しか存在する事が出来なかった。貴様等の中でも魔素に耐性を持たない者は受容するのに時間がかかる為、魔物の姿を認識出来なかったという訳だ』
「クリフォトとの併合が進むにつれ魔素の濃度が上がり、それだけ強大な魔物が現れるという事ですか」
うむ、と吉良の答えにナベリウスが頷く。
本来、決して交わる事のない魔界と人間界。その二つの世界は歪な形で融合を果たす。この校舎にいる人間は魔素を享受した肉の身体を持ち、霊的存在と干渉する事になる。
キムラヌートとの融合が完了すればそこに存在する魔物も魔素のみで身体を形成し全て姿を現す。逆に人間も魔素を帯びた半霊的存在として問題がなくなる。
「死ぬって事じゃないんですね」
この中で一番死に抵抗があった古志の顔は幾分落ち着いたかのように赤みが差す。
「この学校って今、外から見たらどんな風に見えるんだろーね? 抉れてゴッソリ無くなってるとかさぁ」
『特段何処へ向かっている訳ではない。この校舎はそのまま元の場所に存在する。ただクリフォトの干渉を受けている所為で魔素を持たぬ者には認識されないだけだ』
「という事は魔界からの干渉を受けなくなれば、私達は元の生活に戻れるって事です!?」
吉良の質問にナベリウスは『原理で言えばだがな』とだけ答えた。
「そーいや、ナベさんってどうしてアタシらに親切にしてくれるん? ナベさん悪魔でしょ? おまけに白井のアホにそんな姿にさせられたのに」
秋田の何気ない質問だが、先ほどその同属であるビブロスに殺されそうになった吉良としてはどこまで信用して良いものか推し量っていたところだ。
『我等には貴様等と揉める理由がない。特に私は目的があって動い『皆様、お待たせしました』……流石に慣れたな』
気を利かす事すらしないウェイターが相変わらず話を中断させる。今度は豚の容姿のビブロスが器用にトレイに料理を乗せてやって来た。
『前菜のカボチャの冷製スープ、生ハムトマトとバジルのサラダです』
全員が良い意味で期待を裏切られた。テーブルの上に置かれた生ゴミとの格差が酷すぎる所為だ。
「アンタほんとに料理出来んだねー。ちょっとマジでビックリしたわ。ところであのポンコツ二匹は?」
『デザートは任せろ、だそうです』
さっきからチュイーンとかギーコギーコとか明らかに料理と関係ない音はデザートを作ってる音だったのか、そう思うと秋田は魔素を込めた拳を強く握り締めた。
ビブロスの作った場違いなフルコースに舌鼓を打つ三人。彼女達に聞こえないようにナベリウスとビブロスは密談を交わす。
『……ナベリウス。君の事は彼女達に話す必要はないでしょう』
『すまん、私が迂闊だった。まあ話したところで到底理解出来るとも思えんが』
三人は二人の悪魔が話す内容には気付いていない。ただ二人、白井と佐々だけが密談に気付き、豆腐をアイスと偽って出すか、抜本的にアイスと大豆を間違えてみるか本気で悩んでいた。
「校長先生、何してんスかー?」
化学準備室のドアが開き、中から挙動不審な様子で出て来る二人の男。この高校の校長と教頭だ。この二人と準備室前の廊下で鉢合わせしたのは元野球部の斉藤雄二。
だが偶然に鉢合わせした訳ではなく、斉藤はずっとこの二人を尾行していた。
新たな惨劇の幕が開ける――




