2人目の悪魔
シャッシャッと包丁を砥ぐ音が食堂に響く。
手にしているのは厨房で見つけた中華包丁。料理とは味は言わずもがな、見た目も重要なスパイスとなる。そしてそれは調理する者、扱う道具にまでも要求される。醜い者が美味い料理を作っても意味がない。私のように美しい者が美味い料理を作る事にこそ意味は存在する。
砥がれた包丁を透かせば、そこに映る自分の顔。この世界に来て美しさにも磨きがかかったようだ。未知なる食材にも胸が躍る。
彼は物質世界に来る際に身体は置いてくる羽目になったが、巧い具合に触媒を見つけ肉の体を生成する事に成功した。厨房内にて新たな身体を得た彼は、豊富な鮮度の高い食材に驚く。
しかし飽くなき探究心に侵されている彼にはこれでも物足りない。もっと血の滴る、いや、生きている食材を生きたまま調理する。それこそがこの世界における料理の深淵に辿り着けるのではないか。
そして彼は見つけた。自分が長い年月で培った技術を揮うべき食材を。
「イヤァァァッ! 私なんか食べても美味しくないですよ! 食べるなら先にそっちのバカっぽいのにしてください!!」
「よかろう、僕を食するがよい。しかし僕が食べられても第二第三の僕が君の前に現れるだろう。そう、食される為に!!」
「え、ちょっと意味が分からない」
テーブルに拘束され転がされている二人。大声を出して助けを呼んでいるが、全校生徒が集まっている体育館とこの食堂はちょうど間逆の位置にある。この状況下で避難場所から離れてくる酔狂な者などいる訳がない。
『さあ、どちらからにしましょう? ギャアギャア喚き散らす方にしましょうか、それともこちらの軽薄そうな方にしましょうか』
「軽薄なんて副会長に失礼じゃないか! 訂正したまえ!!」
「アンタの事に決まってんでしょっ、バ会長!!」
『よし! では、活きの良いあなたにしましょう!!』
吉良の瞳に自分の首筋に中華包丁の刃を当てた下卑た笑みを浮かべる醜い豚の化け物が映りこむ。
「い、いやッ……やめ……」
僅かに力を込め、刃が首筋に食い込もうとしたその瞬間――
「どけ豚」
豚の化け物の顔面に何者かの足がめり込む。その勢いのまま頭から厨房の食器棚と激突する。
「厨房は遊び場じゃねえ、料理人と食材の命を懸けた戦場だ! 貴様如きたかが豚肉が包丁を握ろうなんざ百年早いわ!!」
腕を組み仁王立ちするのは蹴りを繰り出した張本人、白井。周りも彼が何に対して御立腹なのかは理解出来ていない。
『やってくれますな、この【ビブロス】を足蹴にするとは……名も無き魔物にも劣る下等生物がッ!!』
自分の上に積もる食器を蹴散らし、中華包丁を手に飛び掛るビブロス。が、白井はいとも簡単に未だ足跡の残る顔を鷲掴みにする。
「ほう? 威勢だけは一人前だな豚。だが貴様の料理に対する情熱はその程度か?」
徐々に手に力を込める白井。ビブロスの顔はパッと見て分かるぐらい星型のように変形している。初めの内は逃れようともがいていたビブロスだが、数分もたず力なくダランと垂れ下がる手足。口からは泡を吹き、言葉を発する事もなくなった。
「白井っちマジパないねー」
秋田と古志に拘束を解いてもらった二人が白井に話しかける。
「あれ? バ会長と女傑じゃん。何してん、こんなとこで」
「誰がアマゾネスだ! まったく、そこのバカのせいでとんでもない目に遭うところでしたよ。ともかく助けていただいてありがとうございます」
助かった事に安著する吉良。一方では白目をむき気絶しているビブロスの元にナベリウスが近づく。
『無様だな、ビブロス。それに何だ、その姿は』
『ウゥ……、こ、この魔素の感覚、もしやナベリウスですか? あなたこそどうしたというのです、その姿は!?』
「何だ、ナベさんの知り合いか? それならそうと先に言えよ、豚肉だと思うだろ?」
「よく聞けクソ虫共! お待ちかねのお食事タイムだ! 本日はこの俺、白井玄米が泥団子を口にしても美味いと感じる貴様等便所コオロギ共に甚だ不本意だが手料理を振舞ってやる!!」
厨房のシンクに足を掛け、料理の鉄人が降臨した事を高々に宣言する。「引っ込めクズヤロー」とか「テメェの衛生概念はどうなってんだカス」等の罵声を浴びせてくるオーディエンス。口を慎め虫ケラ共、そんな事言われて喜ぶのはバ会長だけだ。
『さて、食事の用意はあの大馬鹿者に任せて、我等が貴様等の身に起きている事の次第を教えてやろう』
「ついさっきまで私達を食べようとしてた者と同じテーブルに着くのは些か思うところもありますが、致し方ないですね」
吉良がビブロスに対し一言嫌味を言ってから席に着く。佐々は思うところはないらしく、いつも通りの軽薄そうな笑みを浮かべている。
『まず先に言っておくが、我等悪魔がここにいる理由を教える気はない。まあこの豚は料理しに来ただけだと思うが』
「あの化け物達は何ですか、何処から来てるんです?」
この中では唯一の惨劇の目撃者である古志が最初に尋ねる。
『あの大馬鹿者を除くと話が進むのが早くて助かるな。貴様等の言う化け物とは我等の世界では魔物と呼ばれるものだ』
ナベリウスは淡々と説明を始める。
『我等が「へい、お待ちッ!!」……貴様は空気を読めんのか? とりあえずこれは何だ?』
話をあえて遮るタイミングで料理を持ってくる白井とそれに対し不満そうに一瞥くれるナベリウス。
テーブルの上に置かれる茶色い物体。辺りに甘ったるい匂いが漂う。その匂いの中に微かにだが、それでも自己主張の激しい完全に違うベクトルの匂いが混ざっている。非常に人を不愉快にさせる香りだ。
「玉ねぎとチョコレートの炒め物」
途端に乱舞する箸入れや調味料の小瓶。皆様、物を投げるのはお止めください。体は傷付きませんが心が傷付きます。
「白井ー、ちょっとこっち来なー」
手招きする秋田に何の疑いもなく近づく白井。しかし彼が気付いた時には既に遅く、鈍い音と共に秋田の拳が顔面にめり込んでいた。
「食べ物を粗末にすんなクズ」
身体強化している白井にダメージを負わせる秋田の拳。秋田、古志共にナベリウスから魔素の扱い方を教わった成果だ。
漫画のように顔を陥没させた白井と、それを見て爆笑する佐々とビブロスの両者。
「そこのバカと豚、何笑ってやがる、手伝え」
白井は佐々とビブロスを引き連れ厨房に戻っていく。テーブルは上には誰も手をつける事のない料理と呼ぶのもおこがましい一品だけが残される。
『何故、貴様等は毎回こうも話が進まんのだ……』
ナベリウスがボソッと呟いた一言だけが食堂に静かに響いた。




