ナベリウス
「ねえ、何かみんな化け物、化け物って騒いでんだけど?」
「得体の知れんのがいるみたいだな。こんだけ騒いでんだからマジなんじゃね?」
トイレを出たところで偶然に鉢合わせをしたクラスメート【秋田小町】
髪を金髪に染め、スカートも痴女かワカメちゃんかよ、と思うぐらい短くした何処にでもいる量産型ギャルだ。今日はコバセンの顔を見たくないから授業をサボって保健室にいたらしい。
「ちょっと、化け物出たらちゃんと守ってよ。アンタ囮にしてアタシ逃げるから」
「分かった。俺が死ぬ時は秋田に見捨てられたってダイニングメッセージ残しといてやるよ」
「ダイイングな。食堂には用事ないだろバカ」
――おい。
誰かに話しかけられた気がするが空耳か? 辺りを見回すが秋田以外見当たらない。
――おい、聞こえているだろう。
今度はハッキリと聞こえた。しかし前を歩く秋田に変わった様子はないので俺にだけ聞こえているのだろう。
頭の中に直接話しかける事が出来る不思議ちゃんか妖精さんでもいるのだろうか。得てしてこういう場合は面倒な事に巻き込まれるケースが多いのが相場だ。
例えば頼んでもないのに勇者とか救世主とかに認定されるアレだ。やれやれ系主人公なら心の中では嬉々として受け入れるのだろうが、俺は愛のままにワガママに生きたいのだ。
慌てず騒がず、彼は無視する事に決めた。
――おい、そこの馬鹿そうな虫けら。
「誰が虫やねん!」
「ハァ? アンタ何言ってんの? 頭でもおかしくなった? あ、ゴメン! 元からだったね」
「お前も俺と大して変わんねえだろクソビッチ」
不覚! 無視すると決めたのにも関わらず、突然の暴言に思わずツッコミを入れてしまう。更に暴言を上乗せされたのにも些か驚いたが。
――聞こえているなら返事ぐらいせぬか。
「あーはいはい。どちら様ですかー、虫も暇じゃないんで手短にお願いしますねー」
――不遜な態度だな、脆弱な人間如きが。まあよい、貴様、私に力を貸すがよい。
「おい、ちょっと外見てみろって! ヤバくないか!? 超真っ暗だぞ、これってノストラダムス系のアレ系じゃないのか?」
「十何年も前に外れてんじゃん」
「そんなもの誤差の範疇だろ。アイツも完璧じゃないんだ、それぐらい勘弁してやろうぜ」
――おい、馬鹿。
「少しはオブラートに包めクソ野郎。言葉でも人は殺せるんだぞ」
――話が進まん。いいから言うとおりにしろ、黙って私に力を貸せ。手の平を広げて前方に突き出せ。
「何でそんな事しなきゃならんのだ。大体、人に名前を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀ってもんだろうが」
「アンタ、さっきから誰と喋ってんの? マジ怖いんですけど」
――貴様の名前なぞ聞いたつもりはないんだが……まあよい、我が名はナベリウス。少々理由あって肉体と引き離され、霊体のみの姿で貴様に語りかけている。こちらの領域の身体を得る為、私の声が届く者を探していたところだ。
「なるほど、困っている者を助けるのはやぶさかではない。それで俺に何をしろと?」
――手を突き出し、そこに魔素を集中しろ。
「それでさぁー、俺そいつに言ってやったんだ。『節子、それドロップやない、鉛玉や』ってな」
「確かに子供は何でも口に入れるからねー。前後の状況が気になるけど聞かないでおくねー」
――おい、虫。
「だからどう見たら俺が虫に見えるんだよ。そもそも魔素って何よ、訳わからん事ばっか言いやがって。不思議パワーはお呼びじゃねえんだ、初心者にも易しい説明を心掛けろや」
「アンタ、ほんとに誰と喋ってんの? こんな時に変な冗談とかやめてほしいんだけど」
――まったく嘆かわしい、無知蒙昧な羽虫が。生まれて間もない獣でも自ずと理解しておるぞ。良いか? 体内を循環する力が手の先に集まるように意識を集中しろ。
何でそんな事せにゃならんのだ。だが、NOと言えない典型的日本人である白井は従う事にする。九割は興味本位だが。
言われた通り手を伸ばし、意識を集中する。いざやってみると理解出来る、手の平に得体の知れないエネルギーが集まるのが分かる。
――うむ、その状態を保て。次はそこに集まった魔素と我が体の魔素を繋げる。
手の平に更にエネルギーが集まる感じがする。何かこう、ほんのり暖かい感じだ。魔素の半分はやさしさで出来ているのだろう。
――よし、上出来だな。後は貴様の血肉を触媒にして我が肉体を顕現する!
「ただの生贄じゃねえかクソ野郎」
――あっ、この馬鹿者が!
集中する事を止め、手の平に集まっていたエネルギーを霧散させる。
しかし時既に遅く、ポンッ! とコミカルな爆発音と共にナベリウスが召喚された。
茶色くフワッとした体毛。ピンッと凛々しい立ち耳。
シュッとした鼻筋を口周りの白い体毛が更に際立たせる。
モコモコした足はもつれ、歩き回るのに難儀する事を想定させる。
極めつけはクルッと丸まった巻き尾。弱点である肛門を隠さないスタイルだ。
紛うことなき豆柴だな。
「ごめりんこ」
『触媒はあくまで触媒だ! 生贄ではないっ!! こ、こんな姿どうしてくれるのだっ!!』
「ごめりんこてへぺろ」
『貴様、私を虚仮にしているのかっ!?』
「てかさー、何でそのワンコしゃべってんの? つかどっから出てきたの?」
突然の出来事に傍観していた秋田が会話に加わる。だが世の中『オハヨー』と鳴くオウムや『ゴハン』と鳴く犬がいるぐらいだ、流暢にしゃべる豆柴がいても些か不思議でもないだろう。
「彼はさっき俺の脳内に直接語りかけてきた不思議系ドッグ【ナベリウスのナベさん】だ」
『誰がナベさんだ、馴れ馴れしい』
丸々した体でプリプリ怒るナベさん。その怒れる姿も二人に癒しを与えるだけに留まっている。残念ながら獣としての威厳など消え失せ、かわいいだけだ。
「けど、触媒っつっても俺の体乗っ取るとか、そんな感じじゃねえの?」
『まあ、腕一本ぐらい貰って肉の身体を形成するつもりではいたが……』
「ざけんなクソ犬、生贄と変わんねえよ!」
何が起きたのか分からない。状況を整理しようにも恐怖で考えが纏まらない。怖い。怖くて何も出来ない。
今まで恐怖を感じる事は何度でもあった。私は怖がりだ。お化けとか凄く苦手だし、テレビの怖い特番とかホラー映画なんてまともに見れた事もない。けどそれはただの作り物だし、何かされる訳でもない。
けど今の私は死に直面している。目を逸らせば逃げられるような作られたものじゃない、それが私が置かれた現実だ。
小林先生と鈴木さんがあんなにもあっけなく殺された。あんなにも簡単に訪れた死。思い出そうとする事さえ、頭が拒否する。
今の私に出来る事と言えば、この狭いロッカーで縮こまり息を潜めるだけ。恐怖に気が遠くなりそうになる。
もしかするとロッカーの前にはまだ化け物がいるかもしれない。この扉を開ける、それだけで私も簡単に殺されるかもしれない。
お父さん、お母さん、誰でもいい、助けてよ。
突然、教室の扉が力任せに叩きつけられたように開かれる。
いやっ、死にたくない! 誰か助けて!!




