3人目の悪魔
頭上から伸びる二本の鋭い角。背中に生える羽は蝙蝠を連想させ、その人間と変わらない焦げた土色をした体躯を包み込めるぐらいに大きい。
白井を捕らえる瞳は乱雑に伸びた髪同様に暗く黒い。白目はなく、中心に赤い火を灯す。
『そこの男とそいつは合格でいいぞ』
白井と芦原を指差す悪魔。しかし斉藤の表情に納得はいっていない。
「けどこのバカの所為でクソ雑魚共に逃げられちまったんだぜ? 選別も終わってねえのによ。アンタ、ムカつかねーのか?」
『そりゃテメェの感情だろうが。オレの知った事か。オレは強い奴を連れて来いとしか言われてねえんだよ、ほら、さっさとアイツら捕まえて来い』
「チッ、わーッたよ、クソ悪魔サマ!!」
再び黒い球を出し、白井に向かって構える斉藤。指先に浮かぶ球は先ほどまでのそれよりも幾分大きい。
「一発で意識とばせるぐらいには全力で行くぞ。死んでも恨むなよ?」
「死んだら恨めねーじゃん。何言ってんの? バカなの? パイセンなの? プークスクス」
「上等だっ! ブチ殺してやるクソガキ!!」
白井と争う斉藤、その背後に立つ悪魔に話しかける者がいる。豆柴の姿をした悪魔ナベリウスだ。知らぬ者でもないが、決して友好的に見える訳でもない、そんな様子だ。
『その大馬鹿者を何処に連れて行こうという気だ【ガープ】』
『あぁ? ……テメェ、まさかナベリウスか? 何だそのチンケな格好は?』
『質問に答えよ。【アスモデウス】にお使いでも頼まれたか? 弱き者よ』
『答える義理はねえな。それと――』
大きな蝙蝠羽で包み込むように身を隠すガープ。身を隠すと同時にその姿は消え失せ、気が付けばナベリウスの背後に回り込んでいた。
『ムカつくからちょっと死んでいけや!!』
『未だに力量の差が理解出来ぬか、愚か者が』
ガープはナベリウスに向かい拳を繰り出すが、ナベリウスがいつの間にか身に纏った黒いモヤにそれは阻まれる。
モヤは徐々に大きく広がり、比例するようにナベリウスの身体も大きく形を変えていく。
黒いモヤが晴れ、段々とナベリウスの輪郭が現れる。
豆柴のように小さかった身体は見違えるほど大きく、絵画の中でしか見られないような猛々しさと凛々しさを併せ持つ獣に成り代わる。
白銀に染まるその鬣、狼の如き面構えに瞳は烈火を思わす光を宿す。
如何なる猛獣も一薙ぎで屠る豪脚は、一歩踏みしめる度に辺りに強大な重圧を撒き散らす。
「ちょっと、何アレ!? ナベさん、エライ事になってんだけど!!」
「……マジか、これ」
例え両者の如何様な素性を知らぬ秋田と芦原にも分かる“格の違い”
芦原が先ほど命懸けで倒したオークでさえ、目の前の猛獣と比べれば虫けらの如く霞む。アレが敵じゃなくて良かったと胸を撫で下ろすばかりだ。
『今何かしたのか?』
『チッ、相変わらず忌々しい犬っころだな』
ナベリウスの周囲を飛び交うように、消えては現れ攻撃を仕掛けるガープ。
対するナベリウスは身動きひとつ取らず、全ての攻撃を身に届く寸前で止める。避ける、受け止めるではなく、何かに阻害されるようにガープは指一本すらナベリウスに触れる事が出来ない。
微かにだが、確かに揺れている館内。得体の知れない重圧が充満する。
『クソが、ヤメだ! ヤメだ、ヤメだ!! テメェはいつか殺してやる、覚悟しとけ。帰るぞサイトウ!! 』
諦めが憤りを凌駕するガープ。撤収する事を斉藤に乱暴に伝え、ナベリウスも同じく応酬する二人に視線を移す。応酬とは言っても斉藤が一方的に攻撃し続けているだけだが。
ただ、先ほどと違う点と言えば速度とも変わらない斉藤の黒い球を白井が避け始めている事だ。
ナベリウスは推測する。
単に目が慣れ始めただけか、それともクリフォトの濃い魔素に当てられ“覚醒”しかけているのか……
魔素を有していない状態で私の声が届いた事といい、最初に見せた纏う保有量といい、やはりこの者が器である可能性は否定出来ない、もしくはもう一人のあの者。
惜しむらくは二人揃って迷惑極まりない大馬鹿者という事だけか……
「テメッ! 黙って当たっとけヤ!!」
「嫌に決まってんだろ。バカなの? パイセンなの? プークスクス」
「ちょっと俺、斉藤に加勢していいか?」
「パイセンごめん。バカだし悪気もあるけど勘弁してあげて」
投げ続ける斉藤と避け続ける白井。白井を殴りに行こうとする芦原にそれを宥める秋田。もはや斉藤の投げる球は掠りもしなくなっていた。
『オラ、帰るっつってんだろうが! 掴まれ、アスモデウス様んトコまで行くぞ』
「アァ!? まだ終わってねえだろうガ!!」
『いいから捕まれ、仕切り直しだ。そいつブチのめす前にこっちが殺されちまうわ』
「うるせえッ! 俺に指図すんじゃねエッ!!」
攻撃が当たらない事への怒りか、再度戦いを止められた事に対しての怒りか、ガープの首に手を回し締め上げる斉藤。
『おーおー、活きが良くて何よりだ。さて、“掴まって”もらった事だし、この辺でお暇させてもらうぜ。ああ、心配すんな。次はちゃんとお前等も連れてってやるから』
『この者達に手出しするなら私が相手をするぞ? それがアスタロト様のご意向だ』
『クソ犬が……アスモデウス様にはアスタロトんトコの飼い犬に邪魔されたと伝えておくぜ』
ガープが蝙蝠羽で身を包んだ瞬間、その身は視界から消え失せる。同じく、首を掴んでいた斉藤も身を何処かに消える。
『……ふむ、本当に帰ったようだな』
ガープの魔素を感じない事を確認し周りを見渡せば、疲労困憊の白井に遠巻きからこちらの様子を窺っている秋田と芦原。
――ああ、この姿か。
ポンッ! とコミカルな爆発音と共に豆柴の姿に戻るナベリウス。
無用な敵意を見せぬ為にこの扱い難い姿を取るが、人間とは斯くも面倒な生き物だな。
「それナベさんのほんとの姿? すげぇカッケーじゃん……つーか疲れた、ちょい休ませて。あちこち痛ェし……」
白井は体育館の床にゴロンと寝転がる。最後の方は余裕でかわしていたように見えたが、実際はそうでもなかったのだろう。腕など皮膚をさらけ出している箇所には痛々しい打撲の後が見える。
『流石の貴様も堪えたか。あの者が使った力、あれが悪魔の力と呼ばれるものだ』
「ナベリウスさん。ちょっと聞きてえんだが、斉藤は何処連れて行かれちまったんだ? それに最後の方、ちょっと様子がおかしかった。あそこまで凶暴な奴じゃなかったと思うんだが……」
以前に起きた斉藤が巻き込まれたトラブルはよく知っている。騒動を起こした奴等に本当の事を脅して喋らせたのも俺だしな。だが、あの件以降でもまだ多少の協調性は持っていたはず、だと思う。
『向かった先はここより更に下、中層の領域、アスモデウスが支配する【残酷】だ。あの者に起こった事は正直分からぬ。ただ、悪魔の力を行使していたのは違いない』
「って事はアイツ悪魔になっちまったのか!?」
『……分からぬ。心配であれば我等と共に行動すれば良い。そう遠くない内に話す機会も訪れるだろう』
「まあ、分かんないコト今考えてもしょーがないっしょ。それより白井が元気になり次第みんなと合流しなきゃ。二人とも早く治療しないと」
あ、と一言だけ口から漏れると、完全に痛みを忘れていた芦原が気を失うよう床に倒れる。
「……これ、アタシが運ぶの? ナベさん、さっきのにもっかい変身してよ……」
『……私を乗り物代わりにするんじゃない』
いつも読んでいただいてありがとうございます。次話で一章終了です。二章はすいませんがまだ書いてる最中なので少し間が空くと思います。よかったらまた読んでやってください。




