芦原VSオーク 3
肌を赤黒く変化させたオークが怒りに震える体を抑えるようにゆっくりとこちらに向かって来る。
動きたくないからこの場で迎え撃ちたいが、間違いなく周りを巻き込むだろう。痛む体に鞭を入れ立ち上がる。
怒りに染まるオークとは間逆に一歩一歩と体を労わりながら歩を進める芦原。
正直に言わせてもらえば、逃げたい。たった一発攻撃を喰らっただけでこの様だ。が、この怪我で逃げ切れるはずもない。部の連中はあっさりのされるわ、空回りのポンコツ教師は邪魔するわ、バ会長は噛み付かれたまんまだわ……
いつの間にか芦原の口角が上がる。自分でも何故笑っているのか分からない。こんな殺し合い愉しい訳ないのにな……
脱力した状態で右腕を真っ直ぐ足元に向け伸ばす。開手から親指で薬指の付根を押さえ手刀を作り、手首から先を内側に向ける。今、俺が出来る体の負担を抑えた唯一の打撃技。
「むむむ! あの構えは!!」
「知っているのか、佐々!?」
「まだやってたの? そのくだらない三文芝居」
「猛々しい鶴を連想させる構え。美しい雪景色にも劣らぬスラリとした立ち振る舞い。ひとたび観光客が写真に収めようとすれば鶴の逆鱗に触れる事は想像に容易く、一羽が二羽、二羽が四羽と数を増やし猛然と観光客に襲い掛かり肉を啄ばむ。ヤバイ鶴マジヤバイ」
コボルトに頭から噛み付かれた状態の佐々。どこかの部族が被り物をしているような出で立ちで嘘だらけのうんちくを垂れ流す。周りがドン引きしている状況もまったく気にしない様子だ。
「私達の知ってる鶴とそこのバカの知ってる鶴はどうも違う生き物みたいですね」
「というかアレ、大丈夫なんです?」
「もう心配するだけ時間の無駄じゃない?」
それでも古志は不安げに佐々の身を案じるが、横の2人が心配する様子もなく、当の本人にいたっては痛くないのか馬鹿だから気付かないのか、そんな始末だ。
まあそんな事よりも重要な事がある、皆の視線が言葉を発するまでもなくそう語る。その視線は体育館の中央で対峙する芦原とオークに注がれた。
……本当に緊張感のない奴等だな。命懸けてる自分が馬鹿みたいに見えてくるぜ。
先ほどと同様に半身に構える芦原。左足を若干前に出し、背筋を真っ直ぐに伸ばす。
目と鼻の先まで接近したオークも芦原と比べれば二回りは大きいであろうその右手を硬く握り締め、頭上より高く振り上げる。
先に動いたのはオーク。その拳を芦原の頭上にめがけ振り下ろす。少し前までは逸らし続ける事が出来た攻撃も右手一本では無理がある。下手に避ければ更に脇腹を痛める可能性が高い。
芦原の取った選択は前進。背筋を伸ばした状態で左足をすり足で前へ進め膝を曲げる。オークは視野が狭まった所為で体勢を低くした芦原を簡単に見失う。しかし先ほど左目と引き換えに学んだ痛みが蘇る。
右足を蹴り懐に潜る芦原に、捕まえて先ほどと同じように叩きつければ勝ちだと言わんばかりに、見えていないはずの芦原を掴みに手を伸ばすオーク。
不味い! このタイミングだとこちらの打撃が当たる前に捕まる!!
――速く
前に出した左足に力が入る。残した右足が床を蹴る速度にも力が伝わる。
それでもまだオークの左手は視界からは消えない。
――もっと速く!!
下半身に更に力を込め加速する。
オークの左手がこめかみの辺りを掠めていく。かわせたか!?
左腕に鈍い痛みが伝わる。オークの右手が芦原の肩を掴んでいる。
だが同時に芦原も間合いを詰めていた。
「潰れろ、クソ野郎ッ!!」
鶴頭当て
指先を伸ばし折り曲げた手首の外側を当てる打撃技。足を蹴り戻す反動も加え肩から先だけを振り子のように当てる。貫手同様に硬い箇所の攻撃には適さず、芦原が狙ったのはオークの“睾丸”
肩を掴まれているが、反動の付いた右腕は止まらず大きく弧を描く。振り抜いた鶴頭はオークの股間にめり込むように命中した。
やっといて今更なんだが、金玉付いてるよな? 嫌な感触はバッチリ伝わってきたが、これで付いてなかったら俺、確実に死ねるよな?
恐る恐るオークの顔を見る。表情の種類は分からないが目の焦点は合っていない。っていうか小刻みに震えている。痛みで力が入らないのか膝を突き、その場に崩れ落ちた。
もう油断はしねえ! と、脇腹、腕の痛みを堪えて飛び上がる。そのまま全体重を掛け、晒されたオークの首を踏みつける。100kg近い芦原の体重を首の一点で受けきれるはずもなく、おかしな方向に首を曲げ絶命した。
当の芦原もそんな無茶が祟り、脇腹を押さえ蹲る。人目がなければ泣き喚いて転げ回りたいところだが、最後に残った僅かばかりのプライドでなんとか我慢に成功した。
「芦原君っ!!」
夢日先生が駆け寄って来て、心配そうに覗き込むがまだ終わった訳じゃない。たった一匹で部の連中をのしたコボルトが残っている。
周りの生徒はオークを倒した事で歓声に沸く。お前らそんだけ元気があるんならバ会長助けてやれよ……
「パイセン、スゲェな! あんなデカイの倒したぞ!!」
「これからアイツ勇者って呼ぼうぜ!!」
「ああ、オークが……生オークが……」
「許さない……絶対に許さない芦原ッ……!!」
年上への敬意の欠片もない会話が耳に入る。それ以前に恨まれる理由がまったく分からない。まあ、とりあえずあいつら生きてんのか……生きて――……えっ!?
芦原の目に映ったのは噛み付かれまくってその身を血塗れにした佐々だった。どう考えても致命傷だよなアレ!?
当のコボルトも困惑している。これだけ殴って切り裂いて噛み付いて何故この目の前の者は平然としている? 痛がるそぶりどころか気にする様子もない、自分の攻撃は通用していないのか!?
「白井ー、そろそろその犬人間目障りだからどーにかしなよ」
「そうですね、その血塗れのバカの所為で気分が不快になってきました」
「お二人共、本当に佐々会長の心配しませんね」
さっさとやれバカという目の秋田と、まるで汚物でも見るかのような侮蔑する視線を向けている吉良。古志も一応は心配しているようだが自分で助けるつもりは皆目ないらしい。
「まかせろ! バ会長、そいつしっかり抑えてろよ?」
「やだなー白井っち、これ捕まえてるんじゃなくてやられてるんだぜ?」
白井は佐々の胸倉を掴むとそのまま体育館の壁にコボルトごと叩きつけた。世の中の女性が歓喜の涙に震える“壁ドン”だ。
コボルトごとぶん殴ろうと追撃の準備もしていたが、壁に穴を開け消えていった二匹を見て若干の物足りなさを感じつつ、その追撃の手を止めた。




