籠城
「それで、バチとビマシタラは未だ出て来んのか? パラス」
「はい、何度も呼び掛けているのですが一向に……」
「困ったものだ」
「どういたしましょう?」
一軒の木造家屋の前で、眉尻を下げた二名の女性が首を傾げながら顔を見合わせていた。
つい数刻前に主君と共に旅立ったはずの女性達が、溢れる笑顔のままにエスタブリッシュへと急いで戻り、そして何故かそのまま家屋へと引き籠ってしまったのだ。
あれほど嬉しそうに出立したはずの彼女達。それが一体何故? パラスと向き合うアスタロトの表情に深い苦悩が浮かぶ。
「出てくるのを待つしかあるまい」
「そうですね……。ところでベンヌ・オシリス様、サリア様、それにディアブロ達が見当たりませんが、この状況と何か関係があるのでしょうか?」
「何? あ奴等が居ないだと?」
「は、はい。バチ様、ビマシタラ様と入れ替わるようにお姿が見えなくなりました」
下腹部の辺りで手を組んでいたパラスが、緊張したのか脇を絞って胸を締め上げた。
彼女の小さくない胸がその腕に挟まれて苦しそうに盛り上がるが、その仕草は首を竦めて眉尻を下げる表情と相まって悲哀の情に溢れている。
そんな彼女の悲壮感、今置かれた状況、そして心の底から溢れ出すこの怒り。アスタロトは遂に結論へと達した。
「ふむ……犯人は奴等か」
「状況証拠だけで犯人と決めつけられるのは如何なものかと……」
「お前の言うことは正しい。だがベンヌとサリアに至ってはその限りではない!」
「そう……なのでしょうか?」
苦笑を浮かべて「残念ながらそうだ」と呟くアスタロト。
その力なき断言に、パラスは美しくも怜悧なその表情に困惑を浮かべながら、只々上位者の様子を伺った。
自身を心配そうに見つめながらも萎縮している彼女を横目に、アスタロトは自分の口調が強過ぎたことを密かに反省する。
「すまないが、もう一度だけ声を掛けて来てくれないか?」
「無駄な気もしますが……畏まりました」
疲れた表情で承諾するパラスを、同じく疲れた表情のアスタロトが見送る。
今回の再交渉で、固く閉ざされた岩戸を開いてくれるのなら苦労はないのだが、これまでの実らぬ結果から推察するにそれは楽観が過ぎるだろう。
だがやはり暫く経って家から出て来たパラスの表情は、予想通りのこれまでと同じ優れないものであった。
「やはり駄目か。なら、このまま放置するしかあるまい」
「力足らずで誠に申し訳ございません」
「いや、拙でも無理なのだ。気にしなくて良いぞ」
「はい……それで、アスラ様への報告は如何いたしましょうか?」
彼女達の主人であるアスラに、この状況をどう報告するか。パラスは思い悩む。
理由は良く判らないんですけど、貴女の配下が主君の命を放棄して突然引き籠りました。どうもベンヌ・オシリス様とサリア様が原因のようですが、何度呼び掛けても一向に出て来られる気配がありません。如何いたしましょうか?
……どう考えても子供の使いレベルの報告である。
「今は保留にしておこう。責任は拙が持つ」
「畏まりました」
大きく一礼するパラスを見ながら、アスタロトは大きな溜息を一つ溢した。
その理由さえ判れば対処も容易なのだが、理由が判らなければ手を拱いているしかない。
主君と連絡さえ取れれば彼女達にどんな命を与えられたのかは判るだろう。だが敬愛する主君へと念話を送ることがアスタロトには出来なかった。
「これしきの事を解決すら出来ないとは……拙もまだまだ未熟だな」
「い、いえ! そのようなことは……」
「いや、そんなものだ。この状況、奴ならどう解決したのだろうな……。まぁ良い、お前も業務に戻ってくれ」
「はい……」
自嘲気味に鼻を鳴らすアスタロトへと、パラスが困惑気味の視線を投げ掛ける。
魔国において最も優秀な幹部の一人と言われるアスタロトでさえ、解決が出来ないというこの異常事態。
問題を引き起こした原因自体は大したものでないのだろう。だが魔国の頭脳たる彼女が苦悩する姿は、パラスにはとても心苦しい光景に映っていた。
「アスタロトー!」
「……レストエスか。店を放置したまま出歩いても良いのか?」
上空百メートルの大地から飛び降りたレストエスが、風魔法を使ってふわりと大地に降り立つ。
レストエスは現在、シャングリラ内で万屋を営んでいる。だが陳列しているのは武器のみ、客は冷やかしのみと、閑古鳥が鳴き続ける開店休業の状態だ。
しかしこの状況については彼女が悪い訳では決してない。商品が武器しか無いのは先日開店したばかりの為であり、武器が売れないのは客が金を持っていない所為である。
客など関係者、及びガーゴイル型のゴーレム達しか居ない。彼等は空き時間を見つけては飽きもせずに、入れ替わり立ち替わり武器を見に店へと押し寄せる。主君の作った武器がよほど珍しいのだろう。だが給金を貰っていない彼等が購入することなど論外であり、唯一可能なのはウィンドウショッピングを楽しむことだけだった。
「あぁ、どうせ買う奴なんて居ないし、盗む奴なんてもっと居ないし」
「ま、まぁ確かにそうだが……だがカミュ様に任された店なのだ。もう少し責任を持った方が良いぞ?」
「判ってるってば! それよりもアスタロト、ディアブロ達が戻ったみたいよ?」
「なに!? 誰が引き連れていた?」
表情に力強さを戻したアスタロトが一瞬だけ東へと顔を向けた後で、レストエスの方へと振り返って目を輝かせる。
ディアブロを引き連れている者が一連の問題と関係があれば、籠城中のバチとビマシタラを説得し解放するのも可能となるだろう。
そんな淡い期待がアスタロトの胸へじんわりと広がっていく。
「んーー遠目だから良くわかんないけど、たぶんラゴじゃない?」
「ラゴ? 一体何があったのやら……」
「ラゴに直接聞けば良いじゃん」
「まぁそうなのだが……ハァ、単純な兄が少し羨ましいな」
小首を傾げて此方を伺うレストエスを、眉間に指を当てたアスタロトが横目で見下す。
確かに聞けば早いのだが、問題はこの話題をどうやって切り出すかなのだ。
お宅のバチさんとビマシタラさんが引き籠ったまま出て来ません。突然お越しになられた貴女にその理由が判りますか?
そんな頭の悪い質問、アスタロトにはとても無理である。であれば正面の女性に依頼するのか? だがアスタロトはその選択肢を選べなかった。何故なら彼女へ依頼した途端、問題がややこしくなるイメージしか浮かばなかったから。
「あたしくらいになると常に羨望の眼差しを受けちゃうのは仕方ないとして、何? あんたもあたしが羨ましいの?」
「あぁ……そうだな。その通りだ」
レストエスの斜め上な回答に脱力したアスタロトが、自嘲気味な視線を東へと向けた。
相手をしても時間の無駄。アスタロトの放つ無言の倦怠感がレストエスの興味を更に引き寄せる。
「何を黄昏ちゃってんの? 大丈夫! あんたもあたしとアスラの次くらいに魅力的だから!」
アスタロトの横に並んだレストエスが、彼女の魅力的なお尻をポンッと叩いた。
男が叩けばセクハラ、女性が叩くと馴れ馴れしい、そんな親愛なるケツタッチを受けてアスタロトは目を見開く。
何故だろう? 溜まっていた疲れが少しだけ霧散したような、そんな不思議な感覚が彼女を包み込んでいた。
「それは……まぁ、そうかもな。ところでレストエス、ベンヌとサリアが見当たらないのだが何処に行ったか知らないか?」
「チビっ子達? 知らないかなー。あ、でも今朝早くにバチと話してたみたいよ?」
「やはりそうか……」
「それがどうかしたの?」
苦悶の表情で腕組みするアスタロトを、レストエスが不思議そうに見つめる。
おそらくだが、レストエスに相談したところで籠城問題は解決しないだろう。
そう決めつけてしまったアスタロトは、自分一人で悶々と無駄に悩み続けるのだった。
「ラゴー! 何かあったの?」
御者台に乗って到着したばかりのラゴへと、屈託の無い笑顔でレストエスが明け透けに尋ねる。
だが彼女は遠路より帰還したばかりなのだ。最初に掛けるのは労いの言葉ではないのか? そんな疑問がアスタロトの脳裏を過ぎる。
だがそんな彼女の杞憂を余所に、ラゴはレストエスへと向き直って当然のように挨拶と質問を始めた。
「只今戻りました。レストエス様、何かとは一体なんでしょう?」
「……レストエスよ。それはあまりに唐突過ぎるだろう?」
恭しく一礼したラゴが、レストエスの要領を得ない質問へと素直に答える。
そんな彼女をフォローするかのように、眉根を寄せたアスタロトがレストエスを窘める。だが当のレストエスは、そんな些細な指摘など全く意に介さない。
だがアスタロトの指摘は尤もだろう。物には順序というものがあるのだ。開口一番で何だと問われれば、要領を得ずに困惑してしまうのは致し方ないこと。
「バチとビマシタラが引き籠ったまま出て来ないんだって。あんた、何か知らない?」
「彼女達が……そうですか。おそらくですが、理由は判ります」
「な、何!? そうなのか?」
「はい。彼女達は"出て来ない"のではなく、"出て来れない"のだと思います」
レストエスの漠然とした質問に確信を持って答えるラゴを見ながら、取り敢えずは何でも聞いてみるべきだとアスタロトは考えを改める。
考えなしに行動するのは良くないことだが、考え過ぎて行動を起こさないのも問題だろう。というか、結果さえ良ければ手段などどうでも良いのだ。
そんなアスタロトが気になったのは、ラゴの言った彼女達が引き籠った理由。能動的拒否ではなく受動的拒否がその原因だという。
「率直に問うが、出て来れないとは?」
「此処にあるのは彼女達の衣装です」
ラゴがそっと差し出したのは、確かに見覚えのあるメイド服だった。
片方はバチの衣装なのだろう。目立った特徴は無いがこれが彼女の物であることを、服の上に重ねられた仮面が無言で物語っている。
もう片方は端々に特徴的なピンクがあしらわれており、ビマシタラの衣装であることは見間違いようがない。
「何故そんなものがラゴの手元にあるのだ?」
「ベンヌ様とサリア様に強奪されたようです」
「うぁ……マジで?」
「あのくそガキ……――」
目を見開いたレストエスが半笑いのまま爆笑を堪える隣で、怒り心頭のアスタロトがプルプルと震えながら爆発を必死に堪えている。
「――因みに奴等は何故、彼女達の衣装を奪ったのだ?」
「バチとビマシタラに成りすまして、カミュ様の下へお越しになられました」
「そんな変装……一瞬でバレるだろ?」
「はい、一瞬で見抜かれました」
予想外の行動が予想通りの結果を生んだことに絶句した、アスタロトの怒りが敢え無く霧散していく。
あのちんちくりんがバチやビマシタラと言い張ったところで、一体誰が間違えてくれるというのか。
そのあまりにも杜撰な計画に頭痛を覚えたアスタロトは、脱力感に苛まれながらも気力を振り絞ってラゴへと尋ねる。
「それで、カミュ様は何と?」
「不本意なご様子でしたが、お二方の同行をお認めになると……」
「え!? マジで!?」
「それは……そうなのか。カミュ様がそうお決めになられたのであれば仕方あるまい」
驚愕に包まれるレストエスの横で、上げた拳を振り下ろしきれなかったアスタロトは虚無感に包まれていた。
「えぇー、あたしも付いて行けば良かったぁ!」
「レストエス……黙れ」
「え? あ、冗談。冗談だってば! ヤダなぁ、アスタロト」
額に青筋を立てながら殺気塗れの視線を投げ掛けるアスタロトに、レストエスが一歩後退って上辺だけの言い訳を口にする。
問題児二名の抜け駆けでタダでさえ神経を逆なでされている最中、九割以上本気の冗談をかまされては、如何に温厚なアスタロトと言えど平常心を保つことなど出来やしない。
視線だけで人を殺せそうな鬼気迫るその表情に、半笑いで固まるレストエスは一方的に気圧されていく。
「まぁ良い。ではラゴ、詳しい事情を聞きたい。着替えが済んだら連れて来てくれ」
「しょ、承知しました」
アスタロトの怒りに中てられて、顔を青ざめさせたラゴが逃げるように室内へと駆け込む。
そして待つこと十数分。何時ものメイド服に着替えたバチとビマシタラが、真っ赤に腫らした目と眉を下げながら屋外へと漸く姿を現した。
「バチ、ビマシタラ、すまなかったな」
「……いえ」
仮面が取れたことで素顔を晒すことの出来たバチが、力なくアスタロトへと答える。
その美貌はレストエスよりは劣るものの、アスタロトに匹敵するほどの美貌を誇っている。
「アスタロト様が謝られる必要はぁ、ないと思うんですぅ」
「そう言うが……此処の責任者は拙なのだ。奴等の凶行は拙にも責任の一旦があるだろう」
仮面が取れたことで膨れっ面を晒すことが出来たビマシタラも、バチに匹敵するほどの美貌を誇っていた。
だがその表情はあまりにも優れないもの。衣装を無理やり剥ぎ取られ下着姿で放置されたのだ。その怒りを推し量ることなど誰にも出来やしないだろう。
「服と仮面を取られたことは別にどうでも良いんです」
「そ、そうなのか?」
「でも! カミュ様のお側を取られたことだけは許せないんです!」
「そ、そうだな……スマン」
怒り心頭のバチを前に、上位者であるはずのアスタロトが恐縮しながら謝罪を繰り返す。
もし自分がバチと同じ境遇に陥れば、まず間違いなくベンヌとサリアを殺すだろう。アスタロトは確信を持って脳内で断言する。
だが当然ながら二対一では絶対に勝てやしない。最良の戦術はアスラを誘っての各個撃破。ダークなアスタロトさんは来るべき戦いに備え、脳内シミュレーションを繰り返しながら作戦を練り続けていた。
「なんかの形でお灸を据えて貰った方が良いんじゃない?」
「そうですね、レストエス様。私めもそのお考えに激しく同意します」
「……右に同じく」
「左にぃ!」
レストエスの至極尤もな提案に、ラゴ、バチ、ビマシタラの三名が強い同意を送る。
あの無法者達を野放しにしては、修羅道の威厳と尊厳などとても保てやしないのだ。
だが一体どのような方法で? 主君が許したとなれば、彼女達から先に手を出すことなど不可能である。
「ベンヌ様のお姿が見当たらないと思ったら……そういうことでしたか」
「カール……」
「あ、あんた、大丈夫?」
女性達の剣呑とした雰囲気を察して何事かと近寄って来たカールの、その額から一条の血が噴き出していた。
どうやらあまりにもあまりな事態に、彼の堪忍袋の緒と頭の血管が切れてしまったようだ。
その勢いは間欠泉のように激しく、その様相はレストエスをして心配せしめるほど。
「バチ様、ビマシタラ様、誠に申し訳ございませんでした」
「あ、うん。もう良いかもしれないなー」
「そ、そうかもぉ。ビマはもう怒ってないかなぁ?」
視線だけで人を殺せそうな鬼気迫るカールの表情に、引き攣った笑いで固まるラゴ、バチ、ビマシタラの三名。
アスタロトとレストエスはそっと視線を逸らしている。
魔国で一番力の無いカールが、魔国で一番恐れられている事実。他者には決して判らない不思議な光景だった。
「ありがとうございます。ですが……お二方には相応の反省をして頂かなければなりません」
「あぁ……そ、そうだな」
「ご理解ありがとうございます、アスタロト様。では、この後の処遇はゴルトとこのカールとで決めさせて頂きます」
「ま、まぁ……ほどほどにな?」
アスタロトの忠告が聞こえたのか否か、押し黙ったカールが恭しい一礼を見せた後で振り返る。
そのまま無言でアスタロトの住む家屋へと立ち入ったカールは、静かに、とても静かに扉を閉めた。おそらく、引き続きゴルトと何かしらを相談するのだろう。
そんな彼の後ろ姿を見守っていたアスタロトは、心の中でベンヌとサリアの冥福を静かに祈るのだった。