回復
手足の縛られなかったアスラと一夜を過ごした後、北を目指して朝早くから移動を開始した。
就寝中のアスラはやたら寝返りが多かった。手足が自由だったからとは思うが、その度にアスラが近づいて来るような、猛獣が滲みよってくるような錯覚を覚えた。だが夜中にインベントリの確認を思い立ちベッドを出たので、結局どういうことだったのかルシファーには分からなかった。
「ん? あそこに誰か立っているな」
遥か遠くに、木々に埋もれた巨大な建物とその前に立つ女性らしき影が見える。
「おそらく、レストエスでしょう」
少し拗ねた感じで答えるアスラに当惑しつつ、ルシファーは会話を続ける。
「そうか……あれがレストエスか。折角待ってくれているのだ。少し急ごうか」
「承知しました」
軽く急ぐつもりで駆け出したルシファーだったが、その移動速度は彼の記憶を遥かに超えるスピードに達した。
見たことのない速さで岩山が遠ざかり、見る間に遺跡とレストエスが近づく。
待っていたのは見た目が二十前後の美女だ。”妖艶”と形容するのが相応しいその姿は、多くの異性を虜にし続けることだろう。
目には瞳孔がなくただ黒一色に染まっている。その異彩を放つ人とは思えない目が、更に彼女の妖艶さを引き立たせていた。
髪は暗い茶色のウェービーロングヘア、その上にホワイトブリムを乗せ、メイド服のような衣装を纏っている。
メイド服は見慣れない形をしており、上は普通のメイド服だが、下はほぼ透明なレースのミニスカートに、レースのニーソックスだ。
そして胸部の膨らみは非常に大きい。その隠されたボリュームを想像するのに観察すら必要としないほどに。
「遅かったわねアスラ。それで、ルシファー様はご無事だったの?」
レストエスの質問の意味を瞬時に理解出来ず、アスラは小首を傾げる。
「で……その横にいるお子様は誰なの?」
レストエスの何気ない質問にアスラの美しい顔が一瞬で蒼白となる。その悲観的な表情は目に余るものがあり、僅かに残る悲壮感だけが彼女の強さを物語っていた。
アスラの顔が一瞬で蒼白になった理由がわからず、レストエスは怪訝な表情を浮かべる。
「ば……ばか!」
(そうだぞ。アラフォーのおじさんを捕まえて「お子様」とは失敬な。せめて「ダンディーさん」とでも呼ぶべきだろう)
ルシファーが下らないことを考えている間も、アスラは動揺を抑えきれず金魚のように口をパクパクさせる。
「レ、レストエス! あ、足! を……見なさい!!」
怪訝な眼差しで視線を降ろすレストエスの表情が、驚愕から蒼白へと変わるのに左程の時間も必要としなかった。
「ま、まさか……ル、ルシファー様!? も、申し訳ございません!!」
まるで土下座のように跪いたレストエスが、必死の形相で謝罪する。
稀にみる美人が顔面蒼白となり、大量に発汗しながら必死に主の容赦を乞い願うその姿は、極度のS属性を持たない限り許容することは難しいだろう。
「よ、良いのだ、レストエス。……先ずは立ちなさい」
いくらルシファーに多少の人生経験があろうと、美女の平伏に遭遇する機会などそうそうあるはずがない。日常との乖離に困惑するルシファーは居たたまれずにレストエスに優しく語り掛けた。
レストエスはルシファーを見上げ、あって当然だろう怒りの色を恐々と伺う。
「怒ってなどいないぞ。そのような恰好では美人が台無しだ。さあ立つのだ」
レストエスは怒りをまったく感じさせないルシファーに安堵し、膝の汚れも気にせずにゆっくりと立ち上がる。
知らなかったとはいえ死にも値する不敬を働き、萎縮が止まないレストエス。その心情を知るアスラであっても、先の失態を補完することは不可能だった。
ルシファーはそんなレストエスを無遠慮に凝視する。見つめるのは一点。一般的に”下腹部”と呼ばれる部位であり、常識的に凝視すること、されることなどあり得ない場所だ。
ふと我に返ったルシファーは素早く視線を逸らす。何かを口にしたいが出来ないジレンマに苛まれつつも、ルシファーは意を決したようにレストエスへ問いかけた。
「一つ聞きたいのだが……レストエス。何故――下に何も着けていないのだ? いや、答えたくないなら別に良いのだが……」
レストエスの服装があまりにも特殊なのだ。上だけはメイド服を着ているが、下はノーパン。つまり丸見えなのだ。
「……え? 何か問題があるのでしょうか?」
レストエスとしては、今まで指摘されなかった普段の服装を指摘され、困惑を隠しきれない。
ルシファーとしては、今まで見たことなかった異常な服装を披露され、困惑を隠しきれない。
「いや、お前が気にならないのなら特に問題はない。しかし……」
「やはり問題があるのでしょうか?」
流石にルシファーも同行者が露出狂では落ち着けない。元の世界の常識が通じないことは薄々は感じていたが、まさかここまでとは予想すら出来ない。心の準備があまりにも不足しているのだ。
ルシファーは上手く説得する方法を考えるが、これといった言葉が思い浮かばない。あまり時間を掛けてしまうと気まずい空気が凍てつきそうで怖い。取り敢えず何か口にしようと、ルシファーは意を決する。
「うむ……いや、お前のその……大事なところ? を、他の者に見られるのは少々どうかと思ってな……」
ルシファーの言葉にレストエスの顔が驚愕と紅潮に染まる。ルシファーが「自分以外の者にレストエスの裸体を見せたくない」と、そう言ったように聞こえたのだ。
「あ……あぁ、そうです。その通りです。ルシファー様のものを勝手に露出し、申し訳ございませんでした」
満面の笑みで深々と一礼するレストエス。何故かわからないが即座に納得して貰えたことに安堵するルシファー。
「そ、そうか。わかって貰えて良かった。先ずは何か着るものだな……」
ルシファーは(確か女性服があったはず)と、インベントリの中を思い起こす。ルシファーの後ろから「ぐぎぎ」と歯軋りのような音が聞こえた気がするが、間違いなく気のせいだろう。
目の前のレストエスは潤んだ目でルシファーを見つめ、敬愛の情をその美しい顔に浮かべる。止まること無く滴り落ちる下の涎と共に。
「あ、これだ。レストエス、受け取れ」
ルシファーはインベントリから赤い下着のような服を取り出す。認知度は低いが一部の勇士の間で伝説にさえなっている女性用鎧。人はこれをそう呼ぶ……”ビキニアーマー”と。
「よ、よろしいのでしょうか? ルシファー様のお手持ちのアイテムを、私などに……」
「(いいから早く受け取れ! 視線を戻せん!)うむ! 良いのだ。遠慮せずに受け取るのだ」
「あ、ありがとうございます!! ルシファー様からのご下賜品、一生大切に致します!」
嬉々として服を受け取ったレストエスは、早速「着替える」と言い出し瞬時に全裸となった。目の前の光景に呆然とするルシファーを他所に、レストエスは女性用鎧を装着する。
「如何でしょうか、ルシファー様!」
満面の微笑みで、新しい衣装についての感想を問うレストエス。抜群のスタイルを誇るレストエスが着ると、その妖艶さが天上に届くかのように際立っていた。
「うむ、凄く似合うぞ。とても良い感じだ」
素直に称賛を贈るルシファーだが、どうしても気になることが一つだけある。
「だが、レストエス。先ほどの衣装のまま、下だけを履けば良かったんじゃないか……?」
「……あ」
レストエスは先ほどと別の意味で紅潮する。そそくさとメイド服を着こみ、何事もなかったように居住まいを正した。
(レストエス……、ぐっじょぶ!)