スキル
「や、やまたの―――」
「ヒュドラですね。ルシファー様はこの下等モンスターを気にされていたのですね」
驚愕で言葉を詰まらせるルシファーだが、アスラは何事もないとばかりに淡々と答える。体高十メートルに九つの獰猛な首、毒々しいその体躯は人間の恐怖心を根源から煽る存在だ。逃げずにここに留まっている自分を褒めてあげたいとさえルシファーは思う。
「ゴミの分際でルシファー様に向かって咆えるとは……身の程を教えてあげましょう」
その美しい顔に青筋を立て、怒りを隠さないアスラがルシファーとヒュドラの間に立つ。いまだ咆哮を止めないヒュドラに溜息を一つつくと、奇麗でしなやかな手をヒュドラに向けた。
「目障りよ……消えなさい。<火山弾>!!>
詠唱が終わると同時に、赤熱した巨大な岩がヒュドラめがけて虚空から出現した。溶岩を連想させる巨岩は、落下音を引き連れヒュドラに迫り……凄烈に衝突する。
衝突のエネルギーは凄まじく、舞った土砂が周囲を土色に染め、衝突時の轟音が辺りを覆う。だがルシファーに土砂が降りかかることはない。何故ならアスラが土砂の吹き飛ぶ範囲を計算した上で、岩弾の軌道を決めていたからだ。
ヒュドラ――九つある首の一つは不死性を持ち、首をすべて同時に切り落とす、或いは首の切り口を火で焼くしか倒す方法がない、と言われる伝説級のモンスターだ。毒を撒き散らしながら首を蘇生させるこのモンスターを、”厄災”と比喩するのが最も相応しいだろう。
しかし、アスラが言う通り……ヒュドラはゴミだった。ヒュドラの巨体を超える巨大な岩弾が、一瞬でヒュドラの全身を圧し潰し、焼き焦がし、蹂躙し尽くした。
岩弾が衝突した跡には土煙と衝撃の余韻以外、何も残っていない。だがアスラはおもむろに立ち寄り、ヒュドラが居たであろう場所から大きな赤い石を掘り出した。掘り出さなければ拾えないほど埋まっていたのは、凄まじい威力の岩弾がその石を地中に圧し沈めたからだ。
「まあまあの大きさね」とうそぶくアスラが、両手で石を抱えてルシファーの元に戻る。
「ルシファー様、ヒュドラが持っていた魔石です。どうぞ、お収め下さい」
晴れやかな笑顔で魔石を手渡すアスラ。彼女の強さを改めて認識し、ルシファーはただ瞠目する。
ルシファーの基準からすれば皆、強さの桁があまりにも違うのだ。もう既に元の世界に帰りたいと思うルシファーだが、当然ながら帰る方法も帰る場所もない。
(まぁ……慣れるしかないか)
深い溜息を交え緊張のまま魔石を受け取ろうとするが……直径が一.五メートルと大き過ぎて持ちきれないことに気付く。赤く透明を帯びた魔石はとても奇麗で、流石にこれを捨てるのは躊躇われた。
「な、何かお気に召さないことがあったのでしょうか?」
溜息の意味を勘違いしたアスラが、恐る恐る聞いてくる。女性からの贈り物に溜息をついてしまったことを思い出し、ルシファーは自分の軽率さを反省する。以前であれば”デリカシーが無い”と集中砲火を浴びたことだろう。
「いや、すまん。そうじゃない。少々……疲れているようだ」
大きな魔石は手では持ち運べないが、何も捨てる必要は無い。インベントリに仕舞えば良いのだ。こんな単純なことにも気付かなかった自分に落胆しつつ、ルシファーは軽く頭を下げ謝罪した。
「あ、頭をお上げ下さい! 私などに、も、勿体のうございます!」
慌てて主人を止めるアスラ。
彼女は大きく見開いた目を細めると、主人の顔を覗き込み一呼吸を置いて続けた。
「でも……そうですね。やはり疲れていらっしゃるかと思います」
「そうだな。セントラルレガロ……だったか? そこに着いたら直ぐに回復して貰おう」
ルシファーは笑顔でアスラに答えた。女性を不安にさせるのは男として少々問題だろう。ここまで気を遣ってくれる女性なのだ。今後の生活と身の安全のために、少しでも印象を良くしておきたいところだ。
「ところでさきほどの魔石は随分大きかったな。その魔石を持つモンスターを一撃で倒すとは……アスラは凄いな」
本当に思っているからこその素直な称賛だったのだが、先ほどアスラがヒュドラを”ゴミ”呼ばわりしていたことを思い出し、余計な一言だったのではとルシファーは心配になる。
(あのヒュドラ、実はそんなに強くなかったのか……? でも体も大きかったし、魔石も大きいしな……)
「お褒めに預かり、光栄です」
一礼し感謝を述べるアスラ。お世辞でも称賛されるのは嬉しいのだろう。僅かに見える口元がヒクつき、喜色の濃さを伺わせている。心配の必要はなかったようだ。
「ところで、あのヒュドラはどの程度の強さなんだ? 凄く強そうに見えたが」
「大したモンスターではございません。丙級程度の強さです。ルシファー様であれば三千体を同時に相手されても傷を負われることなどあり得ません」
キリッとした顔でキリッと答えるアスラ。口元のニヤッと感が僅かに感じられるのはルシファーの気のせいだろう。
「そ、そうか……。ではアスラの強さは私くらいか?」
「いえ、滅相もありません。あのヒュドラより強いのは確かですが、ルシファー様に並ぶなど恐れ多いこと……」
アスラの方が絶対に強いとルシファーは思っているが、取り敢えず自分と同じくらいか聞いてみる。だがアスラはルシファーの方が明らかに強いと言い切った。
(……流石にアスラの方が強いだろう。普通に考えて)
その根拠を問い質したいところだが、しつこく聞くと面倒に思われそうで怖い。今はアスラの話をお世辞と捨て置き、ルシファーは更に質問を重ねる。
「……丙級? クラス分けがあるのだな? 教えてくれると嬉しいが」
「はい、喜んで。強さの階層は全部で十二の級に分かれます。上から順に《天位・超干・甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸》。先ほどのヒュドラが”丙級”で、私が”超干級”となります」
(やはり……アスラは上から二番目のクラスか。――なるべく怒らせないようにしよう……)
ルシファーは将来の安寧のために、密かにささやかな誓いを立てた。
話に夢中になり今更気付くが、そろそろ日が暮れる時間になっていた。理由は分からないが何故か腹は減らない。精神的な疲れは感じるが、肉体的な疲労があるかはわからないのだ。だって、最初からこの状態なのだから。最高のコンディションの確認はレストエスの治療を待つことにしよう。
今日一日、北へ向かって山中を歩き通したが、道中に人影はおろか人工的な建造物も何も見当たらない。途中で引き返そうかとルシファーは考えていたが、八百kmを逆走した挙句もし無駄足だったら暫く立ち直れないだろうと思い断念していた。体はとても丈夫になったようだが、心は元のままなのだ。
「そろそろ夜になりそうだな。遺跡まで後どのくらいだ?」
「後半日程度です。お疲れでしたら、一旦お休みになられますか?」
まったく疲労を感じさせないアスラが笑顔で答える。ルシファーも顔に疲労など滲んでいないのだが、流石に自分の表情まではわからない。
提案に乗ろうと辺りを見渡すが、これまで通って来た道と同様、当然何もない。ふとインベントリがあったことを思い出し中を探ると、個人用のログハウスが見つかった。それ以外に建造物が無いか探してみたが、特に何も見つからなかった。
(これって一体、どういう原理なんだろう……?)
虚空から取り出したのは幅が二十メートル、奥行き二十メートル、高さ五メートルのログハウスだ。ルシファーにはその原理がまったくわからないが、どんな大きさでも取り出すことが可能なようだ。
インベントリからの取り出しは、亜空間に格納したアイテムを、亜空間から押し出す感覚に似ている。取り出しが内部からの反発、格納が内部への吸引。まさに磁石のSN極のようなイメージだった。
設置したのは手頃な空き地。ログハウスの扉を開くと自動で魔法的な光源が灯り、直ぐに一部屋だけの簡素な作りが確認出来た。中には大きなベッドが一つだけ。一緒に五人くらい余裕で寝られそうな広くて豪勢なベットだった。
「今日はこのログハウスで寝るとするか。アスラ、ベッドが一つしかないが……一緒でも構わないか? 嫌なら他を考えるが……」
女性に対し「外で寝ろ」とは流石に言えないし、自分が外で寝るのはモンスターが怖い。もし一緒が嫌だと言われた場合は、別の対応を考えるが……
「も、もちろん! 喜んでご一緒させて頂きます! 嫌なんて、そんなことあり得ません!!」
興奮を抑えられずに顔面を紅潮させたアスラが、一緒に寝ても良いと鼻息荒く宣言する。鼻息がかかる距離まで顔を寄せるアスラ。ルシファーの両手を握って歓喜を伝ると、ルシファーと手を引きながら荒い息でログハウスに入っていく。
部屋に入ってもアスラはルシファーの手を離さない。手を握ったままベッドの方へ歩みだすのは、疲れを早く取りたいためとルシファーはそう解釈する。
まだ元気に見えるアスラだが、今日一日ルシファーにずっと気を遣ってくれていたのだ。流石に疲れたのだろうと改めて思い直し、アスラの頭を優しく撫でた。
「今日一日ありがとう。明日もよろしく頼むぞ」
「は、はい。お任せ下さい」
アスラは潤んだ目でルシファーを見つめ、敬愛の情をその美しい顔に浮かべる。止まること無く滴り落ちる涎と共に。
「あー、うん。一応、念のために言っておくが……何もするなよ? ただ寝るだけだぞ?」
その言葉を聞いた瞬間のアスラの美しかった顔は「え゛?」としか表現出来ない、少々不美人な顔になっていた……。
(アスラの手足を縛っておきたい衝動に駆られるのは……何故だろう? )
縛るべきか、出るべきか、ルシファーにはそれが問題だった。