懐揉
謎の仮面軍団から付けられた因縁をこれ幸いにして、異世界でのセクハラを満喫していたのだが……何故か突如としてアスタロトが降って来た。
何を言っているか判らないかも知れないが、今起こったことをありのまま話すと「乳を揉んだらアスタロトが降って来た」、そうとしか言い表せない状況だ。
というか、仮面を被った怪しいメイド達がまさか自分の配下とは。
背後に落雷を幻視するほどの衝撃を受けたが、それ以上に衝撃的だったのはセクハラが嫌いそうなアスタロトへ、ラゴがセクハラの事実だけを伝えたことだ。
その前後に色々と、そう、やんごとなき事情で弄りタイムへと移行したハズだが、彼女はその前後を思いっきり割愛して報告したのだ。……正直、それは反則だと思うぞ。
もしかすると……アスタロトは魔国に於いて、人事や総務の職に就いている可能性があるのだろうか?
彼女達が相談窓口であるアスタロトの下へ「セクハラです!」と駆け込めば、次の日からもれなく容赦のない罵倒や極寒の視線を浴びせ掛けられる――
の場面まで妄想したところで、隣で小刻みに震えるアスタロトから意外な一言が飛び出した。
――羨ましい。
一瞬、何を言われたのか理解し得ず、彼女へと振り向きその真意を確認しようとするが……。
時を同じくしてメイド達の後ろにある、先ほど何かが衝突した地面から、仮面のメイドが泥塗れで飛び出したのだった。
「死んじゃえ! ブターー!!」
爆散する土中から叫びながら現れたのは、ビマと呼ばれていたピンクが印象的なメイド。
女性らしさと荒々しさが同居する掛け声の中、その手には凶悪なフォルムで威嚇を続けるパルチザンが握られている。
そして、彼女に連なるように飛び出したのは、神聖さを感じさせる鈍器を振り回しながら無言で襲い掛かるメイドだった。
彼女達は親の仇のようにアスタロトを睨みつける。
おそらく自分達を泥塗れにしくれた彼女に対し、真心を込めてお礼を贈りたいのだろう。
だがアスタロトはそんな二人とは対照的に、パルチザンとホールが唸りを上げる光景の中、冷静な瞳で静かに両手を掲げる。
「<重力反転>」
アスタロトの静かな詠唱が終わりを告げると、鬼の形相だった二人の表情に驚愕が貼り付く。
放物線を描きながらアスタロトへと迫っていた槍と鈍器の持ち主が、地上へと辿り着くことなく空中で静止しているのだ。
そんな彼女達を地上から見上げたアスタロトは、静かな中にも力強さを感じさせる声音で尋ねる。
「まぁ落ち着け。それで、ブタとは拙のことか?」
「……そ、その声は……アスタロト様ぁ!?」
黒いローブに流れる銀髪と、六芒星の光る赤い瞳を交互に見つめながら、暴言の行き先が上位者であったことにビマシタラは驚きを隠せないようだ。
一方のキャラケンダは、驚いているのかそれとも何も感じていないのか、その表情からは読み取れそうにない。
そんな二人を地上へと静かに降ろし、アスタロトは改めて二人を見据えた。
「髪が……生えたのですね」
「フフッ……まあな。だがキャラケンダ、その話は後だ。それでビマシタラよ、ブタとは?」
「ち、違うんです! 隣の、そう隣のガキがブタなんですぅ!」
「あ゛ぁ!?」
キャラケンダの指摘に一瞬だけ気分を良くしたアスタロトだったが、それだけでは先ほどの暴言を忘れてくれる心算は無いようだ。
改めての詰問に狼狽するビマシタラだったが、彼女は安易な思考で視線と話題の矛先を私へと向けてくる。
だがそれは……最悪手だろう。アスタロトの顔と声が、今まで見たことも聞いたこともない鬼へと変わっているぞ。
「ば、馬鹿! キャラ、ビマ、控えるのよ!」
「……何故でしょう?」
震え慄くラゴの姿を見て、キャラケンダが素直に小首を傾げる。
先ほどまで敵対していた私に矛先を向けたら、アスタロトが激怒し、ラゴが戦慄しているのだ。
そんな劇的な環境変化に、キャラケンダとビマシタラの思考が空白に染まっているのだろう。
「何故もへったくれもない。というよりもお前達、随分と偉くなったものだな?」
「も、申し訳ございません!!」
アスタロトの見下すような指摘に、青ざめさせていた顔面を病的なまでの蒼白へと変えたラゴと、まだ状況をよく飲み込めていないバチが、即座に片膝を突き頭を垂れて跪いた。
その様子を武器を構えたまま呆然と見つめていたキャラケンダとビマシタラが、数瞬の石化から解放されたように慌てて右に倣う。おそらくだが二人が跪き敬意を示したことで、私が誰なのかを察したのだろう。
だがスカート丈の一番短いビマシタラのおパンツが丸見えなことは、紳士である私としては心の中だけに留めておこうと思う。このシュールな状況の中で彼女の破廉恥を指摘するような空気を、私は決して娶っていないのだ。
「ビマシタラよ、拙を貶めるだけならまだしも、至高の存在である我が主君を冒涜するとは……一度死んでおくか?」
「も、申し訳ございません!!」
「全くアスラは一体何を教えているのだ……一度、彼奴を罰して頂かねばなるまい」
「あ、アスラ様に非はございません! ビマの、あ、いえ! 全て私の落ち度にございます!」
甘ったるい声でマイペースを貫いていた彼女が、地面におでこを叩き付けながら必死に叫んでいる。
アスラの名前を出した途端にこの劇的変化。そのあまりの必死さに正直ドン引きしているが、この傍迷惑な状況に巻き込まれてやっと、私を踏み台にしようとした先ほどのラゴの説明にも得心がいった。
彼女達は一瞬でも私と敵対したことをアスラに隠しておきたいのだろう。アスラを必死に庇うその姿勢から察するに、バレると相当怒られるのかもしれない。
「主君に対して暴言を吐くなど、普段の振舞いの所為だと拙は思うぞ? そして、それを諫めないのはアスラの怠慢であろう?」
「あ、アスラ様は悪くありません」
感情が噴き出したのだろう。半泣きのビマシタラが、懇願するようにアスタロトへと縋っている。パンツ丸見えでの号泣……シュール過ぎる。
まぁ、主君への敵対が厳罰の対象になることは何となく判る。だが……何故だろう? その罰し方があまりにも偏っている気がしてならないのだ。
まるでアスラを貶めるような物言い、そう聞こえるのは私の心が屈折している所為なのだろうか?
「アスラは悪くない……か。では拙の、魔族としての倫理観が――」
「アスタロト、もう良い」
考えてみれば、アスラの配下ということは、即ち私の配下でもある訳だ。
まぁ仕方ない、今回だけは彼女達をフォローしてやるか。
私は彼女達の主君である。ビマシタラのパンツは刺激的過ぎて目に優しくなかったが、私だけは皆を優しく見守るべきだろう。
「で、ですが……」
「聞こえなかったか? 私はもう良いと言ったのだが」
「し、失礼しました!」
少々嫌味っぽい言い方になってしまったが、少々しつこい彼女を停止させるには応急措置が必要なのだ。
銀髪を乱しながら一礼するアスタロトから視線を移し、まだ跪き続ける四名を安堵させるように優しく言葉をかけた。
「そんなところで畏まられていては話が進まん。先ずは立つんだ」
「……」
「立ってくれないか?」
お互いの顔を見合わせた四名が、恐々といった様子でその場に立ち上がる。
身長はラゴが一番大きく、ビマシタラが一番低いようだ。
まぁ、低いと言っても、私の今の身長と大差ないのだが……。
「アスタロト、彼女達は突然の襲撃に動揺したのだろう。お前の気持ちも判るが、彼女達をもう責めるな」
「は、はい……」
「それにラゴの言う通りなのだ。私は此処で彼女等の乳……いや、胸を揉んでいた。それだけだ」
「そ、そうなのですか」
どうしてだろう。自分で言うのも何だが、「胸を揉んでいた」という説明が物凄く屈辱的に感じる。
そんな私の葛藤を余所に、怪訝な表情のアスタロトが小首を傾げて何かを思案しているようだ。
彼女はまだ納得いかないのだろうか? こんな強引な収め方では、やはり無理があったのかもしれない。
「胸に興味がおありでしたか。であればバチの粗品ではなく、拙のを揉んで下さればよろしかったのに」
此方へ向けられたアスタロトの深い笑みに、一瞬だけ背筋がゾクッとする。
風邪の引き始めを思い出させるような嫌悪感だが、幸いにして咳も鼻水も出る気配は無かった。
「申し出は有難いが……今は間に合っている」
「え……? 拙のでは嫌なのですか!?」
顔面の縦線を幻視させるほどの悲壮感で、アスタロトが屈みながら私の顔を覗き込む。
怖い、怖いよアスタロトさん。
「い、いや! 嫌ということでは決してない。うーん、何と言えば良いのか……そう、シチュエーションの問題だ」
「しちゅえー……?」
「あぁ、場面というか局面というか……まぁそんな意味だ。こういうのは勧められてではなく、嫌がる相手だからこそ一興というもの」
「で、では、嫌がればよろしいのですか?」
小首を傾げたアスタロトが、悲しそうな目で此方を見上げる。非常に可愛い仕草ではあるが……何故ここまで食い下がるのか全く理解出来ない。
何か強い思い入れがあるようだが、まさか人前で乳を揉めとは……彼女は理性と正気を失ってしまったのだろうか?
いや! もしかすると、アスラ菌かレストエス菌に感染した可能性が考えられる。
冷静だった彼女が突如として豹変したのだ。そう、かの諸悪の根源とそっくりなほどに。
「そうではない。私はな、アスタロト。お前のことを大切に思っている。だから皆の前で揉みしだくなど、私はしたくないのだ」
「なるほど……だから二人っきりの時を狙って、アスラ様の胸を揉まれたのですね?」
はあ!?
眼鏡のフレームをクイッと上げたラゴが、有り得ないタイミングで有り得ない戯言をほざきやがった。
不可抗力とはいえ揉んでしまったのは事実。だがアレは奴が胸を突き出してきたのであり、二人っきりなのは冒険当初で他に誰も居なかっただけ。
私は……私は無罪だ!
「そ、そうなのですか!? 二人っきりならば揉んで頂けるのですね!?」
「あ、いや――」
「良かったですね、アスタロト様」
悪魔のような笑顔で奴が微笑む。
ワザとなのか? それともお前の嫁は空気なのか? いや、ワザとなんだな!?
あまりの仕打ちに耐え兼ねて恨めしい目でラゴを睨もうと視線を移すが、その視線はラゴへと到達する前に上気した面持ちのアスタロトの視線に捕まった。
「拙は何時でも……」
少女のように照れながら、アスタロトはそっと視線を外す。
なんだか無性に腹が立ってきたのは、私の精神年齢が低い所為なのだろうか?
不機嫌さを悟られぬようそっと視線を外すが、その視線の先には此処に居る女性陣の中でも一際大きいであろうキャラケンダの胸が、これでもか! とその存在を主張していた。
「や、やはり大きい方がよろしいのですね?」
「……そろそろ黙れ。ラゴ」
「え? え?」
流石に苛立ちを抑えきれなかった私は、ついつい語気を荒げてしまう。
突然その身に厳しさが降りかかったことで、ラゴは狼狽しながらキョロキョロと辺りを見回し始めた。だが他二人の視線は当然のように冷たく、彼女をフォローする者は誰も存在しない。
その空気の読めなさ……一周回って見事なものだ。
「こんなので良ければ……わたしは構いません」
何故かキャラケンダもその気になってしまっている。
頼むから……もう止めてくれ。
何故からは判らないが、いつの間にか魔国での私の立ち位置がセクハラ親父になっている……一体、どうしてだ?
「……またの機会にな」
「は、はい」
少女のように照れながら、キャラケンダがそっと視線を外す。
何かに耽っているところ悪いがキャラケンダよ、アスタロトが物凄い形相で睨んでるぞ?
「も、申し訳ございませんでした」
流石に事態を察したのか、顔面蒼白のラゴが謝罪を申し出た。だが私は判っているのだ。彼女の想い、いや作戦を。
ラゴとしては、乳好きであろう主君にパイ揉みを勧めるのと同時に、先の失態を追及しようとするアスタロトの機嫌を取りつつ、尚且つその功績で四人の失態を無かったことにする、そんな見事な作戦を想定したのだろう。
だがそんな一石三鳥、三方一両得な作戦にも一つだけ見落としがあった。そう、私が"おっぱい星人"ではないという、一番重要かつ根本的な問題を見落としていたのだ。
というか……もう面倒くさい。
ラゴの思考回路を読み解くよりも、もっと大事なことが私にはあるはず。
この状況に精神的な限界を感じた私は、下らない話題をぶった切って急激な転換を図る。
「ところでアスタロト。先ほど彼女達へ激突したのは、一体何だったんだ?」
不意の質問に一瞬だけ硬直したアスタロトが、小刻みに震える口を重そうに開き始めた。
「ガ……」
「が?」
「ガーゴイルにございます……」
何故かは判らないが、アスタロトが視線を合わせようとしない。
「ガーゴイルとは魔物のことか?」
「あ、アスタロト様! そのようなガーゴイルの使い方は……」
「……はい。魔国所属のゴーレムにございます」
「魔国では、ガーゴイルは消耗品なのか?」
私の質問を遮ってまで驚くラゴを置き去りにして、アスタロトが沈痛な面持ちで重い口を開いた。
それよりも気になるのは、この国の攻撃スタイルだ。ガーゴイルとは弾頭の代わりになる、消耗型のゴーレムなのだろうか?
だが此処にもゴーレムは居るが、そんな使われ方はしていない。……どうも違う気がするが。
「い、いえ……消耗品ではございません」
「ゴーレムへの攻撃わぁ、カミュ様から固く禁じられていたはずぅ?」
「うわぁ……」
ワナワナと両肩を震えさせるアスタロトを追い詰めるかのように、無駄に詳細な説明がビマシタラからなされる。
彼女の言いう通りであれば、この状況とはアスタロトの失態を追及するもの。バチのわざとらしい驚嘆の意味も判る気はするが、余りの棒読みでワザとらしが滲み出ている気もする。
それにしても、何故昔の私がゴーレムへの攻撃を禁じたのかは知り得ないが、そのガーゴイルを垂直落下式神風に利用するとは……。
何らかの焦燥感が冷静なアスタロトの心を蝕み、彼女の理性と常識を奪ってしまったのだろう。今でも慌てふためくその姿が、メイド達が指摘する失態の証なのだ。
「も、申し訳ございません……」
自責の念に圧し潰されそうな表情で、拳を握りしめたアスタロトが只々下を向いている。
「ま、まぁ緊急事態だと思ったのだろう。もう良い。此処であったことは他言無用だ。皆、良いな?」
「「「畏まりました」」」
一様に安堵の表情を浮かべて、配下の者達が私の命令に恭しく一礼する。
一名は禁止事項への抵触を不問に付されたことに、四名は主君への敵対行動を見逃して貰えたことに、そして残る一名は……セクハラ親父の汚名を未然に防げたことに対して。
「あの……一つよろしいでしょうか?」
「なんだ、バチ?」
私の機嫌を伺うように、バチが上目遣いに尋ねる。
「先ほどの"三蔵"というのは……一体何だったのでしょうか?」
「あぁ、あれか。アスタロトのコードネームだ」
「こーどねえむ? でございますか?」
「コードネームとは正体を隠すための偽名、まぁ一種の暗号だ。ん? 前にも言った気がするが……デジャブか?」
首を傾げながら記憶を探るとカメオウの笑顔が浮かんだ。
「い、如何されたのですか?」
「ん? あぁ、何でもない。単なる独り言だ」
「そうでございますか……あ、あの」
「何だ?」
「あたし達にもこーどねえむを頂けないでしょうか?」
バチの提案に他三名が「おぉ!」という感嘆の声を上げる。
アスタロトの表情には不満の意思が色濃く出ているが、先ほどの失態の所為か特に何かを言う心算は無いようだ。
「あぁ、そうだな。考えておこう」
「あ、ありがとうございます!!」
「「「ありがとうございます!!」」」
首の骨が折れそうなバチの一礼に続いて、残り三名も同様の一礼で感謝を伝えてきた。
喜んで貰えたようで何よりだが……三蔵系シリーズには最早、私の記憶に在庫が無い。
別の物へと置換し誤魔化す必要があるのだが、何故か今直ぐは考える気になれなかった。
「さて……そろそろ戻る――いや!」
「いや?」
小首を傾げたアスタロトを余所に、先ほどキャラケンダとビマシタラが発射した地点へと滑るように移動する。
背後から「おぉ!」という声が聞こえるが、何を驚いて……あぁ、そういえば。
彼女達に滑走する姿を見せるのが初めてだったと思い直す。やはり、ホバークラフトでの移動を実現せしめる靴とは、女性の心さえも擽る魔性のアイテムなのだろう。
落下地点へと辿り着き、穿たれた穴の奥を見る。
其処には無残にもボロボロとなった全身暗褐色に染まる人型の魔物が、体半分を地中に埋める形で横たわっていた。
目が僅かに光っていることから、まだ辛うじて生きていることが伺えるが……そもそもゴーレムの活動を"生きている"と表現しても良いのだろうか? まだ"動いている"と言った方が適切に思えるのだが。
ガーゴイルと視線が絡まったのを感じ、徐に右手を掲げる。
詠唱するのは<蘇生>、発動するのはダメージの修復。
ガーゴイルの全身が淡い光を放つと、その身体は映像を逆再生するかのように、たちまちにして修復されていった。
「お見事です」
「……では戻るか」
いつの間にか背後へと歩み寄っていたアスタロト。
彼女を一瞥してこの後の行動を伝えると、復活したガーゴイルが窪みから飛び出し片膝を付いて跪いた。
「折角だ。ディアブロの背にでも乗って戻ろう」
「御意」
各々がディアブロの背に乗ると、彼等は体を帰路へと向けた。
ふと東の空へ視線を向けると、既に中天へと届いている日が、辺り一面をキラキラと照らしていることに気付く。
今後のことは戻ってから考えれば良いこと。だがたった一つだけ、穏やかになりつつある胸中を掻き乱す課題がある。
それは、四人のコードネーム。今更言うのも何だが、もう考えるのが面倒……臭い。私はその思いだけで、何故か胸が締め付けられるのだった。




