遭遇
緑の中を走り抜けてく真っ白な少年。ひとり旅なの私気ままにバンクを切るの。
東から西へと高速で蛇行する少年の笑顔が輝き、高嶺の花を引き立てる長い銀髪が風に靡いて辺りを照らす。
エスタブリッシュから疾走する彼の目的は、先ほど完成したブーツの試運転だ。
靴底に浮遊石、踵に風の魔石を仕込んだブーツは、少年の身体を力強く明日へと向けて押し出していた。
「この加速! 自由とは……私だぁー!!」
両手を広げ風と一体になった少年が目を輝かせながら、意味不明な心境を腹の底から叫び出す。
向かい風に捲れる彼の下半身には目を覆うものがあるが、彼の足を覆う厳ついブーツには目を見張るものがあった。
地上擦れ擦れの高度で移動するその姿は正にホバークラフト。彼は後方に土煙を巻き上げながら、遮る物が何もない大地を只管に駆け抜けていく。
そんな彼の視界にふと、大地を褐色に染めるほどの闘牛の群れと、四人の女性らしき姿が映る。
一見すると、放牧されている牛とそれを管理する牧畜民。だが牛達と彼女らの姿は余りにも不自然であり余りにも異形だった。
牛達は逞しい褐色の体躯に凶悪な顔を乗せ、見る者全てを震え上がらせる禍々しい気配を放っている。その先頭を歩く四人の女性達は華奢な身体にそれぞれ高価そうなメイド服を纏い、見る者全てを魅了するほどの気高いオーラを放っていた。
「……なんだアレは?」
少年は目を見開いてその団体を凝視する。
牛の容姿も然る事乍ら、その前を歩く女性達がこの状況には余りにも似つかわしくなかったのだ。
農作業や酪農に従事する者が着るような服装あれば、少年もそこまでの違和感は覚えなかっただろう。だが彼女らの着る衣服はあまりにも個性的で、あまりにも洗練されていた。
「仮面のメイドと……牛?」
その奇妙な光景に眉根を寄せた少年が、小首を傾げて立ち止まる。
あれ程までに滑稽な集団なのだ。近付かないことが身の安全に繋がり、関与しないことが精神の安寧に繋がる……はず。
だが少年は沸き上がり続ける好奇心に抗うことが出来ず、物珍しい集団へと静かに歩み寄るのだった。
「ねぇキャラ、あれは何かしら?」
ブロンドの髪をクラウンハーフアップに纏めたラゴが、小首を傾げながら後ろを歩く同輩へと振り返った。
「さぁ……何でしょう?」
前が黒、後ろがブロンドの髪をポニーテールに纏めたキャラケンダが、率直な意見を率直にラゴへと伝える。
「人間の……少年? こんなところに?」
「変だよね? たった一人で此処まで辿り着けるなんて、相当な実力なのかな?」
余りにも不自然な少年の登場にラゴが思わず疑念を呟くと、それを聞いていたバチがアクアマリンの瞳に疑問を浮かべた。
彼女らの疑問は尤もだろう。この魔国にただの人間がたった独りで入り込むなど在り得ないし、例え入れたとしても即座に凶悪なモンスターによって骨さえ残らずに消されるはず。
だが彼の外見にダメージを受けた気配は全く見られない。だとするなら……無傷のまま此処へと辿り着いた事実に、一定の警戒が必要になるだろう。何故なら、それらの脅威を凌ぐ実力があるのだと、眼前の結果が如実に物語っているのだから。
「まぁ、本人に聞いてみれば良いんじゃないかなぁ?」
最後に、ピンクの髪をツインテールに纏め、その根元をリボンであしらうビマシタラが、問題に対する早急な解決案を三人へ提示する。
彼女の言うことは至極尤もだろう。判らなければ聞けば良い、ただそれだけのこと。
だが凡人にはそれがとても難しい。外見だけを気にする無駄にプライドの高い人間には非常に困難な所業なのだが、彼女の提案する内容は最もシンプルであり最も効率的で最も賢い解決方法なのだ。
「そ、そうね。聞いてみましょう」
ビマシタラから少年へと視線を移したラゴが、その奇妙で綺麗な少年を見つめ続ける。
彼が何者で何を目的としているのかは彼女にも判らない。だが事と次第によっては彼を物理的に排除する必要があるのだ。
ラゴはその真面目と自負する心をより一層引き締めた。
「そんなに気になるんだったら、殺せば良いんじゃない?」
「バチ……単純な結論が出せる貴方が羨ましいわ」
「え、なに? それってあたしが馬鹿だってこと?」
「そうは言わないけど……もう少し慎重な判断も、時には必要じゃないかしら?」
バチの単純明快な提案に、ラゴは苦笑を浮かべて苦言を呈す。
だが魔国においてはバチの言こそが正しい。疑わしき者は消す。それが正義であり、魔国に安寧を齎す絶対必要悪なのだ。
しかしラゴは僅かな可能性を考慮し、慎重な行動を選択する。あの少年がどういう存在かを見極めると、そう心に刻み込んで。
「……馬鹿真面目」
「キャラ、馬鹿は余計です! で、そういう貴方も排除した方が良いと思っているの?」
「ビマ、わかんなーい」
「ビマには聞いてません! で、キャラは?」
心に余裕の無いラゴが、ビマシタラをキッと睨む。
「バチ、わかんなーい」
「真似っこダメー」
「バチ! 茶化さないの!」
バチの悪ふざけにイラッときたラゴが、物理的に突き刺さりそうな視線でバチをギッと睨む。
その視線に耐え兼ねたバチは、悪戯顔に舌を出してキャラケンダの後ろに隠れた。
一方のキャラケンダは無表情のまま、怒りも困惑も、落胆の色さえも見せていない。彼女は感情を表情で表現するのが、余りにも不得手なのだ。
「先ずは話をしてみた方が良いでしょう。仮に排除との結論に至っても、殺さない方が良い……かもしれません」
「そうね。先ずは会話ね。では私が話をするので、貴方達は静かにしているように」
キャラケンダの無表情で全うな答えに安堵したラゴが、僅かな微笑みをその表情に残しながら、同輩達、特にバチへと釘を刺す。
少年との相対距離は残り僅か。少年との会話の火蓋が今にも切られそうな状況。
ランスを取り出そうとしているバチにもう一度だけ視線で釘を刺し、余りにも美し過ぎる少年へとラゴは視線を固定した。
「やあ、良い天気だね」
「そう、ね――」
見掛け通りなのか、見掛けによらないのか、フランクな挨拶を交わす少年が無警戒そのものでラゴ達へと近付いて来た。
警戒心や敵愾心は疎か精神的重圧さえ纏わない自然体の少年。その姿に面食らったラゴが、体と視線を一瞬だけ硬直させる。
だがこれでも彼女は地獄道を纏めるリーダー格。下がった右肩を水平に戻すと、気を取り直して少年を見つめ直した。
「――ところで、君はここで何をしているのかしら?」
「強いて言うなら、まぁ散歩だな」
「散歩? こんな何も無いところを? 一人だけで?」
「そんなに不思議なことか? 私の他には誰も居ない。恥ずかしながら一人ボッチだ」
アハハと乾いた笑い声を上げる少年が、少年らしからぬ言葉遣いで少年のように微笑む。
彼が只者でないことは間違いない。余程の大物か、余程の阿呆か。ラゴは更に一段階、警戒心を引き上げた。
「そう。それで此方へ近付いた目的は何?」
「あぁ、珍しい集団が歩いていると思ってな。興味が湧いたから近寄ってみたんだが……邪魔だったか?」
「邪魔ではないけど……君、この子達が怖くないの?」
少年の壮絶な警戒心の無さに戸惑うラゴだったが、そのことは取り敢えず横に置いて、直ぐ間近に迫った現実問題への考察を少年に促す。
「丁度気になっていたんだ。その牛のような生き物は一体何だ?」
「君が知っているかは判らないけど、ディアブロという名のゴーレムよ」
「おぉ! これがディアブロか! 間近で見ると凄い迫力だな!」
「……はい?」
五メートルに達する褐色の体躯に凶悪な角が禍々しい、見るもの全てを畏怖させるほど狂相な元魔獣。
レストエスに殺され、フルーレティに石化され、以前の魔王によってゴーレムにされた、魔国所属のガチガチの魔族だ。
普通の人間であれば一目見ただけで失神し、普通の兵士であれば腰を抜かして恐れおののき、例え騎士であっても顔面を蒼白にして真っ先に逃げ出す災害級の魔獣なのだが……。
「ゴーレムという割には手触りが良いな。石化しているハズだが……何故触り心地良いんだ?」
無防備に歩み寄った少年が何の躊躇いも見せず、あろうことかディアブロの背を撫でていた。
「き、君は一体何者なの!? その魔獣が怖くは無いの?」
「強そうだとは思うが、不思議と怖くはないな。寧ろ可愛いとさえ思えるのだが……私はおかしいのだろうか?」
何事も無い。そう言いたげな表情の少年が、小首を傾げながらラゴへと尋ねる。
思いっ切りおかしいのだが、何処をどう指摘すれば良いのか。
混乱を解消しようとするラゴが、大きな溜息を吐き、更に大きく深呼吸した後で息を止めた。
「……な、何なの!? 一体何が起こっているの!!」
本性を隠すべく常に冷静を装っていたはずのラゴが、無意識にその可愛らしい口で心の葛藤を叫ぶ。
声の振動により彼女の眼鏡は左下がりにズレ、右下がりの肩のラインとクロスを描く。そしてパパラチアサファイアに輝いていた彼女の瞳は小さな点となる。
現在、四人の眼前には到底信じられない光景が広がっていた。百体のディアブロが平伏するかのように地へと伏せているのだ。あの凶悪な魔獣が、その下等な人間如きに。
「ラゴ、アイツは危険」
「わ、解ってるわ! 先ずは――」
「ねぇ少年、君の名は?」
キャラケンダの指摘で焦りを露わにするラゴを置き去りにして、陽気なままのバチが飄々と少年を誰何した。
「私か? 私の名はシューベルトだ」
「しゅうべると? ふーん、変わった名前だね。で、少年。君はこれからどうするの? 私達から逃げる? それとも……死ぬ?」
笑顔を歪ませたバチが、アクアマリンの瞳を怪しく輝かせる。
「逃げる理由は無いな。ところで、何故そう邪険にするんだ?」
「此処はね、偉大なお方が治める偉大な国なの。それを知らなくても万死に値するし、知らずに入っても殺されるの――」
「<拷問>!」
バチの説明が終わるや否や、ビマシタラの詠唱したスキルが少年へと襲い掛かる。
甲級であるビマシタラが放つ、名前から察するにどう考えても陰湿な攻撃スキル。
「……ん?」
だが目の前の少年には何も変化を齎さない。
何らかの攻撃を受けても無事な自分に、少年は首を傾げて眉根を寄せる。
相対する四人も首を傾げて少年の変化を伺うが、暫く経っても少年の身に何も起こることはなかった。
「えー? 効かないのぉ? バチィ、ビマに補助を掛けてくれるかなぁ?」
「あ、あぁ。<常習犯>!」
表情の抜け落ちたバチが慌てて詠唱すると、ビマシタラの体が淡い光に包まれる。
<常習犯>とはスキルや魔法の効果を二倍にするバフスキルであり、当然ながらこれからビマシタラが放つスキルも効果は二倍となるのだ。
その補助の恩恵に預かったビマシタラは、右手を翳してスキルの再詠唱を始めた。
「<拷問>!!」
<拷問>とは、継続ダメージで相手を死に追いやる陰湿で陰険な攻撃スキルである。
その拷問から逃れる方法は<解除>でのデバフ解除だけであり、それ以外は<後悔>での詠唱妨害か、<慈愛>での魔法耐性上昇しかない。
しかし……その二倍の効果となった<拷問>でさえ、目の前の少年に効果を齎すことはなかった。
「えー、なんでぇ?」
「さっきから何の話だ?」
「な、何故死なない!? アイテム……そう! アイテムの力ね!!」
率直なビマシタラの疑問に少年は首を傾げる。
彼はビマシタラが詠唱したスキルの正体を知らないどころか、彼女が自分を殺そうとしていることさえ理解していないのだ。
そして驚愕を隠しきれずに目を見開くラゴが、キョトンとしたままの少年に向けて心のままに絶叫した。
「アイテムとはこのブーツのことか? 良く分かったな。先ほど完成したばかりなんだがな。というか、ちょっと煩いぞ?」
少年が自慢するように自分の足下を指差し、とても良い笑顔で微笑む。
だが何故だろう? 少年と彼女達の会話が全く噛み合っていないように思える。
「う、うるさ……」
「ふーん、そのブーツに耐性が付与されてるんだ。ところで少年、その背中の剣はなんて名前かな?」
呆然とするラゴを余所に、興味津々のバチが少年の背負った剣に目を輝かせる。
「この剣の名か? スマンな、私も知らないんだ」
「知らない? もしかして拾ったの?」
「いや、拾ったのではなく貰ったものだ」
「そっか。じゃ少年、どっちが良い? その剣と靴を渡してから死ぬのと、死んでから剥ぎ取られるの。遺言くらい聞いてあげるよ?」
優しく微笑むバチが、物騒な二択をさも当然のように迫ってくる。
答えても答えなくてもどちらでも良い。そう言いたげな表情で、結論は決まっていると言わんばかりに。
だがそんな彼女の微笑も長くは続かなかった。
「あ、あんた達……一体どういうつもりなの、かな?」
バチの表情が驚愕で凍り付く。彼女の目の前では、先ほどまで平伏していたはずのディアブロ達が、彼女達へと敵対する姿勢を見せているのだ。
女性四人を囲むような、威嚇するような配置で。
「ま、まさか! 君はビーストテイマーなの!?」
「ビーストテイマーの定義にゴーレムが入るのかは知らんが、違うぞ? まぁ強いて言うなら、今のジョブは『無職』だな」
「はぁ? 無職って……あんた恥ずかしくないの?」
「……でも、不味いですね」
何処か間の抜けた質問を重ねるラゴに、少年は至って真面目に答える。
小馬鹿にされたと憤るバチの指摘が的確だったか否かは、少年の実年齢が就業年齢に達しているかに係っているのだが……それはさて置き、キャラケンダだけがこの状況を冷静に観察していた。
「丙級の魔獣百体に謎の少年が一人……勝利は絶望的ね」
「お前達、私を守ってくれているのか? やはり、私の目に狂いは無かったな」
顔面蒼白の四人を横目に、隣で警戒心を露わにするディアブロの背を少年がそっと撫でる。
それはペットを可愛がるような、丁寧で優しく愛情が幻視されるほどの手付きだった。
「じゃあー、もう逃げようかぁ?」
「それが出来るならこんなに悩まないわ。でも、本当に困ったわね……」
「一つ、いや二つ……違うな三つだ。三つ聞きたいのだが、良いか?」
「何?」
「一つは、何故そんなに私を殺したいんだ?」
進退窮まったビマシタラの超前向きな提案は、ラゴにより即座に却下される。
だが少年にしてみれば良い迷惑だった。珍妙な集団に何となく近付いたら、突然絡まれた上に唐突に殺そうとしてくるのだ。
そんな精神異常系の状態異常者と見紛えるほどの彼女達の短絡的な思考ぶりに、少年は困りつつも呆れ果てていた。
「目の前に不法侵入者が現れたら、排除するのが当然でしょ? 君は自分の家に不法侵入者が居ても、笑っておもてなしが出来る人なの?」
「まぁ、その通りだな。それについては私に非があるだろう。さて二つ目だが、お前達はサナトリウムという施設を知っているか?」
「さな……? 聞いたことがないわね」
「なるほど。では最後の質問だ。お前達は"セクハラ"という言葉を知っているか?」
「知らないわ。……君はさっきから一体、何が言いたいの!?」
少年から続く意味不明な質問に、苛立ちを隠しきれないラゴが語尾を荒げる。
だが少年は、そんな彼女のイラつきを尻目に一人静かにほくそ笑んでいた。
「状況は理解出来た。では私から一つ提案をしよう」
「……提案?」
まだ怒りの収まらないラゴが、眉根を寄せて少年を睨む。
「お前達の代表と一対一で戦ってやろう。私に致命傷を与えられればお前達の勝ち、お前達は……そうだな、乳を揉まれたら負け。それでどうだ?」
「ねぇ少年、もしかしてふざけてるの?」
「いや、至って真面目だが? 何か誤解をしているようだが、私には女性を傷付ける趣味も性癖もない。そういう意味だ」
「だからといって、乳って……」
意外過ぎる少年の提案に、怒りと呆れが同時にバチへと襲い掛かる。
「触られたくなければ私を殺せば良いだけだ。簡単だろう?」
「ヴゥ……」
「なんだお前達、心配してくれるのか?」
少年の隣に控えていたディアブロが、上目遣いに少年を見上げて心配そうに唸り声を上げた。
そんなディアブロを見て目を細くした少年が、その背中に手を添えて優しく笑いかける。
「大丈夫、心配しなくて良い。私は負けないさ」
「凄い自信だねー。ゆっくりじっくり殺してあげるから、楽しみにしといてね」
「もう確かめてあるぞ? だから私が死ぬことは、万が一にも無いだろう」
「確かめた……? ホント、さっきからあんた、意味不明なんだよ!」
喜悦に歪むバチの美しい口元が、般若のように変わっていく。
彼女の怒りは既に沸点を超えており、その透き通る肌は憤怒の色に塗り替えられていた。
そしてバチは、何処からともなく禍々しいランスを取り出すのだった。