魔法
北へ向かう理由はシンプルだった。人間の足で三日、アスラの全速力なら一刻の距離に遺跡があり、その遺跡に治療スキルを持つ同輩が待機しているそうだ。同輩とはアスラから見た立場であり、ルシファーにすれば配下にあたる。遺跡の名前は《セントラルレガロ》、同輩の名前は《レストエス》、風魔法の使い手で水魔法の適正がある女性……との話だ。
ちなみに、この世界には魔法が存在する。アスラの話では火・風・土・水の基本四属性に、光と闇の特殊属性を加えた計六属性があるらしい。
それぞれの属性は、火=力、風=生命、土=数・時間、水=根源。
元の世界の知識では水属性か聖属性が治癒魔法だったが、こちらの世界の治癒は風属性が常識だ。確かに元の世界でも水が傷を治すことはなかったし、聖水は悪魔退散の特効薬だったはずだ。
治癒理論だが風魔法でマナを集め、集めたマナが破壊された組織を急速再生させる……らしい。再生場所と形状はDNA準拠らしいが、これ以上聞いても時間の無駄だろう。
(右耳から入った情報が、左耳からダダ漏れしているな……)
辺りは相も変わらず、一本の木も生えない岩肌だけの山道。
アスラと肩を並べて歩きながら、ルシファーはこの世界の常識について質問を重ねていた。この先、ルシファーに常識が戻らないないままでも、アスラが問題視することはないだろう。だが複数居る配下に知識不足が露見すれば、別人であることがバレて何が起こるか誰が怒るか予想が難しい。予見可能な身の破滅は、事前の努力で回避するべきなのだ。
ちなみにルシファーが持っていた誰のモノかわからない剣は、結果的にルシファーが背負うことになった。アスラは「ルシファーの物で間違いない」と言い張り、頑として剣を受け取らない。仕方なくルシファーが帯剣したのだが、剣が大き過ぎて地面に剣先が届いてしまった。インベントリへの収納も考えたが、直ぐに取り出せる自信が無かったので諦めたのだ。
(しかし……覚えることが多過ぎる。手帳でもあれば便利なんだが……)
ルシファーの肉体は人並以上に優れた記憶力を持つが、新しい人格の理解力が乏しく思考がまったく追い付かない。無駄に馬力のあるスポーツカーを仮免で運転するイメージ、と言えばわかり易いだろう。既に頭がいっぱいいっぱいなのだ。
頭から煙が出る前に話題を変えることは、賢者としての第一歩に他ならない。煙が出るほど考える方がバカなのだ。
「閑話休題。アスラ、私は魔法が使えるのか?」
唐突な話題の方向転換に驚くアスラだったが、戸惑いは一瞬。直ぐに笑顔となり丁寧に質問へ答え始める。
「もちろんです。闇魔法は……今は難しいかもしれません」
ルシファーの足元を見つつ、アスラが美しい顔に申し訳なさ気な表情を浮かべた。だがその直後「あ……」と呻くと、アスラは顔を輝かせ急ぐように話し始めた。
「ですが、光魔法のご使用は問題が無いと思われます。お試しに光属性の下級魔法、<光の矢>を放たれては如何でしょうか?」
マジックアローに聞き覚えがあるルシファーは、肯定の意思を伝えるべく一つだけ大きく頷いた。
承諾に笑顔が戻ったアスラは魔法の提案を続ける。
「ルシファー様は他に<狙撃>と<照準>のスキルをお持ちですので、<光の矢>と<照準>の組み合わせで試されるのが宜しいかと思います」
スキルには攻撃の補助効果を持つタイプもあり、スキルや魔法との連続詠唱でその効果を発揮する。
<狙撃>は必中スキルであるが、<光の矢>との連続詠唱で必中の光の矢を放つことが出来るのだ。
「では<照準>を詠唱して頂けますでしょうか?」
アスラから言われるまま、ルシファーは「<照準>」を唱えた。その直後、ルシファーの利き目に丸と十字の赤い線、いわゆるスコープが発現する。
「スコープを合わせ意識を向けると、ターゲットが固定されます。あの岩山で試されては如何でしょう? ――あ、見過ぎる……」
アスラの説明を最後まで聞かずに、ルシファーは指定された岩山に視線を向けた。岩山は高さ五メートルはあるだろうか。
ルシファーがスコープに意識を集めるとターゲットが岩山に固定される。しかし<照準>は一回で終わらず、意識を外すまでカメラの連写機能のようにスコープが明滅を続けた。
「――見過ぎてしまいますと、同一対象に複数回の<照準>を発動しますので……ご、ご注意頂ければ……」
ルシファーがスコープの明滅に驚いていると、アスラが自分の説明不足に恐縮しつつ申し訳なさそうにスキルの説明を続けた。
実はこの<照準>、スキル保持者がルシファー一人しか居らず、詳しい使い方はアスラも知らない。更にルシファーのスキルレベルが高過ぎて、軽く意識しただけでもターゲットが固定されてしまうのだ。
「いや、私の不注意だ。気にせず続けてくれ」
アスラを萎縮させないように、ルシファーはアスラの肩に手を置き優しく返す。
ルシファーの気遣いにアスラは一礼で答え、魔法についての説明を続けた。
「ご配慮ありがとうございます。それでは最後に<光の矢><解放>と続けて詠唱して下さい。ターゲットを取った回数だけ魔法が発動します」
(スコープが二十回くらい明滅した気がするが……大丈夫か? でも下級の魔法だし、威力も消費魔力も大したことないか……)
ルシファーは持っている乏しい知識で魔法の威力を考察する。その名前から魔法の威力の低さに不安を覚えるのは仕方の無いことだろう。
「魔法の威力を底上げすることは可能か?」
「最大まで威力を上げるのでしたら、<最大化>がございます」
「そうか、ありがとう。ではそれで魔法を放ってみよう」
ルシファーは岩山へ向き直り、早速魔法詠唱を開始する。
「<最大化><光の矢><解放>!!」
ルシファーが突き出した右手の先に、直径が五十cmほどの魔法陣が浮かぶ。魔法陣は中心が十cm程の円で、その外側を三つの円環が規則正しく回っている。
中心の直ぐ外側を幅五cmの輪が右に回り、その外側を幅五cmの輪が左に回る。最後に幅十cmの輪が大外を右に回っているが、その三つの輪の回転速度はまったく同じであり奇麗なシンクロを見せていた。
やがて魔法陣の放つ光が中央の円に集束すると、強烈な光が岩山に向かって一気に放出された。
狙った五メートルほどの岩山に一撃目の矢が届くと、激しい衝撃音と共に岩山全体にヒビが入り、二撃目が岩山を完全に砕け散らせ、三撃目が岩山の後ろにあった更に巨大な岩山に突き刺さる。四撃目、五撃目で岩山に亀裂を走らせ、六撃目、七撃目が岩山の表面にある洞窟の入り口を崩壊させ、八撃目から十六撃目で高さ五十メートルはあったであろう岩山を完全に消失させた。
岩山が消失したことでターゲットが外れた残りの四撃は、空の彼方へと消えていった。この間、僅か二秒。たった二秒で人為的な自然災害を発生させたのだ。
(な……なんだ!? これが……下級魔法!?)
まだ土煙が舞い散る中、暴力的な破壊の光景を目の当たりにしルシファーは硬直する。予想を遥かに超えるその威力に、理解がまったく追い付かないのだ。
突き出した右手は虚空に固定され、詠唱した口は大きく開かれたままだ。ルシファーが冷静な状態であれば、その決めポーズのような姿勢に羞恥心を隠せなかっただろう。だが、今はそれどころではない。
「お見事です!」
さも当然であるとの笑顔でアスラが称賛する。ルシファーの放つ魔法はこの世界で最大の威力を誇るのだが、当のルシファーは知る由もない。ただの下級魔法の驚異的な威力に驚愕し、土煙の収まった何もない場所を只々凝視している。
(あ、これあれだ。人に向けちゃいけないヤツだな)呆然としつつも取り敢えず頭を働かせるが、大した進展などあるはずも無い。
今後の魔法の使い方について更に考えていると、「ドカン!」という爆発音と共に目の前に積まれた岩山の欠片が突如として弾け飛んだ。
そして――その中から現れたのは体高五メートルは下らないだろう、複数の首が生えた巨大生物だった。巣を壊されたことに怒り狂った巨大生物は、ルシファーの耳を獰猛な咆哮で強く激しく叩くのだった。