完成
「な、なんだこれは!?」
深い眠りから目覚めた私は、目の前の異様な光景で思考が寸断される。
魔力枯渇の所為か痴女が不在の所為か、久しぶりの爆睡から覚醒したのは太陽が中天に差し掛かる頃だった。
程よい脱力感から即刻の眠りへと誘われたが、そのお陰か魔力も体力も十分に回復したのが感じられる。
そして誰も居ないログハウスを後にし、燦燦と日光が降り注ぐ屋外へと一歩踏み出た瞬間、異物の前で一人佇む少年の笑顔を目撃したのだった。
「あ! カミュ様、おはようございます」
「う、うむ。おはよう」
カメオウは相変わらず屈託の無い笑顔を私へと向けるが、何故彼は此処まで私を信用出来るのだろうか?
敵対心を持たれるよりは良い。だが、無条件で信頼を込められると、正直むず痒いもの感じるのだ。
そんなカメオウへ固い笑顔を向けた後、彼の背後で存在を主張する謎の物体へと視線を移した。
「で、それは何だ?」
「え? 馬車ですよ?」
振り向いたカメオウが、背後を確認した後で顔を戻しながら首を傾げる。
「私のイメージとは遥かに離れているのだが……」
「え? 以前もこの馬車に乗ってましたよ?」
「……私が? これに?」
「はい、そうですけど?」
私とカメオウがお互いに首を傾げて質問を重ねている。傍から見ればとても滑稽な姿だろう。
私が? これに?
あまりにも悪趣味な外装に、未だ頬の引き攣り感が拭いきれない。
「ところで、この馬車は何で出来ているんだ?」
「レストエスさんとバディスさんの努力で出来ています」
「い、いや、そういう意味では……違うな、私の質問の仕方が悪かったようだ。馬車は何を素材に作られているのだ?」
「あ、そういう意味ですね。甲級のドラゴンです」
なるほど。だから座席があのような禍々しい形状をしているのだろう。
個人的には断じて趣味でも好みでもない。だが折角配下が作ってくれた馬車だ。他人の意見も聞いておくべきだろう。
「カメオウはこの馬車をどう思う?」
「カッコ良いと思います」
何を今更? とでも言いたげな表情で、カメオウが当然のように即答する。
これがカッコ良いとは……やはり私の美的感覚は、この世界基準とは大きくズレているのだろうか?
昨日適当に付けた名前といい、この悪趣味な馬車といい、彼等は喜んで受け入れている。それはもう頭のネジがぶっ飛んでいると思えるほどの喜びようなのだ。
「バディスに気を遣っているとか……」
牛魔王だぞ? 牛魔王! 何故そんな名前が羨ましいんだ? 私にはまったく理解が出来ないんだが?
もし女性に牛の魔王などと言おうものなら、良くて白眼視、最悪ビンタを覚悟すべき侮辱の言葉だ。
まぁ乳的に牛の魔王であればセーフなのかもしれないが――いやセーフなのか? 爆乳とか魔乳と言われて、本当に女性は喜ぶのだろうか?
「え? 僕は凄くカッコ良いと思いますよ」
世の年下属性のお姉さんを魅了しそうな、溢れんばかりの爽やかな笑顔でカメオウが微笑む。彼が放った世迷言と紙一重の称賛は、紛れもなく彼の本心から出たものだろう。
聞きたくも知りたくも無かった、彼等の脳が壊滅的な美的センスに侵蝕されている驚愕の実態。だが彼等の主君として私は、頭のネジが飛んだような戯言も受け入れなければならないのだ。
不本意ではあるが、彼等が持つ美的感覚を許容することも、私に課せられた宿命なのだろう。
「そうだな。カッコ良いな」
「はい!」
カメオウの強い同意を得て、力強くカスタマイズされた馬車を改めて仰ぎ見る。
元の荷台の姿はもう何処にもない。原型が判らないどころか、昨日とはサイズが思いっ切り違うのだ。
車輪の大きさは変わらない。だが真っ白となった車輪の中心には漆黒の車軸が通り、その車軸が衝撃を吸収する為のサスペンションに連結されていた。
更にその上には漆黒に染まる流線形の客室が堂々と鎮座するが、その形状、材質、大きさはある魔物の咢を大きく広げた形に酷似しているのだ。
「因みにこれは……ドラゴンの頭蓋骨か?」
「そうです。車輪は手の骨、幌は羽で出来てますね」
「そ、そうか……凄いな」
「はい」
何だろう、このフォルム。伝説の聖帝様すらドン引きする程に、強烈で鮮烈なヒャッハー感を醸し出しているのだが。
本当に私はこんな奇天烈な馬車に乗っていたのだろうか? 以前の自分が持っていたという腐りきった感性、私は今後も受け入れることは出来ないだろう。
「足元の土台は下顎を使用し、上顎は跳ね上げて屋根にしているのか。頭部、及び顎間を皮膚のようなもので覆ってはいるが、走行時の空気抵抗はまるで無視だな」
顎関節を基点に下顎の角度を基準とした場合、開いた上顎の角度は二十度程度。
鼻先の空気抵抗は気にならないだろうが、開口部に張られた膜のような幕は、向かい風を一身に浴びるはずだ。
「くうきていこう、ですか?」
「ん? まぁ時速は百を超えないだろうから、空気抵抗は無視しても構わんか」
「はぁ……」
カメオウが首を傾げて此方を伺っている。まぁ間違いなく距離の単位が判らないのだろう。確か、距離の単位をアスラが”里”と言っていたはずだ。
毎時二十五里と言えば伝わるだろうか。だがこの悪趣味な客室の受ける空気抵抗が、どの程度の速度から制振性を侵すのか正直に言って判らない。
まぁあまりに酷ければ、空間スキルによる防隔を張れば良いだけだな。
「ところで、周囲に散らばる物資はゴミか? それとも素材か?」
「馬車作りで余ったドラゴンの素材です。あの、その……レストエスさんは片付けが不得意なので」
説明を求めただけなのだが、カメオウが恐縮して首を竦めてしまった。
おそらく私の言い方が、少々嫌味臭かったのだろう。まぁ少年相手にこの言い草は、大人気が無いのだろうな。
しかしレストエス、この有様はないだろう。
改めて周囲を見渡し、残された胴体と散乱した四肢、そして巨大な心臓を視認する。
おそらくだが、バディスが馬車を改造している間、レストエスが解体を行ったのだろう。
五Sとは何か小一時間ほど叩き込みたいところだが、何れにせよイニシャルSが通じないとことは間違いない。というか中世時代の衛星観念など、精々こんなものなのだろう。
「勿体ない。私が仕舞っておこう」
ドラゴンの素材は貴重だと、ファンタジーの先人も漏らしていたはず。人間が……いや、魔族がこんな巨大な生物と対等に渡り合えるのか、些か疑問ではある。だが物証が目の前にあるのだ。信じるべきだろう。
頭部を含めれば二百メートルにも及ぶ巨大なドラゴン。素材となったドラゴンを何ら苦も無くインベントリに仕舞っていると、カメオウがまだ散らばっている部位を集め始めた。
「す、すみません」
「カメオウが謝る必要はないさ。ありがとう」
「い、いえ」
緊張気味のカメオウから素材を受け取る。それらをインベントリに仕舞って、未だ首を竦める彼の頭を優しく撫でた。キョトンとした顔でカメオウが見上げる。
二人の姿は、傍から見て滑稽に見えるのかもしれない。私の子供をあやすような所作に、身を委ねるカメオウ。しかし彼と私の見た目の年齢差と身長差は、実際にはほんの僅かしかないのだ。
カメオウから手を放すと、無人となったログハウスもインベントリに仕舞う。跡にはログハウスの守備に就いていた三体のゴーレムだけが残された。
「さて行くか。で、どうやって乗り込むのだ?」
「屋根を跳ね上げて乗り込みます」
「……どうやって?」
「あ、えっと……声を掛けて頂ければ開きます」
なんでだろう……要領を得ない。
これは私の理解力が問題なのだろうか。それとも彼の説明が不足している所為だろうか。
いや、彼はまだ幼いのだ。彼が理解出来るように判り易く説明するべきだろう。
「合言葉か。それで何と言えば開くのかな?」
「はい、確か……『ロリータ、ノータッチ』です!」
「……はい?」
思わず間抜けな声が漏れてしまった。無意識にオナラが出るのと似て非なる物だろう。
「ロリータ、ノータッチです!」
カメオウが満面の笑みで二回目を口にした。おそらく彼にとっては大事なことなのだ。
しかし……カメオウは意味が判っているのだろうか? 彼がロリコンになるには、幼女以下の女性に興味を示さねばならない。
そこで想像してみる。カメオウが五歳児くらいの幼女と手を繋いで歩く姿を。……うん、微笑ましい。
「そ、そうか。では開けてみるか。《ロリータ、ノータッチ》!」
どうせ異世界だ。言葉の意味を正確に理解している者など皆無だろう。
合言葉に反応したかのように、竜頭の顎関節部分がタイミング良く光り始める。
そして、ゆっくりと動き出した上顎が次第に速度を上げると、最後は反動を伴うような速さで百二十度まで開口した。
その中は歯を背にした形で両側にソファーが並び、喉に当たる奥の部分には荘厳かつ豪奢な漆黒の席が上座のように鎮座している。
外観は褒められたものではないが、内装は贅の限りを尽くしたものだ。過去の知識に照らし合わせても、これ程のモノは見当たらないだろう。
それにしても、合言葉がノータッチとは……。確かに私が教えた言葉ではあるが、意味合いが全く違――いや、触れずに開くのだからノータッチでも正解なのか?
「これを作ったのはバディスなのか?」
「はい。寝ないで頑張ってましたよ」
であればロリータはどう説明するんだ? ロリータという言葉は彼の中でどんな意味に昇華したのだろうか。
いや、それ以前に意味など無いのかもしれない。作業をしていたのが夜中であれば、疲労で劣化した頭が湧いていたとしても何ら不思議ではない。
ただ、彼についての考察は此処で中止すべきだろう。変態の思考を把握するなど、不毛であり無意味な努力なのだ。
「一晩で作り上げるとは……大したものだ。それで、バディスは不眠不休で先に進んだのか?」
「いえ、ヒュドラの背で休みながら移動しました」
後ろを振り向き、再度数を確認する。確かに、一体足りない。
ヒュドラの乗り心地がどの程度かなんて知る訳がないが、彼であればどんな状況であろうと熟睡が出来る、そんな気がした。
その視線を戻して先を見る。アスタロトが造り出したであろう道が延々と続いているが、私が力任せに造った道とは違い、それは舗装されたかのような奇麗な仕上がりだった。
「この道は、アスタロトが?」
「はい。地割れで道を造って、溶岩で平にしてます」
なるほど、だからこれほど奇麗に仕上がっているのか。私の造った道がオフロードなら、彼女の造った道はオンロードと呼べる出来だ。
彼女の属性が何かは判らないが、彼女の能力が土木関係に特化していることは間違いないだろう。
土木工事特化型の魔族か……意味が判らん。
「お前達、行くぞ!」
振り向いた先のヒュドラ達が、首を大きく上下に動かしている。彼等なりの承諾だろう。
彼等の同意を得て馬車、のような何かに乗り込み最奥の席へと腰掛ける。御者台に座るのはカメオウだ。
「では行きます!」
カメオウが手綱を振ると、石の馬達がゆっくりと動き出す。重さを感じさせないその歩みに、正直驚きを隠せない。
「この馬車は相当な重量だと思うのだが、ゴーレムはそんなに力があるのか?」
「いえ、ただの馬ですので、力はありません」
「であれば馬車に何か細工が……?」
「あ、アスタロトさんの作った浮遊石を、バディスさんが使っていたみたいですよ?」
私の素朴な疑問を、振り返ったカメオウが解決してくれる。
浮遊石か、便利なものだ。彼女が特別なのか、他のロードマスターもそうなのかは判らない。だが今後も彼等の上に座し続けるのであれば、私も相応の知識を蓄えるべきだろう。
怠慢が堕落に繋がるだけならまだしも、怠惰が彼等の叛意に繋がることだけは避けねばならないのだ。
「良い乗り心地だな」
「はい!」
馬車は速度を乗せて西へと進む。
ヒュドラを引き連れた漆黒の馬車が、上顎を跳ね上げた状態のまま静かに進み続けた。
半刻後、西の川へと到達する。
川の上には、東の川に架けた橋と同じものが既に架けられていた。
魔力が枯渇したのだろうか? フルーレティとアスタロトは共に休息を取っている。
バディスだけは嬉々として欄干の傍に佇んでいるが、疲れてはいないのだろうか? 無駄に元気なのは良いことだ。
「カメオウ、此処で止まれ」
「はい」
河原の手前で停車させると、馬車から降りてバディスへと歩みを進める。
遅まきながら此方に気付いたバディスが、欄干に手を添えたまま深い一礼を見せた。
「カミュ様、お待ちしておりました」
「うむ、状況はどうだ?」
「橋は完成しております。ですが欄干のディティールが少々……」
「い、いや。素晴らしい出来だと思うぞ?」
バディスは橋の完成度に不満があるようだが、その拘りが全く判らない。とても凝った意匠に見えるのだが……。
暇があればどの部分がどのように足りないのか聞いてみたいところだが、その暇が訪れることはおそらく一生ないだろう。
「ありがとうございます。ところで、その馬車の乗り心地は如何でしょうか?」
「あぁ、流石はバディス。最高だ」
途端にバディスが気持ち悪いほどの笑顔を浮かべる。
だが世辞を言った訳ではない。馬車、或いはそれに類似する物に乗車したことは無いが、乗り心地は現代の車よりも素晴らしかった。
ダンパーやショックアブソーバーにより運動エネルギーを減衰させつつ、魔法的な力で更に振動を軽減させているのだ。不満などあるはずがない。
「さて、お前達――」
前方に控える一体から、後方に佇む三体のヒュドラへと視線を移す。
「――この橋は任せた。橋を破壊しようとする者が居れば排除せよ」
私の言葉にヒュドラ達が頷き、既に決められたかのように所定の位置へと移動を開始した。
一体彼等はどのように意思疎通を図っているのだろうか。言葉を話す訳でも、仕草で何かを伝える訳でもない。
だが一糸乱れぬその行動には、ある種の連帯感が生まれているように思える。
「バディス、アスタロトとフルーレティを起こして馬車に乗れ」
「はっ!」
「カメオウは引き続き操縦を頼む」
「わかりました」
先に馬車へと乗り込み最奥へと腰掛け彼等を待つ。
美女二人に声を掛けてバディスが馬車へと乗り込むと、彼に続いて歩み寄る二人の姿が視界に入った。
「お出迎えもせず申し訳ございません……」
「疲れているのだろう? 気にするな。それに素晴らしい道だったぞ。アスタロト」
「あ、ありがとうございます!」
仮眠から覚めたアスタロトが、疲れの残る表情に笑みを浮かべて一礼した。
アスタロトと同様に顔を強張らせるフルーレティだったが、柔らかい笑みを送ると彼女は硬い表情に安堵の色を浮べた。
「では出発だ」
三人が乗り込んだのを確認し、最奥の席からカメオウの横へと座席を変える。
「カミュ様、どうして御者台に?」
「道造りをしながら進もうと思ってな」
「で、でも、よろしいのですか?」
「構わないさ。このまま川沿いに北上してくれ」
不安そうに眉根を寄せたカメオウが、小首を傾げながら上目遣いに尋ねる。
つい数日前まで扱き使われる身分だった為、率先して仕事をする事には違和感を感じない。だがこれが配下を恐縮させる、主君としてはあるまじき言動なのだろう。
しかし気にしていても仕様がない。バディス達の困り顔が気になるが、彼等が止めに入らなければ問題はないはずだ。
「わ、わかりました」
「せ、拙が道造りを――」
「いや、お前達は休息を取れ。魔力が枯渇していては、いざという時に支障が出るだろう?」
ソファーから立ち上がろうとしたアスタロトを言葉で押し留め、照準を発動させた視線を前方へと移しながら、ゆっくりと右手を掲げる。
「<最大化><光の矢><解放>!!」
魔法陣の放つ光が中央の円に集束すると、強烈な光が前方の起伏を削り粉塵を舞い上げた。
やがてナファウトへと続く川沿いの、新しい道が姿を現し始める。
「なぁ、カメオウ」
「はい、なんでしょうか?」
「何か忘れている気がするのだが……」
「忘れ物ですか?」
馬車の速度を保ったままで、カメオウが此方へ振り向いた。
何か忘れている気がするのだが、私の気のせいだろうか?
ログハウスは勿論、ドラゴンの遺体も仕舞った。八体のヒュドラは配置を終えたし、馬は目の前に居る。
「いや、忘れ物ではないが……もっと大事な何かを忘れている気がするのだ」
「何でしょうね?」
新しく出来た道を、ゴーレムの引く馬車が軽快に疾走する。
均していない道は舗装されたものに遠く及ばないが、このカスタマイズされた馬車で通る分には何も問題ない。
右手のせせらぎを聞きながら忘れものを思い出すべく、深く意識を沈めていく。
「なにか忘れているんだがなー」
「何でしょうねー?」
カメオウと二人揃って首を捻るが一向に思い出せない。
もう一度<光の矢>を唱えてから後ろを振り向いたその時、号泣しながら追い駆けて来る、配下と言う名の知り合いを見つけるのだった。
「あ……レストエス」
「忘れてましたね」
カメオウが臆面もなく答えて、ゆっくりと馬車を停車させる。
「が、ガミュざまぁー」
「す、スマン。レストエス」
号泣するレストエスに心から謝罪をするが、彼女の嗚咽は止まりそうにない。
仕方がないので一度馬車を降り、彼女の腰に手を当てながら客車へと誘った。
「レストエス、煩いのである」
いっそ清々しいほどの毒を吐くバディス。
彼の本心から出た言葉なのだろうが、言うべきタイミングは今ではないはずだ。
「黙れ変態!」
バディスに殴りかかろうとしたレストエスの腕を掴み、彼女の体を強引にソファーへと沈める。
「はぁ……。お前達、いい加減にしろ」
「「も、申し訳ございません」」
少々キツイ物言いが功を奏したのか、二人が青ざめた顔で謝罪を告げてきた。
魔力的な回復を、精神的な疲労が上書きしている。
疲れた心を奮い立たせてカメオウへ先を促すと、残念さで沈んだ心に鞭を入れて自分を励ました。
やがてナファウトへと続く道は開かれた。
そして、勢力図は一新される。