枯渇
「――レティ、フルーレティ?」
「……は? あ、ハイ!」
一瞬だけ呆けていたフルーレティが、慌てふためきながら背筋を伸ばす。
やはり四天王という、ゴルゴン三姉妹の長女に似た名前は許容出来なかったのだろうか?
あまりにも安易過ぎるそのコードネームに、呆れ果てていなければ良いのだが……。
「やはり気に入らなかったか?」
「え? 何がでしょうか?」
「四天王というコードネームだ」
「……は? い、いえ! 大変素晴らしいこーどねーむかと! ありがとうございます!!」
小首を傾げていたフルーレティが、姿勢を正して謝意を伝えてきた。
口元に浮かぶ喜悦から察するに、本当に喜んでいるようだが……本当に大丈夫なのか? 命名に対するその腐りかけた感性。異常過ぎて言葉が出ない。
「よ、喜んで貰えたのなら何よりだ」
「はい! ウフフッ」
彼女が良いと言うのであれば、それで良いのだろう。もう他に私が言うことはない。
脇を締めて体を捩るフルーレティへと同情の視線を送り、彼は誰時に収納した勇敢な馬達をインベントリから排出する。
「それは一体?」
「うむ。お前を呼んだのはな、この馬達をゴーレムにする為なのだ」
「その馬に何か思い入れが? あ、いえ。その生物があまりにも貧弱なので……つい」
私の怪訝な表情を見て、フルーレティが慌てて理由を述べ出した。
やはり主君への意見具申は忌避すべき愚行と見做されているのだろうか。一見すると彼女は冷静を装ってはいる。だが、その奥底からは不承不承の感が滲み出ているのだ。
まぁ彼女の言も理解は出来る。なにせ唯の馬なのだから。だが私の命令でヴァルハラへと旅立った勇馬は、蘇生の保護を受けて然るべきだろう。
「彼等は私の命に従い、勇敢にその命を散らした。であれば報いるのが当然だろう」
「なるほど……。此方の浅慮を不快に思われたのであれば、平にご容赦を」
「何とも思っていない。気にするな」
「ありがとうございます。では早速」
眼帯を外したフルーレティの、その宝石のような瞳の黒い十字が光を放つと、地べたへと横たわった馬達の亡骸が色を失い硬化していく。
完全に石化したのは数秒後のこと。やはり耐性が低いと石化に至る時間も短いようだ。
先ほどと同じく両手を突き出し、馬達をゴーレムへと昇華させる。一つだけ疑問なのは、何故蘇生魔法ではなく神器の力を使うのか。石化したものを蘇生するのは、やはり無理なのだろうか?
「お前達、よくぞ戻った。またよろしく頼むぞ」
ゴーレムに生まれ変わった馬達が、嘶きのない一礼で承諾を伝える。
死因がアレだったのだ。私を見て多少なり怯むだろうと思っていたのだが、彼等は意外にも怯えることなく素直だった。記憶でも失っているのだろうか?
「レストエス、馬達を馬車へと繋いでくれ。バディスはアスタロト、フルーレティを連れて、この先の川で橋造りだ」
「わかりました」
「お任せ下さい」
「ぼ、僕は何をすれば?」
二人の承諾に続き、カメオウがおずおずと訊ねる。
決して忘れていた訳ではない。彼にやって貰うことなど唯一つだけ。
「私の護衛だ」
「は、はい!」
頬を緩みを感じる私の視線を受けて、顔を綻ばせたカメオウが微笑む。
先ほどのレストエスに対する見事な牽制……彼は意外と使えるかもしれない。私の貞操を虎視眈々と狙うレストエスには、良い抑止力になるだろう。
「カミュ様、一つよろしいでしょうか?」
「なんだバディス?」
「そのような貧相な荷台に乗られては、カミュ様の威厳が損なわれます」
「そんな大層な品位や体面は持ち合わせて……いや、そうだな。だが他の馬車は無いし、改造するにしても素材が無いぞ?」
バディスの言を一蹴しようとも思ったが、私が間違っていたと気付いて訂正する。今の私は彼等の主君なのだ。恥ずかしい恰好をしていては、配下である彼らにも恥をかかせ兼ねない。
そしてふと自分の衣装を見下ろした。今着ているのは、凝った意匠も派手さもない只の真っ白なローブだ。果たしてこれが彼等の許容範囲内なのか、気にはなるのだが怖くて聞けない臆病な私がいた。
「報告が遅れて申し訳ありません。実は……」
そう言いながらバディスが内ポケットから取り出したのは、タバコケースのような魔法の袋から取り出した布袋のような魔法の袋だった。
なるほど。魔法の袋には容量制限があるが、複数持っていれば重ね収納? が出来るのか。どんな原理かは判らないが、まぁ自分にはインベントリがあるから関係ないだろう。
そしてその布袋のような魔法の袋から取り出したのは、野盗の塒から接収したという大量の物資だった。バディスはこれでもかと言わんばかりに、その物資を広げ始める。
「随分多いな……」
並べられた物資の大部分は食糧のようだが、中には衣類などの日用品も含まれていた。
野盗が集めるなら金や貴金属に限りそうなものだが、何故こんなものを野盗が欲したのか判らない。
「物資の集積地でも襲ったのでしょう」
「集積地? あぁ……あの村か」
そういえばとヴェラが言っていたことを思い出す。彼女の村には大量の物資が保管されていたそうだ。そしてその物資は野盗に奪われたらしい。
だとするなら、この物資を返す人、返す場所はもう永遠に無いだろう。何故ならその返すべき村が、地図上から消えてしまったのだから。
「この物資の中にある物だけで、荷台の改造は可能か?」
「申し訳ございません。我輩の目指すものには届きません」
確かに。日用品だけでサスペンションを強化することは不可能だろう。であれば素材集めからか?
「だがお前は橋造りで忙しいのだろう?」
「はい。可能であれば素材集めをレストエスにお願いしたいと思っています」
「あたし?」
バディスの提案にレストエスが驚きの表情を浮かべる。
女性に素材集めをさせるのは如何なものかと思うが、もしかして彼女はその作業に特化しているのだろうか?
「レストエスは素材集めが得意なのか?」
「得意ではないでしょう。ですが集められるはずです」
「はぁ? あんた何言ってんの?」
無茶振りのようなバディスの発言に眉間に皺を寄せるレストエスだったが、更なる一言で彼女の疑念が霧散する。
「覚えてないのであるか? 我輩が造った最高傑作があったであろう?」
「あぁ! あれね。でも狩るのに時間がかかるよ?」
「時間なら気にしなくても良いぞ?」
何かは判らないが、暫く不在にして貰えるなら寧ろ大歓迎だ。
「ありがとうございます。ではレストエス、頼んだのである」
「りょうかーい」
「では、その物資は私が預かっておこう。バディス、必要な物は抜いておけ」
バディスは一礼をするだけで、それ以上の行動は起こさなかった。
特に必要なものは無いのだろう。
「では皆、行動を開始せよ」
「「ハッ!」」
配下達が一礼の後で素早く行動を開始する。
アスタロトがヒュドラ達へ指示を出すと、バディス、フルーレティと共に橋を渡り始めた。
残るレストエスは馬のゴーレムと荷台を連結した後に、謎の笑顔を残して一人元気に飛び出して行った。
カメオウが御者を務める馬車の荷台に座り、出来立ての橋を渡る。
コンクリート舗装されたような石橋に走行性や強度の問題はなかったが、石橋を渡った先の未舗装路は乗り心地が最悪だった。
この道を馬車で再び通るかは判らない。だが少しでもその可能性があるのなら、均しておくのが最良だろう。時間潰し的な意味でもだ。
「カメオウ。次の橋まで馬車道を造りたいのだが、良い方法はあるか?」
「馬車道ですか?」
目の前に広がるのは荒涼とした山岳地帯であり、道はおろか獣道さえない閉ざされた地域だ。
おそらくだが、こんな所を通るのは、人間はおろか動物さえもいないのだろう。敢えて通るとすればモンスターくらいのものか。
「うむ。此処をなだらかにすれば、交通の便が良くなると思ってな」
「そうですね。でも……何の意味があるのですか?」
っ! ……鋭い。
あまりにも的確なカメオウの指摘に、咄嗟に二の句が告げられない。何の意味があるかだと? ハッキリ言って意味などない。
何故なら、この世界の交通事情など私が知っているはずがないのだから。
さてどうしようと思い悩むが、言い訳など直ぐには思い浮かばない。だがここで時間を掛け過ぎては不自然さが拭いきれなくなるだろう。先ずは会話を続けて切っ掛けを掴むしかない。
「そうだな、例えばだが……魔国から王国へ物資を運ぶ際、ここに道があると便利だと思わないか?」
「確かにそうですが……」
カメオウが小首を傾げて考え込む。
魔国から物資を送ることは無いのだろうか? いくら何でも多少の交流くらいはありそうなものだが。
「逆も然り。王国から魔国へ物資を運ぶ際、ここに道があると便利だろう?」
「あ! そういうことですか」
え? ……何で? 王国と魔国を逆にしただけだぞ?
「そろそろ朝貢の時期ですもんね」
「ん? う……うむ」
何を納得したのか判らないが、カメオウが満面の笑みで微笑んでいる。
それにしても……朝貢? 誰かが貢物でも持ってくるのか? 私が知らない魔国のシステム、聞きたいのはやまやまだが何故か憚られる。
まぁ誰かが何かをくれるのだろう。私の損失が無ければどうでも良いことだ。
「でも、僕の能力では……ごめんなさい」
「いや、気にするな。他に得意そうな者は居るか?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように、カメオウの表情が暗く沈んでしまった。
そこまで気にする必要はないのだが、悪いことを言ってしまったのだろうか?
「爆裂だと山を砕けるのですが、魔国で使える人は居ません」
「エクスプロージョン? 爆発魔法か?」
「はい。爆裂魔法です」
ちょっと違っていたが、イメージは合っているようだ。
「つまり、山を砕いて地を均す他ない、ということだな?」
「はい……それしかないと思います」
カメオウの声が尻すぼみに小さくなる。
責めている訳ではないのだが……何を言っても恐縮されてしまう状況のようだ。
「ん? あぁ、おそらくだが何とかなるだろう」
「そ、そうなんですか?」
「うむ、まぁ見ててくれ。<照準>!」
目の前に|聳える巨大な山が挟み込む合間の、山裾の一角を照準内に捉える。
照準は幅十メートルの範囲に絞り、且つターゲットを失った矢がホップしないように山裾へと狙いを定め、右手を突き出し渾身の想いを込めて詠唱を始める。
「<最大化><光の矢><解放>!!」
突き出した右手の先に、直径が五十cmほどの魔法陣が浮かぶ。魔法陣は中心が十cm程の円で、その外側を三つの円環が規則正しく回っている。
中心の直ぐ外側を幅五cmの輪が右に回り、その外側を幅五cmの輪が左に回る。最後に幅十cmの輪が大外を右に回っているが、その三つの輪の回転速度はまったく同じであり奇麗なシンクロを見せていた。
やがて魔法陣の放つ光が中央の円に集束すると、強烈な光が目標へと向かって一気に放出された。
爆音とともに小高い山が粉砕され、その粉塵により辺り一面が闇に包まれる。
だが光の放出はまだ終わらない。目視の利かない分厚い粉塵の中、一筋の光だけが目標を失わずに走り続けていく。
そして轟音が次第に遠くへと去っていく中、タイムカウントが百を数える頃にやっと光の矢は終息した。
「……す、すごいです」
「まだ舞い上がった塵が晴れていないが……見えるのか?」
「いえ、見えません」
……は?
呆然と一点を見つめ続けるカメオウへと視線を移して悩む。
私にはまだ何も見えないが、彼には何か見えるのだろうか?
「ですが、初級魔法でこの威力は……凄いです!」
なるほど、そこに感心していたのか。爛々と目を輝かせたカメオウが此方へ振り向いたことで気付いた。
なんだろう……憧憬の眼差しで見られている気もするが、私の勘違いだろうか?
今までの半端な人生を思い起こしても、このような視線を感じたことなど全く無かった。……ような気がする。
「カメオウがそう言うなら、そうなのだろう」
満更でもなかったが、敢えてぶっきら棒に答えてみる。
素直に言えば恥ずかしいのだが、四十も超えたおっさんが照れるなど気色悪いことこの上ないだろう。
ババアのぶりっ子と言えば判り易いだろうか? 嫌悪を超えて殺意すら湧きかねない。
粉塵が収まりつつある前方に改めて目を向け、眼前に広がる光景を見ながら只々驚愕する。
今でも見慣れることのない隔絶した魔法の威力により、先ほどまで聳え立っていた山々の豊かな裾が見事に粉砕されているのだ。
そして其処に残されたのは不自然なほど平坦な道。先が見通せないほど遠くまで続く道の、その距離を伺い知ることは出来なかった。
だがその道は愚直なほど真っ直ぐ、何処までも不自然に続いている。
「うわぁ……これって何処まで続いているんでしょう?」
「何処までだろうな。先ずは馬車で進んでみようか」
「そうですね! では僕が操縦しますので、荷台の方でお寛ぎください」
「う、うむ……。ではカメオウに任せよう」
荷台で寛げと言われても、どうすれば良いのか判らない。
体育座りでもしてれば良いのだろうか? だがそれは余りにも間抜けで滑稽な姿に思えるのだが。
今まで荷台はおろかリヤカーにさえ乗ったことが無いのだ。首を傾げながら考えてみるが、より良い方法など直ぐに思い浮かぶ筈もなかった。
「カミュ様、どうされました?」
「ん? 荷台に座るのもどうかと思ってな」
「え? 椅子を出されたら如何でしょうか?」
「そ、そうだな」
カメオウの言う通り、インベントリから椅子を取り出せば良いのだ。直ぐに思い付きそうなものだが、頭が少々朦朧としており回転が少し鈍いようだ。
だがそんなことは臆面にも出さず、判っていたと言わんばかりの表情で徐に、インベントリから椅子を取り出し荷台へと設置する。
禍々しい漆黒の椅子が、ごくごく平凡かつ簡素な荷台に鎮座している風景。それは見事なまでのアンバランスさであり、そのレベルは笑いを軽く通り越して頬の痙攣さえ心地よいほど。
「出発しますので、お座りになってください」
これに座るのか? 周囲の者に爆笑されるのは私なのだぞ?
カメオウからの無邪気な提案に、右の頬が僅かに引き攣る。
だが彼から邪悪な波動は感じられない。では無意識下で嫌がらせをしている……? いや、流石にその考えは屈折し過ぎているだろう。
「どうされたのですか?」
カメオウがキョトンとした目で不思議そうに訊ねて来る。
やはり彼には悪意がない。であれば彼から爆笑されることはないはずだ。
「い、いや……なんでもない」
流石にこれ以上の逡巡は不信感を持たれかねない。信じるぞ、カメオウ!
言いたいことは山ほどあったが、それをグッと飲み込み暗黒のお誕生日席へと着席する。
恥ずかしい。顔から火が吹き出すとは正にこの状態を言うのだろう。
「では出発しますね」
「う、うむ」
カメオウに操られた馬のゴーレム達が、静かに力強く動き出す。
まだ粉塵の収まらない道を、ゴーレム達はただ真っ直ぐ突き進んで行く。
左右に広がるのは、不自然な形で抉られた山々。
「もしかして、お疲れですか?」
「少しだけ、疲れたかもしれないな」
「あんな凄い魔法でしたから、魔力が枯渇したのかもしれません。僕の魔力を譲渡しましょうか?」
なるほど……この頭が朦朧とする現象は、魔力の枯渇が原因なのか。
だが休んでさえいれば、いずれ回復するはず。
「いや、回復は自然に任せよう。少し休んでも良いか?」
「はい! 到着までお休みください」
カメオウから貰った魔力供給の提案を、遠慮という名の気遣いで断る。
彼から譲渡して貰えば早いのだろうが、幼い少年から魔力を奪うことにどうも気が引けるのだ。
「じゃ、頼んだぞ……」
漆黒の椅子に凭れ掛り、暫しの休息に意識を沈める。
小さな山を吹き飛ばした爽快感と、魔力が枯渇した脱力感で、リラックス状態のままに深い眠りへと誘われた。
そして微睡から、徐に目が覚める。
不意に訪れた覚醒を意識しながら辺りを見回すと、私を取り囲む三人の男女が視界に入った。
そこには私より先に出発したはずのバディス、アスタロト、フルーレティが、不自然なほど泥だらけの姿で只々立ち竦んでいたのだった。