玉座
「あら、わらわが一番かしら?」
トリコロールの華麗なドレスに身を包む美幼女が、口元を扇子で隠しながらトコトコと歩いて来る。
「久しぶりね、ベンヌ」
「戻ったかしら、アスラ。久しぶりなのよ。あ、イリアも」
「……うむ」
三者三様にお互いの無事を確かめ合うが、本気で心配している者など一人も居ない。
「それでカミュ様は何処なのよ?」
「おそらくだけど……フィードアバンとツェーロの中間あたりだと思うわ」
天井から吊るされたこの城で一番豪奢なシャンデリアを見上げて、アスラは主君の姿を幻視した。
「で、何故一人で戻ったのよ?」
「何故って……カミュ様のご命令だからよ?」
「……そう。お前が残ってカミュ様がお戻りになられたら良かったかしら」
「私も、戻りたく戻った訳じゃないんだけど」
戻って来るなと言わんばかりのベンヌの一言に、額に小さな可愛い青筋を咲かせるアスラ。
「……よせ」
「まぁ良いかしら。それで? 何故カミュ様のお体に大きな変化があったのよ?」
「……ふぅ、まぁ良いわ。それは勇者(笑)との戦いで、大きなダメージを受けられたからよ」
「ダメージ!? どんな!?」
主君がダメージを受けたことに驚愕を隠しきれないベンヌが、ズササッとアスラに詰め寄る。
無言ではあるが、イリアも驚きを隠しきれていないようだ。
「そうね……一言では表すのは難しいのだけれど。太陽が爆発した、そんな感じだったわ」
「た、太陽が!? それでご無事な訳がないでしょ!」
あまりの衝撃にいつもの口調が崩れるベンヌ。だが、彼女を笑うことなど誰にも出来ないだろう。
もし自分が同じダメージを受けたらどうなるか。そんなことは考えなくてもわかる。瞬きする時間すら許されないほどの一瞬で、存在そのものが消滅する。それは疑いようのない明らかな事実なのだ。
「ご無事よ? だって……繋がったもの」
「繋がった!? 何が! いや、何処がなのよ!?」
あまりにも意味深なアスラの一言に、ベンヌは目を見開きながら唾を飛ばす。聞きようによっては一線を超えとも取れる発言、彼女でなくとも配下であれば驚きを隠せないだろう。
「……念話、そうだな?」
「あら? その通りだけど違って聞こえたのかしら?」
イリアの言を聞いて悪い笑みを浮かべたアスラが、そのままの表情でベンヌへと視線を移す。
視線の先には、体を震わさせながら口を開けて顔を真っ赤にする幼女の姿。
「お前のせいで……カミュ様が!!」
溢れそうな涙を目に湛えながら、ベンヌは強い視線でアスラを睨む。
今にも泣きだしそうなベンヌの姿に、アスラは度を越した悪戯を自省した。彼女の想いがまさか其処までとは思っていなかったのだ。自分に勝るとも劣らない強い想い、ならば伝えるべきは……
「それは……本当に申し訳ないと思っているわ。私が駆け付けた時には、既に全てが終わっていたの……ゴメンなさい」
項垂れるアスラの姿にベンヌは言葉を詰まらせる。本当は彼女もわかっているのだ。主君の変化はアスラの所為ではないことを。そしてその変化にアスラも戸惑いを隠しきれていないことを。
だが同行したアスラは主君の傍に侍り、城に残された自分は心配することしか出来なかった。そんな自分に悔しさと腹立たしさを覚えて行き場のない怒りをアスラへとぶつけたが、それはたぶん間違いだったのだとベンヌは思う。
「そんなことはわかっているかしら……で、どのように変わられたのよ?」
不貞腐れたように尋ねるベンヌを見て苦笑を浮かべたアスラが、自分に視線を向けるイリアも意識しながら記憶を探る。
「そうね――」
「――おや? アスタロトは未だか。で、皆で何の話じゃ?」
アスラが答えようとした瞬間、入口から黒を基調としたゴシックロリータの衣装にその身を包む美少女、サリアが現れた。
険悪な雰囲気を知らぬまま陽気に加わったサリアが、実はこの場を和ませていたことを彼女は知る由もない。
「サリア、久しぶりね」
「お帰り、アスラ。で何の話じゃ?」
「皆にカミュ様の、今のお姿を聞かせるところだったの」
「カミュ様のお姿!? 我にも聞かせるのじゃ!」
アスラの説明に食い付いたサリアが、身を乗り出して顔を近付けた。
その距離僅かキスまで五秒前。あまりの近さに身の危険を感じたアスラが、スウェーバックで顔面距離を確保しつつ、サリアの肩を両手で弾き返した。
「お、落ち着きなさい。今説明するから」
「お前は落ち着きがないのよ……サリア。ちょっと大人しくするかしら」
「あ゛ぁ!?」
「……よせ」
ベンヌの横槍に怒りを露わにするサリア。このままでは話が進まないと危惧したイリアが、ベンヌへと詰め寄るサリアを視線だけで制する。
「カミュ様は現在、とてもお若いお姿をされているわ」
「若いってどのくらいなのよ?」
「そうね……見た目だけならサリアと一緒くらいよ」
「我と!? そう……それは良いことなのじゃ!」
主君の見た目が自分の見た目年齢に近いと聞き、気を良くしたサリアがドヤ顔で胸を反らす。反らした胸の膨らみが僅かであることは、今この場で指摘することではないだろう。
「何をしてるかしら。その貧弱な胸を強調してどうするのよ?」
「あ゛ぁ!?」
「……よせ」
「それでお顔なのだけど、とても美しかったわ。この世に二つとないその中性的な美貌を、敢えて言葉で表すなら……この世の全てを凌駕する美の結晶と言うべきね」
両手で両の二の腕を掴んだアスラが、身を震わせながら恍惚とした表情で口角を上げる。アスラさん、涎、涎。
「それほどのお美しさを湛える主君……早くお目に掛かりたいものじゃ」
「アスラの言う見た目なら、わらわが一番お似合いかしら」
「赤子のようにあやされるなら、貴様が一番お似合いなのじゃ」
「はぁ!?」
「……ハァ、よせ」
溜息をついて、イリアが二人を止める。そろそろ怒りだしても良い頃合いなのだが、見た目とは裏腹に彼は非常に温厚な性格をしていた。
「ちなみにアスラ、カミュ様は巨乳と貧乳、どちらがお好みなのじゃ?」
「……はい?」
「何を惚けているのよ! そこがひじょーに重要かしら! 何故わからないのよ!?」
閉じた扇子をブンブン振りながら、ベンヌがアスラへと力説する。力の入れどころが非常に微妙なのは、場を和ませる意味で彼女の長所と言えるだろう。
右腕で涎を拭ったアスラが、取り敢えず二人へと向かって耳と意識を傾ける。
「……さぁー、聞いていないからわからないけど……」
「けど!?」
眉間に皺を寄せながら、アスラが何と答えれば良いかを思い悩む。実際にそんな下らないことを聞かなかったし、下らない質問の結果が主君からの極寒の視線だと想像すれば、そんな蛮勇なんて出せる訳がない。
レストエスであれば空気を読まずにあっけらかんと聞きそうだが、あれは脳の半分が変態成分で出来ているのだ。そもそも比較対象の次元が違う。当然だが下の方向に。
ラウフェイ経由でレストエスにお願いする手もあるのだが……こんなことでビッチ如きに頭を下げるのは途轍もなく癪だ。
「実際にお聞きした訳ではないのだけど……カミュ様は私の胸を揉みしだいて居られたから、大きい方がお好きなのではないかしら?」
嘘ではないが、とんだ濡れ衣である。
「それは本当かしら!? そんなのダメなのよ!」
「おいアスラ、それは本当なのか? 嘘だったら……殺すぞ?」
「えぇ、嘘じゃないわ。お好きかどうかは聞いてみないとわからないけど」
「「ぐぬぬ……」」
アスラからの羨まし過ぎる報告に、二人は隠しきれない嫉妬を唸り声に乗せる。そしてアスラを睨む。そして自分の胸に手を当てる。
「でも、大きさに拘りがなくても……貴女達には揉みしだく胸が見当たらないわね。ププッ」
「死にたいかしら!?」
「殺す!!」
「ハァーー、よせ!」
大きな溜息をついたイリアが、大きな声で三人を止める。この遣り取り、何回目だ? と密かに思うイリアだったが、そんなことを口にするほど彼は野暮ではなかった。
「まぁ、カミュ様の魅力を言葉だけで言い表すのは難しいわね。お会いした方が早いのだけれど……それは何時になるのかしら?」
主君の姿を脳裏に浮かべたアスラが、羨む二人を前にして優越感を曝け出す。少し大人気ない気もするが、彼女達にとって彼女達の主君はそれほどに特別な存在なのだ。
「アスラだけずるいのじゃ! 我もカミュ様の元へと駆け付けたいのじゃー!」
「外道はお留守番がお似合いなのよ。そういえばわらわには移動命令が出ていたかしら」
「えぇ、その通りよ。全員が揃ったら伝えようと――」
「――随分と騒々しいな。遅くなってすまない」
アスラの説明を遮るように、この場に集まるべき最後の一人が現れる。
全身黒ずくめのローブに身を纏う漆黒の美女、アスタロトだ。
「アスタロト、久しぶりね」
「うむ、久しぶりだな。兄も息災であったか?」
「カミュ様のお傍を離れたこと以外、特に問題はないわね」
「それは本当に残念だったな」
困り顔で答えるアスラに、アスタロトも困り顔で微笑む。
「さて……これで皆揃ったわね。では始めましょう」
居並ぶ面々を見渡し、トランスフォームした主君の下での初めての幹部会議をアスラが粛々と宣言する。
一番入口に近い位置で手を下腹部の前で交差させながら粛然と立つのは、地獄道主であるアスタロト。
玉座の向かって右側に立つのは、畜生道主のベンヌ・オシリスと外道主のサリア。
肩幅に足を広げ腕組みしながら玉座の前で仁王立ちするのは、竜人道主であるイリア・ガラシャ。
そして玉座の左側で微笑を湛えながら悠然と立つのは、修羅道主のアスラである。
会議への参加資格がありながらも此処に居ないのは、お出掛け中の餓鬼道主であるカメオウ。それに現在カミュと一緒にいる特殊部隊の司令官であるバディスとレストエス。そして現在行方の知れない魔王副官のバアル・ゼブルだ。
「バアル・ゼブルが不在の今、私が会議を進めても構わないかしら?」
アスラの提案に一同は無言で頷く。
先ほど挙げた九人の中で、無類の知性を誇るのがバアル・ゼブルとアスラの二人。実はその二人と同等の知性を持ってはいるが、表に出さないのがアスタロト。残念なのはベンヌとサリアだ。
そんな状況だからこそ、アスラの進行に異議を唱えるものは居なかった。
「では……我らがご主君、カミュ様のお言葉を皆に伝えます。総員傾聴!!」
アスラの力強い宣言に、集まった各位が片膝をついて最敬礼で項垂れる。
「ベンヌ・オシリスは即座にフィードアバンへ移動――」
「――は?」
「コホン、私配下の四名はご指示があり次第、カミュ様の元へと移動。イリアは引き続き玉座の間で待機。アスタロトとサリアは城の守備を続行……以上よ」
「わ、わらわがフィードアバンへ? ちょっと待つかしら!」
自分の身の上を聞き驚いたベンヌが、アスラの言を遮って承諾ではなく疑問を投げかける。そんなベンヌを鋭く睨むアスラが、今の状況を粗忽者へと諭した。
「ベンヌ・オシリス、私はカミュ様のお言葉を伝えると言ったわ。もう忘れたのかしら?」
「あ……いや、でも!」
「でも? ヘチマ? カミュ様のお言葉を遮るなんて……貴女、死にたいの?」
冷徹に言い放つアスラを見上げたベンヌが、顔面を蒼白にしながら震える体で唇を噛み締める。
「も、申し訳ございませんでした……」
アスラの言を遮ったのであれば保護者役のアスタロトが取りなすのだが、ベンヌが遮ったのは至高なる絶対者の言。例えベンヌであろうと、謝罪なしに許されるものではない。
「まぁ、内容が内容なのだから驚くのも無理はないわね。先ほどのことは聞かなかったことにしてあげましょう」
アスラの言う通り、ベンヌにとっては青天の霹靂だった。アスタロトから旅支度と留守中の代役を整えるよう言われ、自分が主君の元へ駆け付けるものと思い込んでいたのだ。
それが一転、あの何もなくてつまらないフィードアバンへの移動とは……。怒っていたはずのアスラが彼女に同情してしまうのも無理もないことだった。
だがアスラよ、都合の悪い記憶の封印によって君は忘れているのだ。フィードアバンへとベンヌを追いやる進言をしたのが自分であることを。
「アスラ……ありがとうなのよ」
アスラの優しさに涙ぐむベンヌ。これで彼女は大人しくフィードアバンへ移動することだろう。
「カミュ様からのお言葉は以上よ。では、皆立って」
アスラが終わりを伝えると、皆がバラバラとその場に立ち上がる。
ベンヌの力が抜けているように見えるのは、脚が痺れた所為でないことだけは確かだろう。
「貴様一人だけが良い思いをしようとするからこうなるのじゃ!」
ベンヌが移動することなど全く知らなかったサリアが、気力どころかやる気すら見えない幼女に止めを刺す。何時もなら言い返す筈のベンヌも、今回ばかりは大人しい。
「で、アスラ。兄はどうするのだ?」
「私は、カミュ様からのご指示があり次第、戻ることになると思うわ」
「アスラだけずるいのじゃ! 我もカミュ様にお会いしたいのじゃー!」
「そうね……カミュ様の元へ戻ったら提案してみるから、もう少し待ってね」
自分だけ蚊帳の外と思い込むサリアが、アスラへ忌憚のない不満を漏らす。
そして困り顔でサリアを見るアスラ。ベンヌもサリアも主君に会えないのが可哀そうとは思うのだが、おそらく駆け付け警護役は一人しか選ばれないはず。そう思うアスラにとって、それだけはどうしても譲れないマストな任務だった。
更にアスラは妄想を膨らませる。自分が駆け付ければ、一人だけ不要な者が出るのだ。それは今まさに主君に言い寄っているであろうクソビッチ。彼女には何か用事を言い付け、お役御免で直行直帰して貰うのがベスト。悪い笑みを浮かべてアスラは密かにほくそ笑んだ。
「何故そんな気持ちの悪い顔をしてるのじゃ? アスラ」
「……え? な、なんでもないわ! それよりカミュ様からお手紙を預かっているの」
「手紙?」
胸元から羊皮紙を取り出すアスラを見て、アスタロトが小首を傾げる。主君からの手紙に疑問を持った訳ではない。何故そんなところに仕舞ったのか理解が及ばないのだ。
「そう、手紙よ。あぁ……まだカミュ様の温もりが残っているわ」
(その温もりって……貴女のものでしょ?)
恍惚の表情でうっとりと手紙に頬ずりするアスラに、口端を引き攣りつらせながらもなんとか平静を保つアスタロト。
「じゃ、開けるわね」
これ以上に大事なものはないと言わんばかりの所作で、丁寧に丁寧に手紙の封を解くアスラ。
広げた手紙を読み上げようと目にした瞬間、彼女の満面の微笑みが凍り付く。
「……」
「どうしたのだ? アスラ」
手紙を凝視するアスラの眉間には深い皺が刻まれ、見開いた目は充血している。ワナワナと震える彼女の背中に、アスタロトは大量の発汗を幻視した。
挙動不審とは正にこの状態を言うのだろう。胸元に仕舞っていた所為で、インクが滲んだのだろうか?
「……アスラ、読まないのか?」
「……え? あー……読めないの」
「読めない!? 拙にも見せてくれるか?」
早く主君の言葉を賜りたいイリアが先を促す。だが返って来たのは意外な一言だった。
彼女が文字を読めないなど有り得ない。であれば達筆過ぎて読めないのだろうか? そう思ったアスタロトが、アスラの横から手紙をそっと覗く。だが……
「な、なんだこの文字は? いや記号か!?」
「早くわらわにも見せるかしら!」
手紙の文字に驚愕するアスタロトを見て、既に先ほどの精神的ダメージから回復したベンヌがせっつく。過去を引き摺らないのが彼女の長所だろう。
ベンヌからの催促を助け船としたアスラが、部屋の隅にあるテーブルへと歩みを進めて主君から授かった手紙をバッと広げる。
「どれどれ……」
ベンヌが一早く覗き込むが、一目見ただけで早々に解読を諦めた。正確な自己分析能力も彼女の長所だろう。
それに続き、彼女に続いて歩み寄った全員がテーブルを取り囲んだ。
「どれどれ……ふむふむ。よし! イリア、任せたのじゃ!」
サリアが譲り、イリアが前に出る。
「……これは記号? ……いや、神代文字か!?」
「神代文字!?」
イリアの突飛な推測を聞きいたアスラが、声を荒げてアスタロトへと振り向く。視線を向けられたアスタロトも、頭を左右に振るだけしか出来ない。
どうやらこの場には、この文字を読めるものがいないようだ。残る読解の方法としては書いた本人に聞くことだけ。だが配下の行いとして、それが果たして正しい行為なのだろうか?
「お聞きするしかないのかしら……?」
「……それは不敬に当たらないか?」
「拙もそう思うぞ。もう少し考えるべきではないのか?」
三人で必死に頭を捻るが、手紙を解読することは出来そうもない。残り二人は既に興味を無くしたようだ。
五人揃って手紙が読めない、普通に考えればあり得ない話だ。だがそれは当然だった。何故なら手紙は日本語で書かれているのだから。
「……なら、この手紙はワシが預かっておこう」
今後も玉座に居るだけのイリアが、主君からの手紙の読解を申し出る。彼が暇潰しのために立候補したと考えるのは、邪推が過ぎるだろう。
手紙のことを一旦棚上げした一同が、テーブルを離れ元居た場所へと戻った。そしてお互いがお互いを見つめたその時、アスラの元へと一通の念話が届く。
「か、カミュ様!」