風呂
有事に際し秘匿しているそのトランスフォーム能力を解放することで、巨大ロボとなった東京都庁が厄災から都民を守ると、誰にも言ったことは無いが実は密かに信じている。
人口一千万を超える巨大都市の象徴なのだ。そのくらいの機能性を有していても不思議ではない。都民の血税を容赦なく使い込んだ一品。あの無駄としか思えないフォルムにも必ず意味があるはずなのだ。
バディスから拡張機能があることを聞いたカミュが目の前に出したログハウスを見つめ、もう戻ることの出来ない母国の象徴的建造物を思い出す。
変形は男のロマン。変態から変形を聞く状況に思わず苦笑を浮かべるカミュが、逸る心を抑えつつ踊る心でバディスへ問うた。
「それでバディス、ログハウスの拡張はどうすれば良いのだ?」
「ログハウスの拡張機能は詠唱に近似した言葉により解放します」
「ほう……魔法の言葉のようなものか?」
「そうですね、夢の扉を開けるための言葉……そんな慣用句が似合っているでしょう」
夢の扉か……変態のくせに上手いことを言う。おそらく拡張にはコマンドワードが必要で、そのワードでログハウスの拡張機能が起動するのであろう。
「それで、このログハウスはどんな形に変わるのだ?」
「え!? あ、はい。外観が木造である既存建築物を、石造りの砦を模した客間、他が下から隆起して押し上げる形です」
目を見開いて口早に説明するバディスを見つめ、無知の言い訳が記憶喪失しかないことへの気力と体力の限界を痛感する。
もっと共感し易い便利な言い訳があれば良いのだが、いまだ持って自分が誰かさえも知らないのだ。
(もう……ぶっちゃけたい)
超えてはならない一線を、超えたい衝動に駆られる。だがここで諦めることは許されない。徳俵一つ分の状況でも残さなければならないのだ。何故なら、彼らが敵に回ろうものなら一瞬で死ねる自信があるから。
だが逆に考えればそこの土下座したまま死んでいる男のように、一思いに殺して貰えるならまだ幸せだろう。生きたまま無間地獄に誘われようものなら、精神崩壊による知的生物的な死が待っているのだ。考えただけでもその悍ましさに身の毛がよだつ。まぁ実際によだつ毛は生えていないが。
「ではその言葉を教えてくれ……ん? バディスの言葉で解放されないのか?」
「拡張は所有者にしか出来ません。この場合はカミュ様……あなた様だけが可能なのです」
「ほぉ……」
まぁ、その通りだな。鍵が他人に開けられたのでは、鍵をかける意味がない。異世界と言えど、田舎の不用心さとは違うのだろう。
「では、よろしいでしょうか?」
「頼む」
目を瞑ったバディスが一呼吸を置き、真剣な表情で目と口を開く。
「――来たれ 狭隘を抜け出しし者 増殖を支配するものよ。汝 孤独を愛する者 隣接の敵 闇の朋友にして同伴者よ。我が 住処にして安寧の場所に安らぎを齎せ 拡張」
「……はい?」
長過ぎないか? いやこれが普通なのか? 覚えきれなかったが、私の理解力が頗る悪いのか??
「あ、聞き取り辛かったでしょうか?」
「い、いや……そうではないのだが」
バディスが思いっきり不審がっている。というかあんなに長い詠唱、心の準備も無しに一度で覚えられる訳がないじゃない。
(さてどうしたものか……)もう一度聞いたところで覚えられる自信もやる気も出ない。
「さっきの以外に別の詠唱は無いのか? 長くて、少し面倒だな」
「我輩が存じ上げているのは先ほどのだけです。それに解放の言葉はカミュ様が決められましたので……申し訳ございません、我輩はこれ以上知りません」
(ま、まずい……)自分で決めたことを忘れた挙句、長すぎると自分で文句を垂れるとは……滑稽過ぎる。
というか、詠唱なんて自分の思いが伝われば良い訳で、結局は思いが伝われば何でも良いんじゃないか? というか、思いを伝える? 誰に? ログハウスに??
なんか思考が夢見る乙女的な甘酸っぱいものになっているけど大丈夫か? 全然大丈夫じゃない気がするがいやまて……ソレはアレでところがしかしでバイザウェイなんじゃないか? この目の前にあるログハウスのビフォーアフターを、頭でイメージしつつ心で伝えられれば……。
そういえば困難な状況に陥った際でもこれを唱える事で万事解決すると言われる何でもありの超反則的な呪文があったはずだ。それは確か……
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス!!」
腕組しつつ仁王立ちのカミュがハッとした表情で、胸を反らしながら意味不明な呪文をお腹の底から解き放つ。その姿は青春の熱い想いを叫ぶ少年のようであり、危ない薬を常用した末期患者のようでもあった。
間もなくログハウスが光に包まれ、一同が目を見開く。光を見つめて大きく目を見開くのは呪文を唱えた本人。残りの三人は詠唱の意味不明さに理解が及ばず目を見開いている。
やがて光が終息し、その跡には先ほどと何の変哲もない、ありのままのログハウスが存在していた。
「……ん?」
「カミュ様、先ほどのは一体……なんだったのでしょう?」
小首を傾げるカミュに、ポカン顔のバディスが恐々と尋ねる。触れてはいけない何かに敢えて挑戦する、そんなバディスの様子をレストエスとラウフェイが固唾を飲んで見守っている。当然だが横たわったままの女と土下座したままの男には無視されているが。
「何も変わってない……よな?」
「はい。我輩には全く同じ外観に見えます」
(ですよねー)でも、それなら先ほどの光は一体何だったのか? 何か変化があっても良さそうなのだが……光を灯すだけの呪文だったのだろうか?
「バディス、ログハウスのドアを開けてくれないか?」
「は? ……あ、いえ。ドアを開けられるのはカミュ様だけです。お役に立てず申し訳ございません」
切なさに塗れた表情で一礼するバディスに、カミュは心の痛みを覚える。謝らせるつもりなど毛頭無いのだが、話せば話すほどに変な空気が生まれてしまうのだ。
「いや、ドア開閉の生体認証機能が生きているか確認しただけだ。気にするな」
「どあ? ……せいたいにんしょう?」
「ん゛ん! 何でもない、入るぞ」
首を傾げるバディスから逃げるようにカミュがログハウスのドアを開く。これ以上の会話はボロが出るどころか、血が出る事態になり兼ねない。主に配下方面からの攻撃によって。
カミュが勢いよくドアを開けると、そこには見慣れたいつものベッドではなく、見慣れない華麗なロビーが広がっていた。
ロビーには絨毯が敷き詰められ天井からは豪奢なシャンデリアが灯る。先に続く長い廊下は覆われた闇が全体像を隠し、唯一足元の間接照明だけが歩行者の行き先を漠然と照らしている。暗闇の中で辺りを見渡したカミュが、廊下の両側に等間隔で規則正しく並ぶドアを見つける。だがそのドアには連続する数字が表札のように掲げられていた。
(ラブホ……?)
「おぉー!」
背後からレストエスの感嘆が聞こえる。彼女と言えど現代の休憩施設など流石に見たことが無いだろう。
「空間スキルで外部に変化を齎すことなく内部だけを拡張されたのであるか……素晴らしい、なんと幻想的で落ち着きのある空間であろう!」
「あ、あぁ……おそらくだが、どの部屋に入っても同じ作りのはずだ。好きな部屋で休むといい」
「え? 一緒のお部屋じゃないんですか?」
周囲を見渡し自己分析に浸るバディスを他所に、ドアを開いて室内を確認する。覗きこんだ先にはイメージ通りの広いベッドが置かれ、確認せずともバス、トイレの設置が伺える作りとなっていた。
「これだけ部屋があるのだ。一人で広々と使った方が良いだろう」
提案を一蹴されレストエスが大袈裟なまでの悲哀をその美しい顔に浮かべる。少し可哀そうになってきたが、ここで慰めると自動的に同室での就寝が決定してしまうので注意が必要だ。
心を鬼にしてレストエスの可愛い甘えを却下し、まだ辺りを見回すバディスへ振り向く。
「バディス、外の女を適当な部屋に運んで休ませてやれ」
「承知しました」
「レストエス、ラウフェイ、好きな部屋で休んで良い。今日もご苦労だったな。しっかり休んでくれ」
「いえ! そんな全然……あ、ありがとうございます」
バディスが女をお姫様抱っこで部屋まで運ぶ。男前は何をやっても本当に絵になる。羨ましい限りだ。
レストエスが羨ましそうにバディスを見ているが、バディスにお姫様抱っこされたいのだろうか?
「さて、私は一番奥で休む。皆、適当に部屋を使ってくれ」
「「承知しました。お疲れ様でした」」
三人が唱和とともに一礼する。彼らの言う通り本当に疲れた。主に精神的なものだが。
皆に背を向け片手で挨拶すると、そのまま最奥の部屋に向かって歩き出す。
客室は左右に十室づつ、計二十室あるようだ。自分達の他に客人が誰も居ない風景を見ながら、遠い昔の記憶となった修学旅行を思い出す。
(修学旅行か……好きな娘がどの部屋に泊まっているか気にしていたな)
最奥の部屋の前に立ち、ふと後ろを振り向く。三人は自分を見送るべく直立したままだ。
修学旅行、最奥の部屋、レストエス。バラバラだったピースが一つになる感覚。頭脳はおっさん、体は少年……? 名探偵ではないが、莫迦でもわかる謎の答え。
見慣れた部屋に入りベッドに腰掛けると、暫く待って一人の男の姿を脳裏に浮かべた。
『バディス、少し良いか?』
『……ハッ!? 何か問題がありましたか?』
『問題はないが、少々思うところがあってな。バディスよ、今日は私の部屋で寝てくれないか?』
『え!? ご一緒にですか!?』
言葉選びを間違えたようだ。確かに「部屋に来い」と言われたら、誤解してしまうのも仕方がないだろう。
『いや、誤解を招いたようだ。部屋を変えてくれ、という意味だ』
『あ……失礼しました。ではこれからお部屋へ伺います』
残りの説明は……面倒だな。バディスが来たらとっとと部屋を離れよう。
さて、この後どの部屋で寝るかだが……ヤツが絶対に来ない部屋か。ただの空き室ではヤツに限らず誰でも簡単に入れるだろう。入れはするが入ろうとは思わない部屋。
カミュの頭に電気が灯った瞬間、入口の扉から実に優しいノック音が響いた。
「入れ」
ガチャっと扉を開いてバディスが入室する。少々顔が紅いようだが何かあったのだろうか?
「お待たせしました」
「私は別の部屋に行く。ここは好きに使ってくれ。では、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
紅い顔を隠すように一礼するバディスの横を通り抜け、そのまま部屋を後にする。
そして、草木も眠る丑三つ時と思われる時間帯。最奥の部屋へ入り込んだ闖入者の悲鳴が闇夜を切り裂き、続いて男の怒声が朝まで延々と続くことになった。
悪夢を見ていた。ゾルタンに追い掛けられた私は腕を斬り飛ばされる。鋭利な刃物ではなく、切れ味の悪い斧で力任せに。
あまりの激痛に眩暈を覚え頭が朦朧となる。目の前が真っ黒になり意識を手放そうしたその瞬間、目の前に天使が舞い降りる。そんな夢を見た気がした。
「起きたか?」
突然の声に驚き、右手で支えながら体を起こす。右手で……?
視線を向けると其処にはあるはずのない右手が生えている。
「此処は……?」
「私の家……いや、部屋か?」
思わず呟いた私に、椅子に腰掛けた少年が答える。(……少年で良いのよね?)あまりの美しさに性別がどちらかわからなくなるが、口調や胸の膨らみから察して少年で間違いないはず。
あの胸でもし女性だったら……その時は思い切り心の底から謝ろう。
でも何故だろう。あんなに怖い目に遭ったばかりなのに、目の前の少年には警戒心が湧かない。のんびりした口調の所為だろうか? それとも容姿端麗な所為か? 何れにしても彼から危害を加えられる姿を想像出来ないのだ。
「君が助けてくれたの? それにこの腕、治癒まで?」
「助けたのは私の配下だ。治癒したのもな。後で紹介しよう」
「そう……でも、結局は君が助けてくれたんじゃない。ありがとう」
思わず零れる私の微笑みに、少年の愛らしい顔に戸惑いが浮かぶ。配下が勝手に行動する訳はないのだから、助けるように命じたのは目の前の少年で間違いないはずだ。
まるで他人事のように話す少年に可笑しさが込み上げる。もう少し恩に着せるように話しても良いのでは? とつい思ってしまった。
「ところで何故……いや、先に名前か。お前の名前は?」
「名前? あ、私はヴェラ。君は?」
「私はご隠居だ」
「ふーん。変わった名前だね?」
銀髪さえ珍しいのに、名前も聞いたことがない珍しいものだ。本当の名前ではない……? そっか偽名なら納得できる。
「よく言われる。話を聞きたいが、先ずは風呂に入った方が良いだろう」
思わず腕の臭いを嗅いでしまう。自分ではわからないがかなり臭いのだろうか?
「服と体に血が付いているはずだ。洗い流した方が良いだろう。服は私が洗っておこう」
なるほど……血か。ただ気になるのは血の付いている場所。右腕を斬られたのだから、右腕を中心に血の跡が広がっているはず。でも血が付いているのは左腕から胸にかけて……どうしてだろう?
「そこの取手を引くとドアが開くから、ドアの前で服を脱いでから風呂へ入れ。湯を沸かすのは時間が掛かるから、今はシャワーだけの方が良いだろう」
「……どあ? しゃわあ?」
少年の言っていることが全く理解できない。同じ言語のはずなのに、単語が全然わからないのだ。私の頭が悪いの? 決して良くはないけど悪くはなかったはず。
「そこからか……仕方ない。一緒に入ってやる」
「一緒に!? だ、大丈夫! 使い方さえ教えてくれれば、一人で入るから!」
サラッと凄いことを言う少年に、思わず顔が赤面する。胸から上が茹で上がったように熱い。
「そうか? じゃあ湯を出しておいてやる。服は脱いでベッドの上にでも置いておけ」
何事もなく言い放つ少年が躊躇も遠慮もなくお風呂場へ入ると、間もなくお湯の床を叩く音が聞こえてきた。
彼は見知らぬ女性とお風呂に入って恥ずかしくないのだろうか? あの年齢なら年頃の女性に恥ずかしさを覚えるはず。何というか……言動がおっさんくさい。
全裸となった私は両手で上と下を隠しながら、そそくさとお風呂場へ向かう。少年は私に目もくれずベッドへと戻った。そんなに魅力が無いのだろうか? ちょっと寂しく思うのは私の我儘なのだろう。
”しゃわあ”というのは便利なものだ。変な形の持ち手から線のようにお湯が噴き出してくる。それも止めどなく延々と。
どういう原理でお湯が出るのかまったくわからないけど、便利であればそれだけで良い。私もいつかこういう家に住んでみたいものだ。
でも、この部屋って一体何だろう? 生活感がまったく感じられないし、ただ寝るためだけに作られたように思える。私は溢れ出す疑問に蓋をして少年へ声を掛けた。
「ねぇ少年! このお湯どうやって止めるの?」
「今行く。そのままにしておけ」
どうやってお湯を止めるのかわからず呆然と流れを見つめていると、後ろの”どあ”が唐突に全開にされた。
「うぉ!!」
「女性とは思えぬ叫びだな。ほら、タオルだ。これで体を拭け」
片足立ちで上半身だけ捻って後ろを振り向き、右手で胸を、左手で股間を隠す私。恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだ。勘弁してよ……少年。
少年から受け取った”たおる”という布で体の水分を拭き取ってみると、びっくりするほどの速さで体から水滴がなくなっていく。でも、なんだろうこの素材。肌ざわりの良さと鼻をくすぐる香しさが尋常じゃない。
「あ、ありがと」
さっとお湯を止めた少年が足早にお風呂場から出ていく。どうやって止めたのだろう? 一瞬で止めたみたいだけど、まったくわからなかった。
体にたおるを巻きつけて少年を追うと、ベッドから広い上げた私の服を少年が差し出してくる。
「ほら、洗っておいたぞ」
「は? そんな短い時間で洗える訳ない……え!?」
受け取った服を見て自分の視覚と触覚を疑ってしまう。洗ったとかそういう次元の話ではない。何処からどう見ても新品なのだ。
「どうした? 早く服を着たらどうだ」
「え、でも……これ取り替えたの? 新しいのと取り替えてくれたの?」
「いや、お前が着ていたものだ。いいから早く着ろ」
少年が後ろを向き私から視線を逸らす。小さいのに紳士的な対応だ。全然似合っていないのに。
「はいはい」
少年の背中を見ながら手渡された服へ着替える。確かに少年の言う通り、私の服で間違いない。何故ならそのサイズがピッタリなのだ。
「着替えたな? では改めて。何故お前は追われていたのだ? お前も野盗なのか?」
「ち、違う! 私は野盗なんかじゃない! 私は……攫われたの」
嫌な記憶が呼び起こされる。村を焼かれ父を殺され、そして連れ去られ。目を盗んで逃げ出した先で捕まってしまい腕を斬り飛ばさたのがつい昨日のこと。
腕が無くなった記憶が蘇るとともに消え去った筈の痛みがぶり返す。目が眩み呼吸が荒くなり立っていることも出来ずにしゃがみ込んだ私の背中に、目の前の少年から優しさが降り注いだ。
「顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」
背中を優しく撫でる少年が私に微笑みかけてくれる。さっきまでの痛みと眩暈が一瞬で霧散し、私の心が雲間から差す光のような爽快感で洗われる。
「だ、大丈夫! ありがと」
優しく微笑む少年に、私も精一杯の微笑みを返す。
今はただ、微笑むだけのことが幸せに思えた。