変態
覚醒から五日目、昨日の野営場所からログハウスを撤去する。
空間スキルの使用にもだいぶ慣れ、愈々この世界に染まってきたなとカミュは自覚する。
出発にあたり今の現在位置を確認したが、遥か東に行けばウェスリブの街が、遥か北には左に見える川の大きく右に曲がった姿があるという。
カミュとしてはこのまま東に向い寄り道をしたいのだが、レストエスやラウフェイを納得させられるほどの、気の利いた言い訳を思い付けない。
後ろ髪惹かれる思いで北を目指すカミュ。そして主君と一緒でさえあれば目的地が何処でも良い二人。カミュが二人の想いに気付けていれば、その後の世界の命運は大きく変わったことだろう。だが気付けない。それがカミュであり、カミュたる所以だった。
「そういえば、アスラが言っていたな。レストエスとは別にもう一人待機していると」
カミュの視線にレストエスが顔を強張らせる。
「あ、あれは……気にしなくて良いです」
緊張のせいか敬語が崩れるレストエス。実はそちらの方がカミュは接しやすいのだが、カミュのイメージ通りならアスラが砕けた口調を許さないだろう。レストエスのことは勿論、それを許容するカミュのことも。
「そうなのか? だが同輩なのだろう?」
「個人的には同輩と認めたくは……いえ! カミュ様がお決めになったコトに異論がある訳では! ち、違うんです……」
同輩の否定が主君の否定に繋がることを後から気付くレストエス。慌てて言い繕うが、話すほど泥濘に嵌っている。
正直、カミュはその同輩を知らない。今は記憶が無いことになってはいるが、いくら頑張っても絶対に思い出せないのだ。
「まぁ落ち着け、レストエス。悪い風には受け取らないから、同輩に対しての素直な気持ちを言ってみろ」
「は、はい……」
レストエスは俯き暫し考える。どう説明したら良いのか、頭の中で纏まらないのだろう。
気長に待ち続けるカミュの耳に遠くから悲鳴が聞こえたのは、流石にレストエスへ声を掛けようかと思ったその時だった。
「……ん? 二人とも何か聞こえなかったか?」
「いえ……何も聞こえませんでした。申し訳ありません、何でしょうか?」
顔を見合わせる二人には全く聞こえていなかったようだ。気のせいだろうか? 転生前の自分は難聴では無かったが、陰口が聞こえるほど地獄耳でもなかった。
女性二人に聞こえていないのだから、自分に聞こえずとも……いや、一人はご老人だから聞こえないのも無理はない。レストエスが聞き逃したかもと考えを改め、声のしたであろう方向をカミュは遠見する。
「ん? あれは何だ?」
遠過ぎてよく見えないが、一人に五~六人が追いかけられているように見える。
目を凝らして様子を伺うカミュは、次第に自分の目を疑い始める。目の前の光景がとても信じられないのだ。見間違いだったら良いのにとさえ思う。
逃げ惑うのは蝶よ花よと育てられたであろう、ランドセルが似合うほど妙齢の幼女達。そして追い掛けるのは欧米の男性モデルを彷彿させるほど顔が整った、公序良俗に超絶的に反する男だった。
幼女達は男に徒ならぬ恐怖を抱いているのだろう、身に着けた服と泣き叫ぶ顔をグチャグチャにさせながら逃げ惑っている。例えるならコボルトに追われていた、情けないサーシャのあの表情。
一方の男は宝くじにでも当たったかのような満面の笑みを湛え、狩りを楽しむかのように付かず離れず幼女らを追い立てる。
だが、カミュが本当に異常だと思っているのは男の行動ではない。その姿だ。
「幼女達よ!! 好きだ、大好きだ。裸になってかかって来い!!!」
大声で叫ぶ男は、醜悪な笑みを更に深くする。正にこの世の春を謳歌する、そんな笑顔だ。
青に黒の瞳は涼し気な優しい目を作り、明るい茶髪の前髪は右目を半分だけ爽やかに隠す。筋の通った凛々しい鼻下には薄い髭を蓄え、形の良い顎には清潔感すら感じさせる顎髭が存在を主張している。
「「……」」
目を見開き絶句するレストエスとラウフェイ。視線を男に固定したまま、呆然と立ち竦くんでいる。
彼女達も信じられないのだろう。外見的に三十前の美丈夫が、全裸で幼女を追い掛けているのだから。
「あそこに居る変態は……もしかして知り合いか?」
無言を貫く二人。
だが、カミュは確認せざるを得ない。何故なら、アレがレストエスの同輩ならば、ソレは自分の責任下にある変態なのだ。
暫くして、レストエスがやっと重い口を開き始めた。
「……はい。そうです」
尻窄みに声が小さくなるレストエスに、カミュも同情を隠せない。アレを同僚と言い切るのは断腸の思いを超える、死すらもぬるい屈辱だろう。
「少々、趣味趣向が変わっているようだな」
「……そのようで」
レストエスが小さく見える。ラウフェイは存在を空気と同化すべく沈黙を貫いている。
「彼は誰だ?」
(そういえば明け方の薄暗い時間帯を”彼は誰時”と言ったな)
レストエスが答えに詰まり、開いた間でカミュが思考を脱線させる。だがこの世界の誰も黄昏さえ知らないだろう。カミュは無意識に沸き上がった過去への未練をそっと胸の奥に仕舞った。
「……彼は、私と同じデザイアー所属のスペリオール、名前をバディスと言います」
観念したレストエスが、渋々といった様子で彼の紹介を始める。
(なんか説明させるのが可哀そうになってきたな……)
「級はあたしやアスラと同じ超干級で属性は風、適正は闇。固有スキルは<解除>です」
「あぁ、九人居る私直属の配下の一人だな? ……凄い逸材だ」
カミュは自分の過去の人選に呆れ、投げやりに独り言を呟く。だがレストエスにしてみれば、嫌味どころか死刑宣告にさえ聞こえる。正に主君の不快感の表れだ。
緊急事態である。ラウフェイの「レストエスさん、まずいっすよ!」という幻視幻聴が押し寄せるほどに。
「カミュ様、申し訳ありません。少しこの場を離れてもよろしいですか?」
「離れる? まぁ、構わんが」
「ありがとうございます!」
深く一礼したレストエスが振り向くと、バディスに向かい鬼の形相で猛進する。
そしてカミュは感動する。これまでの短くない人生で初めて見る、土煙を上げて突き進む女性に。あのトレントを狩った時のような女の子走りではない、本物のアスリートの走りだ。
レストエスは瞬く間にバディスへ接近すると、幼女に目の眩んだ彼に気付かれることなく大跳躍し、空中で前転しながらその頭頂部に背後から凄まじい威力の踵を落とした。
遠くまで響き渡る轟音。仁王立ちのまま微動だにしない変態。おそらく脳震盪を起こしているのだろう。幼女に向けて突き出した手が虚空を掴んだままだ。
レストエスは更にバディスの後頭部を蹴りつけ、両腕を真横に開いたまま後転で彼の背後に立つと、大股開きで立ち尽くす彼の中央に悪魔さえも恐れる蹴撃を繰り出した。そう、垂直蹴り上げ式の……。
蹴り上げられたバディスは白目を剥き、泡を吹いて倒れ掛かるが、レストエスはそのまま倒れることすら許さない。
ツーフィンガーでバディスを鼻フックすると、気絶したままの彼を引き摺り歩きだした。
一連の行動に息をすることさえ忘れていた幼女達が、思い出したかのように大きく息を吐きだす。変態から解放され安堵するかと思いきや、何故か一様に泣きながら股間を抑える。おそらく間近で行われた凶行への恐怖で失禁したのだろう。
「ラウフェイ……あの子達を宥めてから、親元へ送り届けてくれ。間違っても怖がらせるんじゃないぞ?」
「お任せ下され。ご安心を」
人間のお婆さんにしか見えない今のラウフェイなら彼女らも心を開くだろう。本当は自分が宥めても良かったのだが、正直幼女は苦手だ。それに他にやることもある。
ラウフェイとレストエスが交差し、やがてカミュの目前に幼女の敵と男の敵が出現する。
正直に言えば「逃げる」コマンドの一択しかないが、裸族の責任者としてそうもいかない……そうなのか?
「レストエス、ご苦労」
全然そうは思っていないが一応労っておく。その怒りが自分に向くことはないだろうが、ほんの少しだろうと危険の目は摘んでおきたいのだ。
「お待たせして申し訳ありません。カミュ様、コレがバディスです」
言い終わるや否や、レストエスがバディスを放り投げる。
そのまま仰向けに倒れ込むバディス。だが地面に到達する直前でレストエスがバディスの横腹を蹴り上げ、仰向けからうつ伏せに強制的に姿勢を変えた。
「う……うぅ」
横腹への一撃で意識を取り戻すバディスの顔面が、物凄い勢いで青く変化する。見ているこちらが痛くなるほどに。
最後にレストエスがバディスの背中をヒールで踏み付けた。レストエスさん、刺さってますよ?
「バディス、目の前の足首を見なさい。近くてよく見えるでしょ?」
感情がまったく読み取れないレストエスの口調に、未だまったく状況の飲み込めないバディスは青ざめた顔で眉根を寄せる。
そして予想された変化は劇的に訪れた。
うつ伏せの状態から視線だけを上げたバディスの顔が真っ青になる。いや真っ青どころかチアノーゼかと見紛うほどの真紫だ。
「ル、ルシファー様!! このような姿での拝謁、も、申し訳ございません!」
紫の顔を驚愕に染めながら、震える心と体で許しを乞うバディス。
何と言えば良いのだろう。いい大人がこれほどの醜態を晒すとは……。最悪の事態を初めて見るカミュは、心の動揺を抑えきれない。
――三人の間に静粛が来訪する。招待していないのに態々お越しになるとは迷惑千万この上ない。
だがカミュもこの道数十年の男だ。最低限の慈悲を与えるのが真の男というものだろう。
「レストエス、そこまでで良い。バディスを回復してあげなさい」
「……はい、わかりました」
カミュの指示に戸惑うレストエスだったが、逡巡の末に渋々承諾する。
(そんなに嫌なのだろうか? ……実は仲が良くないのか?)
レストエスの気持ちに気付けないカミュ。知らないのだから仕様がないのだが、知らないということは残酷なことなのだ。
効率良く回復するには、当該箇所へ直接触れる必要があるのだが、バディスが負ったダメージは主に頭部と下腹部。より大きいダメージを負ったのは言わずもがな……。
レストエスはバディスの傍らにしゃがみ込むと、嫌悪感を満面に湛えながら汚物に触れるかのような所作で手を震わせる。
全裸でうつ伏せに横たわる美男子の内股へ、魅惑的な美女が奇麗な手を差し込むその姿は、もはやシュールの一言では片付けられないほどの怪奇現象だ。
(まぁ、自分で壊したものを、自分で治す。……自己責任だな)
現実逃避するカミュの目の前で、意を決したレストエスが秘境に到達。レッドゾーンに踏み込まれたバディスは一瞬身を固くするが、既に生命限界線は超えられたのだ。どうなろうと諦めるしかない。
「……<治癒>」
渋々感満載のレストエスが回復魔法を詠唱すると、それを聞いたバディスの顔に、この出逢いで初めての安堵が到来している。
淡い光の収束とともに、バディスの傍らからレストエスが即座に離脱するが、その素早さは残像を残すほどで忍者を彷彿とさせた。
眉根を寄せて両手を見つめる彼女に、エタノールの生成方法を教えてあげたいと思うのは自己満足だろうか? 最新技術では二酸化炭素からの常温での生成が可能だったはずだが……。
消毒のことは一先ず横に置いておき、カミュはレストエスを労う。
「レストエス、ご苦労」
まだ両手を見つめるレストエス。カミュからの言葉にも彼女の反応は薄いままだ。自分的に超えてはいけない一線を超えて、葛藤の中に潜む何かと戦っているのだろうか? 何れにせよそっとしておくのが無難だろう。
「バディス、回復したな? よし。では先ず服を着ろ」
カミュの言葉に頷くバディスに、服の着用を義務付ける。公然わいせつ罪の回避は紳士の責務なのだ。
着用したのは下が黒のボトムス、上は膝丈の紫紺に染まる貴族服だ。胸元のボタンは二列で縦に七つ、首から下がる真っ白な胸飾りは襟元を華やかに演出している。
その姿は正に貴族だった。適齢期の女性であれば皆が惚れるほどの男性もが羨む甘いマスクに、百九十cmの身長がその完成度を更に高めている。黙ってさえいれば紳士、一言でも話せば正真正銘の変態紳士だ。
「で、お前は何をしていたのだ?」
多少冷静さを取り戻したバディスに、カミュが静かに問う。最悪の状況をこの目で確認してしまったが、そこに至るまで何か特別な事情があったのかもしれない。何も聞かずに”悪”と断定するのは早計だろう。そう自分に言い聞かせる。
「……あれはそう、東の空に銀色に輝く一筋の流星を見つけた時。我輩の心に芽生えた疑問が溢れる敬意に変わっ――」
「――結論から言え」
長々とした前フリを一刀両断し、カミュは先を促す。
「……追い掛けていました」
「何故だ?」
カミュは率直に問う。追い掛ける必要性が全くないように思えるのだ。
だがもし自分が幼女を追い掛けるのであれば、それはどんな気持ちなのだろう。――考えてみるが想像力の乏しいカミュには、幼稚園から脱走した幼女を追い掛ける保育士の姿しか浮かばない。
「……愛、故に」
「……愛、か」
(やはり唯の変態か……)カミュは遠くを見つめながら目を細める。
一気に押し寄せる愚痴を首の辺りで留め、残った気力でバディスを窘める。
「良いか、バディス。幼女は触れるものでも、追い掛けて泣かせるものでも、ましてや怖がらせるものでは断じてない」
「……はい」
「幼女とは愛でるものだ。そしてお前にこの言葉を贈ろう。――ロリータ、ノータッチ」
男前に語るカミュの言葉に真摯に耳を傾けるバディスが、天啓を受けたかのように顔を輝かせる。
「……ろりーた、のーたっち? 良い……とても良い響きです」
「そうか、わかってくれたかバディス。 ノータッチだ!」
喜悦に歪むバディスの顔に理解の色を見つけ、カミュは畳みかけるように言葉を続けた。
「はい! のーたっちですな!」
「YES! ロリータ、NOタッチの精神だ!」
右手を差し出すカミュ。突然の主君のフレンドリーな対応に驚きを隠せないバディスが、恐る恐る右手を差し出す。そして二人は固い握手を交わし微笑みあった。
幼女への突撃は法に抵触する可能性が高いが、変態でも視姦するだけならおそらく大丈夫だろう。カミュはバディスの理解に一安心する。
「まぁ、今回は飛翔した私を見つけての、追い掛ける途中での乱心のようだ。取り敢えずは不問とするが、今後はこのような行動は慎め」
「承知しました。感謝致します」
右手を腹に当て、左手を腰に回したバディスが、踊るように深い一礼を見せる。
「それから私は名前を変えた。今後はカミュと呼ぶように」
「カミュ様……ですか。とても……そう、とても良いお名前です」
呟くバディスがその場に跪く。
「今後はより一層の忠誠を、カミュ様に誓います!」
そして次の瞬間、カミュとバディスの間に何かが確かに繋がった。
失われていたラインが再び繋がったのだろう。
バディスの言葉にカミュが鷹揚に頷く。
(とうとう変態と繋がってしまったか……)
多少の不快感を心に仕舞いつつ、カミュはバディスの肩を優しく叩いた。
「カ、カミュ様……」
目を潤ませ主君を仰ぎ見るバディス。その背後に大量のバラを幻視したカミュは、一歩だけ後退る。
その甘いマスクにバラがとても似合っているが何故だろう? 素直に彼を認められない。
カミュは自分の心の幼さを反省するとともに、今後の彼との距離感について思い悩んだ。
(コイツ……あっちの趣味はないよな?)




