遭遇
サーシャは懸命に逃げる。
体調二メートルまで二足歩行の恐竜を小さくしたような騎竜に跨り、川沿いの草原を北へ向かって遁走を続ける。
既に従者達の姿は無く、走り続けるのは自分と騎竜だけ。
今の速度を少しでも落とせば瞬く間に肉塊になることをサーシャは確信し、体力の限界を超えて走り続けていた。
事の発端は三日前の大爆発だった。
西の彼方からこの世の終わりを連想させる爆発音が轟き、いつもは静粛とマイナスイオンに溢れる森が、突如として狂騒と混乱に包まれた。
二百五十歳を超えるヴォロージャが、いつもの鼻につくプライドをかなぐり捨ててまで洞窟に飛び込んで来たのは、好きか嫌いかを別にしても仕方の無ことだったとサーシャは思う。
新たな鉱山の調査にボガーデンまで出向いた二人だったが、調査を開始して間もなく大爆発に遭遇することに。
サーシャは純粋に鉱山の調査を目的としていたが、ヴォロージャの目的が調査だけで無いことは明白だった。
ボガーデンから東へ八十里(三百二十km)ほど行ったところに強固な城壁に守られたブレノーアイ要塞があり、大陸の中央平原掌握の要であるこの要塞は常に王国と連合王国の戦略目標となっていた。
そのため現在は戦闘目的での立ち入りを禁止する不可侵条約が締結され、王国領のまま両国間に仮初の平和がもたらされている。
サーシャは洞窟に篭っていたため大爆発を直接は見ていないが、ブレノーアイ要塞へ行こうとして直ぐに引き返したヴォロージャの話では、遠目からでもハッキリわかる程の強烈な閃光だったそうだ。
その後暫く洞窟内に居た二人は体感していないが、閃光と爆発音に少し遅れて体験したことのない大きな地震が押し寄せたという。
後から聞いた話ではあるが、その地震が閃光と爆発音で起きた混乱に拍車を掛け、大混乱を引き起こしたとのことだった。
そんな経緯でヴォロージャは森の喧騒を鎮めるべくライフィールへの帰還を選んだが、サーシャは彼とは別行動となる爆発の原因調査を選択した。
表向きには爆発の原因調査。しかし鍛冶師であるサーシャの本当の目的は、在庫が枯渇した五~十cm級の魔石の補充と、鍛冶に使用する希少鉱石の採掘だった。
危険地帯へ踏み込む悲壮感を表層に出しつつ、内心で舌を出すサーシャは、暫しの別れを建前とともにヴォロージャへ告げる。
口煩いヴォロージャとの別行動に清々し、意気揚々と北西へと進むサーシャ達の目の前に幸運が舞い降りたのは、移動を開始してから三日目のことだった。
五人の従者と共に北西へ進む中、従者の一人がモンスターの小集団にいち早く気付く。
「サーシャ様! 西南の森からコボルトの小隊が現れました!」
「少ないな。なら、殲滅じゃ!!」
現れたのは体毛がくすんだ青色の、獣人の体に狼の頭を乗せた汚らしいモンスターだ。
その数二十。手には棍棒やカトラス 或いは ハンドアックスを持つが、その何れも草臥れ果てており切れ味は期待出来ないだろう。
彼らは知能が低く、数でしか戦力の差を計れない。
少数の敵は劣勢、そう判断したコボルトが、六人しか居ない集団へ襲い掛かったのは彼らからすれば当然のことだった。
「あの阿呆共には儂が最初に魔法を放つ。お前達は弱ったところに止めを刺すんじゃ」
「承知しました」
コボルトは辛級のモンスターであり、その身に五cm級の魔石を持っている。
従者五人が一斉に身構えるとサーシャは騎竜に跨ったまま、まだ魔法の有効範囲に入ったばかりのコボルトに向かって土の上級魔法を唱えた。
「<地震>!!」
サーシャが手を向けた先で、巨大地震が限定的な範囲で発生する。
<地震>は相手に致命傷を与える魔法ではないが、空を飛べない敵、特に体幹を重要視する剣士に対しては絶大な効果を発揮する魔法だ。
コボルト達は<地震>による行動阻害で立ち往生すると、止まない地震で転倒を繰り返しながら自分や仲間の武器でダメージを蓄積させる。
やがて地震が収まると、従者達が間髪入れずにコボルトへ襲い掛かり、二十からなる小隊を瞬く間に殲滅した。
「うむ、皆無事じゃな」
「サーシャ様の魔法のお陰です。そしてこれがコボルトの魔石です」
サーシャは大きく頷くと、従者から魔石を受け取る。
「いや、お前達の腕が上がったのじゃろう。さて、このまま川沿いに北へ向かうとしよう」
微笑みで部下を促すサーシャに、従者達も笑顔で「はい」と同意を伝える。
このまま小隊が現れ続けてくれれば、労せず五cm級の魔石が収集出来るだろう。
六人は笑顔のまま北上を続けた。
そして、皮算用に想いを馳せるサーシャの、笑顔を途絶えさせる悪夢が舞い降りたのは、コボルトの小隊を駆逐してから一刻後のことだった。
「さ、さ……サーシャ様!! み、南からコ、コボルトが現れました!!」
青ざめた顔で敵襲を伝える従者が、甲高い絶叫で錯乱の度合いを表現する。
その数、ざっと二千。
彼らは知能が低く、数でしか戦力の差を計れない。
だが、六対二千という数の暴力が、性能の差が戦力の決定的な差で無いことを歴然と物語っていた。
「ふは……、ふははははは! これは、魔石が取り放題じゃな!」
乾いた笑いで自嘲するサーシャは、コボルトの軍団を呆然と眺める。
「サーシャ様! お気を確かに!!」
顔面蒼白で窘める従者を一瞥すると、サーシャは今考えられる最善策を絶叫で伝え、北へ向かって遁走を始めた。
「総員、散開!! 逃げろ!! とにかく逃げるんじゃー!!!」
サーシャ達は脱兎の如く、バラバラとなり一目散に逃げ出す。
おそらく従者は一人も生き残れないだろう。
そういうサーシャもおそらく……。
しかし一心不乱に北を目指すサーシャの心には、従者を気遣う余裕も、自分の未来を予想する余裕もまったく無かった。
「カミュ様、ドワーフがコボルトの軍団に追われているようです」
ラウフェイに跨り空からその光景を正確に把握したレストエスが、眉一つ動かさず冷静に報告する。
彼女にとってはどうでも良い出来事なのだろう。
涙と鼻水で顔面をグチャグチャにしたドワーフが余りにも哀れで、カミュはドワーフに同情の視線を送る。
「ドワーフとは、あの先頭を走る獣人のことか?」
騎竜に跨り先頭を走る号泣の者は、小太りの体形から短い手足を生やし、首から上に狸の頭を乗せていた。
「”じゅうじん”……ですか? あまりに不細工でみっともない姿ですが、一応は妖精です」
(……yo! say? ……夏が胸を刺激する何かか?)
一瞬斜め上にぶっ飛ぶカミュだったが、親父ギャグレベルの下らない勘違いだったと直ぐに気付き、苦笑しつつも「妖精」と脳内補完する。
「そ、そうか……」
この世界には獣人が存在しないらしい。
想像とは違い過ぎる妖精の姿に絶句しながら、カミュはその後ろへ視線を移す。
「で、あの後ろを追うのがコボルトだな。あれは?」
狼を擬人化したような姿に獣人像を重ねるカミュ。
「あれはモンスターです。汚らしい下等生物ですので、近づかない方がよろしいかと……」
コボルトの不清潔感溢れる姿に眉を顰めたレストエスが、汚物を見る目でコボルトを見下す。
実はこのコボルト達、先の大爆発に脅かされ、東南の山岳地帯、つまりサーシャ達の居たボガーデン付近から森の中を北西へ移動すると、一旦川に出た後、草原を川伝いに北へ移動していたのだ。
三日前に起きたこの世のモノとは思えない大爆発にコボルト達は慌てふためき、緊急での合議の末に大集団での移動を決意。
住処を離れるのが短期なのか長期なのかすら結論を出せないままに、着の身着のままで厄災から逃れていた。
そんなコボルト本隊への先遣隊からの連絡が途絶えたのは一刻前。
何か問題があったのだろうと心配し移動速度を上げた結果、発見したのが先遣隊ではなくドワーフ達の小集団だったのだ。
先ずはドワーフ達から事情を聞こうと更に速度を上げたのだが、ドワーフ達はバラバラに逃げ出す始末。
追い付けそうで追い付けぬまま、今の鬼ごっこに至っている。
カミュはレストエスの視線の先に続くコボルトの部隊を見渡す。二千は下らない大所帯ではあるが、隊の行動に規則性を見つけられない。
先頭の部隊は移動速度を上げているようだが、後続部隊の移動速度は遅いままであり、伸びきった隊列が無防備な側面を露わにしている。
上空から見れば一目瞭然だが、部隊として機能していないことは明白だった。
醜悪かつ凶悪な表情でドワーフを追う大軍団。弱きを助け強きを挫くのは勧善懲悪の真骨頂だ。
カミュとしても汚いコボルト達を絶対に触りたくはないが、多勢に無勢のドワーフを救出するにはどうにかして斃す必要があった。
「さて……どうしたものか」
悩むと独り言を溢すカミュだが、おっさんは独り言で記憶をよみがえさせるという不思議な技を持つ。
海馬と大脳皮質の間で揺れていた記憶を掘り起こすと、カミュは股下のラウフェイに作戦を伝える。
「ラウフェイ。後ろ向きに飛びながら、ドワーフとコボルトの間に降りろ」
「承りました」
ラウフェイはカミュとレストエスを背に乗せたまま、飛翔の方向はそのままに体の向きだけを変える。
カミュの意図を理解しきっているかは不明だが、ラウフェイは理由を聞かずにその指示に従った。
(理由を問うのが面倒なのだろう)そう思うカミュだが、そもそも命令への質問が不敬にあたるなど想像もつかないのだ。
ラウフェイが体の向きを変えたことで、コボルト軍団が視界に入る。
気持ち悪いほどの数に苦笑を浮かべるカミュが、アスラから教わった<照準>を詠唱し、眼下に広がる部隊の殲滅速度について思考を重ねた。
一度に二千体の固定が可能なのかは不明だが、出来なければ何度か繰り返せば良いだろう。安易な考えではあるが空を飛んでいる自分にコボルトの攻撃は当たらない。当たらなければどうということは無いのだ。完璧な作戦を自画自賛したカミュは、次々とコボルトへスコープを当て照準を固定していく。
そして、数えきれない程の<照準>に飽き飽きしたカミュが、一息入れようと周りに視線を向けて初めて気付く。見渡す限りの全てのものが止まっていることに。
風に靡いていたラウフェイの毛は微動だにせず、カミュの腰に回していたレストエスの手が微動だにせず、ドワーフとそれを追うコボルトの軍団も微動だにしていない。
風も音も匂いもない孤独な世界に不安を覚えカミュは後ろを振り返る。しかしカミュの背を見つめたままレストエスの表情が動くことはなかった。
不安に飲み込まれそうになったカミュは堪らずレストエスの頬を指で突くが、彼女は何の反応も示さない。
続いて後ろ手に胸を突いてみるが、それでも彼女からの反応は無かった。
どうも集中している中で、無意識に極限まで時間を遅延させていたようだ。
寂しさに苛まれつつも諦めたカミュは黙々と<照準>を続ける。
カミュが作業を終わらせるのに一息入れてから、体感時間で三十分も要したのはカミュしか知らない寂しい記憶だ。
「ゥキャァアアァァ!!」
「ど、どうした? レストエス!?」
<照準>が終わると同時にレストエスが悲鳴を上げる。
集中力を切らしたせいか、時間遅延が無意識に解除されたようだ。
「も、申し訳ありません……。突然、瞬間的にですが頬と胸に違和感が走ったので……少々驚きました」
絶叫に羞恥心が芽生えたのか、レストエスが頬を染めて下を向く。
「そ、そうか。すまん……」
「……え? カミュ様が謝られることなんて何もないのですが……」
理由を知らないレストエスが不思議そうに小首を傾げる。
時間が停止した訳ではない。解除とともに頬と胸に蓄積していた電気信号が、爆発的な速度でレストエスの脳に伝わったのだろう。
思いっきり理由が思い当たるカミュは視線を逸らし、ラウフェイの頭を(この辺に伝わったのかなー?)と思いつつ優しく撫でた。
「ま、まぁ……不思議なこともある。それより、これからコボルトを殲滅する」
カミュの無茶な話題の転換にではなく、その後の以外な言葉に二人は目を丸くする。
何故ならラウフェイが体の向きを変えてから、まだ数秒しか経っていないのだ。
カミュが使用する魔法、<轟雷>や<審判>はまだ射程圏外であり効果は期待薄だ。<光の矢>で一体づつ仕留めるにも一刻~二刻は時間を要するだろう。
どんな方法でコボルトを斃すのか想像もつかない二人は、静かにカミュの結論を待つことにした。
「<光の矢><解放>!!」
咄嗟に耳を疑う二人。初級魔法……を解放!?
カミュが突き出した右手の先には、直径が十cmほどの魔法陣が浮かんでいる。
二千体を<光の矢>で……!? 言葉にならない驚愕が二人の表情に浮かぶ。
その刹那、カミュの右手から秒間十発にも及ぶ<光の矢>が、一矢も仕損じることなくコボルトの頭部を次々と爆散させていった。
全てが終わるまでに要した時間は二百秒。その長いとも短いとも言えない時間経過の果てに、頭部を失った汚らしい死体が広い草原を埋め尽くした。
呆然と死体の山を眺める二人からは、一言の感想もない。
無言のまま着地したラウフェイは、レストエスと共にまだ固まっている。
何がまずかったのかわからず心配になったカミュが後ろを振り向くと、二人と同じように固まるドワーフが視界に入った。
おそらく目が飛び出すほどの驚愕に塗れた表情をしているのだろう。顔が狸なのでよくわからないのだが。
「な……なんじゃこりゃあ!!!」
カミュ達の着地に気付き、我に返ったドワーフが絶叫を上げる。
「レストエス、ラウフェイ、帰って来い」
「……っは!? はい!」
取り敢えず配下を現実世界に引き戻すカミュ。
この後、狸のおっさんにどう説明しようか悩みつつ、悩んでから引き戻した方が良かったことに気付くと、苦笑を浮かべながらカミュは自分を鼻で笑った。