実験
カミュは先ほどの玉を筒の中に入れると、筒の中ほどに一つ、そして玉とは反対の出口に一つ、停止状態に酷似した極限の時間遅延空間を時間スキルで作り隔壁として設置する。並び的には玉、隔壁、空間、隔壁の順だ。
通常、空間スキルと時間スキルの同時展開は困難を極めるのだが、カミュは時空間スキルを極めているため複数個の同時設置が可能なのだ。勿論、本人はいつもの如く知る由もないが。
更にカミュは時間遅延隔壁内の空間密度を極限まで低下させ虚無空間を作ろうとするも、トレント筒がミシミシと軋み悲鳴を上げたため極限状態を断念。
空間密度の低下をトレント筒が耐えうるレベルに抑えて準備を整える。空気に例えるなら真空状態だ。
「これで準備は終わりだ。レストエス、ラウフェイ、全てのものは高きから低きへ流れるのは知っているか?」
「いぇ……知りません」
レストエスが申し訳なさそうに下を向く。
あまりにも曖昧な質問だったと反省しつつ、カミュは二人への説明を続ける。
「いや、良いのだ。気にするな。例えば水は山から海へ流れるだろう? 高いところから低いところへ流れるのは空気も雷も同じなのだ」
二人は理解出来ずに小首を傾げる。二人に理解して貰うのは後で良いと割り切ったカミュが、実演した方が早いだろうと考え実験に踏み切る。
「先ずは見た方が早いな。この中に入っている木の玉が高速で射出されるのだが、目では追えないだろう。あの岩に向かって発射するから見ておくように」
カミュは手に持った筒を、玉を前にして高さ十メートルほどの岩へ向ける。岩との相対距離は約二十メートル。普通なら外れる筈のない距離だが、過信で赤恥を晒したくないカミュは密かに<狙撃>を詠唱する。
少年のような好奇心で隔壁をスキルで解除するカミュ。その瞬間、手元のトレント筒が破裂し、大爆発音と共に五十メートル先の大きな岩山が「ドガン」と爆散した。
狙い定めた高さ十メートルほどの岩は砕け散ってはいなかったが、中央に直径二十cmのキレイな穴が開いている。余りの威力に岩を破壊することなく玉が貫通してしまったのだ。
射出原理は、空間密度の高低差による爆発的速度での空間の流入。密度の低くい筒内空間へより密度の高い通常空間が流れ込み、筒先端の玉が一気に押し出されたのだ。
亜空間の操作とは違い、現在空間の極一部の密度を下げたことで、この空間の流入現象が起きた。ここまではカミュの予想通りだったが……。
目と口を大きく開け驚愕の表情で固まるレストエスとラウフェイの前で、背中を向けたカミュが目と口を大きく開いて驚愕の表情で固まる。
唯一の誤算は爆発的な流入で生じた凄まじい威力と速度。カミュの予想とは余りにも違う結果に、三人はただ呆然と立ち尽くした。
「か、カミュ様。お、お見事……です」
まだ顔面が半分固まっているレストエスが、片言のような物言いでカミュに称賛を送る。ラウフェイは顎が外れたようだ。
「あ?……あ、ああ。思ったより少々威力が高かったが……。概ね想定通りだ」
まだ顔面が半分固まっているカミュが、取って付けたような物言いでレストエスに適当な相槌を送る。ラウフェイは「あぅあぅ」言っている。
「で、でも……カミュ様はなぜ、今のことを知っていたのですか?」
まだショックの抜けないレストエスが、無言を嫌うかのようにカミュへ尋ねる。
その質問に言い訳を全く用意していなかったカミュが、素朴過ぎる疑問に対して暫し悩む。だが答えなど直ぐに出る筈も無い。カミュは作り笑いでレストエスの瞳を見つめた。
「ん?……うむ。まぁ、なんだ。経験だな」
「そ、そうですか。……そうですよね!」
カミュの適当な答えに困惑しつつも、視線に頬を紅く染めるレストエス。
賛同など出来るはずも無いカミュの答えに、空気を読んだ同意を返すのは、彼女もこの視線に弱いからだろうか? ラウフェイはなんとか顎を戻そうとしている。
カミュは「オホン」と咳払いを一つし、話題を変える。
「先ほどのはあくまで実験、ここからが本来の目的だ。それよりレストエス、ラウフェイの顎を戻してやれ」
ラウフェイの惨状にまったく気付いていなかったレストエスが、カミュの言葉に振り向きそのだらしない姿を視認する。
両肩に脱力感を溢れさせたレストエスがおもむろにラウフェイへ近づくと、顎を下から蹴り上げ超強引に顎をはめ直した。
「うわぁ……」
前脚しかないのだから顎を戻せなくても仕方ないだろうとカミュは思うが、レストエスは容赦が無かった。
「至高なるカミュ様の御前で醜態を晒すな! この口裂けババア!!」
「ゴ、ガッ! ぅも、申し訳ございませぬ……」
鬼のような形相で叱責するレストエスに、平身低頭で謝罪するラウフェイ。
相手はお婆さんなのだから、そこまで強く当たらなくても……と思ったカミュは「許してあげなさい」と二人を執り成した。
カミュに諭されたレストエスが姿勢を正す。だが先ほどの光景はカミュの中で、強烈な衝撃として鮮烈に記憶されることに。率直に言って怖かったのだ。
怒らせないように気を付けようと心に誓い、カミュは話題を先ほどまで戻す。
「さて――射出実験の続きだが……。先ほどの原理を私自身に適用したらどうなるか、興味がそそられないか?」
まだイメージを掴めない二人が首を傾げる。確かに先ほどの説明では足りないだろうと思ったカミュが、その場で軽くジャンプする。
本当に軽く飛んだのだが、優に二メートルは浮いただろう。
カミュは上死点に到達すると、下半身と直下の空間を時間スキルで円筒状に周囲から遮断する。
時間遅延により空間に固定されたように見えるカミュが、先ほどと同じ原理で極限まで密度を低下させた空間を直下に作ると、唖然とする二人に準備が終わったことを伝える。
「では、やってみるか」
二人が「ゴクリ」と唾を飲み込んだのを確認したカミュは、円筒底の時間遅延を解除する。
そして大地を揺るがす大爆発音が響く。
二人は一瞬にして目の前から消えた主君を探すが、何処にも見当たらない。
視線を合わせて見つめ合う二人は、可能性に気付いて同時に上空を見上げる。そこには米粒ほどの大きさで、尚も上昇を続ける主君が居た。
「ラウフェイ!!」
レストエスが叫ぶと同時にラウフェイに跨る。
ラウフェイは何処からともなく取り出した羽衣を既に纏っており、レストエスを乗せると空へ飛び立った。
ラウフェイが纏ったのは”フレイヤの羽衣”と呼ばれる、空を自由に飛ぶことの出来るアイテムだ。
速度ではまったく追い付けないラウフェイだが、推進力を失った主君は何れ自由落下を始めるはず。
そう信じるラウフェイが懸命に上昇を続けると、やがて雲を突き抜け青一色の別世界に包まれた。
彼女達が到達したのは、風切り音も何も聞こえない、青以外は何も見えない、まるで彼岸と此岸の境にあるような、そんな絶対領域だった。
暫く呆然と佇む二人。そこに上空から愛しくも快活な声が降り注いだ。
「おお、ラウフェイ! そういえばお前も空を飛べたのだったな!」
満面の笑みで上空からの降下を続けるカミュを、レストエスが慌てて諫める。
「カミュ様、危険です! ラウフェイにお乗り下さい!」
懸命に手を伸ばすレストエスの手を掴むと、カミュは半回転しラウフェイに跨る。
ラウフェイのモフモフ感を足に感じつつ、カミュは後ろを振り返るとレストエスに「掴まれ」と声を掛けた。
「レストエス、ラウフェイ、ご苦労。思ったより高く飛べたな!」
「カミュ様、心配しました。あまりに無茶なことはお控えください」
無邪気に笑うカミュに、控えめに腰へ手を回したレストエスが苦笑のまま苦言を呈する。
空間スキルを使えば難なく降りられるのだが、折角心配してくれるレストエスに悪いと思い、素直に好意と承諾を伝えておく。
「そうだな、今後は控えよう。ではラウフェイ、先ほどの地点に戻ってくれ」
「承りました」
ラウフェイは自由落下を超えた速度で降下を開始する。やがて雲を突き抜け視界が開かれると、山と草原の間を走る大きな川が視認された。
山側は元々カミュ達が歩いていた方で、川と草原はカミュが未だ見ぬ大地だった。
「あの草原は?」
「王国領にございます。現在は人間が支配しています」
「では、あの川沿いを走る集団は何だ?」
「……すみません、ここからでは分かりません。たぶんモンスターが獲物を追っているんだと思います」
カミュの横からヒョコっと顔を出したレストエスが、わからないながらも自分なりの見解を述べる。
レストエスの可愛い仕草に軽くブルドッキングヘッドロックをかけたくなる衝動を抑えつつも、何が何に追われているのか気になったカミュは、ラウフェイにその地点への着地を命じ様子をじっと伺った。
レストエスもラウフェイも着地に異を唱えないこと、それが自分の身に危険が無いことの証明だろう。そうカミュは考える。