プロローグ-2
見渡す限りの深い山、囲まれる夕暮れの闇、その中空で一人の男と一人の女が見つめ合う。
男はその端正な顔に邪悪な笑みを浮かべ悠然と佇む。その微笑みは纏っている漆黒の衣装との相乗効果で一層、彼の禍々しさを際立たせた。
「勇者(笑)よ……哀れなものだな」
「な……戯言を! ……ぬかすな!!」
女はその美しい顔に真っ赤な化粧を斑に纏い、可憐な姿で唇を噛み締める。朱に染まる熱い唇から滴るひとすじの血が、彼女の無念を如実に物語っていた。
「まだだ! ……まだ終わりではない!!」
深い青を湛えた瞳は見開かれ、剣は憤然と振われる。
突き、崩し、斬り上げ、振り下ろし、そして薙ぐ。
だが無情にも総ては躱され、満身創痍のしなやかな力強い身体に無力感だけが募っていく。
「折角貰った神器の成れの果てが聖剣とは……。お前はとうに見放されていたのではないか?」
「なに!? そんな訳あるか!?……あるわけ……」
力強い否定と共に見開かれた目だったが次第にその力を失い、やがて静かに閉ざされる。
「そうか……、私にはこのティルフィングしかなかったのか……。今、わかった――気がする」
「――諦めたのなら最後にしようか? 潔いのも美徳の一つだ」
「……そうだな。ところで貴様はこのティルフィングの謂れを知っているか?」
両腕を下げ戦闘体勢を解いた勇者が問う。
その問いに男は首を傾げ眉間に皺を寄せる。質問の意味を咀嚼しているのだろう。だが彼女の求めるものは問いへの答えではなかった。
そして次の瞬間、男は目を見開く。勇者が「遅延」と呟いた直後、彼女の全身が残像を残して消える。
勇者が持つ、敵の認識と動作を一定時間遅延させるスキルだが、油断していた男は即座に防げなかった。相対距離を一瞬でゼロにした女は男の胸に飛び込むと、両腕を突き出しその首を絡めとる。
「!! <グレイテスト インフィに……」
吐息が届く距離に迫られ、慌てた男がすぐさま詠唱を始めるが……その魔法は女の唇で閉ざされ発動することはなかった。
<最大化・闇の障壁>
効果を最大限に高めた闇属性の防御魔法。同位の攻撃を完全に無効化するその力は、当然ながら発動してこそ能力を発揮する。
防御魔法の阻止は攻撃の可能性を意味するが、抱きつくとは即ち近接攻撃が不可能なゼロ距離であること、そして攻撃魔法は自身をも焦がすということ。
狂行への驚愕に染まってさえもなお、間近に崩れない端正な顔を見つめた女が、届かぬほどの小声で何かを発する。その後、悠然と先ほどの答えを囁いた。
「ティルフィングの別名は……《勝利と破滅の剣》」
彼女の持つ剣が次第に光を増す。男の背後から放たれる輝きがその後頭部を、そして彼女の顔を照らす。
「……剣が光る? 暴走させた!? カミカゼか!!」
男は咄嗟に剥がそうとするが、文字通り死力を尽くす拘束から瞬時に逃れることなど不可能だ。男は右足首に嵌めた紫紺の枷に意識を向けるがその刹那、「ふふふ……」と柔らかな声が真正面から聞こえた。
「その通り。一緒に死んで貰うぞ……魔王」
慈母の微笑みで諭す彼女は今、正に、神々しい存在だった。
莫大な量のマナが荒れ狂い、そして辺り一面が白光に包まれる。