粉砕
アスラとの念話を終えたカミュが、闇に染まりつつある東の空を見つめる。
この先にある王国の各地では、何百万という人間が夕飯の準備を始めている頃合いだろう。
キッチンに立つ女性の後ろ姿を想像しながら、カミュはアスラとの念話で露見した自身の知識不足を大いに悔いていた。
彼がミサイル開発に遣い込んだ魔石は、大小合わせて三千個ほど。注ぎ込んだ金額は、白金貨に換算しておよそ三百枚。カミュが元いた世界の基準に置き換えれば、なんと三億円に相当するほどの大金だ。
だが当然ながら、莫大な金額的損失を出した認識など知識の無い彼には微塵もない。そしてアスタロトやその他の魔族から見れば、白金貨三百枚など気にするほどでもないはした金なのだ。
ちなみにカミュが悔いている知識不足とは、このあまりにも無駄な散財のことではない。魔訶の質で魔石の性能が大きく変わることを、彼は三億円も注ぎ込んでやっと理解したことだった。
先ほどまでのミサイルに使用した風の魔石は、バディスとレストエスにより魔訶されていた。
出力的には王国で作られる最高峰の魔石と遜色はない。ないのだが、元々の魔石の質に魔訶後の最大出力が左右されてしまう為、多数個を同期させて使うことに適していないのだ。王国では最高峰と称される風の魔石であっても、魔国においては劣化版でしかない。
だからこそ同期させる術式を設置するか、有線誘導による制御を代替案として考えた訳なのだが、そんな面倒なことをせずとも解決ができるとアスラから言われたのだ。そう、言われてしまったのだ。
そしてその解決方法はあまりにも簡単であった。魔国において風の魔石への魔訶にかけては右に出るものが居ないという、イリア・ガラシャに魔訶させれば良いだけのこと。彼が風の魔石へと魔訶すれば、どんな魔石であっても一定の出力に揃えることが出来るという。
だからカミュはミサイル製作ミッションに、魔国における最高の魔訶職人を収集することにした。呼び出されたのはアスラ、イリア・ガラシャ、ベンヌ・オシリスの三名だ。
アスラが魔訶するのは赤緑色をした、【魔力石】と呼ばれる魔力補充用の魔石。
イリア・ガラシャが魔訶するのは、先ほども説明した黄色の魔石である、姿勢制御と推進力に使用される風の魔石。
そしてベンヌ・オシリスが魔訶するのは、橙色をした【爆炎石】と呼ばれる、弾頭に設置して接触後に炸裂させる為の魔石だ。
弾頭はアスラが作る火の魔石でも良かったのだが、火炎を吹き出すだけでは何か物足りないとの結論になり、より殺傷能力の高い【爆炎石】が選ばれている。
その他の選択肢としてバチが作れる【火炎符】や、ラウフェイが作れる【雷撃符】もあったのだが、アスラからの嫉妬のような圧力により今回は見送られた。
その他の付加機能として、クロノスが魔訶する【反射石】や、ミノスが魔訶する【加速石】の名前も上がってはいたが、まだ試作段階であることを理由に次の機会に回されている。
「トマホークⅡの解体は此処で行うのか?」
「はい。ポッド製作には詳細な寸法の測定が必要ですし、ミサイル改良後の試射もありますので」
最後の残材で製作されたトマホークⅡは、魔石の出力に大きなバラツキがあり直進性に問題があった。
そんな不安定な魔石をこのまま使用するよりも、性能向上と在庫補充の為に持ち込まれる新しい魔石を使うべきとの結論に達し、六十四発のミサイルは総バラシの憂き目に遭っていた。
ミサイルの再組み立てとポッド製作を何処で行うのか? との問いに対して、バディスは単純にして明解な回答を笑顔と共に送るのだった。
「流石に野宿という訳にはいかないだろう……。ログハウスを出してやるから、そこで寝泊りするように」
「ご、ご高配を賜りありがとうございます……」
「……何故泣く?」
「も、申し訳ございません。感無量に涙腺が緩んでしまったようです」
ログハウスを出すと言っただけなのに、輝きを放つ雫がバディスの目尻から頬へと伝っている。
あまりにも大袈裟なバディスの所作に嘆息したカミュは、助けを求めるように残る女性達へと視線を送った。
だが其処にあったのは、バディス同様に涙腺を緩めるアスタロトの姿であった。
「……ま、まぁ、そういうことであれば仕方がないな。では作業場所をツェーロ川の対岸に移そうか」
「何故、対岸の魔国側へと戻られるのでしょうか?」
「ん? ログハウスは勿論のこと、ミサイルの存在も知られたくはないからな」
「確かに、その通りですね。では早速、作業場所を移しましょう」
カミュの答えに納得の表情を見せながら、アスタロトは夕焼けに染まる魔国へと視線を移す。
その視線の先にある魔国の各地では、闇に乗じてモンスターが活発に行動を始める頃だろう。
モンスターの移動経路にログハウスを設置すること自体、常軌を逸した行動ではあるのだが、アスタロトは勿論のことバディスやレストエスも全く危機を感じていない。
「まぁ待て、アスタロト。その前にやるべきことがある」
「やるべきことって……あたしとの、めくるめく快楽の一夜ですか?」
「何を言っているのか全く判らんな、レストエス。少し疲れているんじゃないか?」
「疲れているというより、腐っているのであるな。今直ぐ死んだ方が魔国のためであるぞ?」
苦笑を浮かべるカミュの横で、辛辣なバディスが頬を染めるレストエスを豚のように見下す。
「ハァ!? あんたにだけは言われたくないっつーの!! っていうか、死んだ方が良いのはあんたでしょ!?」
「我輩の身と心を滅することが出来るのは、この世で唯一絶対無二の存在――」
「――もうそろそろ良いんじゃないかな? バディス。レストエスも眉間に皺を寄せるのは止めるように。美人が台無しだぞ?」
カミュの冷ややかな視線を受けたバディスが、表情を硬いモノにして押し黙る。
そしてカミュの生温いお世辞を受けたレストエスも、顔を紅潮させながら下を向いて押し黙った。
そんな微妙な空気が流れるヒュドラの元、残されたアスタロトの表情からは何の感情も見い出せない。美人の無表情が心胆を寒からしめるのは、いつの世も変わらぬ恐怖体験である。
「あ、アスタロトも少し微笑んだ方が、より美人に見えるぞ?」
「……え? あ、は、はい!」
少しだけ声を裏返らせたアスタロトが、慌てながら無表情に微笑を灯した。
やはりアスタロトは柔和な方が良い。彼女の優しい表情に心を落ち着かせながら、カミュはわざとらしく一つ咳払いをする。
「ん"んっ! それで、だ。アスタロトに頼みたいことは、全部で三つだ」
「三つ……でしょうか?」
「多いか?」
「いえ、そのようなことございません。どのようなことでもお命じ下さい」
小首を傾げるカミュを見つめながら、アスタロトは毅然とした表情で応じた。
主君の命がどんなに過酷でどんなに悪質であっても、忠義に篤いアスタロトは身命を賭してやり遂げるのだ。
優しい眼差しで見つめるカミュ。厳しい表情で主君を見つめ返すアスタロト。だが彼女の決死の覚悟は下らない命で砕かれることになる。
「先ず一つ目の願いだが、ゴーレムに持たせるための幟を作ってもらいたい」
「……え?」
「ん? 幟が何だか分からないのか?」
「いえ、そうでは――いえ、何でもございません。承知いたしました」
微妙な表情のアスタロトが、意を決したように恭しく一礼した。
例えシコリのような蟠りが残っているとしても、配下として主の命に忠実に従わなければならないのだ。
だがどこの世界にも、必ず例外は存在する。
「カミュ様、のぼりって何ですか?」
「幟とは縦長の旗の一種で、何かをアピールする為に字を書くものだな」
「何をお書きになるんですか? っていうか必要なんですか?」
「何を持たせたか分かるように、ミサイルと書き込む心算なんだが……うーむ」
顎に手を当てたカミュが突然唸り出した。
「何を悩んでるんですか? 私とのことですか?」
「ん? 単にミサイルと書くのも芸が無いと思ってな。そうだな……魅殺射流と書いた方が見栄えが良いかもしれないな」
「……えっと、同じことのように聞こえるんですけど」
「気にするな。書けば判るさ」
レストエスの問いと下らない誘いを素気無くスルーしたカミュが、何処からともなく取り出した紙へと字を書き込んだ。
魅殺射流、そうミサイルの思春期バージョンである。夜露死苦や愛羅武勇の親戚と言えば分かり易いだろう。
恭しく手を差し出すアスタロトへと紙を渡して、カミュは再び真剣な眼差しでアスタロトを見つめた。
「次に二つ目のお願いだが――」
「――お願いなど、滅相もございません。カミュ様はただ拙にお命じ下されば良いのです」
「う……む、そうだな。では次の命令だが、ミサイルによる迎撃の光景を録画して欲しいのだ」
「録画、にございますか?」
困惑の表情で、アスタロトが可愛らしく小首を傾げる。
「そうだ。もしかして出来ないのか?」
「も、申し訳ございません。宝珠を所持しておりませんので、迎撃の瞬間を記録することが出来ません」
叱責されるとでも思ったのだろうか。焦燥感を露わにしたアスタロトが分かり易く狼狽している。
命じている方は全くそんな気など無いのだが、受けている方からすれば空恐ろしいものがあるのだろう。
「いや、ただの思い付きだから気にするな。録画が無理なら中継はどうだ?」
「遠見の魔鏡があれば、映像をシャングリラに転送することは可能です」
「確か……ゲールノートが遠見の魔鏡を作れたはずだな。よし、ではゲールノートに遠見の魔鏡を作らせるから、アスタロトは時が来るまでこの地に残り、迎撃の瞬間をシャングリラに転送してくれ」
「承知いたしました。必ずや最高の瞬間をお届け致します」
力強く拳を握り締めたアスタロトが決死の形相で大きく頷く。
しかしカミュには彼女の気合いの理由が分からない。何故なら彼はこう思うからだ。んなもん適当にやっておけば良いだろう、と。
そんな邪まな考えを持ったまま、カミュは足首へと手を伸ばして真っ白な璧を取り外した。
「最後の命令は、この璧に魔力を宿すことだ」
「せ、拙がお預かりしてよろしいのですか!?」
ルキフェルの璧を差し出すカミュを、アスタロトが驚愕の表情で見つめる。
ルキフェルの璧は今や真っ白な姿になってしまっているが、これを元の至極色に戻すには散った生命を吸い取る必要がある。そう、ミサイルによる迎撃の瞬間こそが、璧への魔力補充のチャンスなのだ。
そして今も恐縮を続けるアスタロトではあるが、本来の彼女は此処まで感情の起伏が激しい訳では無い。無いのだが、勝手気ままに振舞うカミュに翻弄されたのか、いつもの冷静さを見失っているようだ。
「この璧を安心して渡せるのは、お前しか居ないだろう?」
「アスタロトよりあたしの方が適任だと思います!」
「おいおいレストエス、寝言は寝てから言うのであるな! 適任なのは我輩しか居らんだろう?」
「付ける薬が無いって残酷よねー。残念なのは性癖だけと思ってたけど、あんたってそもそもが糞だったのね」
にこやかに見つめ合う二名が、お互いを罵り合って微笑みあう。
何故こんなにも仲良く出来ないのか。そんな分かりきった愚問を口にするほどカミュは野暮ではない。何故なら、彼はとうの昔に彼等のことを諦めているからだ。
「ハァ……お前達、私の前で喧嘩は止せ」
「あ、バディスが糞で申し訳ございません」
「も、申し訳ございません。レストエスに厳しく注意しておきます」
疲労感が半端ないカミュ。そんな彼に注意を受けた二名は、互いに中傷を忘れることなく謝罪を始める。
実に面倒臭い。もうこれ以上関わるのは止そう。そう心に誓ったカミュは二名を視界に収めることなく、呆れかえるアスタロトへと視線を戻した。
「アスタロトがこの璧を持っていれば、アスラやベンヌであってもお前の命に従うのだろう?」
「は、はい。確かに仰られる通りですが……」
首を竦めたアスタロトが、恐々とカミュを見上げる。
それほどにルキフェルの璧の価値は高い。高いのだが、当の本人だけがその真価を知らない。
圧し潰されそうなほどに畏れ多くも、配下として光栄過ぎるその重責に、地獄道の長たるアスタロトであっても冷汗を隠しきれないでいた。
「イリア・ガラシャがごねる姿は想像がつかないし問題は無いと思うが、命令系統に万全を期しておけば私も心置きなくシャングリラへと戻ることが出来るからな」
「……は?」
「……え?」
「なんですと?」
カミュの意外な発言を受けて、三者が三様に目を見開いた。
おそらく彼等はカミュも一緒に作業をすると思っていたのだろう。だがその甘い期待は粉々に打ち砕かれてしまったのだ。
「私には新しい金属を創造するという仕事があるし、その仕事をゲールノート達に任せっきりなのも不味いだろう。それに、遠見の魔鏡を作って貰わなければならないしな」
「た、確かにその通りですが……我々はミサイルの最終形状を把握しておりません」
「形状など気にするな。真っ直ぐ飛翔するだけで目的は達成している。それにミサイルのフォルムや性能は、遠見の魔鏡越しに観察できるしな」
「ええー……カミュ様は戻られるんですか?」
あからさまな落胆の表情を浮かべたレストエスが、綴るようにカミュの顔を覗き込む。
「私も一緒に居たいんだが、あの設備が無いと流石に金属は作れない。まぁ、二~三日でミサイルは完成するはずだ。それまではお前達だけで頑張ってくれ」
「バディス、レストエス、これ以上の我儘は拙が許さん」
預かったばかりの璧を高々と持ち上げて、アスタロトが毅然とした態度で言い放つ。
先ほどまでの恐縮は、一体どこに消えてしまったのだろう。
「ハァ? なんであんたに命令されなきゃいけないの?」
「レストエス……、やっぱりお前は馬鹿であるな」
「あんたさぁ……喧嘩売ってんの?」
「喧嘩を売ってるのはお前の方である。アスタロトの右手を見るのであるな」
訝し気に右手を見上げたレストエスの、表情が一変するのは直後のことだった。
「あ……うぅ」
「ふむ、納得して貰えたようだな。では私はこれで……――アッ!!」
「ど、どうなされました? 拙の対応に何ら不備でもございましたか!?」
突然大声を上げたカミュへと、驚きを隠せないアスタロトが問い掛ける。
「もしかして……城に残っているのはサリアだけなのか? それって防衛的にも組織運営的にもかなり問題があるんじゃないか?」
「…………」
「バアル・ゼブルを呼び戻すか? いや、奴には王国兵の誘導という大役があるし、かと言って他には誰も思い付かない。カメオウを動かすと、フィードアバンの防衛に問題が出るし……一体誰に城を任せれれば良いんだ!?」
「カミュ様、僭越ではありますが一言よろしいでしょうか?」
表情を硬くするカミュに、アスタロトが毅然とした表情で問い掛けた。
アスタロトは何らかの具体的対策を持っているのだろう。真っ直ぐに見つめる瞳には力強ささえ感じられる。
「イクアノクシャルには第一軍団、第二軍団、旅団からなるゴーレム軍団が、合わせて一万五千超ほど待機しております。また地獄道、修羅道、畜生道、竜人道、外道のほぼ全員が、昼夜を問わず防衛に努めております。ですので防衛戦力には何も問題はございません。そしてこれら面々の統括ですが……バアル・ゼブルの執事であるゴルトに統括させれば良いと、拙は考えます」
「……そうだな。確かにお前の言う通りだった。サリアを信じていない訳ではないが、少々思い違いをしてしまったようだな」
自嘲気味に俯くカミュへと、アスタロトは優しい笑みで力強く頷く。
「ではアスタロト、ゴルトへの指示を任せても良いか?」
「承知いたしました。委細、拙にお任せ下さい」
恭しく一礼するアスタロトに倣って頭を垂れるバディス、レストエスを一瞥しながら、既に宵闇に包まれた西の空を見上げてカミュが一人呟く。
「さて、剣作りを再開するか……」
カミュの独り言は、暗い闇の中へと寂しく消えていく。
大きくその場を飛び立ったカミュは、名残惜しそうに見上げる配下達へと、小さく手を振って応えるだけだった。
来週は閑話の整理です