捜索
爆発湖とイクアノクシャルとを結ぶ直線上。峻厳な峰が続く無人の山中で元ラミアだったモノは発見された。
彼女が他界してからまだ半日も経っていないその日の夜、フレイヤに騎乗したアスラと、ラウフェイに騎乗したレストエスが、ガーゴイルからの緊急連絡を受けて捜索に乗り出したのだ。
その姿は正に首の無い糞袋。頭部を失い胸部を激しく損傷させたその物体は、紛れもなく餓鬼道に属するラミアの死臭漂う亡骸だった。
「あーーダメ。もう手遅れ。流石のあたしでもこれは無理だわ」
「そうね。頭部を失って生きていられるハズが無いものね……」
ラミアの最後の姿を上空から見守る二名が、やりきれない諦観と共に大地へと降り立つ。
首さえ残っていれば、レストエスの代名詞である<大治癒>での治療も可能だったはず。
だが彼女達の眼前で醜態を晒しているのは、生への執着心を既に手放してしまった、自我のないただの有機体だ。
「取り敢えず、ダメ元で治療してみる?」
「いいえ、意味の無いことは止めましょう。それこそ技能の無駄遣いだわ」
「じゃどうするの、コレ?」
「カミュ様に蘇生をお願いするしかないのだけれど……」
レストエスとアスラの視線の先には、辺り一帯に散乱したラミアの破片があった。
この破片を一つ一つ拾い上げて全てを持ち帰るのは流石に不可能だ。かと言って破片を残したまま放置した場合、主君の蘇生に何等かの不具合が生じる可能性もあり得る。
だから彼女たちは迷っていた。何をどれほど回収すれば問題が起こらないのか。そんな疑問に束縛されて。
「全て持ち帰るしかないんじゃない?」
「簡単に言ってくれるけど、そんなに簡単な事じゃないでしょう?」
「山肌ごと抉って持ち帰れば良いじゃん。――あんたが」
レストエスの屈託のない笑みを受けて、アスラの額に見事な青筋が走る。
「何故私が!? 貴女が持ち帰れば良いでしょう!?」
「あたしに力仕事は無ー理ー。あんた力だけはあるんだから、これくらい頑張ろうよ! ゴリラなんだし」
「あ"!?」
レストエスの軽い冗談を真に受けたアスラが、淑女のものとは思えない野太い威圧を放った。
だがそんな鬼気迫る彼女の恫喝も、同輩であるレストエスに痛痒を与えることはない。
見下すようにせせら笑うレストエスを、アスラは見上げるように睨みつける。そんな二名の長きに渡る下らない闘いに、直ぐに終焉が訪れることはないだろう。
「アスラ様、よろしいでしょうか?」
「何!? ……あ、いえ、どうしたの? ラウフェイ」
「この場にアスタロト様とフルーレティを呼び出されては如何ですじゃ?」
フルーレティの技能で辺り一帯を石化させ、固定された状態でアスタロトが持ち上げるのならば、現状を崩すことなくラミアを移送することが可能だろう。
ただそれを実行するには、シャングリラに居るカミュの許可が必要になる訳だが。
「確かにそうなのだけれど、アスタロトを呼ぶにはカミュ様のご許可が……」
「今お叱りを受けるのも、後で受けるのも同じでしょ? どうせ叱責されるんなら、さっさと叱られた方がまだマシじゃん」
「他人事だと思って簡単に言わないで。ハァ……私は何故、ミズガルズ捜索の総指揮を受けてしまったのかしら」
「ご命令だからでしょ?」
物憂げなアスラの横顔へと、レストエスが無慈悲な現実を叩きつける。
そんな上位者のどうでも良い遣り取りを、呆れた表情のラウフェイと無言のフレイヤが見守る中で、永遠に言葉を失ったラミアが草葉の陰で見守っていた。ちなみに、ラミアの意識がまだこの場にあるのかは誰にも判らない。
月がラミアの面影を照らし、星が峰の形を鮮やかに切り取る山中で、一同は浅慮にして救いようのない同僚の成れの果てを静かに見守り続ける。
だがしかしラミア色の花が彼女達に応えることはない。月光を浴びて慎ましやかに存在を主張する肉片は、同心円状に飛び散ることで衝撃の凄まじさを物語るだけだ。
「これ以上考えても仕方ないわね……シャングリラに派遣しているビマシタラと連絡を取りましょう」
「ビマシタラ? イクアノクシャルに居るんじゃないの?」
「こんなこともあろかと、念のためにシャングリラへ移動させておいたのよ」
「へえー、あんたって意外と頭が回るんだね」
今更の感想を受けて呆れるアスラは、苦笑を浮かべながら蟀谷へと指を当てた。
彼女が脳裏に思い浮かべるのは、燦然とした威光を放って空中に聳える城と、カミュに見つからぬよう城内で息を顰めるビマシタラの姿。
ビマシタラの情報伝達能力に一抹の不安を感じながらも、アスラは高鳴る鼓動を抑えるように静かに目を瞑った。
『ビマシタラ、聞こえている?』
『――』
『ビマシタラ、どうしたの? 答えなさい!』
『おっ、お待たせして申し訳ございません、アスラ様――ぁん』
脱衣能力に長けた怪盗にでも甘えるような声で、主の呼び掛けに応じるビマシタラ。
彼女の身体に何らかの刺激があったのは間違いない。だがそんな彼女の変化に構っているほど、今のアスラには心の余裕が微塵もないのだ。
『ちゃんと真剣に聞きなさい!』
『も、申し訳ございません!!』
『タイミングが悪かったか?』
慌てふためくビマシタラの後ろに愛する主君の気配を感じつつ、アスラも自分がまだ真剣でなかったことを猛省する。
ビマシタラは隠密行動に徹しているはず。だから彼女が愛しい主君と一緒に居るハズがないのだ。
であるならば、あの美声は一体何だったのか。アスラは自分の溢れる想いが生み出した、妄想の副産物である幻聴だと結論付ける。
『アスタロトは近くに居るのかしら?』
『拙は此処にいるぞ?』
苛立つ精神を反省の心で押さえ付けるアスラに、あまりにも絶妙過ぎるタイミングでアスタロトが応答する。
彼女が何故この瞬間、ビマシタラの隣に居るのか。何か理由があってのことだろうが、今のアスラにそのことを詮索する心の余裕も無かった。
『早速だけど、シャングリラに設置した転移陣の最終調整は終わっているのかしら?』
『既に完璧に近い状態に仕上げているが? それがどうかしたのか?』
『そう。じゃ、アガリアレプトに位置を捕捉させて、直ぐに私の所へ来てちょうだい』
『うむ……何か急を要しているようだな。何があったのだ?』
あまりにも忙しなく矢継ぎ早に捲し立てるアスラの様子に、アスタロトは強い疑念を抱いていく。
だがアスタロトは詳しい事情を聞くことなく、彼女を襲う焦燥感の正体についてのみ問い質していた。
『ラミアが……死んだの』
自分が発した一言により、シャングリラの空気が凍り付いたことをアスラは肌で感じる。
『……そうか。死因は?』
『上空からの墜落死よ。頭部は跡形もなく吹き飛んでいるわ』
『石化による固定化と浮遊による搬送か……なるほどな。だがカミュ様であれば、例え半身が欠損していたとしても復元は可能なはずだが?』
『やっぱり、カミュ様に報告しなければならないのかしら……』
ラミアを蘇生させる唯一の方法が、主君の失望と叱責を招いてしまうことに、アスラは未だ躊躇を見せていた。
だが時既に遅し。アスラの苦悩と告白は、この瞬間に全て解決されてしまう。
『アスラ……、ラミアは何故死ななければならなかったのだ? 一緒に居たはずのベンヌは一体何をしていたんだ?』
『かかか、カミュ様!!』
鋼鉄の心臓を持つハズのアスラの全身から、滝のような油汗が吹き出る。止めどなく流れ落ちる汗によって纏わりつく、タイトなドレスの嫌悪感を意識する余裕もなく、アスラは声なき声を発しながら真っ白な視界に溺れていく。
『……何故だ?』
『なな、何故カミュ様がビマシタラと一緒にいらっしゃるのですか?』
あまりの狼狽に、アスラは質問に質問で返してしまう。
その愚かな応答に彼女が自責の念を感じる間もなく、彼女の主君は羞恥も躊躇も見せることなく淡々と状況を語り出した。
『あぁ……ちょうどビマシタラの乳を触っていてな』
『なっ!?』
彼女の怯える心へと襲い掛かる、業火のような嫉妬の炎に身を焼かれながらも、アスラは残り少ない精神力で倒れそうな身体を必死に支えた。
だが此処でこれ以上の失態を重ねる訳にはいかない。修羅道主としての、女性としての矜持に賭けて、彼女は精一杯の虚栄を豊かな胸とともに張り出した。
『アスラ、兄が考えているような事態ではない。気をしっかり持て』
心の中でアスタロトに感謝を伝えながら、一切の言い訳もなく彼女はただ事実だけを述べる。
『――ラミアは自責の念に駆られたようです。彼女が失意で心を手放そうとしていたその時、ベンヌは狩りに出ておりました』
『狩り? 何故ベンヌは狩りに行ったんだ?』
『――私が依頼したからです!』
アスラ、アスタロト、ビマシタラ、そしてカミュの間に、胸を締め付けるほどの静粛が訪れる。
ベンヌが単に遊びに行った訳でないことだけは伝わった。後は自分が主君からどのように叱責され、どのような罰を下されるかだけだ。
覚悟を決めたアスラは気を引き締め直して、隣で首を傾げるレストエスへと熱い視線を送った。
『……そうか。直ぐに私が向かおう』
『……え?』
『アスタロト! 今直ぐにアスラの居場所の特定と転移陣の起動を指示しろ! ビマシタラ、私が戻るまでこの場で待機だ』
『御意』
『ぁん――ヵしこまりました』
いつも通りのアスタロトの応答と、いつにも増して敏感なビマシタラの応答を聞いて、気を張っていたハズのアスラの頬に一筋の涙が伝う。
脳内でリフレインする美声によって怯えていた心を感動に震わせながら、改めて前を向いたアスラがレストエスへと大きく頷いた。