騎獣
飛行訓練に一息つくと、眼下から醜悪なバカ笑いが聞こえてきた。
淑女の欠片も感じさせないその爆笑に、いっそ清々しさすら感じる。
カミュの飛行は、鳥のように揚力で飛ぶ訳でも、魔力で体を浮かせる訳でもなく、有するイメージとはかけ離れていた。
正確な表現は難しいが、周囲の空間密度を任意に変化させることで、空気抵抗など外的要因を移動に作用させることなく肉体を空間ごと射出する、そんなイメージだ。
簡潔に言えば、よくわからないが何故か飛ぶ、そんな感じ。
飛行に満足したカミュは二人の元に静かに降り立つ。
「待たせて悪かった」
「カミュ様をお待ちするのは配下として当然にございます」
一礼するアスラを手で制し、再び今後の方針について相談する。
「クライネスランドへ私だけが帰還するのも良いだろう。だが、二人はどう思う?」
カミュとしては今すぐの帰還は遠慮したい。遠慮どころか全力で拒否したい。何故なら知人が誰もいないから。
否定されることに一縷の望みを抱いて形ばかりの相談をするが、二人からの即答はなかった。
レストエスと顔を見合わせ数瞬悩んだアスラは、暗黙の了解で二人の意見を口にする。
「カミュ様の居城であるイクアノクシャルには現在、アスタロト、ベンヌ・オシリス、イリア・ガラシャ、サリアがおり、四門をイリア・ガラシャの配下が守っております。イクアノクシャルへの攻撃 及び その予兆は確認されておらず、また攻撃されたとしても撃退は容易でしょう」
現況についての丁寧な説明を受けるが、何故そこまで丁寧なのかカミュには理解が及ばない。
アスラはカミュの言葉を待たず、更に説明を続ける。
「イクアノクシャルが安泰である今、優先すべきはカミュ様のご記憶を取り戻すことと愚考します。もしカミュ様のご了承を頂けるのであれば、イクアノクシャルへの帰還は時間を掛けての徒歩を具申します」
「あ、あたしもそう思います。今はゆっくりされるのが一番かと……」
なるほど。城は安全だから気にするな、記憶を取り戻すために時間を掛けて歩け。アスラの意見は非常に合理的だ。
しかもカミュの意向に沿った素晴らしい提案でもある。
カミュは内心ガッツポーズを決めつつも、おくびにも出さず尊大に頷いた。
カミュからの無言の肯定を受けた二人は、内心ガッツポーズを決めつつも、おくびにも出さずに恭しく一礼した。
通常、時間を大切にするとは所要時間の短縮を意味するが、三人が必要とするのは非建設的なただの時間稼ぎだ。
一方は現在の状況をより多く把握するために。一方は現在の自分をより良くアピールするために。
「まぁ……歩くのは構わないのだが、仮に歩いてクライネスランドへ向かう場合、どの程度の日数がかかるのだ?」
カミュは当然の疑問を口にする。目的地の名前がわかっていても、実際どれくらいの距離があるのか気になって仕方がない。
その質問を予想していたのかアスラが澱みなく答える。
「徒歩で約五十日の距離です。夜通し歩けば三十日程度には短縮が可能ですが、休みながら進まれるのがご記憶の回復にはよろしいかと……」
一瞬、(面倒だから飛んで帰るか)とカミュは考えるが、早く帰ることに意味がないどころか悪影響だと思い出す。四十にもなると注意が散漫になり、本当に重要なことを忘れてしまうのだ。
何れにせよ、大事なのは脳の劣化云々ではなく移動手段である。
「歩いて移動するのも何だ。……私は騎馬などの移動手段を持っているのか?」
「カミュ様は騎馬をお持ちでありませんが、騎獣を配下にお持ちです。騎獣の名はフレイヤ。カミュ様の愛騎にございます」
まさかの愛騎の存在に、心の中で小躍りするカミュ。自分がただ偉そうなだけの、空っぽの主人でないことに安堵する。
自身が颯爽と騎馬に乗る姿を幻視し、カミュは期待に胸を膨らませアスラに詰め寄る。
「ほお! どんな外見だ?」
「元は一角獣でしたが、現在は少々変わった外見をしております」
「……変わった外見?」
嫌な予感しかしないカミュは表情を硬くする。
アスラは遠い過去を振り返るように、情報をより正確に伝えるように、無表情で説明を続ける。
「はい。その一角獣はカミュ様が捕縛された生物でしたが、想像していたよりもだいぶ移動速度が遅いと嘆かれ、もう一体一角獣を捕縛し四肢を切断。元の一角獣の腹に穴を開け関節ごと四肢を連結し、八本脚の一角獣を作られました」
(何……その魔改造? 八本脚の軍馬を自分で作ったの?)
「一角獣は痛みに暴れましたが、大人しくさせようとされたカミュ様の一撃であっけなく即死。その際に角が吹き飛んでおります」
(何……その力技? 脳筋なの?)
「その後、カミュ様は「折角作ったユニコーン改が勿体ない」と仰られ、ネクロマンサーであるネビロスに蘇生させましたが、ネビロスの蘇生では知性の低いアンデッドにしかならなかったため、不死無角獣改を再度即死させた後ご自身が持つ神器で蘇生なさいました」
(おぃルシファー……何やってんの?)
「しかし蘇生までの放置が長かった為か腐敗が進み、凄まじい腐敗臭を放っておりました。乗るに堪えないと溢されたカミュ様は、生きたトレントをじっくり焼いてお手製の炭を作られ、腐敗獣の全身に隈なく塗りたくられた結果、ユニコーン改は見事に完全脱臭。最後は八本脚の漆黒のミイラとなりました」
木炭は吸水性、吸湿性、吸収性に富むため、腐敗獣の水分と腐敗臭を根こそぎ奪ったのだろう。
もう想像したくも聞きたくもないとカミュは思う。過去の自分を振り返ると羞恥心に苛まれると言うが、他人の過去に羞恥心を刺激されるのは一体何故だろう。海よりも深い謎である。
「はあ……。それはもう良い。他には居るのか?」
倦怠感すら感じさせるカミュの顔に興味の色を探せず、フレイヤの話を切り上げる。
詳細に語れば記憶が戻るかもと思ったのだが、逆効果だったようだ。
「騎獣ではございませんが、ラウフェイならその任に耐え得るかと」
「ラウフェイ?」
また他愛もない話かと疑うカミュに、アスラは苦笑を浮かべ説明を続ける。
「ベンヌ・オシリス配下のフェンリルにございます」
(ああ、確か狼みたいなヤツか?)
腐っても、脚が増えても、一度死んでもいないのであれば、この際どうでも良いとカミュは思う。
何れにせよ、これ以上聞いたところで事態が好転するとは思えなかったのだ。
「では、ラウフェイを呼ぼう」
カミュの決断にアスラは一礼で応じた。
レストエスの「私に乗って頂ければ……」という呟きは、スルーするのが大人のマナーだろう。
カミュは遠く彼方へ視線を向ける。




