第七話 海を支配する者 その1
トスオ王国の東の海に点在する小島。そこは海賊連合ロイバーゼの領域である。
小島からは良質な鉱石が取れるため近づいてくる鉱石採掘船や漁船を襲い、略奪の限りを尽くしていた。
そこは小島の中にぽっかりと穴を開けた洞窟のひとつだった。
今日もまた船を襲い、金品、食料、いろいろな事に使える女など大量の戦利品に、洞窟を拠点としている海賊達は多いに騒いでいた。
その奥、あまり人が近づかないその部屋に海賊達を纏め上げる首領がいた。
汚い布を頭からすっぽりと被って全身を隠していたが、そこから時折のぞくのは、鋭い爪が生えた指と鱗に覆われた腕、そして爬虫類のような気味の悪い瞳が、彼が人間ではないのは明らかだった。
首領は一心不乱に何かの肉を貪っていた。
右手に持ったそれを、大きく口を開けて一気にかぶりつく。
骨ごと噛み付くが、強い顎の力と鋭く尖った牙にかかれば、容易く噛みちぎることができた。
首領が食べている肉。それはついさっきまで生きていたヒューマンの女だったものだ。
腕の骨をしゃぶりながら、自分に歯向かってきた経緯を思い出していた。
いつものように鉱石採掘船を襲い、略奪をしようとしたところ、向こうの雇われた護衛が立ち塞がってきた。
傭兵達は三人。内、男が二人と女が一人。
こちらの数の方が多かったのだが、かなりの手下を殺されてしまった。
いつもは海賊船の奥にいて表には出てこない首領だったが、その時ばかりは仕方なく傭兵達の前に現れるのだった。
「何なのよ。こいつは!」
ファイが大声を上げた。
アインも、ドーラも驚いていたが、二人は声も出せなかった。
三人は何年もパーティーを組み、仕事をしてきた。もちろん死にそうな目にも何度もあってきたが、それを乗り越えて日々の収入を得ていた。
だが、オークと戦った事もある彼等でも、目の前に立っているのは初めて見る存在だった。
三メートルは越えるであろう体躯。布を纏って体は隠れているとはいえ覗く肌はヒューマンでは絶対ありえないであろう鱗がビッシリ覆っていた。
「……魔族なの?」
ファイはそう呟いたがそれに応える者はいなかった。
首領は右手に持つ得物。全長五メートルの鋼鉄製のクォータースタッフを一番近くにいたドーラの首めがけて横薙ぎに振るった。
鈍い音がして首の骨が砕けて、その体が大きく吹き飛んで海に落ちる。
「この化けもんが!」
アインは持っている斧を頭に叩きつけようと振り上げる。
首領はその一撃をクォータースタッフで防ぎ、アインを隙だらけにする。
「遅イナ」
スタッフを振るって右膝を砕き、次に右手首を打って、斧の反撃を封じる。
「ファイ、逃げろ!」
それが彼の最期の言葉になった。首領は膝が砕けて動けないアインの首にスタッフの先端で突いて喉を潰す。
「ごげっ」
アインは喉を押さえながら呻き声を上げて痙攣していたが、しばらくして動かなくなった。
「後ハ、オ前ダケダ」
ファイは恐怖で震えながらも、持っているロングソードの切っ先を首領に向ける。
「お前は、絶対に殺す!」
首領は、感情のこもっていないトカゲの目でファイをじっと見つめる。
「こっち見るな! 化け物が!」
ファイの、恐怖に負けない意志の強い瞳。鍛えられたしなやかな筋肉。全てが首領の好みだった。
「気に入った。気ニイッタゾ。女」
「はっ?」
「ヒトツ、オ遊ビヲシヨウ。俺二傷ヲヒトツデモツケレタラ、オ前達ヲ解放シテヤロウ」
「その油断を後悔して死ね!」
ファイは素早く踏み込んで、鋭い突きを繰り出した。
首領は避けもせずその首に深々とロングソードが突き刺さる。
「やった!」
「ククッ、クハハハッ」
ファイの確信は、死んだ筈の化け物から聞こえる笑い声で一気に崩壊した。
「イイ。ソノ迷イノナイ一撃。マスマス気二入ッタゾ」
首に突き刺さっているロングソードがひとりでに抜けていく事にファイは気づく。
「な、何で?」
自分は引いていない。むしろ押し込んでいるはずなのに、何故か押し返されていく。
「嘘……」
彼女はある光景に目を奪われてしまう。それは刃が突き刺さっている首の傷がみるみる塞がっていき、内側から筋肉が剣を押し返していた。
ファイの抵抗虚しく、再生する筋肉はロングソードを完全に体外に排出してしまった。
「少シ、痒カッタナ」
首領は傷口があった所を指で掻く。
「嘘よ……」
ファイは余りの理不尽さに両腕の力が抜けて無防備になってしまう。
「モウ終リカ? ナラ、次ハ俺ノ番ダナ」
首領はゆっくりとクォータースタッフを掲げると無防備なファイの右手を打ってロングソードを弾き飛ばし、更に右膝を突いて跪かせる。
「ぐうっ」
ファイは痛みで悲鳴を上げたくなるが、それも相手を喜ばせるだけと知り、必死に耐える。
「痛イカ? 今許シヲ乞エバ、少シハ優シクテヤルゾ」
「うるさい! お前みたいな化け物如きに誰が許しを乞うか!」
首領はファイを見下ろしながらその頭を掴み自分の目の前に引き上げる。
「ぐうっ、離せ化け物! 離せ!」
「フフッ、活キガイイナ。楽シメソウダ……スグニ壊レルナヨ」
ファイはその冷たい目を見て悟った。自分はもう生きては帰れないと。
その後、洞窟のアジトに戻った首領はファイの両手足を折って動けなくしてから、散々に嬲り尽くした。
最初は精一杯抵抗していた彼女も、次第に静かになっていき、最後には全く抵抗しなくなった。
首領は、遊び尽くし反応のなくなった玩具はいつも同じ方法で処理すると決めていた。
それは残さず食べることだった。
ファイの最後に残った骨をしゃぶりながら首領は自分の腕を見つめる。他のヒューマンよりもひと回りもふた回りも太く、鱗が覆い、鋭い爪が生えた指。
これを見ると自分はヒューマンを越えた存在なんだと改めて首領は実感するのだった。
そんな事を思っていると、静かに黒いローブの男が近づいてきた。
「お楽しみのところ失礼します。首領」
「……何ダ?」
首領の元に近づいてきたのは、アムルと名乗る男だ。ローブの中に隠れた体は細くて肌は病的な青白さだ。一言で言えば貧弱という言葉がぴったりと当てはまる。
こんなヒューマンが何故海賊連合ロイバーゼの副官を務めているのかというと、彼は首領の主から遣わされていたからだ。
「トスオ王国にいたツケが戻りました。あなたに是非謝罪がしたいと」
「誰ダ、ソレハ?」
首領は全くその名前に覚えはなかった。
「ああ、失礼致しました。ツケは王国で情報屋を務めながら、人攫いをしていた者です」
それを聞いて思い出す。先日人攫いに使っていたアジトを襲撃されて、攫った人間を解放されてしまったという話があった。
ツケはその一件で捕らえられ牢獄に入っているはずだが脱獄したようだった。
「それで、彼を如何なさいましょか?」
「……役立タタズハ殺セ」
首領の口調に怒りが混ざる。彼は使えないヒューマンのくせに命乞いをしてくる事にとても腹が立った。
「お待ち下さい。どうせ役立たずならば、私に預けてくれませんか?」
「フー、好キニシロ。ダガ、余リ羽目ヲハズスナヨ」
アムルは薄く口を開ける。どうやら笑っているようだ。
「ありがとうございます。それでは失礼致します。それとあのお方はあなたの活躍を称賛しておりした。これからも励むようにと」
「ウム。分カッテイル」
アムルが部屋を出て行くのを見ながら首領はこう思う。
(出来ルコトナラ、アンナ貧弱ナヒューマンデハナク、美シイ主カラ直接声ヲカケラレタイモノダ)
折角の楽しかった時間を台無しにされて腹がたち、しゃぶっていた橈骨、尺骨、上腕骨と一気に噛み砕いて飲み込む。
砕かれた骨の破片が口の中で、彼女の最後の抵抗とばかりに暴れまわるのだった。
アムルはツケに眠り薬入りの酒を飲ましてから自分の部屋に戻っていた。
彼は上機嫌だった。何故なら新しい実験道具が手に入ったからだ。
「ふふふ、今度はどんな風にイジリましょうかね」
頭の中でどういう実験をしようか考えるだけで、思わず笑みがこぼれる。
アムルは海賊達が嫌いだ。むさ苦しく、欲望にまみれた彼奴らは、さっさと死んでくれればいいと思っていた。
出来れば一刻も早くここから出て行きたいが、あのお方からの命令とあれば逆らう訳にはいかない。
彼が与えられた命令はひとつ。ここの海賊の首領に情報を与え、ヒューマンを攫うことであった。
「おっといけない。忘れるところだった」
アムルはある事を思い出し、部屋の奥に向かう。そこには背もたれのない椅子と真っ黒にくすんだ水晶玉があった。
彼は一週間に一度、深夜の決まった時間に定時連絡をしていた。勿論相手はあのお方にである。
「我が魔力よ。この水晶玉を目覚めさせよ」
アムルが自分の魔力を注ぎ込むと、黒くくすんでいたのが、無色透明の水晶玉に変わっていく。
完全にくすみが取れ綺麗になったところで、椅子に座る。
「主の元に我が声を届けるのだ」
アムルが声を掛けてしばらくすると、水晶玉の中が揺れて、何かが映し出されていく。それは女性の顔だったが、口元しか映っていなかった。
「ご機嫌麗しゅうございます」
アムルはそこに映し出された人物に恭しく一礼をする。こちらからは口元しか見えないが、向こうからは全てが見えているのを彼は知っていた。
「ハァー、ああ、アムルですか」
その女性は、艶かしい息を吐いていた。アムルはそこである事を思い出す。
「申し訳ありません。まだお楽しみの最中でしたか」
息を整えて女性は返答する。
「ええ、今日は四人と遊んでいますの。それで報告はこの前の失敗の件かしら?」
優しい声音がアムルを心地よく包み込んでいく。
「はい、その通りです。我々が至らずに失態を侵してしまいました。如何様な罰も受ける覚悟です」
「まぁ、一回の失敗くらいなら私も大目に見ます……しかし次はありませんよ」
女性の声音に冷酷さが混じり、彼の全身を悪寒が包み込む。
「わ、分かっております。貴女様の期待に応えられるように二度と失敗しない事を誓います」
「分かってるのならそれで良いのです。攫う人間の情報はまた後日に、これからまだ楽しむので邪魔をしない事。そうそうこれからも私の為に励みなさい。アムル」
アムルは頭を下げる。何かを言おうとしたが、感激で言葉が出なかった。あのお方に名前を呼ばれるだけで彼の全身が歓喜で震えるのだった。
アムルから報告を受けていた女は、水晶玉から魔力を自分の体内に戻す。力を失い黒くくすんだそれを残して部屋にある両開きの窓を勢いよく開けて、新鮮な空気を取り込む。
女は全裸であったが、それを気にすることなく空に浮かぶ満月の光を浴びる。
その肉体は美しいの一言だった。腰まで伸びた艶のある髪も、豊かな双丘を持つ胸も、くびれた腰も、全ての女性を凌駕するだろう。
彼女から発せられる濃厚な甘ったるい匂いは、外からの冷たい風に負けることなく、むしろ風をも魅了して支配下に置き、女の蒼い髪を労わるように吹いていた。
「……ご主人様」
女を呼ぶ若い女性の声が、部屋から聞こえてきた。
部屋の中央には数人が寝てもまだ余裕がありそうな巨大なベッドがあり、そこに男と女性が二人ずついた。
四人とも文句無しの美少年、美少女であり、主人である女を蕩けた瞳で見つめ続ける。
「ご主人様。お願いします」
「僕にも、もっとお情けを……」
「そうね。朝までまだ時間はあるし、たっぷり楽しみましょう」
四人の切願を心地よく聞きながら、蒼い髪の女は舌舐めずりをしながらベッドに近づいていくのだった。
「は〜〜」
城で行われている晩餐会の会場にいたフィッツェは溜息をついていた。
一週間前、レティと攫われた子供達を救出した功績を認められ、十人いる神官戦士共々ベギーア女王から招待を受けたのだ。
フィッツェとすれば、一緒にいた傭兵のクロの手柄のはずなのに、自分一人で解決したと、世間には思われているようで、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「どうしたんだい? 溜息なんてついて」
先輩のクヴァイが彼女の元に近づいてくる。彼の服装はいつもの神官衣だ。
「あっ、先輩。ちょっと考え事をしていて」
「まさか、僕達の格好の事?」
フィッツェも神官衣を纏っていた。彼女達は女神エレニスに仕える神官なので、この神官衣が普段着であり正装であった。
「いえ、そうじゃないんです」
確かに清めて汚れはないとはいえ、今会場にいる華やかな服装の人々の中では浮いているのは事実だった。
「私達は、あの一件で殆んど何も出来ませんでした。なのに一番活躍した人が招待されてないのはおかしくないですか? しかもここにいる人達はそんな事を全く気にしてないように思えるんです!」
「はい。ストップ」
段々熱くなって語尾が大きくなるフィッツェをクヴァイが自らの口に人差し指を当てて宥める。
「君の言う事は正しい。けど、王家やそれに連なる人間からすれば、傭兵如きが貴族の娘を助けて調子に乗られちゃ困ると思ってるのさ」
「そんな! 彼らは……」
「分かってる。あの二人はそんな事を思ってないだろう。けどそれを分からない人間もいれば、君みたいな分かってる人間もいる。それでいいんじゃないかな?」
「それでいいんでしょうか?」
「いいんだよ。僕達は国を動かすほどの力はない。だからこそ、彼らに感謝できるんじゃないかな。今度お礼に行ってみたら?」
「……そうですよね! 私がウジウジしてもしょうがないですよね。今度彼らにお礼を言ってきます! 有難うございます先輩!」
「うん、元気になったね。やっぱりフィッツェは明るいのが一番だよ。さあさあ、美味しいご飯にお酒がいっぱいあるんだ。今日はいっぱい食べよう。神殿に戻ったらこんなの食べられないよ。さあ行こう」
「わっ、わっ、ちょっと引っ張らないでくださいよ〜」
クヴァイは彼女に伝えなかったことがひとつあった。
それは、この功績をフィッツェの手柄にして、中央のエアンベルグ帝国が派遣した神官戦士が無能の集団という噂を回避する意味もあった。
(それを知ったらフィッツェは嫌は気分になるだろうな)
だからこそ、隊長のガルネールからこれを聞かされたクヴァイはその事に対しては決して言うまいと誓うのだった。
「フィッツェさん」
彼女が見た事もない豪華な食べ物を口一杯に詰め込んでいると後ろから男性に呼ばれる。
「あっ、シェロさん、レティ、今晩は」
フィッツェを呼んだのは貴族のシェロ・シュタルングと娘のレティだった。
「こんばんはフィッツェ。こういう場でもいつもの神官衣なのね」
「レティ! 全く、すいませんな。娘は思った事をすぐ口に出してしまって」
「いえ、いいんですよ。この服は私が女神エレニスに生涯仕えるという証なんです。だからこの格好はどんな場でも変わる事はないんです」
「ふ〜ん。私には無理ね。ずっと同じ衣装なんて。堅苦しすぎるわ」
「ははっ、そうですよね」
「でもその揺るぎない信念を持つ貴女はとても素敵ですわよ」
そう言って顔を持っている扇子で顔を隠すレティ。その頬は林檎のように真っ赤になっていたのをフィッツェは見逃さなかった。
「……可愛い」
その一言はレティの耳には届かなかった。
「何て言ったんですの?」
何故なら周りの人々がとても大きい歓声を上げたからだ。
「皆様。今日は忙しい中、今夜の晩餐会に来てくれて感謝します」
晩餐会の会場に現れたのは、ベギーア・トスオ女王であった。
中央の階段を降りてきた彼女は、豪華な黄金のドレスをその身に纏っていた。それでも女王の美しさは霞むことなくなお一層輝いていた。
その場にいたすべての人々が恭しく頭を垂れる。
「頭を上げなさい。今日の主役は私ではありまんよ」
そう言ってフィッツェ達の元に女王はゆっくりと近づいてくる。
「彼等が女神エレニスに仕える神官戦士達です。さあ皆様、今宵の主役である英雄達に拍手を贈りましょう」
そう言ってベギーアが拍手をすると周りにいた群衆が割れんばかりの拍手を彼等、神官戦士達に贈る。
フィッツェ達はその大音量に圧倒されるばかりだった。
暫くして女王が拍手をやめると、周りの群衆もそれに続き、会場は一瞬沈黙に包まれる。それを破るのは耳に心地よく聴く者を蕩けさせる美声だった。
「ガルネール。貴方達のお陰で、攫われた人々が助けられ、再び平穏な生活を送る事が出来るのです。私が代わりに感謝の言葉を贈らせてもらいます。褒美は何がよろしいですか?」
「感謝いたします、女王陛下。しかし我々にとってその言葉こそが最高の褒美でございます」
ガルネールはそうやんわりと断りながら跪いて頭を垂れる。部下達もそれに倣い、女王に敬意を表する。
「……分かりました。褒美の件は教会と直に話ておきます。それぐらいはさせて下さい。でないと私の気が収まりません」
「はい。それで問題ございません」
ベギーアはこれでガルネールとの会話は終わりとばかりに頷くと、フィッツェの方に振り向く。
「やはり貴女は優秀なのですね。私、益々気に入りましたよ」
「は、はい。有難うございます」
フィッツェは何か違和感を感じたが、それが何かはわからなかった。
「陛下! 宜しいでしょうか?」
そう声をかけたのはフィッツェの隣にいたレティであった。
「あら貴女は、彼女に助けてもらったという……」
「はい! シェロ・シュタルングの娘、レティ・シュタルングと申します! 一目会いたいと思っていた憧れの女王陛下にお会いできてとても、とても光栄です!」
レティは目の前に女神が降臨したかのように身体を震わせ、目を合わせるがそれも一瞬ですぐ逸らしずっと磨かれた床を見ている。
「そんなに恥ずかしがらないで。ほらこっちを見るのです」
ベギーアは両手を添えてレティの顔を上げさせる。
「改めまして今晩はレティ。こんな可愛いお嬢さんに憧れられるなんてとても嬉しいわ」
「うわ、うわっ! 近い、近いです! でもとても嬉しいです!」
レティの頭から白煙が上ってもおかしくない程顔が真っ赤になっていた。
「陛下。そろそろお時間が……」
ベギーアに付き添う近衛兵の一人が彼女に耳打ちをする。
「分かりました。フィッツェ、レティ。私はそろそろ行かねばなりません。晩餐会はまだまだ続くので楽しんで下さいね」
「「はい!」」
二人の元気の良い返事を聴きながらベギーアはにこやかに会場を去って行く。
(何だろう、誰かに見られてる?)
その時また違和感を感じるフィッツェだった。
「レティ。ちょっとすまん。この後、人と会う約束があるんだが、どうするもう帰るか?」
他の人と話して離れていたシェロがしばらくしてフィッツェ達の元に戻ってきた。
「そうですの。できればまだ色々とお話ししていたいのですが……」
レティがチラリとこちらを見ているのがフィッツェの目に入る。
「うーん、シェロさん。もし宜しければ私が責任を持って送りますので、まだレティと話しててもいいですか?」
それを聞いて父と娘の顔が同時に笑顔になる。
「それは助かります。貴女が一緒なら私も安心です。レティの事、お願いしても宜しいでしょうか? 」
「ええ、もちろん」
「じゃあ、フィッツェ。あっちの静かな所に行きましょう。たくさん聞きたい事があるんだから。」
「うん、今行く。じゃあシェロさん。レティをお預かりします」
フィッツェが会釈して、レティの後をついて行く。
「お願いします。レティ。余りフィッツェさんに迷惑をかけるなよ」
「分かってます。お父様!」
シェロはまるで姉妹のような二人の後ろ姿を見えなくなるまで見送るのだった。
晩餐会はまだ続いていて、人々は談笑に花を咲かせる中、人気の無い月明かりに照らされた中庭の噴水にプンプン怒るレティとフィッツェが座っていた。
「全く、お父様は過保護すぎるわ」
「そう? いいお父様だと思うけど。貴女の事が大好きだからあんなに気にかけてくれるのよ」
「そう、かしら?」
「そうです。レティはお父様の事嫌いなの?」
「嫌いよ! いつもいつもああしろこうしろと耳にタコができるほど言ってくるんだから……大嫌いなんだから」
「はいはい」
嫌いと言いながらも表情から完全に逆の事を思っているのはフィッツェにはお見通しだった。
「私の事はいいの! 貴女の事を聞かせてほしいわ!」
レティは立ち上がると、その柔らかそうなほっぺを膨らませて可愛らしく命じた。
「私の事? いいけど、何聞きたいの?」
「何で神官になったか聞きたいわ。しかも神官戦士なんて、とっても危険じゃないの?」
フィッツェは上を向いて夜の星空を見つめながら、昔の記憶を思い出していく。
「……小さい頃ね。私の住んでいた村が魔族に襲撃されてね。両親もそこで亡くなったらしいの」
「えっ! あの……ごめんなさい」
聞いてはいけない事を聞いてしまったと思いレティはシュンとしてしまう。
「ああ、いいの。私も小さい頃の話だから、もう悲しいとかそういう感情は余りないから。でもどうする? 聞きたい?」
レティはフィッツェの隣にペタンと座る。
「うん聞きたい。ここまできたら最後まで知りたい!」
「分かった……私の村は北のルノ王国に近くにある小さい村でね。特に何かあるわけでもなく、ちょっと貧しくても平和だったのよ。
……でも、そこにオークの集団が突如として襲撃してきたの。いつもは近くに砦があって守ってもらっていたんだけど、何故か兵士達は来なかった。そして無防備な私達の村はなすすべもなく破壊されてしまったの」
「どうやって助かったの?」
「うん ……私が覚えているのは、外は炎に包まれて、そこに照らし出される黒くて大きなオーク達。そいつらが、扉を壊して私の家に入ってきた時、父は鍬で立ち向かい、母は私を守るように抱きしめながら、ずっと女神エレニス様に助けを求めていたのを覚えているわ。
そして父が倒れて、オークが母の元までやってきた所で私は気を失ったみたいで、気づいたら診療所のベッドの上だった。
後で聞いた話だけど、任務を終えて帰還していた神官戦士達が偶然村を通りかかってオーク達を殲滅してくれたの。こうして私は助かった。
父と母は助からなかったけど、私は救われた」
そこまで一気に話したフィッツェは一度言葉を切り息を整える。
「その後、私はエレニス教の修道女になってから神官戦士を目指したの。あの時の戦士達みたいに私も力なき人々を守りたいと思って。
まあ、無事に神官戦士になれてもずっと訓練ばっかりで、今回初めて任務に同行できるようになったんだけどね」
「怖くないの? 死んじゃうかもしれないじゃない」
「うーん。怖い、怖いよ。けど、私が頑張れば悲しい思いをする人が一人でも少なく出来るなら、私はこの身を女神に捧げて任務を遂行するわ」
「…………」
レティは目をウルウルさせながらジッとフィッツェを見つめていた。
「レ、レティ?」
「……かっこいい」
「えっ?」
「かっこいいよ。貴女とってもかっこいいわ!」
レティは目をキラキラ輝かせフィッツェに迫る。
「私、神官の人達ってちょっと苦手だったの。いっつも堅苦しくて、なんか近づきにくかった。
けど貴女の様にみんなを守るという固い決意を持ってる人に出会って考えが変わったわ。私、貴女をううん神官の人達をずっと応援していくから!」
「うん、ありがとう」
その時、夜風が二人の体を冷やしていく。
「レティ。そろそろ中に入ろうか。体冷えちゃうしね」
「うん!」
フィッツェとレティは手を繋ぎながら明るい光の灯る会場に戻るのだった。
レティと会場で別れたシェロは執事と共に馬車で、ある場所に向かっていた。
そこは傭兵ギルドに併設された酒場だった。だが彼は酒を飲みに来たのではない。ある人物に会うためだった。
執事を馬車に待たせ、酒場独特の喧騒を抜けてカウンターに向かい、そこのマスターに大声で自分が来た事を告げる。
するとその人物が泊まっている部屋を教えられそこに向かう。
「……ここか」
シェロは唾を呑み込む。いつの間にか口の中もカラカラに乾いていた。
彼等は娘を助けてくれた恩人なのに何故か体が強張り緊張するのを止められない。
必要以上の力を込めて、扉をノックする。
「どうぞ」
ノックに応えた部屋の主の了承を得て扉を開ける。そこにいたのは夜の闇にも負けない漆黒の鎧を纏った男、クロだった。
「この度は娘を助けていただいてありがとうございました」
「俺は依頼を完遂しただけだ」
クロは腕を組んでそう言う。
「分かっています。それでも助けていただいた事には本当に感謝しています」
「そうか、それでここに来たという事は、頼み事を聞いてもらえるのかな」
「……はい」
「助かる。まずは座ってくれ」
クロはシェロに部屋に一つしかない椅子を勧める。
「失礼します。それで、頼み事とは何でしょう? それと本当に報酬はいらないのですか?」
意外な事にクロはレティを助けた後日に報酬はいらないからある事を頼みたいとシェロに連絡してきたのだ。
「金の為に傭兵をやってるわけではないからな。ある目的があってその為に協力してもらいたいんだ」
「もちろん貴方は娘を助けていただいた恩人ですから。できる限りの事は協力させていただきます。それで頼み事とは一体?」
「船を貸して欲しい」
「船? それは私の所有する船ですか?」
「そうだ。それを囮にして海賊達をおびき出す」
「……船を貸すのは構いません。海賊達を討伐してくださるのならば、我々も後々の利益に繋がります。本当にやってくださるならば船員達の説得もこちらでしましょう」
「そうか。あともうひとつ借りたいものがある。コレがあれば確実にあいつらは食いつく。それほどの価値があるものだ」
「な、何でしょう?」
何となくその一言はシェロを不安にさせたが聞かないわけにはいかなかった。
「それはだな……」
もうひとつのクロが貸して欲しいものの名前を聞き、シェロの顔面はみるみる青ざめていくのだった。
来る前より確実に疲れた顔をしたシェロを見送り、クロは隣の自分の部屋に戻る。
今まで話していた部屋はこの時の為に借りた部屋であった。
部屋に戻るとヒメが健やかな寝息を立ててベッドで眠っていた。
クロは彼女に近づくと顔にかかって乱れた金色の髪を整える。そして起こさない様に気をつけながら、その右の掌を見る。
一週間前の事件で、ナイフを握って切ったのが嘘の様に綺麗な肌をしていた。
クロは分かっているが、傷跡が残っていないのを見て安堵する。だが傷はすぐ癒えても、彼女の心の傷まではすぐには癒えない事も知っていた。
「彼奴らに復讐する為にお前を利用しようとする俺を許してくれ」
クロはその場で跪き、ヒメの右手を両手で握って自分の顔の前に持って行き、何度も何度も許しを請うのだった。