第六話 王国に巣食う影 その2
クロ達は刃物を持った男達に囲まれてしまう。
フィッツェは自分が武装してこなかったのを後悔する間もなく、後ろから首筋にナイフを突きつけられる。
「その子に手を出さないで!」
自分の心配よりも、ヒメに短剣を突きつける男に向かって叫ぶ。
「黙ってろ。女」
「…………」
ヒメは感情を見せず、ジッと自分に向けられる刃を見つめていた。
「動かないで下さいよ。下手に動いたらあんたのお連れさんが死んじまいますよ」
情報屋はナイフを突きつけながらクロを脅す。しかし彼はそんな事は気にする事もなく、逆に冷静に問いかける。
「こうなる事はなんとなく分かってた。お前は極一部の人間しか知らなかった筈のシェロとレティがケンカした事まで話していたしな」
「おっと、俺としたか事がついうっかり。あのガキちょっと親切にしたら、いろいろベラベラ話してくれたからな」
「なんて奴! 女神エレニスはきっと貴方達の魂に重い罰を与えますよ!」
「うるせえぞ女神官! 女神なんかが怖くて、この商売続けてられるかよ」
「なっ! 女神エレニスを冒涜するな!」
「黙れ!」
フィッツェの後ろにいた男が切っ先を更に近づける。
針で刺された様な痛みの後に、首筋から赤い雫が一滴流れ落ちた。
彼女は恐怖で口を噤むが、それを悟られまいと男達を睨みつける。
尚も反抗的な態度をとるフィッツェに、男が平手打ちでも食らわせようかと左手を上げた時に情報屋が口を開く。
「おいそれ以上傷つけるな! 商品の価値が下がるだろ!」
「……へい」
情報屋の手下の男は、ナイフを突きつけたまま、渋々といった様子で上げていた左手を下す。
「俺はどうなるんだ?」
「そうですね〜。我々が欲しいのは十代の少年少女。旦那はとてもそうには見えない」
「確かに俺は十代ではないな」
「でしょ。まぁ後ろの二人には残ってもらって、旦那にはこのまま一人で帰ってもらいましょうか。その鎧は売れそうなので脱いでもらいますけど」
「……断ったら?」
情報屋達はそれを聞いて思わず吹き出す。 それは明らかに自分が優位に立っていると思い込んだ者の笑い方だった。
「こっちは武器を持った三人。旦那が強くても二人も人質がいて、更に丸腰のあんたが何かできるとでも?」
確かにクロは鎧を着込んではいるが武器を持っていなかった。正確には刃の無い柄だけが腰のベルトに止められていた。
「その油断が命取りだな」
「あっ? 何言って……」
「こいつ何しやがる!」
情報屋の言葉を遮ったのはヒメに短剣を突きつけていた男だった。
「ヒメ!」
彼女の方を見たフィッツェも驚く光景が目の前に広がっていた。
ヒメは短剣の両刃を無造作に右手で掴んでいた。顔は相変わらず無表情のまま。
刃を掴んだ手は切れ、血がどんどん溢れて床を染めていく。
「馬鹿野朗何してんだ! さっさとその手を引き剥がせ」
情報屋が慌ててそう指示を飛ばす。
勿論手下の男も、ヒメの手を離そうとしているのだが、とても少女が出しているとは思えない力でがっちりと掴まれ全く動かせない。
情報屋達はヒメの行動に気を取られていて、クロが動いた事に気づくのが一瞬遅れる。それが彼らの命取りになった。
「フィッツェ動け!」
クロはそう言いながら相手との距離を一気に詰める。
「このっ!」
情報屋は咄嗟に反応して短剣で鎧の隙間がある首を狙う。
それをクロは避けずにそのまま突っ込み、刺さる直前に頭を下げた。
短剣は火花を散らしながら、兜の曲面で滑り、あらぬ方向に逸れる。
そのまま情報屋の目前まで迫ると、伸びきった右腕を掴み肘の関節を極めた。
激痛で短剣を落とし、痛みから逃れようとするが、クロはそのまま肘を破壊する。
「ぐわあああぁっ」
情報屋は悲鳴を上げながら床にうずくまる。
フィッツェも自身を拘束している男が気を取られている隙に、短剣を掴んで相手の攻撃を防ぎ、右の肘打ちをみぞおちに思いっきり打ち込んだ。
「がっ」
男はそのまま崩れ落ちる。持っていたナイフはフィッツェが奪う。
「ヒメから離れなさい!」
三人目の男は、握られたままのナイフから手を離し、フィッツェの方に身構える。
だが飛んできた短剣が男の右こめかみに深々と突き刺さり、そのまま横向きに倒れた。
すぐさまフィッツェはヒメの元に駆け寄る。
「大丈夫? 手を見せて!」
ヒメの返事を待たず血塗れの右手を見ると、予想外の光景に目を奪われる。
掌は血だらけなのだが、それだけであった。刃物を握った時にできたはずの傷がなくなっていた。
「ヒメ、傷は? なんとも無いの?」
「……うん」
「なら、良かったけど……」
フィッツェは頭の中で疑問が湧き上がるが、取り敢えず今はその事を忘れる。まだここは安全ではなかったからだ。
上の階から足音のような物音が聞こえてくる。
「まだ仲間がいたようだ」
クロはフィッツェの肘打ちで苦しむ男に短剣でトドメを刺し、落ちていたナイフを左手に持つ。
「ここにやってくるみたい」
「任せろ。お前はヒメと彼らを頼む」
クロは攫われたレティ達の方を指差す。
「それはいいけど、貴方一人で大丈夫なの? それにこの男はどうするの?」
情報屋は右腕を押さえたまま、うずくまっていた。その肘は一目見て明らかに外側に折れ曲がっていた。
「そいつはそのままでいい。早く安全なところで隠れていろ」
そう言い残して、クロは部屋を出てしまう。その直後、扉の外からは剣戟の音と男達の怒号と悲鳴が響き続けていた。
クロを信じて、フィッツェは自分のいた部屋の奥にある開いたドアから、攫われた少年少女達の部屋に入る。
一番近くにいた貴族の少女の猿轡を外す。
「ぷはぁ、誰なの貴女は? 神官?」
フィッツェの身なりを見てそう判断したようだった。
「はい。私はフィッツェと申します。エレニス教に仕える神官戦士です。貴女はレティ様ですね?」
その少女は黒いウェーブがかかった髪を肩まで伸ばして豪華なドレスを着ていた。クロから聞かされた情報通りの身なりをしていた。
「レティでいいわ。堅苦しいのは嫌いなの。助けに来てくれたの?」
「そうです。ここにいる皆を助けに来たんです」
助けに来たのは全くの偶然だったが、それは口に出さなかった。
「それは良かっ……きゃあっ!」
レティの悲鳴を聞いて、フィッツェが振り向くと、そこには返り血で全身を赤く染めたクロが佇んでいた。
「大丈夫です。この人は味方ですよ」
「そ、そうなの? あ、ありがとう」
「早く他の子供達も自由にしろ。ここから出るぞ」
「は、はい!」
フィッツェは次々と捕らわれていた子供達を解放していく。中には恐怖で泣き続ける子もいたがそれを宥めるのはヒメの役目だった。
「皆、もう大丈夫ですよ。お家に帰れますからね」
ヒメのその言葉で、泣いていた子供は泣き止み、彼女の元に集まる。
それを見てフィッツェはある人物の姿を重ねていた。
「皆! この子の言うとおりよ。泣いたってしょうがないわ。ここから逃げるんだから」
更にレティが貴族らしいリーダーシップを発揮して子供達をまとめ上げる。
「鎧のお方。ここから逃げ出すために先導してくださいます?」
「ああ、ついてこい」
クロはいつの間にか気絶していた情報屋を担ぎ上げて先頭に立つ。その後ろにヒメ、レティと子供達。殿はフィッツェが続いていく。
「向こうだ。ヒメ先導してくれ」
「……うん」
クロは部屋を出ると通路を遮るように立ち、レティ達を先に行かせる。
フィッツェはクロの行動に疑問を持ったが、そちらを見てすぐに彼の真意に気づく。
「どうした?」
「何でもないです」
部屋の奥には襲ってきた男の死体がありクロはそれを隠していたのだ。
いつもは淡々としているが、そういうふとした優しさがフィッツェには好意的に映っていた。
ヒメ達が先に外に出ている事に気付き後に続くと、外が騒がしい事に気づく。
「何かしら?」
フィッツェが外に出ると、そこには沢山の人垣が出来ていた。
彼らは、建物の中で聞こえた悲鳴や金属がぶつかる音が突如消えたと思ったら、子供達が出てきた事に驚き集まっていた。
「母さ〜ん」
「ぼうや! 無事だったのね。ああ、女神さま。息子を守ってくださりありがとうございます」
中には、攫われて行方不明になった息子を見つけ、再会を喜ぶ母親もいた。
「見ろ。神官様だ! あのお方が皆を救ってくれたんだ!」
そこに現れた神官衣を纏ったフィッツェを見つけた人々が集まるのは不可避だった。
「子供達を助けてくれてありがとうございます!」
「貴女のお陰で息子に再び会えました。感謝します」
「女神エレニス様。ばんざーい!」
皆がフィッツェを救世主のように崇め誉めたたえる。
「ちょっと待って下さい。彼らを助けたのは私ではないんです」
しかしフィッツェの周りに集まった人々にはその言葉は中々届かない。
「すー……皆さん聞いて下さい!」
何度言っても聞いてくれないので、息を深く吸って今までよりも大きな声を出す事で、やっと耳を傾けてくれた。
「皆さん。この子達を助けたのは私だけではなく彼のおかげなんですよ」
その言葉で集まっていた人々はフィッツェの後方に注目し、そしてざわつく。
「ひっ」
その中から悲鳴も聞こえてきた。
フィッツェは振り向いてしまったと思った。現れたクロは返り血を浴び、更に肩に男を担ぐ姿は、遥か昔に亡びた悪魔を彷彿とさせた。
「フィッツェ。ちょっとこっちへ」
クロは向けられる視線を全て無視して、彼女を人気のない路地裏に誘う。
群衆はあの鎧の男が彼女に何かするんじゃないかと心配しながら見守る。
「大丈夫、何もないですから。ちょっと待っていてください」
路地裏に向かうとクロが無造作に担いでいた男を落とす。
情報屋は呻き声を上げるが、まだ目は覚めない。
「治癒の奇跡は使えるな?」
「もちろん。でも誰に……まさかこいつに?」
「そうだ」
クロはそういうとしゃがみ込み、二、三度はたいて、情報屋を覚醒させる。
「目が覚めたか?」
「あっ? ぐっ、ぐぁあああ」
情報屋は最初何が起きているのか分かっていない顔をしていたが、途端に呻きながら右腕を抑えた。
「その痛みで何があったか思い出したか?」
声を出せないほど痛むらしく、首を縦に振ってクロに返事する。
「治して欲しいか? 治してやってもいい。ここには奇跡が使える者もいるしな」
それを聞いて情報屋の目にはっきりと映るのはこの痛みから解放される事に対しての歓喜の光だった。
「ひとつ条件がある」
そのクロの一言で情報屋が固まる。
「お前が誰の指示で人攫いをしていたか教えろ。そうしたら治してやる」
情報屋は激痛に顔をしかめ、脂汗を流しながらも、首を縦に振らない。
「言っておくが、普通に治療してもお前の腕はもう元には戻らないぞ。それでもいいなら衛兵に引き渡すまでだ」
「い……いわな……言わない」
「強情だな。いいだろう衛兵が来るまで当分その痛みで苦しめ。行こう」
クロはフィッツェを連れて呻く情報屋の元から離れる。
「まっ、待て! 待ってくれ……喋る、喋るから。お、お願いだ腕を治してくれ〜」
言葉の最後の方は涙声になってまで懇願してくる。
クロは待ってましたとばかりに引き返し、再び彼の前にしゃがみ込んだ。
「本当に喋るんだな?」
情報屋は何度も首を縦に振り続ける。
「フィッツェ、頼む」
「分かりました。何でこんな奴に……」
フィッツェはしぶしぶといった様子で折れた右肘に両手を伸ばし、女神に祈りを唱える。
「女神よ。この者の傷を癒したまえ」
祈りは聞き届けられ、彼女の両手に温かな光が溢れて情報屋の右腕を包み込み、折れた骨が元どおりに戻っていく。
「ふう。終わりました」
光が消え、フィッツェは右腕で額の汗を拭う。
奇跡は神の力の一部を借りるもの。ヒトの身では負担が大きく、一時的とはいえ、彼女の身体を倦怠感が包み込んでいた。
「さあ、質問に答えろ」
「…………」
情報屋は答えずに、一瞬横目で人気のない路地の奥を見る。それを見逃すクロではなかった。
「ごぼっ!」
クロは情報屋の胸に、自分の右足を杭の如く打ち込んでいた。
「逃げる気か?」
クロの右足に潰されて情報屋の肋骨が軋みを上げる。
「ぐあっ、ごだえる、答えるから。があっ、足を、どけてくれ!」
「次逃げようとしたら容赦しない」
「分かった……ハー、ハー、逃げないよ。何でも答えるよ。ゴホッ、ゴホッ」
「よし、お前を雇っていたのは何者だ?」
「海賊連合ロイバーゼだよ。沖の小島を根城にしているな」
「連合? 貴方達ひとつの組織なの?」
フィッツェの疑問も当然だった。彼女が神殿から聞かされていた話では複数の海賊が海を荒らしているはずだった。
「古いな。数年前、今の首領が全ての海賊を実力で傘下に収めたんだよ」
「ここ最近海賊が勢いをつけてきていたのはそういう事だったのね」
「それで、その首領とやらは何者なんだ?」
それを聞いた途端情報屋の表情が一気に引きつる。それは首領に対する恐怖だった。
「わ、分からない」
クロは何も言わず彼の眼前まで近づき、治った右肘を踏みつける。
「ひっ、本当だ! 本当に分からないんだ!それを知ろうとした者は全員殺されて、誰も知らないんだ! 信じてくれ!」
「そんな人に海賊達はついていくの?」
「ああ、確かにどこの誰かは分からないが、首領が指揮をとってからは間違いなく俺たちの稼ぎは増えたからな」
「…………」
クロは何かを考えているのか黙り込む。
「俺は、もう知っている事は全部話した。衛兵に突き出してくれて構わない。だからお願いだ。命ばかりは助けてくれ。この通りだ!」
情報屋は土がつくのも構わずに頭を下げて命乞いをする。
「最後にひとつ答えろ。お前達が人攫いを始めたのはいつからだ?」
「確か、一ヶ月前からだ」
「詳しく話せ」
「ある日、黒いローブを纏った男がやって来て、お頭と二人で何かを話したらしい。そのままそいつは副官として今もいるんだ」
「そいつの指示で人攫いが始まったと?」
「そ、そうだ。その人の情報で、獲物を見つけて攫ってくるんだ」
「分かった。これで終わりだ」
クロはそう言って腕から足を離して立ち上がり、情報屋を見下ろす。
「俺は知ってる事は答えたんだ。命ばかりは助けてくれるよな? な?」
「どう、するんですか?」
フィッツェはクロに訪ねる。
「衛兵に突き出す」
それを聞いて一番喜んだのは間違いなく情報屋で、表情からもありありと分かるほどだった。
「だが、忠告しておくぞ」
「な、何だ」
その一言で、天国から一気に地獄に叩き落とされたような顔になる。
「次会った時は命はないと思え」
「ああ、もちろん、もちろんです。牢の中で一生大人しくしています」
フィッツェは本当かしらと思ったが、クロはそれを信じたようだった。
話し終わった時、丁度騒ぎを聞きつけた衛兵達が駆けつけていた。中には神官戦士達の姿もあった。
クヴァイはいなくなってしまったフィッツェを探していたのだが見つからず、ガルネール達と合流したところ、攫われた人が救助されたとの事で衛兵達と共にその現場へ向かった。
そこにいたのは行方不明になった子供達と、それを見に来た群衆。
衛兵に男を突き出していたのは、昨夜、酒場の前で出会った全身鎧の男と、棺を背負った少女。そしてはぐれたフィッツェだった。
「あっ、隊長! 先輩!」
クヴァイ達を見つけた彼女が二人の名前を呼びながら手を振ってくる。
「全く、迷子になったと思ったら、……大手柄だね」
「すいません先輩。でも私じゃなくて、彼らのおかげでなんですよ」
二人はクロ達の方を見る。彼らはガルネールと話をしていた。
「また会ったな。お前は色々なトラブルに巻き込まれるのが好きなのか? それとも首を突っ込むのが好きなのかな?」
ガルネールは腕を組みながらクロに話しかける。
「色々とこちらも探しているんだ」
「探している? 仇でも探しているのか?」
クロはヒメの方を見てこう呟いた。
「探しているんだ……もう何十年も何百年もな」
「どういう事……」
「隊長」
ガルネールが聞き返そうとした時、フィッツェが近づいてきた。
「こら! 神官戦士たるもの。はぐれて迷子になるとはどういう事だ」
「す、すいません」
「まあまあ隊長。今じゃなくてもいいじゃないですか」
ガルネールの説教が始まろうとしていた。それを止めるのはもちろんクヴァイの役目である。
「あのよろしいですか?」
三人が振り向くとそこには若い衛兵がいた。
「えっと、捕らえた男を連行するのですが、皆様も一緒に来られますか?」
「そうだな。我々も色々話を聞きたい。ついて行こう」
「あっ、貴方達はどうするんですか?」
フィッツェはクロ達が傭兵ギルドの人間なので衛兵の詰所に来ても、話は聞けないだろうと思い、そう尋ねた。
「俺たちはこの娘を父親の元に届ける。元々そういう依頼を受けた結果が、偶然こうなっただけだからな」
そう言ってクロとヒメは救出したレティを連れてその場を離れる。その姿は集まっていた人達ですぐに見えなくなってしまった。