第五話 王国に巣食う影 その1
フィッツェ達と別れた翌日の朝、クロとヒメは新しい仕事を探していた。
傭兵ギルドの一階にある掲示板に貼られている依頼を吟味していく。
「……良さそうなのあった?」
「いや、無さそうだな」
掲示板に所狭しと貼られた張り紙には依頼内容が書かれているが、これだと思うものは中々見つからなかった。
探している間にも他の傭兵が紙をはがし受付に持っていく。
「盗賊退治にオーク狩り、警護を兼ねた畑仕事の手伝い……」
傭兵ギルドとは言え、実態は何でも屋みたいなものなので、農作業や引っ越しの手伝いなど依頼内容は様々だった。
自分達の目的に近づく為の依頼が見つからず適当なものにするかと思ったその時、ギルドに入ってきた人物が注目を集めていた。
その中年の男性は身なりから分かるほど立派な服を着込んだ貴族で、周りの視線を気にすることなく一直線に受付に向かい、受付嬢のセルンの前で止まる。
立ち振る舞いは堂々としているのに、今にも泣き出しそうな顔をしているのが印象的だった。
「いらっしゃいませ。依頼を出されるのですか?」
話しかけた彼女に答えたのは、後ろにぴったりと付き添う、燕尾服をキッチリと着こなした初老の執事だった。
「いきなり申し訳ありません。緊急の依頼をお願いしたいのです」
そう言って懐から封蝋がされた上質な羊皮紙を取り出してセルンに渡す。
「拝見させていただきます。……これは!」
内容を見たセルンは驚愕の表情を見せた。
周りの傭兵達も興味深そうに見守る。
いつもなら騒がしいギルド内も今はセルンと執事のやり取りしか聞こえていなかった。
「この依頼を貼り出してもらえますかな?」
「はい、大丈夫ですよ。今掲示しますね」
セルンは小走りで掲示板にその依頼を貼り付ける。それを確認してから貴族が初めて口を開いた。
「ここにいる者たちよ。聞いてくれ!」
大仰に両手を広げ大きな声で傭兵達に問いかける。
「私の娘が誘拐された。衛兵だけでは頼りにならん! 救出してくれた者には、金貨一万マルカを出すぞ!」
「「「おおおおおっ!」」」
傭兵達はどよめく。一万マルカあれば一月は遊んで暮らせるほどの大金だった。
「この依頼は特別に何組のグループでも構いませんので、どんどん受けて下さいね。ただし早い者勝ちですよ」
いつもなら一つの依頼は一組の傭兵のみだが、今回のように特例で複数が受けられるものもあるのだった。
他の者が我先にと依頼を受けていくなか、クロとヒメは黙って見ていた。
「……あの依頼受けるの?」
「そのつもりだ。ヒメ、先に用意をしといてくれ」
ヒメはコクリと頷き自分の部屋に向かった。
依頼を受けた傭兵達がどんどん捜索に出て行き、受付が空いた所でクロは近づいていく。
「あっ、貴方も依頼を受けますか?」
その返事に黙って頷いたクロを貴族の男性は訝しげに覗き込んでいた。
「ああ、受ける」
それを無視してクロはセルンと会話する。
「いつも通り二人で、ですね」
クロは再び黙って頷く。
その返事を待っていたかのように、ヒメが降りてきた。
「……用意できたよ」
「よし。行こうか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
出発しようとするクロとヒメに声を掛けてきたのは、依頼主の貴族の男性だった。
「君達も冒険者なのか?」
「そうだが? 問題でも」
「君達も」と言っていたが、そのセリフはクロにではなくヒメに言っているのは誰の目にも明らかだった。
「彼女も立派な冒険者なんですよ」
セルンが二人に助け舟を出す。
「この年端もいかない少女が、本当か? 娘と同じ歳くらいに見えるのだが……」
「ええ、この二人には以前私も助けられたことがあるから断言できます。とても頼りになりますよ」
依頼主は、二人をまじまじと見つめる。特にヒメが背負う棺のような物に目を奪われていた。
「お嬢さん。一つ聞いてもいいかな?」
ヒメは小さく頷いた。
「君も冒険者なのかい?」
「……うん。私もクロのお手伝いしてるの」
「その背中に背負っている物は重くないのかい?」
貴族の男性はヒメが奴隷の様な扱いを受けているのではと思い込んでいた。
「……これ? ううん。ヒツギは重くないし、とても大切な物」
「棺が大切な物?……」
ヒメの言ったヒツギとは違うものであったが、貴族の男性はそれに気づいてなかった。
「……貴方の大切な人は私達が見つける。だから信じて」
ヒメは真っ直ぐ相手の目を見つめ続ける。
折れたのは貴族の男性だった
「分かった。二人を信じる。娘を、レティを見つけてくれ。頼む!」
そう言ってクロ達に頭を下げる。貴族の人間が、身分が下の者にこういう態度をとるのはとても珍しかった。
「捜索に行く前に色々話を聞きたいんだが、いいか?」
「ああ、勿論だ。何でも聞いてくれ」
三人は、行方不明になった時の状況を聞くため、近くのテーブルに移動した。
ヒメと貴族の男性が椅子に座り、クロは彼女の傍に立つ。
「依頼書には書いたが、改めて私の名前はシェロ・シュタルング。探して欲しいのは、レティ。私の愛娘だ」
「いつ頃行方不明になったんだ?」
「昨日の事だ。恐らく港に向かっていたと思うんだが……」
シェロの歯切れが急に悪くなった所を見逃すクロではなかった。
「いなくなる前に何があったか、詳しく話してくれ」
「…………」
シェロはしばらく黙っていたが、観念したかのように口を開く。
「私は川の街ルフスからここに用事があってやってきたんだ」
ルフスは、ここ東のトスオ王国と南のミューズ王国を隔てる川岸にある街でシェロはそこを治める領主を務めている。
「それで、レティも共についてきたのだが、ある事でケンカしてしまってな」
「原因は?」
「えっ?」
「ケンカの原因を教えてくれ」
「言わないと駄目か?」
「すまんが、情報は多い方がいい」
クロはケンカの原因を言うように促す。
「その、レティに私が所有している船を見せる約束をしていたんだが、急遽予定が入ってしまって見せられなくなってしまってな」
「つまり一人で船を見に行って行方不明になった可能性が高そうだな」
クロはそう推理する。
「多分そうだ。これで見つけてもらえるか?」
「船の名前を教えてくれ。そこに行ってみる」
「よろしく頼む!」
「行くぞヒメ」
「……うん」
クロとヒメはシェロから情報を貰って港に向かっていた。
目的の場所に向かう途中に辺りを駆け回る傭兵や、衛兵達とすれ違う。
レティが港で行方不明になったとを知っている者はいなかった。シェロが依頼書に書かなかったからだ。
クロ達は直接情報を聞けた為に、目的の場所に一直線に向かう事ができた。
クロ達は少しでも早く見つけるため早足になっていた。その為向こうからやってくる人物に気づくのが遅れてしまう。
「う〜ん。どこ行っちゃ、きゃあっ!」
港に向かう途中の曲がり角を曲がろうとした時、女性とぶつかってしまう。
すかさずクロは左手を出して倒れそうになる彼女を支えた。
「大丈夫か?」
「は、はい、大丈夫です。ありがとうございました。あっ!」
神官衣を着た女性は立ち上がって二人に気づく。
「貴方達は、確かクロとヒメ?」
「お前は?……」
「えっ、忘れちゃったの。昨日会ったじゃないですか!」
自分からぶつかった事も忘れてついカッとなってしまう。
「……フィッツェだよ。クロ」
「そう、私は神官戦士のフィッツェ。思い出した?」
「すまん。女の名前を覚えるのは昔から苦手なんだ」
素直に謝るクロの姿勢にフィッツェの怒りはどこかに吹き飛んでしまった。
「ま、まあ、私も注意散漫で危うく怪我するところを助けてもらったから許します」
「ここで何をしていたんだ?」
「え、ええと。その、最近この街で起きてる行方不明事件を捜査していたんです」
「一人でか?」
「いえ先輩と……あっ、違います。そう一人で来たんです……」
話しながら語尾が段々と小さくなっていく。一人で来ていないのは明らかだった。
「……迷子」
ヒメがズバリと言い放つ。
「うぅっ! そんな事無いですよ……」
一応否定するが、どう見ても隠しきれていなかった。
「そうです! 迷子です! 先輩とはぐれちゃったんです! それでどうしようかと途方に暮れてたら貴方達とぶつかったんです! ごめんなさい!」
フィッツェが息継ぎせずに一気に話して頭を下げる。言い終わった彼女は、激しく肩が上下していた。
「少し落ち着け。そして頭を上げろ」
彼女の大声で周りの人が何事かと見ていた。
あまり注目されたく無いクロは何とか落ち着かせようとなだめる。
しかしなかなかフィッツェは頭を上げようとしない。
「…………」
クロが困り果てていると、無言でヒメが一歩前に出て近づいていく。
そしてポンとフィッツェの頭に手を置き撫でる。
「頭を上げなさい」
「ふぇっ?」
そう言われて頭を上げたフィッツェ。その目には涙が溜まっていた。
「あらあら、泣かないの。誰も貴女を責めませんから。さあ、何があったか話してください」
ヒメに宥められたフィッツェは気持ちが落ち着いて、ゆっくりと話していく。
「その行方不明事件の捜査の為に先輩と一緒に調査してたんですが、いつの間にかはぐれてしまって。それで探してはみたものの私この街初めてで、余計に迷ってしまったみたいで……」
知ってる人に出会って安心したのか、大粒の涙がポロポロ零れる。
取りあえず近くのベンチにフィッツェを座らさて、落ち着かせる為にヒメが頭を撫で続けていた。
「ありがとうヒメ。もう大丈夫」
「落ち着かれました?」
「うん。ありがとう」
「……よかった」
急に口調が変わったヒメが気になったが、それを訪ねる前にクロが話しかけてくる。
「どうする? このまま先輩とやらを待つか?」
「よければ、私も一緒について行ってもいいかな? 」
フィッツェは決意を固めた顔でクロを見て続ける。
「先輩も探してくれてはいるでしょうけど、同じ街にいるから、最悪宿に行けば会えます。それよりも行方不明の人達を見つける為にもここは三人で協力するべきだと思うんです!」
クロは黙って聞いている。
「貴方達に会えたのもきっと女神エレニス様の御導きに違いありません! それに私一人だとここで待ってても、心細いというか何というか……」
最後のが本音だろうとクロは思ったが、それは問わずにヒメの方を見る。
「彼女も一緒についてくるでいいか?」
「……うん、一緒に行こう」
「ありがとう。二人とも一緒に頑張ろう!」
そう言ってフィッツェはクロとヒメの手をとるのであった。
三人は港に到着していた。フィッツェには道すがら依頼人のシェロから聞いた話を教えていた。
港には大小様々な帆船や一部帆が付いたガレー船などが停泊している。
「つまり貴族のお嬢様が一人で港に向かった可能性が高いんですね」
「そうだ。だからここで話を聞いて情報を集めるぞ」
クロ達は二組に分かれて(勿論クロとヒメは一緒だ)港にいる人間に話を聞いていく。
フィッツェには時間と待ち合わせ場所を決めて再び迷子にならないように釘を刺しておいた。
シェロが所有しているという帆船に向かい近くにいた男に話しかける。
「ちょっといいか?」
「おう、なんだい。兄ちゃん」
クロが話しかけたのは逞しい体つきに全身にタトゥーを彫った男だった。濃いあごひげを生やした顔には、左頬に刃物で切られたであろう傷跡が走っている。
「シェロの娘レティを見なかったか? 昨日ここに来たそうなんだが?」
「えっ! お嬢さまが? いや、見てないな。来たとしたら目立つから嫌でも覚えてるはずだが」
「そうか。邪魔してすまなかった」
「こちらでも探してみるよ」
クロ達はその場を立ち去る。その後も何人かに話を聞くが有力な情報は聞き出せない。
「そんな娘は見たこと無いぞ!」
「すまんな今忙しいんだ。ちょっとどいてくれ!」
それよりも船乗り達は何故か殺気立っていて、気の弱い人間なら卒倒してしまう凄みがあった。
「すまんな兄ちゃん」
クロ達に話しかけてきたのは最初に話しを聞いた船乗りだった。
「皆イライラしているようだが」
「海賊だよ。海賊」
クロはそれを聞いて納得した。
海賊。それはトスオ王国を長年悩ましている目の上のたんこぶだった。
王国の東に広がる海には無数の小島がある。そこは良質な鉱石が取れる場所だったが、同時に海賊のねぐらにもなっていた。
ドワーフと敵対した今、武具を作るには鉱石が必要で、そのため討伐隊を派遣するが、完全には排除出来なかった。
むしろ海賊達は勢いを増し、鉱石を取りにきた人達や漁船などを襲い略奪を繰り返していた。
近年では人を攫って人身売買をしているとも噂されるほどだった。
「最近は、あいつら更に勢い増しやがってよ。ここの船乗りで海賊の被害にあってない奴は一人もいないって話だぜ」
「お前もか?」
船乗りは頬の傷跡を親指で指す。
「ああ、何とか撃退したんだが、この傷はその時にな」
その口調には海賊に対する憎悪がありありと感じられた。
「だから今度海に出るときは傭兵ギルドに護衛の依頼を出そうと思っているんだ。よかったらあんたも受けてくれよ」
「考えておこう」
別れ際船乗りは、ヒメに向かって攫われないように用心しろよと忠告してくれた。
彼が見かけによらずいい人というのは分かったが、行方不明のレティの情報は入らない。
それらしい情報は全部小銭目当てのガセネタばかりだった。
待ち合わせの時間になったので、クロ達が先に来て待っているとフィッツェが走って近づいてくる。
「すいません。お待たせしました」
「大丈夫だ。待ってない」
「あっ、すいません」
「……今来たところ。大丈夫」
フィッツェはクロが怒ってるかと思ったが、そうではなかった。
彼女にはクロとヒメの二人が口数は少ないがお互いでそれを補い合っているところがまるで兄妹のように見えて、少し微笑ましかった。
(どう見ても兄妹には見えないけどね)
誰が見たって全身鎧の男と棺を背負った少女を兄妹とは思わないだろう。フィッツェもその一人だった。
「それでこれからどうするの?」
「レティがここに向かったのは間違いない。滞在先からここまでの間に誰か見てないか聞いてみるしか無いな」
「分かった。それしかないわね」
三人で港から離れようとしたその時、路地裏から声をかけてくる人物がいた。
「そこの騎士の旦那とお連れさん達。こっちこっち」
その男はみすぼらしい格好で、媚びへつらった笑みを顔に貼り付けてクロ達を呼ぶ。
「なんかお困りのようだけど、いいネタあるよ」
男はどうやら情報屋のようだった。あからさまに怪しいのでフィッツェは無視したかったが、クロ達は気にせず近づいていくので仕方なくついていく。
「情報が欲しい。何でもあるのか?」
「なんでもありますぜ。何を知りたいんです?」
「行方不明になったレティという貴族の娘の事を知らないか?」
「へへっ旦那、運がいいな。そのネタならついさっき手に入ったばかりですよ」
情報屋はそう言うと黙り込んでしまった。
「ちょっと知ってるならさっさと話しなさい!」
先にしびれを切らしたのはフィッツェだった。
こういうあからさまに媚びを売る人間が好きになれなかった。
「悪いね。俺もこれで食ってるんだ。先に貰うものもらわなきゃな」
クロは無言で百マルカ金貨を二つ渡す。
「へへっ、助かります。騎士の旦那」
「早く話せ」
「慌てるなって。喧嘩して一人で港まで来たお嬢様のことだろ。実は場所知ってる奴がいましてね」
「本当! すぐに教えて!」
フィッツェは素直にその事を喜んだ。
「案内してもらえるか?」
クロはあくまで冷静に問う。
「へへっ勿論すぐに。その時は旦那、追加の報酬を……」
「ああ、勿論だ」
「助かりますよ。どうぞこちらですぜ」
情報屋は三人を案内するために先導する。
「……フィッツェ。昨日のような事が起こるぞ。気を引き締めろ」
「えっ、はい?」
彼女にはクロが何の事を言っているのか分からなかった。
(昨日あった事と言えば……)
フィッツェは頭の中で何があったか思い出しながらクロ達についていく。
情報屋に案内されてどんどん路地裏の更に奥へ向かっていた。
建物の陰でほとんど日の差さず、昼時でも薄暗い。よからぬ事を考えている者達には絶好の場所といえた。
「へへっ。皆さんお探しのお嬢様を見たって人はここに住んでるんですよ。どうぞ」
情報屋が扉を開けて先に進み、三人も中に入る。
部屋の中は真っ暗で何も見えない。ただクロ達を囲むかのようにかすかに人が動く気配がしていた。
「今扉を開けますよ。この奥にいますからね!」
情報屋が勢いよく扉を開ける。中の明かりに照らされたのは、猿轡をされ両手を縛られた豪華なドレスを身に纏った少女が床に座り込んでいた。
部屋の中には彼女一人ではなく何人かの少年少女達が同じ様に拘束されている。
全員がクロ達に、目で助けてと訴えていた。
「あなた!一体何をして……」
フィッツェの言葉は途中で途切れてしまう。首筋に鋭い物が突きつけられたからだ。
「動くなよ女神官さん。あんたもだ旦那。下手に動くとお連れさんを殺すことになっちまうからな」
情報屋の媚びへつらった笑顔は消え去り、獲物を狙う捕食者の顔になっていた。