第二話 ある女神官戦士の災難
私は逃げていた。
人の皮を被った怪物から。
隊長達は、女性の私を逃がす為に戦っていた。
「はあっはあっ」
恥も外聞もなく逃げ続ける。断末魔の悲鳴をあげる仲間達を置いて。
「この化け物め! 死ね……ぎゃああああっ」
皆死んでしまった。
私が神官戦士に任命されて一年。
東のトスオ王国周辺に現れた魔族を討伐する為、隠れ家になっている館に突入した私たちを待っていたのは、一方的な虐殺だった。
何かと私を気遣ってくれた隊長も、厳しく指導してくれた先輩も、皆あいつに殺されてしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
私は彼等に謝りながら逃げ続け出口を探す。
でも一向に出口は見つからない。
走る通路には窓が無数にあるが、その中で一つも開くものがなかった。
もちろん何度も何度も右手に持つメイスを叩きつける。
けど何か強力な力で封じられているのかびくともしない。
ふと目をやると窓から見事な満月が見えた。
それは不気味なほど綺麗で、まるであの化け物の目のようにこちらをじっと見つめてくる。
私は不安と恐怖で押しつぶされそうになり、慌てて目を逸らして祈りの言葉を口にした。
「女神エレニスよ。どうか私に力を」
私は、この世界を見守る唯一の女神に助力を乞う。
けど、いつも神は助けてくれる訳ではない。
分かっていても、更に大きくなった不安と恐怖が、私の身体の自由を奪い続ける。
その時、後ろから物音が聞こえてきた。
「ひっ!」
私は一瞬全身が硬直し動けなくなってしまう。
その間にも物音はどんどん近づいて来ていた。
何とか首だけを動かして後ろを振り返る。通路には月明かりしかなく、物音の正体はまだ闇に包まれて見ることができない。
しかし確実に音は大きくなりこちらに近づいてくる。
「この音は何?」
相変わらず姿は見えないが、次第に音の正体が分かってきた。
それはジャラジャラと動くたびに金属が擦れ合うチェインメイルの音であり、床を踏みしめるのは靴裏に滑り止めの鋲が付いた革のブーツの音だった。
私は気付く。この館でそれを身につけているのはもう自分しかいないはずだった。
何故なら、皆は死んでしまったはずだから。
「だ、誰なの?」
私はメイスを構え無駄だとわかっていながら問いかける。
窓からの月明かりに照らされたのは、私と共にこの館に突入した討伐隊の隊長だった。
「良かった生きて……」
死んだと思っていた隊長が生きていて嬉しかったが、それもほんの一瞬の事だった。
「ウ〜〜ア〜〜」
彼はよだれを垂れ流し、操り人形のように四肢を力無く垂らしながらこちらに近づいて来た。
目は虚ろで肌は不気味なほど灰色だった。
「隊長? 大丈夫ですか?」
私が近づくと、半開きの口を大きく開きいきなり噛み付いてくる。
「な、何を…きゃああ」
噛まれるのを避けることはできだが、今度は両手で床に押し倒される。
よだれをダラダラと垂らしながら私の首筋めがけて再び噛み付いてきた。
「いやぁあああっ!」
私は 右手に持っていたメイスを思いっきり振り上げる。
金属の塊の槌が頭部を直撃し、肉と骨が嫌な音を立てて潰れる。
メイスがめり込んだまま隊長だったモノは、横向きに倒れ何度か痙攣し動かなくなった。
「……一体何がどうなって……えっ?」
私の目に映ったのは、奥から死んだはずの仲間達が操り人形のような動きで私に近づいてくる光景だった。
討伐隊の身体には刃物で切られたような傷があり、中には首が無い者もいた。
それを見て私は呟く。
「……皆、死んじゃったんだね」
ゆっくりとメイスを、頭部から引き抜いて構える。
槌頭には、隊長の血と肉片が付いていのに気づいて気分が悪くなるが、それを無理やり無視する。
「ア〜〜ア〜〜」
呻き声を上げながら仲間達の死体が襲い掛かってきた。
「女神よ。私に力を、たあぁあああっ!」
私は祈り思いっきりメイスを振り下ろして、先頭の死体の頭を潰す。
怯まず襲ってくる仲間達だったモノの攻撃を躱し、二人、三人と屠る。
「わぁああ! うぁあああっ!」
喉が裂けるのも構わずに雄叫びを上げながら、仲間達の血にまみれた得物を振るう。
けど振るえば振るうたびに疲労が蓄積してきた私は段々と動きが鈍くなるのを感じていた。
何人目かの頭を潰した時、槌頭から柄に伝ってきた血で滑り、そのままメイスが手からすっぽ抜けてしまう。
「あっ!」
両手から自分の得物が失われたのを気付いた時、私は戦闘中なのに呆然として動きを止めてしまう。
その隙を突かれて、死体が振るったメイスが私の左肩を直撃した。
「……っ!」
私は人生初めての衝撃で言葉も出なかった。
メイスを持った死体が私に止めを刺そうと、緩慢な動きで振りかぶる。
振り下ろされたその一撃を転がって避け、自分の手から離れたメイスを掴む。
そして振り下ろして隙だらけの相手の左膝をメイスで砕き、うつ伏せに倒れて無防備になった後頭部に重い一撃を振り下ろした。
「はっはっはっ、痛っ!」
仲間達を再び女神の元に送った後、私の左肩を激痛が襲った。
原因は分かっている。今まで熱しか感じなかった所から耐え難い痛みが溢れ出す。
「何処か安全な場所は……」
私は痛みと熱に朦朧としながら怪我を治癒できる場所を探す。
そして手近な部屋に入り身を隠す事にした。
「……ここなら大丈夫そう」
私は部屋の奥にしゃがみ込み、窓からの月明かりを頼りに傷を確認する。
メイスに打たれた左肩は酷い有様になっていた。
神官衣は破れ、その下のチェインメイルも潰れていて、破片が皮膚に食い込み、肉は潰れ、骨も砕けている。
普通の治療では今すぐ治すことは無理な傷なのは一目瞭然だった。
けど私には奇跡がある。女神から授かった祈りが。
「女神よ。私の傷を癒したまえ」
神殿で厳しい修業を経て会得した奇跡を祈り、女神に治癒の力を借りる。
祈りを捧げ、右手を傷口の前にかざす。
すると右手から暖かな光が溢れ傷を覆う。
光に覆われた傷口が、時間を巻き戻すかのように治っていく。
砕けた骨が元に戻り、肉に食い込んでいたチェインメイルの破片が抜けて傷口が塞がる。
「はぁ〜〜」
私は安堵のため息をつく。
左肩は服が破れ肌が露わになっていたが、その肌は、つい先ほどまで大怪我をしてたとは思えないほど元通りの綺麗な肌になっていた。
「女神よ。力を貸してくださり感謝いたします」
私は力を貸してくれた事に感謝の祈りを捧げる。
女神は全てに手を差し伸べてはくれないが、この癒しのような力を授けてくれる。
「見つけた、ここにいたのね。お嬢さん」
奇跡を使っている間、私がいる部屋に向かって足音が近づいてくるのに気づく事が出来なかった。
私の背後から美しくも冷酷な声が私の耳朶に入り込んでくる。
振り返ると、そこにはこの血生臭い場所には似合わない。この上なく美しい女性がいた。
長く伸ばした青い髪と見たもの全てを癒すような微笑みを湛えて、こちらを見下ろしている。
「いつの間に後ろに……」
「ここは私の館ですもの。貴女に気づかれずに近づくなんて造作もないことよ」
しゃがみこんでいた私は慌てて立ち上がり、メイスを両手で構える。
女性は突き付けられる槌を意に介さず、ゆったりと近づいてくる。
「近づくな。魔族が!」
私は精一杯の虚勢を張った。
「あらあら、魔族なんて……あんな下等な種族と一緒にして欲しくないわ」
右手が私の頬に触れる。直ぐにその手から逃れようとしたが身体が動かない。
女性と目が合ってしまったからだ。
その顔は最初に会った時と変わらず、見るもの全てを癒す微笑みを湛えていた。
けど、その目の奥は冷たく、見つめられると身体が凍りつく錯覚を覚える。
「私は貴方達が信仰するエレニスと同列の存在なのよ」
「嘘だ!」
遂には顔と顔が触れる寸前まで近づいて来た。
「ち、近づくなっ!」
何とか声を出すが、相手は全く怯むことはなく、むしろ私のささやかな抵抗を楽しんでるようにも見えた。
「ふ〜ん震えてるのね。可愛い」
「むぐっ!」
突然私の唇に柔らかいものが押し付けられ、口の中に何かが入ってくる。
「っ! いやっ!」
私は両手で女性を思いっきり突き飛ばす。
その時に、口の中に入っていたものも思いっきり噛んでやった。
「……ふふっ、いいわ。私に傷を負わせたヒトなんて、貴女が初めてよ」
そう言って彼女は口から流れる血を左手の人差し指で優雅に拭う。
いつの間にかその右手には刃の反った片手剣が握られていた。
その剣を私の首筋に突きつける。
「貴女は生きたまま、オモチャにしようと思ったけど、私あまり痛い事は好きじゃないの!」
女性の恐ろしい形相が現れ私は悟る。
これがこの化け物の本性なんだと。
「今までのオモチャと同じく、殺して操り人形にしてあげるわ。大丈夫、痛くしないから!」
「来なさいよ、この化け物! 殺されたってアンタなんかのオモチャになんかならないんだから! 」
女性は口角を吊り上げながら、持っている片手剣を私の首めがけて突き出した。
首に鋭い切っ先が刺さる寸前、突然止まる。
刃先は私の首に少し食い込んで、血が一滴流れた。
チクリと痛みがあったが、私の魂はまだ女神の元に召してはいなかった。
「今日は珍しいわね。またこの館を訪ねてくるヒトがいるなんて」
「何を言っているの?」
私は思わず訪ねてしまう。
「ああ、ちょっと待ってね。貴女にも見せてあげるわ」
そう言って右手の剣を突きつけたまま、左手を私の目の前に持ってくる。
「何の真似?」
女性は無言で掌をこちらに向ける。すると何処かの森が映し出せれた。
「この館の周辺にある森よ。ほら、黙って見てなさい」
私は彼女の言われた通りに森を見ていると、そこに二人組が歩いているのを見つけた。
「あれは……あっ!」
最初は暗くて誰だかは分からなかったが、その二人を私は知っていた。
先頭を歩く人物は、夜の闇よりも濃い黒い鎧を纏っていて、左手には何かと戦ったのか、返り血のついた長剣を持っている。
更にその後ろには、ローブを着た10代ぐらいの少女が、付いてきていた。
それだけでも異様なのに、その背中には巨大な棺桶みたいな物を背負っている。
その二人が私達のいる館にどんどん近づいて来ていた。
「何、あの二人は? ヒトじゃないみたい」
「死んでも教えない」
私を無視して女性はいつもの微笑みを湛えて、二人をジッと見つめる。
「まぁ、鎧の男には興味ないけど、後ろの少女はよく見ると可愛いわ」
舌舐めずりをして、左手を閉じる。すると映し出されていた森も消える。
「それじゃあ、お客様の為に歓迎の準備をしなくちゃ。貴女もいらっしゃい」
「何故私も行かなくちゃならないんだ」
「ん〜人質……みたいなものかしら」
そう言って再び顔が近づいてくる。
「それにあの二人の事知ってそうだし。人質にならなくても、貴女の目の前で、滅茶苦茶にするのも面白そう」
彼女の眼が私の目を捉える。
「ちょっと貴女の記憶を見せてね。目が覚めたら楽しい宴の始まりよ」
見つめられていると、急に抗えない睡魔に襲われる。
(クロ、ヒメ、来ちゃダメ。いくら貴方達でも勝てない)
意識を失いながら、私は二人に出会った時の事を思い出していた。