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子供たちの鎮魂歌③  作者: さき太
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第三章 長兄(青木行徳)を巡る冒険

 「それにしても貴方はずいぶんと天帝に似てるな。兄弟か何かなのか?」

 目を覚ました沙依の耳に道徳の声が聞こえた。道徳は高英に話していた。

 「どういう事?」

 沙依は思わず飛び起きて道徳を問い詰めていた。

 「コーエーと天帝が似てるってどういう事?今の天帝って伏犠(ふっき)だよね?あの人は全然コーエーと似てないでしょ。」

 沙依の勢いにたじろぎながら道徳は言った。

 「いや、そっくりだよ。本当、双子かってくらいそっくりだ。」

 その言葉に沙依は混乱した。女媧と戦った時に沙依は伏犠と会っていた。でもその時、沙依の目には伏犠は高英とは似ても似つかない男に見えていた。伏犠は黒髪に黒い目、赤茶色の髪と目をした高英とはそこから違う。高英の方が背も高くてがっしりしてるし、顔だって全然似てない。似てる要素なんて何一ない。沙依は伏犠と対峙した時のことを思い出していた。そして気が付いた。あの時沙依はもう限界で、視界は霞んでほとんど見えてはいなかった。なのに沙依ははっきりと伏犠の姿を見ていた。あれは目視していたのではなく、魂を見ていたのだ。

 「光竜。わたしを天上界へ、伏犠の所へ連れて行って。」

 沙依の眷属の中で唯一天上界でも力を発揮することができる光竜を呼び出すと、沙依はその背に乗って去って行った。

 起きたとたんに急に自分を問い詰め慌てて去っていた恋人を、道徳は呆然と見送っていた。その隣で高英は沙依の背中をじっと見つめて見送っていた。沙依の背中を見送りながら高英は「兄貴」と小さく呟いた。


 沙依は天上界に来ていた。ここに来ることは初めてだった。地上と違いゆったりと時間が流れるこの場所で沙依は一人急いでいた。長兄を助けるまで時間がなかった。あとどれだけの猶予があるのか解らなかったが時間がないことだけは理解していた。急がなくてはいけないことだけは痛感していた。自分の中で何かが急げと言っていた。もう時間がないと言っていた。兄様、どうか持ちこたえて。沙依は必死に祈っていた。長兄が助かる未来を祈っていた。

 天帝の居る城の前に着いたとき沙依は門番に止められた。許可なく通すわけにはいかない。彼らの主張は至極もっともで、彼らは彼らの仕事をしているだけで何一つ悪くはないと理解していたが、今の沙依にはそれさえも煩わしくて仕方がなかった。

 「どいて。今すぐ伏犠に確かめたいことがあるの。」

 鬼気迫った様子の沙依を門番が通すわけもなく、沙依は少し目を伏せてから視線を上げ、ひどく冷たい視線をを門番に向けた。

 「あなた達じゃわたしには勝てない。通して。」

 門番たちは一瞬たじろいだが武器を握りしめ沙依の前に立ちはだかった。その瞬間、城門は破壊され、いつの間にか沙依は城内入っていた。沙依を制止しようとする門番を沙依は視線で制した。

 「今、手加減できる気がしないの。だから追いかけてこないでね。」

 門番は完全に沙依の殺気に呑まれていた。委縮して身体が動かなくなっていた。

 伏犠の所にたどり着いたとき沙依は兵隊に囲まれていた。その状態でも全く動じることなく平然と沙依は伏犠に視線を向けていた。取り囲む兵などまるでいないかのように沙依の目は伏犠だけを映していた。

 「お前たち下がりなさい。この方は地上の神の末娘。私に用があるというのなら丁重に扱わなくてはいけない人だ。」

 そう言って伏犠は兵を下がらせた。

 「ずいぶんと乱暴に尋ねてきたものだな。普通に尋ねてきたならば皆快く招き入れたものを。」

 そう苦笑する伏犠を見て沙依は眉間に深くしわを寄せた。

 「どうして貴方が兄様の身体にいるの?それは兄様の肉体だ。どうしてそれを貴方が自分の物のように使ってるの⁉」

 暴発する沙依の想いを受け止めて伏犠は遠くを見た。

 「この身体は地上の神の長男から譲られたものだ。お前たちを助けるために彼は私に身体を差し出した。そして私は彼との約束を果たし贖罪をする為に妹を手にかけた。」

 そう言うと伏犠は沙依に目を向けた。

 「事情を話してはくれないか?」

 話を聞いて呆然とする沙依に伏犠は水を向けた。沙依は語った。長兄の魂が壊れかけていることを。それを助けたくて手がかりを探していることを。

 「神により近い強靭な魂を持っていても耐えることはできなかったか。」

 伏犠は静かにそう言った。沙依にはその言葉の意味が解らなかった。

 「かつて私は妹の暴走を止めるため妹を追って地上に降りた。激闘の末に妹を封じその自由を奪ったが私もまた妹に封じられてしまった。妹は昔から人の精神を蝕み、魂を削り、乗っ取る事に長けていた。そうすることで全てを自分の物に出来るのだと思い込んでいた。中身のない空っぽの傀儡を手に入れることで、受け入れてもらえたのだと、理解してもらえたのだと思い込んでいた、悲しい子だった。自分を否定する兄などいらない。ならばこの兄も自分の傀儡にしてしまえばいい。私が封じられたのはそんな妹の想いからなった私を傀儡にするための術式の中だった。」

 そう言う伏犠は悲しそうな目をしていた。

 「妹の封印の中で徐々に蝕まれ、削られていた私の元に彼はやって来て言った。自分の方が精神支配は長けているし、自分は肉体が無くても不便はないから身体を入れ替えても問題ないと。自分の身体をくれてやるから今度こそ確実に妹を止めて見せろと。そうやって私たちは入れ替わった。」

 「じゃあ兄様は?」

 「今も妹の封印の中で魂を削られ続けているのだろう。どうやって彼が私を見つけ出したのか、どこに私の肉体が封じられているのか私は知らない。ただ解るのは、私が封印されたのは地上のどこかでその場所は空間を切りはなされているという事だけだ。」

 伏犠のその言葉は沙依にとって絶望的だった。でもその絶望に囚われて、立ち止まるわけにはいかなかった。これ以上ここで得られることはないと判断すると沙依はさっさと天上界を後にした。まだ長兄の最後を感じていない。まだ間に合う。まだ手はある。自分が諦めなければ、路は開かれるはずなのだから。


                 ○             ○


 「兄様。兄様は何処にいるの?」

 急にやってきた沙依にいきなり肩を掴まれて問い詰められて太上老君は戸惑った。言っている言葉の意味も解らないし、この古くからの友人がいったい何をそんなに焦っているのか判断がつかなくて、太上老君は困惑するしかなかった。

 しばらくして諦めたように沙依の手から力が抜けた。沙依は困った様な、途方に暮れた様な顔をしていた。

 「ヤタ。わたしどうしたらいいんだろう?手がかりが無くなっちゃった。兄様はずっとヤタの中にいたのに、もうヤタの中に兄様を感じない。」

 沙依の目から涙がこぼれた。

 「沙依?」

 友人の普段見慣れない姿に太上老君は狼狽した。

 「とりあえず落ち着こう。」

 そう言って、太上老君は鎮静効果のあるお茶を淹れて沙依に差し出した。差し出されたお茶を飲みながら何か考え事をしている様子の沙依を見て、太上老君は遠い昔に思いを馳せた。こうやって友人として彼女と向き合うのはいつ以来だろう。昔はこの友人が大きく遠く感じていたのに今はすごく身近に感じる。

 太上老君が人間でなくなった時、彼はまだ成長期も迎えていない子供だった。その頃と変わらない見た目。女性として決して大柄ではない沙依より少し低い身長。手足も細く非力で、どんなに修練を積んでも、大人の男の様にはなれない。これ以上成長することはできない。肉体が劣るのならと、術式の訓練に心血を注ぎ、知識を蓄えることに時間を費やした。それでもどんなに修練を積んだところで、見た目と同じくいつまでたっても自分は非力な子供のままの様な気がして、自分の無力さに嫌気がさした。この友人の力になりたいのにいつだって何もできないでいる。結局、彼女を救うのはいつだって自分ではない誰かなのだ。そんな思いが頭を過って太上老君は苦しくなった。

 「沙依。覚えてる?君は一人で抱え込まなくていいって僕に言ったんだ。そう言いながら君はいつも一人で抱え込んで全てをこなそうとしていた。君は僕に守ってくれなくてもいいって言ったね。そう言いながら君は一人で皆を守ろうとしていた。少しは頼ってくれてもいいんじゃない?君から見たら僕は非力かもしれない。でも僕ももう子供じゃないんだ。僕にだって出来ることはある。」

 太上老君のその言葉に沙依はハッとして顔をあげた。沙依を高慢だと、人を見下していると言った孝介の言葉を思い出した。かつて一人で全てを背負って心を壊しかけていた長兄に対し、自分が何を思っていたのかを思い出した。自分が何を願ってこの身体に生まれてきたのかを思い出して、沙依は目が覚める思いがした。

 「ヤタ、ありがとう。わたし解ったよ。わたしも兄様と同じことをしてた。皆の事、何も見えてなかった。一人じゃ何もできないんだから、何かをしようとするなら頼らなくちゃいけなかったんだ。そうすれば助けてくれる人たちがわたしの周りにはこんなにいたのに、なんでこんなに意地になってたんだろう。」

 そう言って沙依は泣きそうな顔で笑った。そして頭の中で高英を呼んだ。彼ならすぐ答えてくれると信じていたから。

 (どうした、沙依?)

 頭の中で声がした。沙依が何も言わなくても高英は全てを察してくれた。

 (龍籠に成得がいる。お前と兄貴の居場所はずっと掴めないと言っていたが、それは兄貴が邪魔してたからだろ。あいつなら兄貴を見つけ出せるんじゃないか?)

 そうか、次兄様の力ならこの地上にあるものなら見えないものはない。そう考えて沙依は太上老君を見た。

 「ヤタ。わたしを龍籠に飛ばせる?一刻も早く龍籠に着きたい。」

 高英の計らいで太上老君にも状況は理解できていた。太上老君は術式を展開させた。

 「近くには飛ばせるけど、もう久しくあの場所には行っていないし微調整は無理だよ。」

 太上老君のその言葉に沙依は問題ないと答えた。術式が発動し沙依は姿を消した。

 さっきまで友がいた場所を太上老君は見つめていた。


               ○             ○


 「お前はずいぶん長生きしたな。」

 隆生は寝台に横たわる自分の息子を見てしみじみとそう言った。

 「そうだね。いくら父さんの血が流れてるとはいえ、半分は人間の俺がこんなに長く生きることになるとは思わなかったよ。」

 人間との間に生まれた息子は不老ではない。人間にしたら老いる速度が極端に遅いが、ターチェとは違い確実に年を取っていった。隆生が息子を連れて龍籠に戻ってきたとき息子はまだ子供だった。それがついこの間の事のように思えるのに、今目の前にいる息子は八十過ぎに見えた。二十代半ばで年が止まってしまっている自分より確実に年老いて見える。隆生はそれがなんとも不思議な感覚がして仕方がなかった。

 「沙衣んとこのガキは確か享年二百歳ちょっとだったな。人間にしちゃずいぶん長生きだったが、俺たちにしちゃずいぶん短い命だ。お前はその倍ぐらい生きてるが、それでも自分の子供が自分より年食って弱ってって先に死ぬっていうのは、なかなか受け入れがたいところがあるな。」

 息子の母親はとても霊力の強い人間だった。多分自分達を滅ぼしに来たあの特殊な人間の血を濃く受け継いでいたのだと思う。鬼にまで身を落とした自分が、そんな人間に救われ添うことになるなんて今考えても隆生は不思議で仕方がなかった。あの頃のことは本当に夢物語ではないかと思うくらい、現実味のないことだった。それが現実だったのだと実感させてくれていた息子はもう介護が必要なくらい身体は衰えて、徐々に、でも確実に最後に向かって行っていた。年を取る速度から考えてあと十数年は持つのかもしれない。でも隆生にとってそんな時間はあっという間だった。

 「身体は衰えてくのにまだボケないんだな。こう話してると年を感じないから、お前が好き好んで年寄りの見た目してるだけで実はぴんぴんしてんじゃないかって思えてくるよ。」

 そう言う父親に息子は笑い掛けた。その顔が母親にそっくりで、隆生は胸が締め付けられる思いがした。

 「なあ。ガキんときにここに連れてきちまってからずっとお前はここで暮らしてきたけどさ、お前はこれでよかったのか?沙衣のとこのガキみたいに、お前も人間社会で生きることだってできたんだ。母親の実家に身を寄せることも、元晴(もとはる)のとこに居座ることもできた。」

 自分が息子の人生を縛ってしまったのではないか、隆生はそんな思いがして、自分の手首にある妻の霊力が宿った数珠を指でなぞった。そしてその数珠を作ってくれた数少ない人間の友人だった元晴のことを思い出した。術師だった彼の元に息子を預けていたならば、きっと息子は人間として生きていく道が開けたと思う。その機会を奪ったのは自分だ。人間と関わりたくなくて、息子を人間と関わらせたくなくて、妻を亡くすとすぐ隆生は息子を連れて龍籠に戻った。

 和葉(かずは)、俺はこれで良かったのか?今更こんなことを考えても仕方がないと思う。でも息子の最後が近くなってきた今、隆生は考えずにはいられなかった。

 「それが父さんの心残りなんだね。」

 息子の言葉に隆生は顔を上げた。

 「ここに来たとき確かに俺は子供だったけど、いつまでも子供じゃなかったんだ。自分で選んで出て行くこともできた。でも俺は自分で選んでここにいた。逆にさ、父さんに人間社会に置いていかれてたら俺がこっちに来たいって思ったとしても父さん迎えに来てくれなかっただろ?だからこれで良かったんだよ。俺はここに来れてよかったと思ってる。」

 そう言って自分をまっすぐに見つめる瞳がやっぱり母親によく似ていて、隆生の胸は今度は温かいもので満たされた。

 「行かないと。」

 穏やかに笑っていた息子が急に真剣な顔をして起き上がった。

 「行くってどこにだよ?」

 息子の異変に隆生は眉根を寄せた。息子の様子は変だった。先程までとまるで別人に見える息子をじっと見つめて隆生はあることに気が付いた。

 「お前、今更覚醒したのか?」

 ターチェの能力は七歳までに覚醒する。それは肉体と魂が馴染んで魂の力を引き出せるようになるまでに長くてそれくらい時間がかかるからだと言われていた。息子は今まで覚醒しなかった。それは息子の魂がターチェのモノでないか、ターチェとしては脆いその器では魂の力を引き出すことが出来ないからだと隆生は思っていた。なのにどうしてその生涯を終えようとしている今になって覚醒したのか、覚醒することができたのか、隆生には理解できなかった。

 「妹が俺の力を必要としてるんだ。あの子の元に行かないと。」

 息子の言葉に隆生は困惑した。子供は一人しかいない。妹なんていないはずなのにこいつは何を言ってるんだ?疑問符が顔に出ていたのか息子は隆生を見て言った。

 「俺の妹じゃない。俺の魂の妹だよ。末っ子の妹が呼んでるんだ。俺は四番目だ。父さん、おれを情報司令部に連れてってくれ。そこに妹がいる。」

 息子の言っている意味は全く理解できなかったが、隆生は言われるがまま車いすに息子を乗せると情報司令部の詰め所へつれていった。

 情報司令部の詰め所の扉を開けて隆生は懐かしい姿を見た。

 「沙依?お前、戻ってたのか?」

 振り返った沙依は目を見開いて驚いた顔をした。沙依は隆生ではなく息子の小太郎(こたろう)を見ていた。

 「三兄様?三兄様も戻ってたの?」

 沙依の問いに小太郎は微笑んだ。

 「お前に呼ばれて目覚めたんだ。人間の血が混ざったこの身体でここまで長く生きながらえたのは、このためだったのかとさえ今は思うよ。」

 そう言う小太郎に沙依は縋り付いた。

 「三兄様、お願い。わたしを兄様の所に連れて行って。早くしないと兄様が消えちゃう。」

 二人のやり取りに全くついていけない隆生は成得に目をやった。隆生と目が合うと成得は苦笑を返した。

 「こいつらは本当に沙依と小太郎なのか?なんか、俺の知ってる奴らと別人に見える。」

 そう言って眉根を寄せる隆生に成得は言った。

 「軍人してる頃は兄貴にそっくりだったけど、沙依は元々こんな奴だ。小太郎は俺と同じで、急に記憶を取り戻して混乱してんだろ。」

 そう言いつつ成得は全然混乱している様には見えなかった。

 「記憶を取り戻したってなんだよ?」

 隆生の問いに成得は薄く笑った。

 「俺たちは神(父親)殺しの罪を背負った始まりの子供たちなんだよ。本来記憶が失われるはずがない俺たちの記憶はバカ兄貴に封じられてたんだが、それが戻ったってことさ。ずっと知りたかったことの答えがこんな形で手に入るとは思ってもなかった。まったく、でたらめ植え付けやがってあのバカ〆ないとな。」

 そう言う成得は全開で能力を発動させていた。

 「沙依、見つけたぞ。小太郎いけるか?」

 成得の問いに小太郎はうなずいた。

 「司令官、座標の指定は任せた。小太郎、老体に鞭打って悪いが往復きっちり頼んだぞ。」

 そう言って成得は沙依の頭を撫でた。

 「沙依、あのバカを連れ戻して来い。お前が迎えに行けばあの頭でっかちも素直に応じるだろ。俺たち兄弟は皆、かわいい末っ子に弱いからな。」

 そう、皆この妹に弱かった。自分も弱かった。よく物をなくしては自分の所に助けを求めに来ていた妹。苦言をこぼしつつ、結局いつもお願いを聞いていた自分がいた。「次兄様、ありがとう。大好き。」やっすい好きだなと思いつつ、その笑顔が愛おしくて仕方がなかった。あの無口で頑固で何考えてるのかよく解らなくて他の兄弟からも少し距離を置いてた長男でさえ、じゃれついてくる妹のことをかわいがってた。そう、長男の意思を覆せるのはいつだって末っ子だけだった。蘇った記憶に思いを馳せながら、成得は沙依を見送った。


                  ○             ○


 長兄は自分が自我を保っていられるのももう長くないと悟っていた。精神を侵食し魂を摩耗させ傀儡と化してしまうというこの術式。この封印に入って幾千年。当初は自分が壊されるとは思っていなかったが、今はその時が近いと悟っていた。

 長兄が考えていたものとこの術式の構造は違っていた。この術式は精神から魂を侵食するのではない。魂から精神を侵食するのだ。これでは抗えるわけがない。魂の深いところに触れられ、触れられたくない領域を侵され、精神を蝕み、自我を壊されていく。決して魂を失うわけではない。魂の中の格となるべきところを壊され、自我を失い、永遠に自分が失われる。これは本人たちの意思を無視して、記憶を奪い、強制し、精神を縛ってきた自分にはふさわしい最後のように長兄には思えた。

 「兄様。わたしは兄様にもちゃんと幸せになってほしいんだよ。」

 長兄はそう言って笑った末妹の顔を思い出した。お前は最後まで俺の言う事聞かなかったな。いつも俺の邪魔ばかりして、お前のわがままのせいでいつも思い通りにいかなかった。でもお前が諦めなかったおかげで全部方が付いたのか。世界はいつだってお前の思い通りだ。俺は充分幸せだった。あの時お前を殺せなくて良かった。お前の記憶を消さなくて良かった。お前がいてくれてよかった。他人の視界を通してだが念願が叶った平穏な世界がみれて心は満たされた。あれから色々と考えたがそれでもやはり今のままで充分だった。これ以上はいらない。罪を重ね続けた自分はこれ以上を求めるべきではない。後は自分に与えられた罰を受け入れ最期を迎える、それだけだった。それが長兄の願いだった。


 「兄様が淋しそうだから、わたしが傍にいてあげる。」無邪気に、純粋に、本気でそんなことを言ってくる末妹のことが目に入れても痛くなかった。他の妹や弟達と同じように境なく接せようと思っていたのにそれができなかった。幼かった末妹を殺さなかったのではない。殺せなかった。記憶を奪うこともできなかった。だから役割を与えて父親と一緒に封印した。そうすることしかできなかった。


 「(いち)(にい)。俺は兄さん達みたいに頭良くないからよく解らないけど、俺の力で何とかならないの?」

 四男はそう聞いた。お前はあれだけじゃなくて全部消し去ってしまうだろ。そう言うとそれもそうかと四男は困った様な顔で笑った。

 「じゃあ一兄の言う通りにするよ。俺がもっと器用だったらよかったんだけどな。役に立たないんじゃしょうがないね。後は一兄に任せたよ。」

 四男は全てを受け入れて死んでいった。


 兄様どうして?どうして弟を殺したの?どうしてわたし達を殺さなくてはいけないの?そんなに思い詰めてたなら、どうして何も言ってくれなかったの?どうして一人で決めてしまったの?どうして頼ってくれなかったの?わたしたち兄妹がそろえば出来ないことなんて何もないはずなのに。兄様みたいな力はないんだから、言ってくれなきゃ何も解るはずないでしょ。

 武器を交えながら、長女の心の叫びが聞こえてきた。長女は簡単に諦めてはくれなかった。何が何でも弟達を守ろうとする長女の強い想いは縛ることができなかった。

 どんな理由があろうとも兄様がやってることは間違ってる。許さない。こんなこと、絶対に許さない。

 長女は強い怒りと悲しみ、悔しさに包まれながら死んでいった。


 「俺じゃ兄貴に敵わないことぐらい解ってるから別にいいけど、ちゃんと説明してくれてもいいんじゃない?自分が殺されなきゃいけない理由ってやつをさ。」

 次男はひどく面倒くさそうに、でもそこだけは譲らないという意志をもって言った。そういう意志を持っていながら、自分が何を思って何を言ったところで長兄がちゃんと説明するとは思っていなかった。そんな次男に自身の力を使って事実を知らせた。知られたくないことは隠してそれ以外は包み隠さず、何をしたのか、何をしようとしてるのかを教えた。

 「バカじゃないの。ほんと、姉貴の言う通りだ。あんたのやろうとしてることなんて、独りよがりでしかない。それに、あんたが本当にそれを成そうとしてるなら、あんたは確実に末っ子を殺さなきゃいけなかった。末っ子の意思を縛らなくちゃいけなかった。あいつを自由にしっぱなしの時点で、あんたの計画なんて計画通りになんかいかない。予言してやるよ、俺らの妹はあんたの前に立ちはだかるぜ。」

 次男は静かに怒りながら、長男を軽蔑して死んでいった。


 「俺が最後か。俺の所に来るまでずいぶん時間がかかったね。それでも一兄の意思は変わらないんでしょ?」

 三男はそう言った。

 「一兄は頑固だから、俺たちが何を言ったて意思を変えるような人じゃないって解ってたよ。皆が死んでいくのを感じながらずっと待ってた。いつ自分の所に来るんだろうって、一兄が来たらどうしようって、いつも怯えながら待ってた。それもようやく終わりだね。」

 そう言って三男は笑った。

 三男は全てを諦めて死んでいった。


 覚えている。忘れたことなんてない。

 信じてもらえないかもしれないけど、俺はそれでもお前たちを守りたかっただけだった。お前たちをあれの傀儡にされたくなかった。お前たちの力を使って、父親が大切にしていた地上をあれの手中に収めさせたくなかった。お前たちに、父親を狂わせ兄妹を傀儡にしようとしていたあれが、母の中にいたものだと知られたくなかった。妹や弟達が慕っていた母と同じものとさえいえるあれを、何も知らないお前たちの手にかけさせたくなかった。お前たちを苦しめたくなかったから記憶を奪って、記憶が残らないように魂を縛った。そのためにあんなことをした。あんなことしかできない、ちゃんと守ってやることもできない、こんな兄貴で本当に悪かった。でももうこれでお終いだから、許してくれとは言わない、この平和な世の中で新しい生を幸せに生きてくれ。


 「兄様、帰ろう。」

 声がして抱き締められた。直接誰かの温もりを感じるのはずいぶんと久しぶりだなと長兄は思った。

 「沙依か。なんでここに来た。ここにいたらお前の精神も蝕まれるぞ。」

 沙依がどうしてここに来たかなんてわかり切っていたが、長兄は声に出していた。自分を連れ戻せないなら帰らない。そういう強い意志が伝わって来て苦笑が漏れた。

 「お前は、本当に最後まで俺の邪魔をするんだな。」

 そう言って長兄は末妹の頭を撫でた。

 「邪魔じゃないよ。兄様を迎えに来たんだ。兄様、一緒に帰ろう。みんな待ってる。」

 沙依の記憶を覗いて長兄は何とも言えない気持ちになった。

 「兄様。わたしは兄様の傍にいて兄様の背中のモノを少しでも一緒に背負うためにこの身体に生まれてきたんだよ。兄様に罪を重ねさせないために、兄様を自由にするためにあれを倒そうとしたんだよ。全部終わったから、もう兄様が何も背負う事なんかないんだよ。他のみんなも全部思い出したよ。ちゃんとみんなに会わないで消えちゃうのはナシだよ。」

 お前は俺の事を本当に諦める気がないんだな。いつだってお前は諦めない。記憶を奪ったってなんだってお前は全部を諦めなかった。本当にこの末っ子にはかなわない。そう実感して長兄は諦めた。

 「出たところで俺はもたないぞ。もうどうにもならないくらい魂がやられてるからな。」

 長兄のその言葉に沙依は笑った。

 「でもまだ生きてる。まだ兄様のままでいる。」

 末妹の笑顔を感じて、長兄の口角が少し上がった。


                ○             ○


 眠れ 眠れ 深く眠れ 深く眠りに落ちていけ

 夢は望みを映すもの 夢で望みは叶うでしょう

 夢は現を映すもの 望む場所に行けるでしょう

 あなたがそれを望むなら 夢が全てを映すでしょう

 あなたが望むもの全て 夢は残さず映すでしょう

 あなたの心の求むもの 夢は全てを映し出し あなたは満たされ眠るでしょう

 眠れ 眠れ 深く眠れ 深く眠りに落ちていけ

 深い眠りに包まれて 夢の中へ落ちていけ

 優しい夢に包まれて 望む世界に落ちていけ

 

 長兄を抱きながら沙依は謡っていた。

その昔、父を封じ続けるためにいつも口遊んでいた詩。父の願いを叶えるために謡った詩。今は長兄の望みを叶えるために、長兄の魂を癒すために謡っていた。

 「このバカ兄貴はいったい何を望んだんだ?」

 成得が言った。

 「父様と同じだよ。兄様は父様の所へ帰ったんだ。父様のいる父様の夢の中。わたし達家族が皆揃ったあの家へ。」

 沙依は泣きそうな顔で笑った。

 「兄様もね、ずっと帰りたかったんだよ。皆が大好きで、皆の事が大切だったんだよ。ずっと兄様が守ってくれてたってわたしは知ってた。兄様が皆を守ってるつもりだったってわたしは知ってた。それが辛くて兄様との約束を破って出てきたのに、そんなことも忘れてわたしは兄様と同じことをした。だから、わたしは兄様の気持ちもよく解るよ。厳格な兄様が自分を許すことが出来ないことも解ってる。だけど、やっぱりわたしは兄様にも幸せになってほしかった。自分を許してあげてほしかった。わたしは兄様の事が大好きだったよ。」

 沙依の目から涙がこぼれた。こぼれた涙が、長兄の頬に落ちて流れていった。

 長兄はもう起きない。魂の還る場所へ行くことを拒んだ長兄は、もうこの世に生まれてくることはない。父の夢の中で、幻の家族と共に過ごし続けるのだろう。せめて夢の中で長兄が幸せであれるように、長兄の魂が救われるように、沙依は謡った。

 わたしたちの夢は父の夢に繋がっている。いずれはわたし達も父の元へ帰る時が来るのかもしれない。その時が来たら。そんなことを考えて沙依は胸が苦しくなった。

 「久しぶりに儀式を執り行おうか。」

 そう言って沙依は立ちあがった。

 「これは兄様の身体ではないけど、ちゃんと同意して交換したんだから兄様として葬っても構わないよね。兄様の器も父様の所へ送ってあげるんだ。」

 そう言って沙依は遠くを見ていた。

 龍とはターチェの言葉で神の力を現す言葉。籠とはまさしく入れ物のこと。龍籠とは神が封じられている場所の事。ここは兄弟が過ごした家があった場所であり、長兄が父を封じた場所なのだ。そして山邊家が守っていた祭壇は封印がある場所であり、青木家が執り行っていた儀式は封印を強化するためのものだった。沙依がこの身体に生まれた時にはそんな儀式は形式上のもので意味はないものになっていたが、ここに父が封じられている事実は変わらない。

 長兄は二度と目を覚ますことはない。ならばこの器もそこへ送るべきだと沙依は思った。父が眠っているあの家。沙依がずっと過ごしていたあの家。魂は幻の家へ、器は実際の家へ長兄を帰したかった。

 粛々と儀式の準備が進められ仙人界へ行っていた者達も帰ってきた。

 祭壇を前に最初の兄弟が揃い、皆顔を見合わせた。誰もが何とも言えない顔をしていた。

 「思い出したところで、やっぱ兄弟とは思えないな。」

 一馬が呟いた。

 「最初は混乱したし、懐かしいとは思う。思い出したことで昔から隊長に抱いてた想いが何だったのかは腑に落ちたが、でもやっぱ違うな。隊長は妹じゃなくて隊長だ。昔はともかく今は隊長を敬愛してるし、俺たちの隊長として戻ってきてほしい。あの人以外の隊長は考えられない。まぁ、もう軍人したくないってんならそれでもいいんだけどさ。」

 そう言う一馬は自分の立ち位置を決めたようだった。

 「俺はあのくそ兄貴の精神支配が弱かったのか元々お前らが兄弟だって解ってたからな。思い出したところで喉に引っかかってた小骨がとれたくらいの感覚しかないや。一馬とは逆で、あれを昔みたいに扱いたいね。というか、あいつから昔みたいな扱いを受けたいね。」

 冗談なのか本気なのか解らない口調で薄ら笑いを浮かべながら成得はそう言った。

 同じように記憶を取り戻しても受け取り方はそれぞれだった。受け入れて自分の落ち着く場所を見つけた者もいれば、そうでない者もいた。それぞれ複雑に想いを巡らせながら、末妹が長兄を送るのを皆見守っていた。長兄に対して誰もが末妹のように想うことはできなかった。それでも穏やかに眠ってくれればいいと思っていた。誰も長兄の不幸を願う者はいなかった。

 成得は自分が泣きそうになっていることを誰にも気づかれたくなくて、そっと人混みにまぎれてその場を離れた。

 「あんたは本当にバカだったよ。あんたのしたことを怒っちゃいたけど、あんたに苦しめなんて誰も思っちゃいなかったんだよ。俺はあんたが大っ嫌いだったが、それでもあんたのこと兄貴として慕ってたんだぜ。人の頭の中解るくせに最後までそんなことも解っちゃいなかっただろ。このバカ兄貴が。」

 誰の耳にも届かないほど小さな声で、成得は悪態をついた。

 祭壇の前で沙依が躍っていた。正装に身を包み、祝詞をあげながら。長兄を想って。父を想って。家族を想って。遠い過去に想いを馳せて、遠い未来に思いを馳せて、全ての魂が健やかであるように。その音が、声が、徐々に離れ消えていった。


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