幕間3 信頼と心配
「ねえ、ちょっとっ、良かったんですの!?」
「え?なにがぁ?」
レーゲンハルトくんに言われるまま、2人して逃げ出しててしまいましたが、やはり不安です。同じ人間同士とはいえあの人数を相手に無事で済むとは思えません。
「レーゲンハルト……くん、1人残して……」
「だーいじょうぶだよっ!ハルくんは強いからね」
わたくしの不安とは対照的に目の前の少女……エルフリーデちゃんは全く心配していないというように、笑顔で振り返りました。
それでもやっぱり不安は消えません。人間はわたくしたち竜人よりもはるかに脆い生き物。彼らの武器が胸に刺さっただけで、首を掠めただけで亡くなってしまうかもしれないというのに。
「でもエルフリーデちゃん……」
「エルでいいよぉ。長いでしょ?」
「えっと、じゃあ。エルちゃん」
「うん」
やたらと元気に頷きました。エルちゃんは不安じゃないんでしょうか。
「その……」
「ハルくんは大丈夫。だけど心配だから早くブリューナクを持って戻ろうよ」
ああそうか。
エルちゃんも心配で不安なのです。
そうだよね。ずっと一緒に旅してきて、信頼はしてても、心配しないわけがありません。
本当はずっと一緒に居たいはず。
レーゲンハルトくんの傍で一緒に戦っていたいはず。
それでも与えられた役割を全うすれば無事であると、大丈夫だと自分に言い聞かせてここに居るのです。
「ええ、急ぎましょう。宿はどちらですの?レーゲンハルトくんの口ぶりではすぐ近くということでしたが……」
「ここ」
そう言って突き出したエルちゃんの指先は真下を向いていました。
「そ、想像以上に近かったですわね……」
さっきの場所からは通りを2本隔てた場所。歩いて来ればかなり遠回りですが、直線的に飛んで来たのでより一層近くに感じます。
「それでどこのお部屋ですの?」
エルちゃんたちの宿屋は周りの建物と同じ様に3階建てで、屋上は洗濯物を干せるように竿が均等に置かれた共用スペースになっています。そして壁に視線を向ければ各階には窓が6つずつ並んでいるの見えます。
(たしか窓は1部屋に1つ……のはずでしたけど)
自慢というわけではありませんが、城の部屋はひとつひとつが大きいので1部屋に対していくつか作ってあるのが普通です。しかし、たしか庶民の部屋はもっと小規模だったはず……。
「えっと……2階だよ?」
「はあ……ワンフロア全てですの?」
「?」
いやそこで首を傾げられましても。
エルちゃんの反応から見て、多分1部屋か多くても2部屋……部屋単位で借りているのでしょう。
(つまり正解は1つ、残りははずれということですの)
王族たるわたくしが他人様のお部屋に乱入するわけにはいきません。ここは慎重に……。
「端から空けていけば分かるよね?」
「え?ちょっと、待っ……」
止める間もなく右端の窓に飛びついたエルちゃんが窓を勢いよく開けてしまいました。そのままの勢いでカーテンも広げます。
「へ?」
「……っ!!」
カーテンの先に居たのは中年くらいの竜人男性。
上半身は裸。下は薄手の布を腰に巻いているのを確認してしまいました。
多分風呂上がりなんだろうな……と薄っすらと頭の片隅に浮かんだものの、恥ずかしさで頭の中が真っ白に。
「……違う」
一方のエルちゃんは淡々と呟くと隣の窓へと向かいます。
「ちょっとっ!それだけですのっ!?」
慌てて止めようとしましたがやはり間に合わず、隣の窓も開けてしまいました。途端にあがる黄色い悲鳴。隣は女性のお部屋だったようです。
「いったいどうしたんだい?」
その場で固まってしまったわたくしに最初の男性が声をかけてきました。半裸のままですが、こちらに近づいてきたおかげで下半身が窓枠の下に隠れて幾分話し易くなりました。
「あああぁぁのっ、すいませんっ!このお詫びはいずれ必ずっ!」
「気にしなくていいよ。別に見られたところで変わるわけではないしね」
ひらりひらりと手を振る動きに押されるように後を追いかけます。
「エルちゃんっ!ちょっとお待ちなさいっ、そんな乱暴なやり方……」
わたくしの声に反応したエルちゃんがぴくりと止まりました。
「あの、わざわざ外側から行かなくても、いちど入り口から入って受付に聞けば……」
「見つけた」
「え?」
エルちゃんが指差した一番左端の窓の奥、ベッドの下から剣の柄が見えています。
(わたくしの声に反応して止まったわけじゃなかったんですのね)
……あれ?カーテン開いてるし、わざわざ他の部屋に侵入しなくても外から確認できたのでは?
動揺している間にエルちゃんは部屋の中に入っています。つられてわたくしも中に侵入しました。今日チェックインしたばかりだということなので、当然ながら生活観はおろか二人の匂いも感じません。
窓際に女の子用の服が何枚か干されているのを確認して、なんとも複雑な気持ちになりました。
これは……嫉妬?いえいえ、何を言っているのでしょう。
「ん?どうしたの?早く戻ろうよ」
「ええ」
きっちりと窓を閉めて屋上に上がります。耳を済ませてみましたが大きな物音は聞こえません。反対側に視線向けると町の中心のほうに光が灯っているのが見えます。そちらからも静かな音楽が聞こえてくるだけで争うような音は聞こえません。
「場所分かりますの?」
「うん……」
エルちゃんはブリューナク……だったかしら?――レーゲンハルトくんの剣を、刃が下になるように身体の前で構えました。肩の高さで柄を握っていますが、背が低いので刃が屋根に刺さりそうになっています。
「んっ……」
エルちゃんの魔力がブリューナクに飲み込まれていきます。エルちゃんの魔力が握っている柄を通して移動すると、刀身に空いた穴に青い光が生まれ徐々に溜まっていきます。
エルちゃんはそのゲージがいっぱいになるまで待ちません。
「ふーっ……」
すっと瞳を閉じて息を吐き出します。
すると今度はエルちゃんの角が淡く発光します。
そしてその角を中心に全方位に薄く魔力が放たれるのが確認出来ました。
「っ……」
(なるほど、魔力で周囲をさぐっているんですのね)
それにしても……なんという魔力の無駄遣いでしょう。
ここヴァルシオンにも高価ではありますが、そういう類の魔法道具は存在します。しかし必要な魔力量は今のやり方よりもはるかに少なくなります。
ただもちろん制約はあります。
プライバシーの問題があるので一般家屋の中は探るわけにはいきません。出力を上げれば可能ですが、竜人は魔力を感知してしまうのであとで問題になるのは確実です。
(何にせよ普通は道具を使って行うことを生身でできるだけの魔力量を持っているということ。やはりこの娘も真祖なのでしょう……。シルバードラゴンの貴族なのかしら?)
突如目を開いたエルちゃんがある一方向に顔を向けました。そこに向かって魔力が流れていくのが確認出来ました。
おそらくその方向でレーゲンハルトくんが戦っているのでしょう。その証拠に、エルちゃん半開きの口からつーっと涎が落ちて……あれ?
「あの……エルちゃん?」
「美味しそう……」
レーゲンハルトくんを探していて美味しそうとは何事でしょう?
「人様の夕食を覗いている場合ですかっ!?」
集中力があるんだか無いんだかよくわからない娘です。
「ハルくんは見つけたよ。すぐ近く……ついてきて」
言葉と同時にエルちゃんの背中の翼が大きく広がります。白銀の鱗に同じく透けるような白さを持った皮膚が広がり、月の光を浴びて美しく光を反射しています。
「……行くよ」
ブリューナクを胸に抱えたまま屋根から飛び降りるように空中に身を投げるエルちゃん。
「あっ、はいっ!」
わたくしも慌てて翼を広げ、後を追います。
狭い道と同様、建物に仕切られたその上空もかなり狭くなっているので、時に垂直方向に翼と身体を広げながら建物の間を縫っていきます。
後ろから追いかけているわたくしからはエルちゃんの表情が見えませんが、かなり焦ってはいるはずです。その証拠に翼や尻尾が建物に何度も当たっていますが、そちらを見向きもせず身体を回転させていきます。
「ハルくん……っ!」