予兆
あの後人間が中心に住んでいる南側に回ったが、エルを見る目が露骨に敵意や警戒心を含んでいたために早々に引き返した。エルは相変わらず暢気で、もの珍しそうに町並を眺めるばかりでまったく気にしていなかったが、俺のほうが耐えられなくなった形だ。
誘拐されているのは竜人らしいし、実際に聞き取りをするなら北町だろう。南町にはあとで俺一人で行ったほうがいいかもしれない。
(既に顔を覚えられたかもしれないけどな)
時刻は既に夕方。これ以上エルを連れて調査に出るのは危険だしお腹もすいた。宿に戻る途中の軽食屋に寄って少し早めの夕食にありつくことにする。
聞き込みも兼ねて。
ここは酒も出しているということなので、座っていれば勝手に話しかけてくるやつも居るだろう。今日はダメでも何度か通っているうちに、変な遠慮もなくなってくるはずだ。
とりあえず店内が見渡せそうな、壁際に設置された丸テーブルに陣取って料理を注文する。
「……」
料理を待っている間に店の中を観察する。入り口は両開きの簡素な戸。壁は木目で天井高く屋根まで突き抜けた柱が全体を支えている。天井にはこれも簡素な造りのシャンデリアが吊るされ、柱にはランプが灯り、店全体を淡くオレンジ色に照らしている。
視線を奥に向ければ、カウンターの裏側を斜めに上がる階段があり、上りきった場所には簡易宿泊所がある。夜には、まあ……なんというか、いかがわしい商売をしているらしいが、今の時間はまだ休憩所みたいな位置づけのフロアだ。
手に何か当たってるなと思って視線を向けると、退屈そうな……でもちょっと疲れた雰囲気のエルが俺の手を弄っていた。しばらく逃げるように動かしていたが、追いかける手が止まらないので途中で逃げるのを止める。
「ん~?」
(どうしたの?か……、いや退屈なんだけど、が正解かな)
しばらく考えてから、室内の淡い光を利用して影絵で遊ぶことにした。
親指を立てて、他の指を揃え、ゆらゆらと左右対称に動かす。
「お~☆」
結構ポピュラーな遊びだと思うが、エルには新鮮だったらしく瞳を輝かせてくいついた。エルの手が生み出した影を花に見立てて、影でできた蝶を留まらせてみる。
「おお~☆☆☆」
瞳の輝きが増したエルが、もっともっととせがむのでかたつむりを作ってみた。両手でつくってみたがあまりに大きかったので、片手で――掌を上に向け人差し指を少し曲げて作ってみる。
他にもウサギとか猫とかカニとか、いろいろ作った。
「竜……作れる?」
エルがそんなこと言い出したので考えてみた。しかし考え始めてふと思う。
(俺、竜ってエル以外知らないんだよな)
あの母親代わりの竜ですら、その本来の姿を見たことがない。まだ擬態できなかったエルの姿が、唯一俺が知っている竜の姿だ。
それにしたって頭、胴体、尻尾に加えて翼まで表現しようとするとさすがに両手では足りないだろう。結局エルの小さな手も借りていろいろやってみる。
(とりあえずエルの手は胴体にして、俺の手で翼を表現するのが早いか?尻尾は……)
「お待たせいたしました」
夢中になってエルの手を弄っている間に料理が運ばれてきた。去り際のウェイトレスが他の竜人のそれよりも蔑んだ目をしていたのは、きっとイチャついているように見えたからだろう。
(ルイーザみたいに人間風情がなんでウチの店にっていうのも含まれてるかな)
ともかくこの店に馴染むまでは悪目立ちは避けよう。
「ハルくん、ハルくん。おいしいよ、コレ」
視線を前に戻すとエルは既に食べ始めていた。口の周りが脂でベタベタになっているが、今拭いてもすぐ汚れるだけだろうからスルーする。服に付いていないのを確認して、エルがフォークで差し出してくる何かの肉にかぶりついた。
(……あ、コレも他人からしたらイチャついているように見えるのかも)
周りからの視線がキツくなったような気がする。店が居酒屋のような雰囲気だからかもしれないが、客層は比較的男性が多い。そしてなぜか2人組や3人組で、女性の姿はほとんどない。ウェイトレスと少し年上な子供連れくらいか。
「おいしくない?」
ほとんど味を感じないままもぐもぐと咀嚼していると、エルが不安そうな顔で見上げてくる。別にエルが作ったわけじゃないんだから気にしなくてもいいだろうに。
「え?あ、いや?おいしいよ。歯ごたえいいな~。何の肉だ?」
……まあ同じもの食べてんだから、感覚を共有したいっていうのはよくわかるけど。
「ねずみ」
「むごっ!」
食べ慣れない動物の名前に思わずむせた。既にある程度飲み込んでいたために噴き出すことはなかったが、喉に絡みついた食べ物にしばらく苦しむ。エルが差し出してくれた水で流し込んでようやく落ち着いた。
「大丈夫?……ごめんね?」
「いやエルのせいじゃないから気にすんな。俺こそごめん。……食べよう」
「うん。……あ、ハルくんのもちょっと頂戴」
「はいはい」
イチャつくのを自重しようかとも思ったが、また空気を悪くしたくないので大人しくフォークに絡めて差し出した。ちなみに俺のは肉と野菜たっぷりのパスタ。少し辛めのスパイスがおいしいヴァルシオンの名物である。
フォークごと口に含んで、ちゅるん、と抜き取る。そしてそのままもぐもぐと噛み始めたエルが固まった。しばらく口をぱくぱくしていたが、瞳に涙を浮かべてぷるぷる震え始める。
繰り返すようだが、俺が食べているのは「少し辛めのスパイス」のパスタである。
「辛かったか?」
「……(ふるふるふる)」
なぜか否定するエルだったが我慢できなくなったのだろう。自分の分の水をエルには珍しく乱暴に引っ掴むと一気に飲み干した。それでも足りなかったようなので俺の分も差し出すと、あっさり受け取って口を付ける。
「ちゅるるるるっ、ずちゅぅ」
「エル、ちょっと音立て過ぎ」
口の中を洗っているのは分かるが、さすがに周りの目が気になる。
「んくっ、ふう~。かりゃかった~」
追加の水を注文しつつ、エルの口からコップを離した。
「無理して食べなきゃいいのに」
「ん~ん、ハルくんが食べてるのと同じのが食べたかったの」
それは果たして兄妹としてか、あるいはいつものように夫婦としてなのか。未だ辛そうに目を細めて舌を出しているしぐさからはよくわからなかったが、エルの言葉を嬉しく思う俺が居た。
あくまで兄として、だ。
「まだいるか?」
「んっ(ふるふるふる)」
さすがにこれ以上は食べたくないと首を振る。辛みが多少収まったのか、自分の頼んだ料理にナイフを入れた。袖がソースに付きそうになったので少しまくって折り返しえてやる。
お礼のつもりなのか再び肉を差し出してきたのでそのまま咥えて、代わりに自分の料理を差し出した。エルが上目遣いで困った様子だったので、自分の口に放り込む。
なんか気まずそうな視線をしてきたが、口は塞がっていたので気にするなと頭を撫でた。
エルが気持ちよさそうに目を細めるので調子に乗って撫で続ける。俺の手を追ってエルの頭が追いかける動きに合わせて、角が迫ってくるのでそれを避けながら撫で続けた。
「……」
角を回避するのに夢中になっていた俺は、テーブルのすぐ近くに人が立っているのに気付くのが遅れた。
「い・つ・ま・で、イチャついているんですのっ!」
言葉と同時に振り下ろされた腕がテーブルを揺らす。当然料理が置きっぱなしであればひっくり返るわけで……、接近に気がついた俺はエルを撫でるのを止めて2人分の料理を持ち上げた。エルは撫でられるのを邪魔されてちょっと不満顔だ。
「何すんだよ、食事中に」
「他人様も食事中ですのっ!そんな中イチャイチャと……」
こちらの抗議などどこ吹く風、突然現れた少女は自分が正しいと尚もテーブルをぶっ叩く。見た目はただの木のテーブルだが、竜人が叩いても壊れないところを見ると何か魔術的な対策でも打ってあるのかもしれない。仮にも酒場だし、乱闘のたびに設備を入れ替えていたら経営が成り立たないだろう。
そう竜人だ。
頭から足元まで大きなローブですっぽりと覆われているが、背後には赤い翼と尻尾が揺れている。
「お姉さん、誰?」
「と、通りすがりの旅人Aですわっ!」
「タビビトゥエーさん?面白い名前だね~」
いやいや、エルよ。昼間会っただろう。見た目はともかくこの声と喋り方。まあ、面白いから黙っているけど。
「初対面の人間に対して失礼ですわよ。この都にはいろんな国の人間が集まっているのですから。――そちらのレーゲ、んぐっ、人間も兄代わりであるというならこの娘にちゃんと躾を……」
静観していようと思ったらこっちに話しかけてきた。初対面のフリしたいなら名前呼ぶなよ。
「何で俺達が兄妹関係だって思うんだ?」
「は?だって昼間……、いえ、さきほどイチャついていましたし……」
「だから、さっきの行為を何でイチャついていると思った?人間と竜人は主従関係が普通だろ?」
「えっと、ですから……」
動揺した拍子にテーブルに足を引っ掻けてすっ転ぶ。なぜか俺の方に倒れてきたので、咄嗟に料理をテーブルに置いて身体を支えた。しかしローブの裾がテーブルの脚にひっかかったまま引っ張られ、フードが外れてしまう。
「あ、ルイーザちゃん」
さすがに顔を見たらわかったのだろう。エルがその名を呼ぶ。一方のルイーザは俺の胸に顔を埋めたまま動かない。体が震えているのは恥ずかしいからだろう。どこか打った様子はないし、打ったところで竜人のコイツが痛がることはまず無い。
「なあ、恥ずかしいのは分かるけど、このままくっついてるとむしろ注目されるぞ」
「フ、フードを……」
「あん?」
「フードをかけてくださいまし。王族の私が、このようなところに来た事が公になるのは……」
今は軽食屋だがもうすぐ居酒屋……そして風俗店になる。竜人中心の場所とはいえ第1王女が来るというのは確かに問題だ。そう思った俺は言われたとおりにフードをかけた。
(背中に思いっきり王家の紋章入ってんじゃねえかっ!)
赤い竜と山を混ぜたような図柄にサヴォイアの名が刻まれた、この国はおろか他国の人間まで知れ渡ったバーカンディ王家の紋章。この都に住む者が知らぬはずは無い。
「バカだろお前、バカだろ?」
フードで隠されたルイーザの頬をむにむにと摘む。
「な、何を言いますのっ?わたくしはっ!」
「それ以上は言うなよ。知られたらまずいんだろ?」
尚も食って掛かろうとするルイーザの口を抑えて立ち上がらせる。ついでに周りの客に軽く会釈して謝罪した後、椅子をもう一つ引っ張ってきて座らせる。
「あ、あの……」
「何でもいいから注文しろ。ついでにコレを御免なさいって渡せ」
「?何ですの、この紙切れ?」
ルイーザは俺が差し出した紙幣を広げてランプにかざした。王家の紋章が刻まれているのを発見して不思議そうに首を傾げる。
「金だ、金。……見たことないとか言うなよ。経済政策もお前らの役目だろ?」
「え?あ、う……」
「ほんとに見たこと無いのか?」
「も、申し訳ありません……」
「別に謝る必要はないけどさ。国の運営とかに携わってないのか?」
「はい……、全部姉様が……」
そこでウェイトレスが来たので肉料理を注文して、チップと謝罪代わりに先ほどの紙幣を渡した。ちなみに、ルイーザがメニューの見方すら分からなかったので、俺が勝手に兎の肉を焼いた料理を選んでおいた。
「何落ち込んでんだ、お前?」
「その……わたくし、何も知らないんですのね。この都で暮らしているのに、お金も見た事が無いですし、自分で注文することすらできません」
「そりゃ誰だって初めてのときはあるだろ?俺達の方がちょっと先だったってだけだ。エルだってまだ独りじゃ買い物させられないし」
視線の先ではナイフとフォークを不器用に使いながらカチャカチャと音を立てて悪戦苦闘しているエルが居る。初めて飲食店に入ったときはいきなり素手で肉にかぶりついたりしていたが、ちゃんと成長はしているようだ。
――エルも一応、本国でいろいろ教えられているはずなんだけど。
「それでもわたくし以上に世界を知っているのでしょう?それに比べてわたくしは……政は姉様に任せっきりで、毎日鍛錬と座学と……、何も、何もできていません」
足の上に乗せられた手は、ローブを巻き込んできつく握られていた。日頃の鬱憤もあるだろうが、それ以上に何かあるような気がしてルイーザの顔を覗き込む。
「……何かあったのか?」
「マリアが……、マリアが攫われました」
誰だっけ?ヴァルシオンに来てからの記憶を探ってみたが思い当たる節がない。
「えっと、……ごめん、誰だ?」
「マリアですわっ!昼間会ったでしょう?私と一緒に居た……っ!」
ガタリと音を立てて勢い良く立ち上がったルイーザに、食事に夢中だったエルがびくりと震える。近くのテーブルに座る竜人たちも迷惑そうに顔を歪めるのが目の端に映った。さらに見渡せば、またか、みたいな顔をした竜人たちも居る。
「落ち着け、ルイーザ。……あと座れ。いちいち声を張り上げるな」
「うぐっ……、すみま、せん……」
手のひらで示すとルイーザは大人しく従った。下を向いた顔は、フードに隠れて表情がかくにんできない。
(まあ、何となく予想はつくけど)
垂直方向に伸びている角に気をつけて頭を撫でる。
「そのマリアってのは昼間ルイーザと一緒に居た女性……だな?首絞めたヤツか?」
「はい……」
声は沈んだままだ。
攫われるのを止められなかった。そして今尚、一人では奪還することができないばかりか、そもそもどこに居るのかもわからない。その無力さからルイーザはますます沈み込む。
「まずは情報交換だ。一緒に考えよう」
「はい……」
会話が途切れたところで料理が運ばれてきた。子兎の肉と甘く煮た野菜が盛り付けられている。ウェイトレスは手早くナイフとフォークを左右に並べて引き下がる。
しかし、ルイーザは手をつけない。
「まずは食え。食わなきゃ頭は働かないし、体も動かない。何もできない自分を苛めたくなる気持ちは分かるが、そんな事したって後悔するだけだぞ」
ルイーザはしばらく躊躇していたが、俺が再び頭を撫でるとおずおずと手を出した。慣れた動作でナイフとフォークを掴むと、流れるように肉を切って口に入れる。
「綺麗だな」
「な、にゃっ!?何を言い出しますのっ!?」
動揺してもナイフとフォークは下を向いたままだ。きちんと躾けられている。
「ナイフとフォークの扱いが。おいエル、お前も見習え……ってもう食べ終わったのか?」
「おいしかった~」
一方のエルはナイフとフォークを食器の上に乱雑に転がしている。口の周りも脂とかソースとかで汚れたままだ。
「エル、食べ終わったら右に揃えて」
俺は自分の食器を指し示す。とっくに食べ終わっていた俺はスプーンとフォークを右に揃えて置いてある。エルは一度見えたとおりに左側に寄せたが、すぐに逆だと思い直して自分の右側に寄せる。
これでいい?とか首を傾げてきたので、正解という意味で頭を撫でるついでに口元も拭いてやる。視線を感じて横を見ると、ルイーザの瞳とぶつかった。すぐに目を逸らしたがその瞳の色が羨ましそうだったのは気のせいじゃないだろう。
不安で。
心細くて。
何もできない自分が許せない。
甘えたい気持ちはあっても、そんな自分を許せない。
それでもルイーザはここに来た。
甘えるためではなく。
守りたい者を救うために。
自分のプライドなんてくだらないもののために、見殺しにしないために。
(甘やかす気はない。……だが、潰れないようには守ってやらないとな)
――同時刻・裏路地
「チャリィトゥロア展開」
「ブラヴォドゥ監視継続」
「アルファプロトーネ配置完了」