幕間2 理想と現実
「被害状況は?」
「はっ!こちらの損害は軽微、問題ありません」
親衛隊の1人がわたしのテント内で報告している。大渓谷を渡りきった先、少し開けた場所に陣を敷いた。役割ごとに部隊を分けてテントを張り、倉庫や寝所などを作っている。
ここは私に割り当てられた一際大きなテントの中だ。
「軽微……?」
「あ、えっと……ですね。逃げる時に足をとられて転倒したものが降りまして……、顔面を強打して、鼻血を出した者が1名」
「……」
何をやっているのか、と一瞬怒りを覚えたが、橋の上で攻撃を受けて被害がそれだけで済んだと思えばまあいいだろう。戦わせるつもりがなかったわたしにも落ち度はある。緊張感を欠如させてしまったのはわたしのせいだ。
「……殉職者は居ないな?」
「はっ!全員生存して渡り切りました。ですが……」
「橋が落ちたな」
「はい。迂回するにしても近くに橋はありません」
先ほどの爆発はわたし達を直接狙ったものではない。そもそも爆弾くらいでどうにかなるほど竜人はやわではない。おそらくはここに足止めするのが目的だ。
「飛んで行こうにも、あの大渓谷は……」
「はい。我々では越えられません」
竜人はこの大渓谷に入ると脱力する。無事に渓谷を渡りきったという話は聞かない。むしろその逆、渡る途中で力尽き死んでいった者たちの話は多く、いちいち調査するまでも無く噂として流れている。
真祖であるわたしは先祖返りをすれば……、擬態を解いて本来の姿に戻れば何の問題なく渡ることはできるはずだ。少なくともお婆様は何度かここを通過している。
ただ現在はそう簡単に先祖返りするわけにはいかない。
戦力協定。
13支族が各国を統治するにあたって決められたいくつかの協定の中にある、戦争を避けるため必要以上に戦力を持たないことを約束した協定だ。そしてわたし達「竜」もその強大さから戦力のひとつと考えられ、カピトリーナ法国の神竜を除く全ての竜たちは常時擬態でいることが求められている。
先祖返りが認められるのは世界又は各国の崩壊につながりかねない事態に竜の戦力が必要と認められたときのみ。一応事後でもいいということにはなっているが、渓谷を越えるためというくらいの理由では許可は出ない。
つまりこの渓谷を越えるためには、遥か下流の別の橋を渡るか、背後の山々を巡って迂回するしかない。
あるいはこの事態がマグナ・サレンティーナの危機であるという何らかの確証を得て先祖返りするかだ。女王であるわたしがここに足止めされている以上、ある意味国家の危機ではあるのかもしれない。しかし敵の姿も見ていないし、単なる事故あるいは目標を間違えたという可能性もある。
(盗賊ごときに先祖返りをしたとあっては、一族の恥さらしだしな)
さらに言えばここ数年バーカンディの発言力は落ちてきている。わたしが若輩者であるが故だ。お婆様がいろいろと力で捻じ伏せてきた分、わたしに批判が向かっているともいえるが、やはりそこは素直に自分の力不足と受け入れるべきだろう。
そこに来て盗賊風情に全力で力を行使したとあっては他の首長共に批判する材料を与えるだけだ。
とはいえ迂回するには時間がかかり過ぎる。敵の目的がわたしをここに足止めする事であるならば、渡過に時間をかければかけるだけマグナ・サレンティーナに危機が及ぶという事だ。
かといって竜人である皆を連れて渓谷を抜けるのは難しい。力が減衰すれば士気も落ちる。襲撃を受けても応戦できる状態ではないだろう。
(となれば取れる手段はひとつなのだが……)
「陛下……」
「う……」
こちらの思考を先読みしてオルダーニが口を挟む。
「なりませんぞ」
「何がだ?」
他の竜人はもちろん、人間が女王たるわたしの意思を阻害すれば、その場で処刑もありうる――さすがにしたことはない――が、この男は平気で意見する。
「陛下お独りで渓谷を抜けるなど危険すぎます」
「わたしを誰だと思っている?」
「マグナ・サレンティーナ女王ヴィットーリア様です。王の第一義は生き残る事であることを忘れてはなりません」
「ふん、人間の浅知恵で考えた罠などでわたしが……」
「姫様……」
「う、だからわたしは……」
「陛下……」
オルダーニが額に皺を寄せて顔を近づける。わたしは思わず座っている椅子からずり落ちるように身を引いた。
「近い近い近い。わかった、わかったから……。まったく、執事の分際で女王たる私に意見するなど……」
「これは失礼いたしました。姫様を守るのが私の唯一絶対の正義なれば……」
「わたしは女王だっ!」
一応怒ってはみせたが、目の前の親衛隊の娘が「和む」とでも言いたそうに目を細めた。私は女王だぞ。
「ふぅ、全く。……とにかく今日はここで一晩野営する。朝を待って進軍開始、下流の橋を迂回してヴァルシオンに帰投する。対岸及び渓谷下への警戒を怠るな」
「はっ!」
親衛隊が一礼して出て行った。部下へと指示する声を聞きつつ、今後の事を考える。
「オルダーニよ……。今回の爆発、やはり狙いはわたしの足止めか?」
「おそらく。偶然……あるいは素人にしてはタイミングが見事です。こちらが絶妙に渡り切れるタイミングで爆破しています」
わたし達に……いや正確に言えば、わたしに危害が加えられた場合、それは即座に国家の危機と判断され全力で事に当たることができる。まして連れてきた部隊に人的被害が出れば、国内世論も味方して大規模な遠征が行なわれるだろう。
「仮に敵が人間だとするとここから対岸まで……この距離を目視することはできません。それ相応の道具……あるいは千里眼を有する何者かが協力している可能性もあります」
つまり相応の準備をしてこの状況に臨んでいるという事だ。この野営地も監視されている可能性はある。
「……やはりダメか」
「なりません」
「それでもわたしは女王だ。国を守るのが第一義だと思っている。できることがあるならすぐにやりたい。わたしならこの渓谷を越えられる」
「陛下といえどこの渓谷を渡っている最中に攻撃を受ければ回避は難しい。まして撃ち落とされればそこは力の減衰する魔の大渓谷。無事渡りきったところで準備万端で待ち伏せされている可能性は非常に高い」
オルダーニの言葉は淀みない。わたしの命を守ることが最優先という確固たる正義が揺るがないからだ。
「そんなもの蹴散らして……」
「あえて苦言を呈させていただきますが……」
(昔から苦言ばかりではないか……)
あえて口には出さなかった。わたしを「陛下」と呼んでいるという事はまじめな話だ。私のためを思って言っている。
「人間を舐めない方がよろしい、かと」
「っ……」
オルダーニにしてはわたしの神経を逆なでするような、竜としてのプライドを傷つけるような物言い。しかしわたしは怒る気にはなれなかった。
「兵站に通ずる陛下には今更でしょうが、数の暴力は何よりの脅威になります。そして人間のずる賢さも侮ってはいけません。陛下はその圧倒的な武力から真っ向勝負を前提に動かれているようですが、人間は己が弱いことを知っています。知っているが故に真っ向勝負など初めから考えず、いかに確実に勝つかということに全力を注ぎます。――この渓谷の不可思議な現象。その秘密を人間側が握っていたらどうします?」
「だからそんなもの……」
「人間はそのまま使おうとはしません。確実に増幅……真祖である陛下の力も減衰させることができるところまで、あっという間に開発しますぞ?」
わたしの事を心配して言ってくれているのは分かる。しかし、わたしは王だ。時には危険も顧みず、国のために行動すべきではないか?
「それでもっ!それでもここにこうして留まっている間に、わたしの国はっ……、国民は……」
「姫様の優しさはこのオルダーニが知っております。しかし今はご自愛ください。王が倒れれば国はあっという間に瓦解します。内乱が起これば大量に死傷者が出ます。それは陛下の愛する国民にとって最大の不幸になります」
そう言ってオルダーニはわたしの目元を拭った。興奮して少し涙を流していたらしい。
口をつぐんで更に涙が零れそうになるのを堪える。そこらへんの小娘のように事あるごとに涙をながしていては、女王としての尊厳に関わるし、……己の未熟さを認識するようで何か嫌だ。
「誰が見ているわけでもございません。涙を流してもいいのですよ」
さすがに昔のように抱きしめたりはせず、肘掛に預けてあるわたしの手にオルダーニの手が重なる。
「っ、そんなわけにいくかっ!わたしは女王だぞっ!だいたいお前が見ているではないかっ!」
「他の方々に触れ回ったりしませんよ?」
「別にそういう意味じゃ……」
「はい?」
おかしそうに、まるで父親が娘にするように優しく首を傾げるオルダーニ。
(……だからわたしが小さい頃から近くに居るオルダーニには、ある意味で一番成長を認めて欲しいんだと……)
いや違う。そんな軟弱な考え……。
「何でもないっ!……明日に備えて今日は寝る、お休みっ!」
わたしは恥ずかしくなって椅子から飛び上がると、テントの奥――簡易ベッドが置かれている方に向かう。謁見の間とはカーテンで仕切られた程度だが、オルダーニの手によって既にベッドメイクは整えられており、心地いい香も焚かれている。
自らの手で王冠を外し、遅れて入ってきたオルダーニの手を借りてバトルドレスを脱ぎ、寝巻きに着替えベッドに潜り込む。傍らに控えたオルダーニがいつものように軽く額を撫でる感触に睡みながらふと思う。
(あれ?わたし、やっぱり成長してない?)