エピローグ
あの後、地上に戻った俺たちは親衛隊に護衛されながらのんびり首都へ向かった。
まだ夕方くらいの時間帯だったが、4人揃って寝こけていたらしい。オルダーニの声で起こされた俺達が御車から外を覗くともう朝だった。
――その午後・ヴィットーリア私室。
「ふーっ、疲れる」
金で装飾された高級そうな扉を開いて、ヴィットーリアが入ってくる。そのままベッドまで歩いて縁に腰かける。
「お疲れ、トリア。何か進展はあったか?」
一方の俺は赤い絨毯の上だ。土足で歩き回るところなので地面に座っているようなものらしいが、あまりに手触りが良すぎるのでそのまま座っている。
「うむ……。あの戦いに参加していた我が国の人間はとりあえず投獄刑ってことで、話が纏まりそうだ。さらし首を主張するのも居たが扇動したのは魔族だし、大多数は盗賊と死人で構成されていた。略奪行為もしていないようだし、共犯ってやつだろうな」
市内の復興を急ぐ中で、罪人の処遇も決めねばならない。既にこの事件の裏に魔族が関わっていたことは公表しているが、それでも罪は罪だ。きっちり裁かなければ治安の悪化につながる。
「……そういえば何でレーゲンハルトはここに居るんだ?」
「オルダーニはともかく、あまり知られていない人間の俺が、今の状況で城内を歩き回るのは問題だって言って閉じ込めたのはトリアだろ?」
「そうっだったか……?」
ヴィットーリアが疲れた顔でベッドに倒れ込む。いわゆる天蓋付のベッドだ。ベッドの角4方向から天井に向かって布が伸びている。
俺はそのベッドの縁まで歩いていき、ヴィットーリアの頭を撫でる。
「だから、王の頭を気安く……」
「ここには俺しかいない」
「っ……」
何か言い返そうと開かれた口からは、結局何の声も聞こえなかった。
それっきり俺もヴィットーリアも無言。ただ俺がヴィットーリアの頭を撫でる音だけがしばらく響く。
ただただ穏やかな時間が流れるが、沈黙状態に俺が耐えられなくなった。
「そういやトリア、……なんで女王様やってんの?」
「あん?」
ヴィットーリアはけだるそうな声を上げた。かなり不満そう。世間話を振られるとは思わなかったのかもしれない。
「いや、先代のヴァルチェスカってまだ生きてんだろ?それにお前にとってはお婆ちゃん。てことは次はお前の母親の番なんじゃないか?」
「う……」
何か言いにくそうに呻いたヴィットーリアは横を向いたまま、ぼそぼそと喋り出した。
「だって……、お婆様が突然『なんか飽きた。バカンスに行ってくる』とか言ってシャイレーンドラに行っちゃうから、お母様に相談したら『興味ないわ~』とか言って音信不通になるし、ルイーザは臆病だしすぐ泣くし……。わたしがやるしかないじゃないか」
「あ~」
髪の間から見えるヴィットーリアの耳は赤くなっている。表情は向こうを向いたままなのでよく分からないが、あまりに無責任な一族の話をしてしまったことを恥じて悔いているのかもしれない。
「その……ルイーザの事なんだが」
「うん?」
ヴィットーリアにしては歯切れが悪い。俺は前髪を掻き分けて顔を覗き込んだ。
「レーゲンハルトたちの旅に加えてはもらえないだろうか?」
「……なんだ、突然」
「あ、別にルイーザを追い出そうとしているわけじゃないぞ」
「そうなのか?てっきり政権争いとかお家騒動とかそういう話かと」
「わたしを誰だと思っている。もし追い出す気があるなら正々堂々追い出すさ。……そうじゃなくてだな。まあ話としては似たようなものなのだが……」
相変わらず歯切れが悪い。別に急ぐ理由は無いのでのんびり待つ。
「その……、わたしとしてはルイーザにも国の運営とかに携わってほしいと思っている。今はまだ若い……わたしも含めて幼いといっていい年齢だが、いずれ人間も竜人も追い越して年を重ねる。だからそこは問題ないと思っている」
「だろうな。正直人間が政治の中枢に入れないのは寿命ってのが結構大きな理由になっているとは思うよ」
「うん、でだ。わたしはできるだけ早くルイーザにも一緒に携わってほしいのだが……その……、ルイーザはわたしを怖がっているだろう?」
「『愚妹』とか言うからじゃねえの?」
「うっ……」
たしか城でヴィットーリアと闘った時「愚妹と人間」って言われた気がする。ヴィットーリアも思い出して、言わなきゃよかったとか思ってはいるのだろう。視線が泳いでいる。
「まあでも、そうだな」
あの戦いの中でも頭を抱えて震えていたし、何かにつけて「姉様が、姉様が」と言っている。互いに好きなのは間違いないんだろうけど、ルイーザの場合畏敬の念に近く、自分との差をコンプレックスに感じている節がある。
「……だからルイーザにも自分の得意分野を見つけてもらいたいのだ。今回はレーゲンハルトが隣に居たからあのように気丈に立ち向かってきたが、居なくなればまた元通りだろう。わたしを怖がって遠ざける事はなくなっても、わたしの意見に異を唱えられるほど自信がついたとは思えない」
多分そうだろうな。
エルほどではないが甘えん坊だし、ただ背伸びしている……悪い言い方をすれば調子に乗ってハイになっているだけで、今回の事件を通じて自信をつけたとは言いがたい。
「ふむ……筋は通っていそうだが、――ルイーザには言ったのか?」
「いや、言っていない。マリアの許可は取ったのだが……」
「悪いが、結局本人しだいだろ?……それとも言えない、言いにくい理由でもあるのか?」
「う、む……」
一段と歯切れが悪い。
でも表情を見れば言おうか言うまいか、迷っているという感じ。
しばらく待ってみたが話し出すきっかけがつかめない様子。
「一緒に旅するにしても、できるだけ知っておきたいだけど、ダメかな?」
少しズルい聞き方かとも思ったが、ヴィットーリアの口は動き出す。
「あ……うむ。その我々バーカンディの始祖の名前は知っているよな?」
「ヴァルチェスカだろ?」
10分くらい前に俺が言った気がするが。
「そ、そうだ。で、わたし達の母親……つまりお婆様の娘はヴェロニカという」
「……そうなのか」
妙に距離を感じる言い方が気になったが、この国に来て会っていないという事は離れて生活しているのかもしれない。
「うちの首長は代々……と言ってもまだ3代目だが、ともかく一族の長は名前に『V』の字を入れられていてな。……幼い頃ルイーザがそれに気がついて、その……少々拗ねてな」
「それはまた、どうしようもないだろう……」
名前は親に与えられるものだ。仮にルイーザが戴冠するようなことがあれば名前を変えることもあるだろうが……。
「正直、当時のわたしは意味が良く分かっていなくてな。ただ宥めるような事しか言えなかった気がする。……だが今になって思うのだ。確かにわたしは『V』の字を持っている。だからわたしはこのまま王であり続けるだろう。そしてルイーザはわたしが居る限り、そしてわたしが子を産んだ段階で王になることはなくなる」
「うん」
王は1人しかなることは許されない。ヴェロニカさんに兄弟姉妹がいたかはわからないが、少なくともその直系であるヴィットーリアが女王を継いでいるということは、他に成りたくても成れなかった者が居るはずだ。
「しかしわたしの前には王になる以外の道はない。他にないんだ。言い訳かもしれない。他に成りたいものが居たとしたら、申し訳なくも思うが、わたしは女王に成る以外に道は無かったのだ」
エルもそうだ。
あの年で、まだ何がしたいのか、どうしたいのかも分からない時から、女王になることを運命付けられ、許婚を決められ……そっちは俺が何とかしたが、しかし女王に成るしかないという道は残っている。
「だが、ルイーザには他の道がある。まずはルイーザにとって何がしたいのかを見つけてほしい。そしてそれがわたしと共に生きる道を選んでくれるなら、彼女のなりの正義を持って傍に居てほしい」
ヴィットーリアは女王で、真祖である。おそらく数体くらいはこの城内にも真祖は居るだろう。しかしそれでも一族の長である彼女の命令に真っ向から立ち向かうものはそうは居ない。なんせヴァルチェスカはまだ生きている。どんな報復があるか分かったものではないだろう。
だが、ルイーザだけは別である。唯一彼女に反対できる立場に居る。
しかしまだまだ見識は浅く、自分なりの正義も見つけていない。このままヴィットーリアの元に居ても多分変わらない。
「なるほど……。ヴィットーリアの想いは分かったよ。ただ、やっぱり本人次第だ。しばらくはこの国に居るからさ。その間にゆっくり話をすればいい」
「そうか……。なんだよその顔は」
「いや~やっぱりトリアってルイーザのこと好きだよな。それにお姉ちゃんだ」
「なっ、何が言いたいっ!!」
ヴィットーリアが一気に赤面する。
「大丈夫だよ。妹や弟は、姉や兄と仲良くするにはどうすればいいか、なんてあんまり考えてないと思うぞ?なんせ愛されて当然って思ってんだから。だからちゃんと話せば伝わるよ」
「そうか、そうだな……」
「ちなみに俺達はルイーザの同行は賛成だ。エルにも同性の友達が居てくれた方が良いし」
「……来ないね」
「トリアには今日10時頃ヴァルシオンを発つっていうのは伝えてあるんだけどな」
俺とエルはヴァルシオン西門の内側に立っている。ヴィットーリアから妹を頼む、と言われたので一応待ってはいるが、ルイーザ自身の答えは聞いていない。
さすがに見送りにくらいは来るだろうとは思ったが、城に挨拶に行ったわけでもないし、ちゃんと伝わっていないのかもしれない。
時刻は既に10時半を回っている。
遠距離を移動する商隊等はとっくに出発しており、近隣の都市へ向かう馬車もさっき最終便が出た。
後に残っているのは俺達のように徒歩で移動する冒険者や、近くで狩を行なうであろう、いわゆる地元民だけである。
「どーしようか?」
「11時まで待って来なかったら出ちゃおうか。また来たときにでも会えばいいし……」
何せ1000年の長いときを生きる竜だ。10年やそこらで変わる事もあるまい。
「ん~?なんか来るよ?」
エルが俺の背中越しに指差した。最初、人間の俺にはよく見えなかったが、じーっと見ていると土煙が上がっているのが確認できた。
そしてその先を疾走る小さな姿。
「ルイズか?」
「多分そう……でも……?」
エルが首を傾げる。何を不思議がっているのか良く分からなかったが、迫ってくるルイーザの姿をみているうちになんとなくわかった。
スピードを緩めない上に、これから旅をするにしては妙に急いでると言うか、焦った表情をしている。ルイーザにとっては初めての旅だろうし、もっとわくわくした表情をするものだと思うのだが。
「おい、ルイズ……」
片手を上げて声をかけようとした俺の腕がルイーザに握られる。
「挨拶は後、ですのっ!!」
俺とエルを引っ張っるルイーザの足が止まらない。
「ちょっ、俺反対向きっ!!少し落ち着けっ!!」
「これが落ち着いていられますかっ!!ハルトくんだって……っ!!」
「俺が何だって……?」
――1時間ほど前。
ヴァルチェスカ城・第二謁見の間。
「この度は大儀であった。お前達の協力が無ければ町にはさらに多くの被害が出ていたであろう」
ヴィットーリアが仰々しく言葉を放つ。
ここは一般的に使われる城正面の謁見の的は違い、小規模な謁見が行なわれる場である。
「ありがとうございます。ヴィットーリア女王陛下のお役に立てたのであれば光栄です」
今回謁見している相手は、人間。西町に研究所を構える所長一派だ。
本当なら公にしたいところだが、今回の騒動に人間が加担していたことは首都の竜人なら誰でも知っている。
また重鎮の中にはまだ人間を下に見る傾向が強い者が多い。この場所にすら顔を出そうとはしないのだ。
そんな思惑と、所長自身がここで良い、というので小規模な謁見となっている。
「何か、褒美を取らせたいと思うが、何かほしいものはあるか?研究費などもある程度出す準備はあるが?」
ヴィットーリアの声に促されてかたわらの文官が捧げるのは金塊。現在のレートで5000万L程であろうか。
「ああいえ、我々が求めているのは『女王様の汗』でして……」
「は……?」
ヴィットーリアが動きを止める。
「おや、ルイーザ王女やレーゲンハルト君からお聞きになられておりませんか?我々はこういう香水を開発しておりまして……」
「あー、忘れてたな。そういえば」
たしかルイーザと二人でヴィットーリアに説明と説得をする予定だった気がする。
「あれだけ姉様の部屋に入り浸っていて、ですの?」
「いや、軟禁されていた、の間違いだろ?」
「その後、どーなったの?」
「い、一応。飲んだらしいのですが……その、それを条件に協力して頂いたわけですし、姉様とわたくし双方の許可はとっていますので」
そういえばあの闘技場でそんな事をヴィットーリアも言っていた。あの性格だし、自分の発言を撤回するのは難しかったのかもしれない。
王族と女の子どっちの恥を取るかという、ある意味で究極の選択だ。
「よくオルダーニが反対しなかったな」
「えっと、オルダーニは例の遺跡の調査に……」
「ああ……」
魔族と最後に戦った神殿は未だ竜血の影響を受けている。普通の竜人は侵入することができない。つまり調査には人間が借り出されているはずだ。
その陣頭指揮としてオルダーニは適任だ。何かあったときの対処にも問題は無いだろう。
あの魔族が居なくなった今、死人や死竜がよみがえる事もない。実際あの死人ルームはただの死体の山になっていた。
「(『ただの』とか思ってしまう自分が嫌だな……)」
ルイーザに引っ張られながらヴァルチェスカ城を振り仰ぐ。
「ってことは、トリアは今一人なのか……」
「戻る?」
エルが首を傾げる。ほんとに、いいの?と。
「そうだなー。慰めたりはしたいけど、多分もう手遅れかな」
「ん~?」
「公式の場で認めてしまいましたし……」
「でも、かわそーだよ?」
エルが俺の瞳を覗き込む。
それはもう、じーっと。
「……」
気がつけばルイーザも見つめている。戻ったほうがいいのは分かるけど、一度逃げるように出てきてしまった手前、戻りにくい。
それはわかるけど。
これから長い付き合いをしていく仲だ。
こんな事で姉妹喧嘩してほしくないし、俺としてもヴィットーリアとは友人だ。
「戻ろう」
「うんっ!」
「っ、はい……」
エルは元気に。ルイーザは緊張しつつも、どこかほっとしたように呟いた。
そして急制動をかける。
「きゃっ!?」
「ちょっ、おまっ……」
「お~~」
ルイーザが何かに躓いた。バランスを取ろうとしたルイーザは俺とエルの手を放す。当然のように空中へ投擲される俺たち。
エルは当たり前のように翼を広げて滞空したが、人間である俺は放物線を描いて地面に向かう。
ずざぁぁぁっ、と地面に尾を引きながらなんとか着地。
「ごめんなさい、ハルトくん……。あ、血出してますの」
さすがに姿勢を整える事が出来ずに、手を突くように着地した結果、掌が数カ所にわたって擦り剝けている。
「ああ、大丈夫だよこのくらい……」
「ハルくん怪我?」
エルが駆け寄ってきた。
「待て、エル」
「すぐ治すよっ!!」
俺の制止に耳を貸さずに手を突き出すエル。
何このデジャヴ。
「だから待てと……」
ちゅどおおぉぉぉぉん。
「失敗しちゃった……」
エルの呟きと共に吹き飛ばされる俺。ヴァルシオンを出て5分もしないうちに、一回目の爆撃。国境を超えるまでにいったい何回、飛ばされればいいのだろう。
「ハ、ハルトくん、大丈夫ですの?ハルトくーーんっ!!!」
結局俺たちはボロボロのままヴァルチェスカ城へ帰還して、自室で思い悩んでいたヴィットーリアを慰めて……。
正式に出立したのはさらに3日後だったりする。
ほんと、最後まで締まらない。
ちなみに約半年後、姉印のレッドドラゴン香水が特産としてマグナ・サレンティーナの国境付近で売り出されているのを知ったヴィットーリアが爆撃するのはまた別の話。
たしかにマグナ・サレンティーナ原産である事に間違いはないのだろうけど。
そして妹印のレッドドラゴン香水が売られているのを発見したルイーザが軍資金はたいて買い戻そうとしたのを俺が止めたり、ブルードラゴン印の癒し香水が売られているのを発見して店ごと壊して弁償させられたりするのもまた、別の話だ。
つづく。




